青い鯨 ──女子中学生連続飛び降り事件
憧れの某化粧品企業で働き始めたOLの輝夜は都会の煩いほどの輝きに目を疲弊させていた。世間一般では華金と呼ばれるその日、彼女は意味も無く繁華街をほっつき歩いてみた。視界には、部下に見栄を張りたい落武者ハゲと断りきれなかっただろう気弱なメガネ野郎。仕事か何かに疲弊し切った女──をテンプレの口説き文句で話しかける派手なスーツの男。誰も彼もが夢現。現実から目を背けるためか、輝夜は真夏の暑さを凌ぐためかコンビニで度数の強い酒を買い込んで路地裏に足を踏み込んだ。そこには目を疑う光景──少女の遺体の一部を真顔で口にしている薄汚い男、20代前半程か…それに似つかない幼い表情をしていた。横たわってる生気のない2人少女を目にした時、輝夜は悲鳴を出そうとして声にならない声を漏らしてしまった。目の前の奴はその声でこちらに気づくとすぅっと立ち上がり口角を上げて近づいてきた。輝夜は恐怖で足がすくんでしまい動けない。
(いやだ、私死ぬの?なんで私が、殺さないでやめて、ヤメロヤメロ死ね死ね死ね───)
男はふらりと横を通ると輝夜は安堵の表情を浮かべた───私は助かるんだと。だが彼女は血を吐いた。背中に走る熱い感覚、刃物で刺されたのだと分かる前に彼女は意識を手放していた。
青い鯨
警視庁捜査一課──8月29日
「はぁ、青い鯨事件?何処かの海水浴場で鯨が打ち上げられでもしたのか?」
佐藤は同期の水橋から捜査報告を受けていた。
「女子中学生2連続自殺・死体消失事件。例外なく何者かに指示されての自殺だったから上司が勝手に名付けた。」
「遺書に指示されて自殺した旨を書かれてたやつか…いや待てよ、自殺と鯨の関係は何なんだよ。」
「2016、7だっけ?海外で社会問題になった青い鯨ゲームってのがあったんだよ。SNSで50日間何者かから支持を受けて最終的に自殺に導かれる意味不明な遊びだ。」
「んで、それを模倣した事件でも起きたのか?」
「まぁそんなとこだろう。」
「なんでそこ曖昧なんだよ。お前も捜査班の班長なんだから知っとけよ、名ばかりリーダーかぁ?」
「あのサイコ野郎がほぼ掻っ攫って行きやがったんだよ!」
佐藤は呆れ返ってスマホを弄っていた。その中は通話画面、名前は…田中一郎。
「おい…まさか通話を繋げていたのか?あの野郎と…」
『誰がサイコ野郎ですかー?水橋さーん…?』
「佐藤っ貴様…後でぶっ殺してやる…」
「そん時は俺が現行犯で捕まえてやるよ」
『そうだ!この前話の途中でしたよねーどこまで話しましたっけ?鶏胸肉を縫い付けて豊胸手術を───』
「お前は黙ってろサイコ野郎がっ!」
某女子中学校 一華───
日記 7月20日
私はクラスメイトの有栖が怖いです。いや、見捨てられるのが怖いというのでしょうか。彼女と私は一緒のグループに属しています。彼女は気分屋さんで良い時は私と沢山話してくれて楽しいです。悪い時は一切口を聞いてくれません。その度に私は何かしちゃったのかな?このまま縁を切られたらどうしよう。といつも思ってしまいます。今日はとあるSNSのサイトを教えて貰いました。彼女にとっては面白さ10割でしょう。クラスメイトの誰かが見てたのを覗き見して教えてくれました。それは、こころの相談所で、主に私たちの年代の子の悩みを匿名で聞いてくれるサイトでした。私は皮肉にも有栖のことを相談しました。返信が来るのが楽しみです。
???───
え、これのこと?いつもおねえさんにたべものをもらうんだ。まだぼくね、かりをしてはいけないんだっていわれたけど、たべてるときにうごいてるたべものをみつけたからぼく、はじめてかりをしたんだ〜。ほらみて!!これはおねえさんにはひみつだよ。え?あしたもはなそう?!いいよ!!いちちゃんにはとくべつ!
