47.瞼に映るのは
「ああ、やっとここまで来た」
キャンベル城を遠目に確認し、ユーゴが呟く。キャンベル領の主要部は城壁都市で、街全体が高い城壁でぐるりと囲われている。さらに都市を隔離するよう川が輪のように流れ、川を攻略しないと城壁にすらたどり着けない。
敵兵は川の向こうから橋を掛けようとしている。それでも増幅した川では簡単にはいかないようだ。
都市が川や他の土地より少し高い位置に作られているおかげで、山の麓にいるユーゴたちからは城壁と城の上部が良く見えた。向こう側からは木々に隠れてこちらの存在は見えないだろう。
ユーゴは手を額に当てて庇にし、興味津々に城を見まわす。
「すごーい。橋を閉じるとこんなに完璧な防壁になるんだね。よくこんなの作れるね」
ユーゴは何度かキャンベル領に来たことがある。城壁の幾つかが跳ね上げ橋になっていて、普段は川に橋が架かっている。商人などがひっきりなしに出入りする賑やかだった街が、今は一転して堅牢な島と化した。
「感心している場合?」
目元は弓なりになっているが、ロジャーの声には圧があった。
敵陣が川を挟んで城をぐるりと一周するように取り囲んでいる。太鼓とラッパの音が絶えず鳴り響き、遠く離れていても不快になるほどだ。
「暫く様子を見よう。敵の動きを観察できるよう少し上にテントを張ってくれ」
ユーゴが従者に指示を出す。
ロジャーの視線を感じ取ったユーゴが、木に凭れながら頭の後ろで手を組んだ。
「この間の雨の影響でまだ川を渡れそうにない。それならキャンベル軍との争いで疲弊したところを急襲した方がずっと効率がいい」
「もし相手の援軍が来たら不利になるよ。数で負けるからね」
「大丈夫。後からオーウェンが合流するだろう。それに城の食料は四か月分ある。攻め急ぐ必要はないさ。一先ずここらで様子を見よう」
確かに、今無理に攻める必要はない。が。
ロジャーは気づかれないよう、伏し目がちにユーゴを確認した。飄々としているのはいつも通りだが、あまりにも余裕のある態度が気にかかる。
何かある。
ユーゴがチョコレート色の髪をかき上げながら苦笑する。
「そんな怖い顔しないでよ。攻め込むだけが能じゃないさ」
「それもそうだね」
ロジャーは狐のような目をすっと細め、立ったまま眠り始めたユーゴに背を向けた。
☆
オーウェンたちは草が生い茂った川岸へと降り立ち、川幅が狭く水深が浅い場所を探し出した。一昨日に比べると川の水は随分と引いたが、流れが速く馬が足を取られれば最後だ。
「木や石で流れを遮れ!」
体力自慢の騎士たちが岸に上がった岩や大木を次々と運び、川に放り投げていく。あっという間に川の流れが弱まった。
「渡るぞ」
「私が先に」
試しに騎士が渡ると、馬は難なく対岸へと辿り着いた。それを機に二列で川を渡っていく。オーウェンは騎士たちに囲まれるように川を渡り終えた。
一先ず安心したところに、びゅんという音が耳を掠め、「ぐはっ」と対岸へと辿り着いていた騎士の一人が血を吐いて落馬した。
「急襲だ!」
川岸の草むらから次々と矢が降ってくる。
土手の上では騎乗した敵がどこからか現れ、前を塞ぐように何重にもなって目の前に立ちふさがった。扇状に広がり、矢の雨をオーウェン達の上に降らせてくる。
風に煽られ、サイファ国の旗が大きく揺れた。青紫と白のバイカラーの旗には二本の百合が交差するように描かれ、その下にいる熊がこちらを威嚇するように牙を見せている。
槍を剣で振り払いながらオーウェンが叫んだ。
「怯むな!前進しろ!下にいる奴は馬で踏みつぶせ!」
形勢的には不利だ。まだ三分の一の騎士が川を渡り切っていないし、通れる場所は限られている。しかし、ここで背を向け逃げ出すと精神的にも余計に苦しくなる。どのみち、ここを通らねば先へは行けないのだ。
正面突破する!
