魔女のかまどのキュン恋レシピ
私の魔法はかまどに火をつけることから始まる。
大鍋にたくさんお湯を沸かしたら、そこにちょっと怖くなるくらいの砂糖とはちみつ。
そこに、ミントにタイムにローズマリー。他にもたくさんのハーブから作ったシロップを入れたら、ここから先は我慢くらべだ。
ゆっくりと大鍋の中身をかき混ぜれば、段々と甘い香りが工房一杯に立ち込めてくる。
そうしたら、ここからが魔女のキャンディー作りで一番大事な工程だ。
右手に魔力を集めて、その先のお玉に流し込む。
フワッとお玉が光ったら、「みんなが元気になりますように!」と願いを込めて3回し。
すると、大鍋の中は途端にキラキラと輝きだす。輝きが消えない内に型に流し入れたら、風の魔法でキャンディーを冷ましていく。
固まったキャンディーを型から外して、少しずつ袋詰めすれば、辺境の宿場町アーリンの新名物、『魔女のかまどのハーブキャンディー』の完成だ。
今日は週に1度、街の広場で市が立つ日。
ざっくり一括りにしていた飴色の髪を三つ編みにして、明るい花柄のワンピースに着替えた私は、キャンディーがたくさん詰まったかごを両手に下げて、工房を出る。
少し歩いて街の中心部までくれば、そこにはすでに人が集まりはじめていた。
私だって遅れるわけにはいかない。
すこし歩く速さを上げたところで、えらく偉そうな声が私を呼び止めた。
「ちょっと! そこのお嬢さん? 市に出るような様子だが……営業許可証は持っているのか?」
「まあ!? もちろんよ、ほら? ……にしてもあなた偉そうね。それに見ない顔……どなたかしら?」
「おや……見ない顔とは失礼な。私はこのアーリンの領主ヴェンデル・フォーレであるぞ」
「あら!? 領主様? これはこれは失礼……ってどうして着任したばかりでお忙しい領主様がわざわざーー?」
市井ではあまり見ない、パリッとした上着に山高帽を被った男。
彼はここ、アーリンの新しい領主らしい。
らしい……っていうのも変な話だけど、彼がここへきたのはつい最近なのだから仕方がない。
アーリンの前領主様は騎士あがりで恰幅の良いおじさん。
私もよく領主館へキャンディーや薬を届けにいって、可愛がって頂いていた。
そんな領主様なのだが、急に腰を痛めてしまい、王都で長期療養しなくてはいけなくなる。
しかもその直前には、次期領主として補佐をしていた領主様の長男が、隣国の商家のお嬢さんと恋仲になり、半ば無理やり婿入りしていた。
それで、この街へやってきたのが次男のヴェンデル様。
これまでは王都で文官をやっていて、将来もかなり有望視されていたとかーーまあ、ある意味気の毒な話ではある。
「ふんっ! なんでも聞いたら最近『新名物』とやらが流行っているそうじゃないか。しかもその正体は魔女の手作りキャンディー。あまりにも怪しいと思って私自らやってきた訳だ」
やっぱり前言撤回。こいつ、ものすごく失礼だ!