警視庁捜査一課 佐藤───9月1日
「死人は茜一華と悠花音の2体…ねぇ…で、なんで俺らまで捜査に駆り出されにゃいけねぇんだよ…大体よー夏休み明けにクラスメイト2人も自殺していて、翌日に死体が盗まれてたんだろ?そうなるとなると不安になるのに、俺ら刑事が来たら逆効果だろうが…」
彼は某女子中学校の前で溜息をついていた。
「いや、あの…一郎君の話聞いてなかったんですか?屋上からの飛び降り自殺で当分は学校、閉鎖ですよ。」
女部下の伊藤が生ゴミを見る目で見ていた。しかし、佐藤は黙ったまま早足で某女子中学校へ向かった。「無能上司!」「クソ野郎!」「一生独身!」背後から聞こえた伊藤の声は意外にも心臓に刺さっていたが…。
某女子中学校の校長室に通され、全校生徒と全教師の顔写真が印刷された紙を貰い、事情聴取の為呼び出された一華らの担任教師を待っていた。
「なぁ、このオッサンさゴリラみてぇな顔してね?」
「ブフォアッちょっ…フフッ黙ってくだ…フッさいよ…」
伊藤はクールな顔つきだが以外にもツボが浅いらしい。2人がバカをしていたその時、ドアのノック音が聞こえた。おそらく待っていた相手だろう。
「失礼します」
噂をすればとそこに居たのは…2人が話していたゴリラ顔の男だった。
「ブッッゴホンゴホッオェッ…ちょっ失礼っ便所にっ…フフッ」
笑いを抑えきれなかった伊藤が震えながら顔を手で覆った。
「大丈夫ですか…?ご案内致しますよ、刑事さんも大変ですね…」
幸か不幸かゴリラ男が不安そうな顔で声をかけてきた。
「ゴヴァッハアッッ…来る間に見つけたので構いませんッフファッ失礼しますッ」
ドアを開こうとして、勢いよく頭を打ち付けた伊藤の耳元で佐藤がボソッと囁いてきた。
「ゴリラッ…」
「ブフォックソ上司がっフフッあとでぶっ殺してやるわっ!!」
伊藤が廊下を音を立てて駆け出したとき、佐藤とゴリラ顔の担任こと…榊原が校長室で話を始めた。
「ウチの部下がすんませんね、腹が弱いみたいでね。」
「いえいえ…刑事さんって私達よりもストレスかかりますもの…」
「んで、早速本題に入ります。単刀直入に言うとアンタの受け持ちの生徒、茜一華と悠花音の自殺についてですが、何かご存知ですか?」
「いいえ…なにも。」
「それでは彼女らの普段の学生生活について伺っても?」
「はい、悠は…いつも一人でいる陰キャ女子って感じで…。茜は…なんと言うかキョロ充?的な無理にスクールカーストの高い周りとつるんでいる…というか。」
「陰キャにキョロ充って…貴方顔年齢の割に若い言葉知ってますね。」
「…すみません、俺は25歳です。」
するとドアの向こうから伊藤の押し殺した笑い声とドアに彼女の頭がぶつかった大きな音がした。
「申し訳ない、ウチの無能部下の声だ。」
佐藤は立ち上がるとドアを開けて、座り込んでいる伊藤の背後にしゃがんで
「25の老け顔ゴリラ…」
そう囁きかけた。
「ゴヴァッハッ…後で水橋さんに言いつけてやる…」
いたずら顔から急に真面目な顔になった佐藤はそのまま伊藤にもう一度囁きかけた。
「水橋にならご自由に。それと、あの男はこの事件とは関係ない。顔に一切の焦りも見えなかった。それとあれはヘタレ野郎だ。生徒を自殺させることも、生徒を追い詰めることも出来やしない。」
「でもっ…今はSNS等で他人の手を借りれば気弱な人間でも、どうとでもなりますよ?」
「その線も考えられる…がしかし、SNSの調査は水橋班に許可を取ってからだ。だから…今は引け。俺らは今、完全フリーでは動けないんだ。」
その指示に渋々従い伊藤はいつものクールな表情をして立ち上がった。
「それなら撤退で良いです。私は一郎君に連絡を入れてから、被害者の教室と現場である屋上を見て回ります。佐藤さんは先に戻っても構いませんよ。」
「あぁ、一応話を聞くに茜一華の方はクラスメイトと多少の問題がありそうだ。彼女らのクラスメイトの顔写真は回収しとけ。それと住所、親御さんの連絡先等も押さえとけ。」
「了解です。」
2人は話を終えると、榊原に声をかけ各々別行動で動き出した。