草むらに隠れていた敵は駆け出した馬たちに次々と踏みつけられ、「ぐああ」と声を上げて使い物にならなくなった。
「オーウェン様は私の後ろに。突っ切ります!」
ステンがオーウェンの盾となるよう前を駆ける。さすがの迫力で一気に土手まで駆け上がり、次々と斧で敵をなぎ倒していく。
オーウェンもそれに続いた。敵の腹を下から上に切り裂き、間髪入れずに横から首を切る。声を出す間もなく落馬していく敵に構うことなく、次の敵の腕を切り落とした。血しぶきが飛び散る。
血と土の臭いが鼻を突き、馬の駆ける音と剣がぶつかる音が響く。土埃で視界が悪く、この先にどれだけ敵がいるのか判断がつかない。
心拍数が上がり呼吸が乱れ始めても、剣を振り続けた。
こんなところで死ぬわけにはいかない!
左側にいる敵を落馬させたとき、右前方から敵の槍が目の前に迫ってくるのがスローモーションで見えた。
しまった…!
「オーウェン様!」
一歩早くオーウェンの前に歩みでたステンが力ずくで相手を斧で払い落とした。その直後、ステンは「ぐっ」と呻き声をあげ右の脇腹を抑える。みるみる流れ出した血がステンの手を伝う。
態勢を崩したステンにさらに別の敵が槍で左の肩口を刺していく。引き抜いた瞬間に鎧の隙間から血が溢れ出た。
「ステン!」
オーウェンはすぐさまその敵の腹を突き刺す。
「ステン!」
「問題ありません!」
ステンが叫び、斧を振って敵を倒してみせた。オーウェンは敵を切りつけながら、ステンに近づく。鎧の上にも血が流れ落ちている。
「下がっていろ!」
「いいえ!私の役目はあなたをお守りすることです」
ステンは再びオーウェンを守るよう歩み出て、斧を振った。
『いい?ステン。死んでもオーウェンを守るのよ!代わりに私がイザベラを守るわ!』
出立前にベアトリスと密かに交わした約束が脳裏に蘇る。
大丈夫。守ってみせますよ。命に代えてでも!
びゅんっとステンの斧が威勢のいい音を立てて、複数人を叩きつぶした。その威力で近くにいた敵の馬が暴れ始める。制御できず落とされた者は、そのまま馬に踏みつけられた。
「勝てるぞ!後一息だ!」
「おお!」
オーウェンに鼓舞され、騎士たちが勢いを増す。数時間の戦いの後、負けを悟った敵の生き残りが背を向けて一斉に逃げだした。
「逃がすな!弓を引き続けろ!」
敵の背に向かって放たれた矢が、馬や敵兵に襲い掛かった。逃げ惑う敵に追い打ちをかけるように矢を次々と放つ。ガシャッと折り重なるように地面に敵が転がっていった。
オーウェンはすぐにステンに駆け寄る。ステンは馬からずり落ちるように地面に座り込んだ。その背を抱えるようにしてオーウェンが叫ぶ。
「ステン!大丈夫か!早く止血薬を!」
オーウェンに呼ばれ、すぐに救護班が駆けつけた。鎧を脱がせ、出血個所に粉状にした止血薬を塗っていく。
寝かされたステンはすでに意識が朦朧としていた。
「出血量が…」
状態を見た救護班の一人が呟いた。出血を放置して戦い続けたせいで防具が血塗れだ。
「ステン!しっかりしろ!」
ステンは遠のく意識の中で叫び声を聞いた。
ああ、内臓をやっていたらアウトだな。まあオーウェン様が無事ならいい。
痛みも感じなかった。
新婚と子どもが生まれたばかりの騎士は死にやすいってジンクスを作ったのは誰だろうな。まさか自分が当てはまる日が来ようとは。
…イザベラ。
『ステン、大好きよ』
目を閉じる寸前で見たイザベラは、とびきりの笑顔でこちらを見ていた。