「まっ……怪しいって失礼ね! 私が詐欺師とでも言いたい訳?」
「まあ、そんなところだ。ーーだいたい魔女ってなんだ? 聞いたこともない」
「あら? 天才文官様というには不勉強なのね? 魔女っていうのはねーー」
「遠くクリュイエール王国に住む不思議な人々ですよ。彼女はその末裔です。あと、領主様。護衛なしで出歩かないでいただきたい」
「警備隊長っ!」
私の言葉を引き取ってくれたのは、背の高い筋肉質の大男。
アーリンの治安を日々守る威圧感抜群の笑みに凄まれ、ヴェンデル様は少しばかり顔を引き攣らせた。
「クリュイエール王国? ものすごい遠くじゃないか!?」
「えぇ。この不思議な力を悪用されようになって国を出たところを、親切な商人に拾ってもらって、ここアーリンへたどり着いたのよ」
「そ、そうだったのか……そういえば……クリュイエール王国の王族が、不思議な力を持つ人々を片っ端から捕まえているっていう話をーー今思い出した。すまん」
意外と私の身の上話が深刻だっただろうか。
ヴェンデル様は意外にもシュンと肩を落として、素直に謝罪を口にする。
「まあ……クリュイエール王国なんて普通に生きていたらまず話題に上がらない国ですからね。私の方こそ不勉強だなんて言ってごめんなさい。でも、これで信じていただけました?」
「あ、あぁ……営業許可証もちゃんと父の署名が入っているしなーー」
「じゃあっ! 無事無罪放免ですね。警備隊長さんも助太刀ありがとうございますっ! さて、急いで市へ行かなくちゃ……ってちょっとお待ちください、領主様」
警備隊長にお礼を言い、さあ解散となった私達。けどその前に改めてヴェンデル様の顔を見た私はふとあることが気になった。
「領主様? もしかして……お疲れ? というかあまり寝ていらっしゃらないのですか?」
「ん……ま、まぁな。急な話だったから、なかなか忙しくて……領主として結果も早くださねばならんしーー」
確かに、前領主様が腰を痛めたのは本当に急だったから、引き継ぎもままなってないのだろう。
前領主様はそんないきなり結果を求めるような人には見えなかったけど、彼らの世界には彼らの世界なりの厳しさがあるのかもしれない。けれども……
「だからって寝ないのはよくないですよ、領主様。ほらっ!」
領主様のあんまりな顔色が気になった私は、彼の頭にそっと手をかざす。
突然のことにヴェンデル様は叫び声を上げた。
「うわっ! な、何をした!」
「簡単な治癒魔法です。国を出たのが幼い頃なので、出来る魔法も少ないんですけど……あと、これを食べてくださいな」
魔法をかけてもなお、あんまり顔色のよくないヴェンデル様に、私は琥珀色のハーブキャンディを差し出す。
さっき魔法をかけられたからか、彼からしたら得体のしれないものだろうキャンディを、ヴェンデル様は素直に口にいれた。
「あ、あぁ……ありがとう。……旨いな」
「でしょう? ハーブたっぷりにちょっぴり魔法。身体をじんわり癒やしてくれるはずです」
「えっ! 良いなぁ領主様。キャンディーも良いけど、魔女様に治癒魔法使ってもらえるなんて希少なんですよ」
と、そこへ割り込んで来たのは警備隊長。けっこう本気で羨ましそうな彼に私は思わず苦笑した。
「警備隊長さんは顔色ツヤツヤしてるじゃない?」
「昨日は8時間ぐっすりでしたーー」
「だったら治癒魔法なんて入りませんっ! それはそうと、頼まれていた傷薬、また詰め所に届けておきますね」
「ああ、ありがとう、魔女様。魔女様の薬はよく効くからね」
「私の治癒魔法は気休め程度の威力ですし……ここはお医者様も少ないんですから、気をつけてくださいね」
「ああ! もちろんだ!」
魔女といっても、ごく弱い魔法しか使えない私は『魔女のかまど』というキャンディー屋さんと薬屋さんを営んでいる。
仕事仲間として話す私と警備隊長を、なぜか領主様は羨ましそうに見ていたのだった。
「はい、奥様。頼まれていた風邪薬。あと、咳止めの効果があるキャンディーもどうぞ」
「ありがとう、魔女様! これで子供たちも一安心だわ。……ってあら、領主様?」