某女子中学校 ───7月23日終業式
一華は放課後に有栖と教室で別れた後、こころの相談所からの返信を読み返していた。
「──その関係は友達と言えるのでしょうか?それを確かめるためにも、有栖さんとは少し距離を取ってみても良いと思います。話は変わりますが貴方のクラスメイトにも友達関係で私達に相談を送って頂いた方が居ます。1度、その子とお話をしてみませんか?仲良くなれるかもしれません。終業式の日の放課後に教室に残って居てください。7月22日 こころの相談所職員より。」
有栖とは距離を置けずに過ごしていたが、一華は職員の言う通り放課後の教室で待っていた。すると、いかにも気弱そうな1人の娘─悠花音が入って来た。
「あの…茜さん?もしかして…そ、相談所の人が言ってたのって…」
一華は正直陰キャだと見下していた花音が正面に居たことに多少の怒りを覚えてた。なんでこいつと私が同じなんだ───と。仲間を見つけたと照れて嬉しそうにする目の前の女の表情が一華の怒りを余計に増幅させていた。
「あー、悠…花音さんだったっけ?そうだよ。少し話さない?今から駅近のカフェにでも…」
その時、一華の言葉を遮るように教室のドアを開ける音が聞こえた。
「あら、この2人の組み合わせって珍しいわね〜。もしかして今からお出かけかしら?青春ねぇ〜」
その声の主は生徒から聖母と呼ばれることで有名な副担任の月夜日夏先生だった。例に漏れず一華も花音も彼女のことを尊敬していた。
「あっ、そうです。花音ちゃんとカフェに行こうって話をしていて…」
「あら、それなら私駅前のカフェのクーポンあるからあげるわ〜!他の子には秘密よっ。それと、終業式とはいえ…教室出ないとゴリラ先生がうるさくなるから…ね。」
「…はい、クーポンありがとうございます。花音ちゃん、行こう。」
「え、はいっ…、」
一華は花音の手を引いて急いで教室を飛び出した。月夜先生の優しさに溢れた不気味な笑顔は、なにか心の奥底を見透かされたような気がして───
???───
いちちゃん、またきてくれた!!それはなに?─たべもの?ぼくがしってるたべものじゃないね…?うん、たべもののおにぎり?ながいおなまえのたべものだね。
警視庁捜査一課 伊藤───9月4日
「あんのクソ上司がよ…殺してやろうか」
彼女はいつもに増して殺気立っていた。後ろに立っている田中に気づかないほどに。
「伊藤ちゃん、大丈夫?また佐藤さん?」
トカゲの尻尾ポタージュという謎ドリンクの缶を頬に当てられた彼女は背後の田中を見ると、饒舌に話し出した。
「あっち…って一郎君!なに今日も悪趣味な飲み物渡そうとしてくるのよ…ってかさ聞いて!金曜にゴリラ教師に聞き取りしたでしょ、あの後私現場検証組に話聞きに行こうとしたらさ…あの野郎私に資料集めもやらせやがったの!!暇人の癖に!!」
「そうか〜あの人もやることあったんじゃない?ところでさ、現場の報告はまだ?金曜日の内に報告してって言わなかったっけ?」
華麗に饒舌女の話を受け流した田中が痛いところを突いてきた。苦虫を噛み潰したような顔で伊藤は調査報告書をカバンから取り出す。
「あーもう、サイコ堅物野郎が…これでいいでしよ!!」
それを真剣な顔で見つめる田中はある箇所で目を見開いた。
『───茜一華の机内に日記らしきものあり。』
そして、その箇所を指さし伊藤に問い詰めた。
「日記らしきもの…現物は?」
「無いけど、一応写真に取っておいた。主に内容は同クラの有栖…って子の愚痴しかなかった。だけど最終日の20日、終業式の3日前に謎のサイトにアクセスしたと──事件と関連があるかもしれない情報があった。」
「っよし!伊藤ちゃんナイスだよ!印刷しておいて、僕は水橋さんに報告しておくよ。多分今日の会議の議題に上がると思う!」
───
警視庁捜査一課佐藤班、水橋班合同会議 記録
書記 水橋班 田中一郎 202X.09.04(月)
・水橋班 水橋、田中:茜家、悠家を回り事情聴取→両家の親はともに精神状態が不安定の為話せず成果なし。被害者の自宅に放置された携帯電話は回収。
・水橋班 神谷:被害者の携帯電話の解析→被害者2名は死亡30日前に連絡先の交換をしていた。
・佐藤班伊藤:佐藤との某女子中学校への事情聴取後に現場調査→被害者茜一華の日記を発見。「こころの相談所」へアクセスしていたとの事。こころの相談所のサイト解析必須。
一華───8月2日
彼女は怯えていた。相談所の職員とサイトでやりとりする度に、心臓の熱を奪われるような感覚。先日─カフェにて連絡先を交換し他愛のない雑談をした後、花音への複雑な感情のやり場を求め、気がついたら職員…“よつ”さんにメッセージを送っていた。翌日によつさんからの返信を見るとこう書かれていた。
『あなたにとって花音さんは見下すべき存在であります。なので、その感情は間違っていませんよ。もしこれ以上関わりたく無いのならば、花音さんにメッセージアプリ等であなたの抱く怒りや憎悪を思う存分ぶつけてみませんか?───』
…と。一華はよつさんが言うなら、と花音へ怒りの思うままLINEで意味の見通せないただの暴言を打っていた。
その日は花音からの返信は来なかった…が、翌日自分が送ったものを鏡写しにしたような暴言のオンパレードが返ってきた。そのことをよつさんに相談する…と、いつも解決法を教えてくれる。彼女は画面の向こうの誰かも分からない人間に対し心酔していた。毎日送られてくる解決方法は最初は花音を傷つけることだったが、日が経つ程に「紙にお月様を描いて祈りましょう」などと意味不明なものになっていた。しかし一華はなにも疑うことすらしなかった。
???───
ねぇ、いちちゃん。なにするの、うでにつけたそれはずしてよ。いやだ、ぼくはここにずっといるの。おねえさんがもうすぐきてくれるよ、たべものをくれるの。…え?おねえさんはもうこないの?…うそだ、ぜったいうそ。みんなみんなうそつき。
警視庁捜査一課 田中───9月6日
「水橋さん、月夜輝夜の殺傷事件…被疑者の確認が取れました。及びに青い鯨事件とは一切関係無いかと。」
田中はいつもの猫を被った笑顔は何処へやら、暗い表情で上司の水橋に報告をしていた。
「そうか、良い手柄だ。今にでも捕まえに行こう。それで…何か引っかかるところでもあるのか?」
「っ…やっぱり分かりますか…」
田中は取ってつけた苦笑いで事件について語り出した。
───
夜は少し冷える初夏の日の深夜、酒が周りふらついていた田中はお気に入りの嬢に貢ぐため繁華街を歩いていた。近道の路地裏を歩いていたとき、この街には似合わない無垢な顔をした青年と出くわす。目の前の青年の口にはべっとりと赤黒いねっとりとした液体のようなものが付着していた。足元には3体の死体、もう息は無いだろう。田中は自分に向かう視線に合わせ目の前の青年を刺激しないよう、語りかけた。
「なぁ、君の名前はなんて言うんだい?」
「…?なまえ…そんなのない。おにいちゃんは?」
「…一郎だよ。」
青年は全てにおいて幼かった。義務教育さえ受けてないだろう。
「そうか、そこの女の子達はどうしたんだ?」
そう尋ねると青年は稚拙ながら詳細を語り出した。「おねえさん」が死体を食べ物と称してくれること、そしてその日初めて突発的に自分で『狩り』をしたことを。
その当時田中は横たわっている死体のうち2体は、青い鯨事件の被害者であり、死体が盗まれた茜一華と悠花音である事に気がついていた。その日は死体の消失で捜査一課はその対応の為顔写真があちらこちらに貼られていた為だ。
その上、突発的に殺された女は後に捜索届けが出され、水橋班に捜査命令が出ていたた月夜輝夜であった。
だからこそ疲れていて、面倒事には巻き込まれまいと田中は「また明日な」と雑に言い渡し足早にそこを去り匿名で公衆電話にて通報した。
青年は明日には捕まっているだろう───と。