「領主様……? って今日もいらしたのですか?」
私が住んでいるのは、町外れの工房とお店を兼ねた小さな家。
その立派とは言い難い家にやってきたのは、今日もパリッとした服装のヴェンデル様。
どういうつもりなのか、あの日以来ヴェンデル様は、日課の見回りついでに必ず私のお店に寄るようになっていた。
「またですか? とはなんだ。独り身の魔女殿が心配で、見回りついでに様子を見に来てやったのだろう?」
「まあ! それは良いですわヴェンデル様! いくら魔女様といえ、若い女の子の一人暮らしは心配ですものね。気にかけてあげてくださいな」
随分えらそうに言うヴェンデル様に、何か一言いってやろうとした私。
だけど、それを薬を買いに来ていた常連の御婦人が遮った。そして彼女は満面の笑みでこちらを向く。
「魔女様も隅に置けないわね。私は応援してるわよっ! じゃっ、おくすりありがとう! あとは若い2人でーー」
「えっ!? マダムっ! お、お大事にー……行っちゃった。……って大変!」
「ん? ……何がだ?」
急にドタバタと帰って行った御婦人を見送って1拍、急に素っ頓狂な声を上げた私に、ヴェンデル様が訝しげな表情をする。
けど、今の私はそんなことを構ってられなかった。
「だって……あの方、街一番の噂好きですよ。アーリンの狭さはご存知でしょう?」
「あ……なるほど。確かにこの街は噂の巡りが早いな」
「うんうん、じゃないです! どうするんですか? 絶対誤解してますよ」
このままじゃどんな噂を広められるか。そう焦る私だけど、ヴェンデル様はといえば至って冷静だった。
「まあ……噂が流れるようなら否定しておく。彼女だって悪意ある噂を流す人じゃないだろう?」
「まあ、それもそうですけど……」
確かにあの奥様は噂好きだけど、人を悪く言う人じゃない。
ヴェンデル様の落ち着いた声に、自分も少し落ち着いてきたところで、私は別のことが気になってきた。
「ところで領主様……? もしかして……また寝てらっしゃらない? それに頭痛も?」
改めてヴェンデル様を見てみると、いつもそんなに良くない顔色がさらに悪い。時折顔もしかめて、こめかみを揉んでいる。
ちょっぴり非難めいてしまった私の言葉に、ヴェンデル様は降参、とばかりに両手を上げた。
「さすがは魔女殿だな。もうすぐカッペル領主との会合があるから、少しばかり忙しくて……王都にいるときも良くあったことだ」
「そういえばこの時期は、領主様もお忙しそうでしたが……」
カッペルは山向こうにある隣国の街だ。前領主様のお騒がせな長男の婿入り先があるのもそこ。
そして毎年1回、両方の街の領主はこの春先の時期に会って、様々なことを話し合うのがお決まりだった。
「まあ……準備もいろいろあるし、言葉も違うから少しばかり大変だが……このくらいで音は上げられない」
この小さな街では領主を補佐する人も少ないし(というか補佐していた人どっかいっちゃったし……)、外国語に通じた人もほとんどいない。
ーー覚えている限りだと、今の領主館には外国語が出来る人はいなかったはず。
「あの! ……もしよければ私がお手伝いしましょうか?」
「魔女殿が……? いや、しかし……」
「私はここに来るまで各地を旅してました。ある程度でしたらお隣の言葉も……」
「だが魔女殿だって店があるだろう?」
「はい。なのでお店の仕事の合間にとはなりますが……さすがにその顔色は心配です!」
「そうか……? しかし……」
「嫌というなら……領主館に押しかけますよ?」
魔女殿の仕事の邪魔をするのは……とばかりに口ごもるヴェンデル様。そんな彼に私は畳み掛けた。
「……わかった。じゃあ、悪いが頼んでも良いか?」
「はい。では早速今日の午後、お伺いしても?」
「ああ、頼んだ。領主館の者たちにも伝えておこう」
こうして急遽、私は領主館でお手伝いをすることが決まったのだった。
「うーん……とっても良い香り! ブルーベリーのキャンディーは初めて作ったけど、普通にお店で売っても良いかも! 目が良くなって悪いことはないものね」
そうして宣言どおり、領主館でヴェンデル様のお手伝いをした日の夜。私は少しばかり夜ふかしをして、キャンディーの試作に励んでいた。
大鍋でグツグツ煮えているのは、目にも鮮やかな青色の液体。その正体は摘んできたばかりのブルーベリーだ。
もちろん、ハーブもふんだんにいれてある。
甘酸っぱい香りに気分が良くなった私が思わず鼻歌を歌っていると、不意に「魔女様!」という声が聞こえた。
「どうされました! ってあら、警備隊長さん」
「こんばんは、魔女様。夜遅いのにごめん。ところでちょっとおふくろが熱を出しちゃってさ、熱冷ましってあるかい?」
「ええ、もちろんよ。ーーでもお母様、大丈夫なの?」
「ああ、心配はいらない。季節の変わり目にはよくあるんだ。魔女様の薬を飲んで、ゆっくり寝ればすぐ良くなるはずだ。ところでこの匂い……どうしたの?」
どうやら薬を買いに来たらしい警備隊長。彼は、店先にも漂う甘酸っぱい香りに不思議そうな顔をした。
「あっ! これはね、ちょっと新作を作ってて……ブルーベリーのキャンディーなんだけど……」
「ブルーベリー? あっ! もしかして領主様のために?」
「にゃ、にゃんでしょれを!」
新作キャンディーがヴェンデル様のためのものだと、すぐに言い当てた警備隊長。
私は思わず返事が噛み噛みになってしまった。
「魔女様ってば動揺し過ぎでしょ。ブルーベリーといえば目に良い果物だし、この街で目を使う仕事をしてるっていえば領主様だ。それに魔女殿と領主様は仲が良いしね」
「な、仲が良いって! 違うのよ、あれは向こうが勝手に私を心配してっ」
「で、お礼に新作キャンディーを? うーん、青春だね……大丈夫だよ、みんな応援してるから。じゃあ、おくすりありがとうね。また今度!」
そう言うと、警備隊長は薬の入った紙袋を手に踵を返す。
「ちょっと! 警備隊長さん! みんなが応援ってどういうことーー。あとお大事にーっ!」
清々しい笑顔で爆弾を落としていった彼に、私は思わず叫び声をあげるのだった。
「ハハッ、警備隊長までそんなことを言うとはーー」
「もうっ、笑い事じゃないですよ、領主様? まあ……今回は私が迂闊だったんですけど……」
「すまない、魔女殿。警備隊長には今度きちんと否定しておこう。で? それがその新作キャンディーか?」
「はい。お口に合うと良いですけど……」
その日の昼。私は早速新作キャンディーを手に領主館を訪ねていた。
私がキャンディーを渡すと、ほくほく顔でその一つを口に入れるヴェンデル様。
いつの間にか彼は、私の作るキャンディーを随分気に入って下さったようだった。
「ん、美味しい。それになんだか目の疲れがスーッと溶けていくようだ。さすが魔女殿だな」
「まぁっ! 褒めてもなんにも出てきませんよ? それにそんなにすぐに効果が出るものでもありません」
「そ、そうか?」
「はい。キャンディーも良いですか、一番大事なのは食事と睡眠、それに休息。わかってます?」
「あ、あぁ……努力する……」
昨日領主館の使用人達に聞いたところ、ヴェンデル様は日課の見回りの時意外、本当にここで働き詰めなのだという。
特に最近は、それが一層ひどくなっているらしく、彼らも随分と心配しているらしかった。
「もうっ! 領主さまったら……まあ、会談が終われば多少余裕も出来ますもんね? 私も微力ながらお手伝いしますわ」
何を言ったって、ヴェンデル様の仕事人間なところは変わらないだろう。
となれば、私に出来るのはキャンディーの差し入れと、ちょっとしたお仕事の手伝いくらい。
私は気合を入れ直し、執務机に積まれた書類の翻訳を始めたのだった。
そうして1週間。私は分厚い書類の束をトントンっとまとめてから、大きく伸びをした。
「はぁ〜! これで終わりですね、領主様っ!」
「ああ、なんとか間に合って良かった。魔女殿がいかったらどうなっていたことやらーー」
「あら? 領主様ったら柄にもない……きっと領主様なら私がいなくても間に合わせてはいたと思いますけど?」
ただし、寿命を多少削ってそうですけどね?
そんな私の言葉にヴェンデル様は「さもありなん」と笑ってみせる。
いつも生真面目なように見えて、意外とこうしておどけてみせることも多い彼。
いろんな表情を見せてくれるようになったことを喜びつつ、ここは笑い事じゃない、と私は勤めて厳しい顔を作った。
「『さもありなん』じゃありませんよ、領主様。あなたが倒れては元も子もありませんからね」
聞いてはいたものの、想像以上に仕事人間だったヴェンデル様。この1週間だけでも何度彼を強制的に食堂へ引っ張っていき、何度魔法で強引に寝かしつけたことか。
ーーそう、結局私はこの1週間ほとんどをこの領主館で過ごしていた。
まあ、もともとアーリンのお店はどこも営業時間なんてあってないようなものなのだが……あまりのヴェンデル様の忙しさに危機感を覚えた私は、1週間程お店をお休みすることにした。
なんだか彼のことを、放っておけない気持ちになってしまったのだ。
もちろん、急な薬の依頼は領主館で受けていたが、臨時休業を快く許してくれた街の人々には感謝しかない。
そんなことを考えていると、不意に「ところで魔女殿?」という声が振ってきた。
「どうされましたか?」
「実はだな、もう一つ頼まれ事をして欲しいのだが……」
そんなことを口にしつつ、ヴェンデル様は目を細めてグイッと私ににじり寄る。
「お、おにぇがいごと?」
美形な領主様の思わぬ行動に、思いっきり噛んでしまう私。
「ああ。魔女殿にしか頼めないことだ」
そんな私に一つ頷いたヴェンデル様は、ゆっくりと口を開き、そのお願い事を口にしたのだった。
「さて、と……会合で出すキャンディーはどんなものにしようかしら? 普通のハーブ味とブルーベリー味は当然として、せっかくなら新作も作りたいし……」
そして領主館からの帰り道。私はやや薄暗くなった道を考え事をしながら帰っていた。
いつもはヴェンデル様が馬車を出してくれるのだが、今日はまだ日も暮れきってないし、火照った顔を冷ましたかったのもあり、それを断って歩いている。
ヴェンデル様の頼みとは、会合の時に私のキャンディーをカッペルの領主に振る舞って欲しい、ということ。
それ自体は快諾したが、あんな心臓に悪いお願いの仕方をしないで欲しい。
新作キャンディーのことと、思わせぶりな領主様のこと。
2つのことを代わりばんこに考えていた私は、いつの間にか背の高い男たちに囲まれていることに、気づくのが遅れてしまった。
『お久しぶりです、魔女殿。お迎えにあがりましたよ』
『あら? 迎えに来てって頼んだ覚えはないけど? それによくこんな遠くまできたわね』
リーダーらしい一番背の高い男が口にしたのは、もう随分と聞いていない故郷の言葉。
そして彼らは、壁を作るように私のまわりをぐるりと囲みにじり寄ってきた。
『魔力を持つ者はひとり残らず捕まえるよう、陛下から仰せつかっておりますのでーーさあ、どうぞ一緒に国に戻りましょう?』
「嫌よ! 誰か!」
私は伸ばされた手を振り払い、姿勢を低くして男たちの間から抜け出そうと試みる。
が、その試みは上手く行かず、あえなく長い手で体を捕まえられてしまった。
「ちょっと! なにするのよ!」
『ハッ! 逃げるんなら実力行使だ。攻撃魔法が使えない奴は捕まえるのも楽だな』
そう言って笑うのは、さっきのリーダーっぽい男。
万事休すかと思った次の瞬間、力強い声が聞こえた。
「彼女を離せ!」
「領主様!」
声の主はヴェンデル様。どうして私がこうなっていることを知ったのか?
珍しく帯剣している彼は、見たこともないような険しい表情で、私を拘束していた男のかかとあたりに容赦なく斬りかかる。
その剣筋は文官とは思えないほど鋭いものだった。
男の拘束が緩み、私が慌てて男たちから離れると、ヴェンデル様はそんな私を守るように男たちの前に立ちはだかる。
4人の男たちはそんなヴェンデル様に、当然のように鋭い剣先を向けていた。
『領主かなんか知らんが、邪魔をするな! あの魔女はクリュイエールのものだ』
『昔はどうだったか知らんが、今の彼女は我がアーリンの大事な領民で、私の大切な人だ。お前達には連れて行かせない!』
そう言うとヴェンデル様が、4人の男たちに斬りかかる。
と、そこからは早かった。
ヴェンデル様の持つ剣がキーン! と高い音を立てて男たちの持つ剣とぶつかり、そして的確に剣をはじき、足のけんを切っていく。その実力差は圧倒的。
いつの間にか、ヴェンデル様が呼んでいたらしい警備隊も駆けつけて、ヴェンデル様に歩けなくされた男たちは、警備隊員に抱えられるようにして連行されていった。
「領主様!」
「魔女殿! 怪我はないか?」
「はい!」
駆け寄ってきたヴェンデル様に、私は思わずギュッと抱きつく。ヴェンデル様は、一瞬固まってから私に手を伸ばした。
「よかったーーさっき街に聞いたことのない言葉を話す怪しい旅人がいるって通報があって……どうもクリュイエール語らしかったから慌てて飛び出してきた」
「そうなんですね。助けてくださりありがとうございます。……にしても……文官をされていたとお聞きしてましたが、剣術もお強いんですね」
「一応騎士の息子だからな、父に仕込まれた。実践は久々だったがーー」
やや照れくさそうに笑うヴェンデル様。と、その時急にヴェンデル様がガクッと崩れ落ちた。
「ってーーヴェンデル様! どうされたのですか? 実は怪我? それともまさかアイツら剣に毒を? 早く治癒魔法……」
「いや……心配ない。さっきいった通り実践は久々だから……今になって急に足から力が……」
そう言うと、ヴェンデル様は照れくさそうに苦笑を浮かべた。
「訓練と実践は違うからな。今になって恐怖感が……なんとも情けないーー」
「情けなくなんてありません! だって、ちゃんと私を守ってくださったじゃありませんか」
「魔女殿……」
泣き笑いな私に、へニャリと笑ってみせる領主様。そんな彼に私はカバンからキャンディーの詰まった袋を取り出した。
「さ、領主様? 落ち着きたい時には甘いものですよ?」
私の言葉に素直に口を開くヴェンデル様。私はその口に蜂蜜色のキャンディーを一粒食べさせた。
「ん……甘いな。そして美味しい……ありがとう魔女殿」
「エルマです」
「ん?」
「私の名前、エルマっていうんです」
刹那、ヴェンデル様は目を見開く。物知りの彼だから魔女の名前は特別な人にしか教えてはいけない、という魔女の伝統も知っていたのだろう。
「エルマ? 良いのか?」
「はい。だってヴェンデル様は私の大事な『領主様』ですから……」
「なるほど。大事な『領主様』、か……」
彼はそう言うと、キャンディーもびっくりな甘さでとろりと微笑む。
私達の関係が魔女と領主様から、別のものに変わるまでには、これまた甘ったるいお話がたくさんあるんだけど……それはまた別のお話だ。