そして翌日、田中はまた別の嬢に会いに行くためその路地裏を通っていた。そこにはまた、青年が居た。彼は一日ぶりの再開とは思えないほど目を輝かして抱きついてきた。「いちちゃん!またきてくれた!」…と、あどけない表情で。その時は、もう田中は青年に対して形の分からない愛情を抱いていた反面、少しの恐怖を覚えていた。昨日通報したはずだ、死体は回収されたんだよな?俺らにもそう伝達は来ていたはずだ。…こいつの情報は…?ない、逃げたのか…警察から?そう頭を巡る考えを抑えて田中は青年に話しかけた。
「おにぎり食うか…?」─と。
目の前の青年はにこにこと子供のように笑っていた。
───
「そういうことか、…で、お前はどうしたい?」
水橋は優しく田中に尋ねた。
「僕は…彼の為にも“保護”したいです。茜一華や悠花音の死体を貪り食い、月夜輝夜を殺したのは十分な罪と言えるでしょう。ですが、彼は…何も知りません。人の温かさ、罪の意識…。彼を罰するかの判断は十分に教育を与え、愛情を与えてからにして欲しいと僕は思います。彼はただ人の温もりを求めていただけなんです。」
「…そうだな、新たな被害者を出す前にそいつを“保護”しに行ってやるか。相手はたった1回とはいえ殺人鬼だ、武力行使に強い武闘班にも声をかけておく。決行は今夜だ。」
一華───8月22日
最近よつさんは、おかしな事を言ってくる。「腕にカッターで傷をつけてみなさい、それは貴方の生きた証拠。」「学校の空いている日に屋上の端に座ってみなさい、貴方は今日も生きて居ます。」
生に執着したような恐ろしいメッセージの数々。それを見ても一華は心酔してたからか、その指示を花音との関係の解決方法だと思い込み従い続けている。そして昨日、人生の分岐点にもなるメッセージが送られてきた。
「人生とはいつ失うか分からない、だから遺書を書きましょう。これはあなたの生きた証になり得ます。」
そして今日、新たに送られてきたメッセージ、
「あなたは今日、生まれ変わります。学校の屋上に来てください。悩みのない世界へ。」
一華はもう戻れなかった。
警視庁捜査一課 佐藤───9月6日
「お前は…水橋班の神谷だっけな?どうした、報告は水橋に…」
珍しく無口な神谷が自分の元へ来た佐藤は驚いていた。
「水橋さん別件で立て込んでて、恐らく並行捜査していた月夜輝夜の殺人事件のことでしょう。」
「そうか、続けろ。」
「…青い鯨事件、被害者2名の携帯の確認、こころの相談所のサイト主の開示をが完了しました。自殺指示をした人物の目星はついてます。」
なんとも優秀な部下だと、感心したのもつかの間、神谷は苦虫を噛み潰したような表情で続けた。
「自殺指示をしたのは…被害者の副担任だそうで…SNSの匿名性を利用したものですね。」
「そうか…胸糞悪い。今日のウチの班の定例会議で話し合って明日にでも捕まえられるよう手配しておく。人数分の書類を作っとけ。」
神谷は頷くと、証拠画像印刷の為、プリンターへと向かった。
警視庁捜査一課 田中───9月6日 夜
『決して対象を刺激させないよう、厳重な注意を払え。』
いつもの姿で繁華街を歩く田中の耳にイヤホン型の無線から水橋の声が響く。手錠を持つ手は震えるばかりだ。いつもの路地裏に入り、いつもの青年が笑顔で出迎えてくれた。「いちちゃん!」と…田中は震える足を動かしてそっと青年の前でしゃがんだ。
「ごめんね、」
田中は青年の手首にそっと手錠をかけた。青年の怯えた表情が眼球の奥に痛みを与える。彼は無線に向けて
「お願いします」
そう言って立ち上がる。その直後、武闘班が雄叫びをあげて突入をした。暴れる青年が何度も放った「うそつき」という言葉が胸の奥に刺さって心を痛ませる。
耐えきれずに路地裏を出て、待機していた水橋を目にした彼はもう限界だった。全身の筋肉から力が抜けて倒れ込む。すかさず水橋は彼を支えて座らせた。
田中は水橋に背中をさすられながら泣いた。街を飲み込むかのような大声で───
「大丈夫、お前は悪くない」
頼りない上司の声がいつもより、ほんの少し寄り添ってくれる気がした。
悠花音───遺書
私はずっと1人でした。しかし、この前こころの相談所のよつさんに相談したら今までが嘘のように友達ができました。しかしそれは長く続かず、よつさんの指示でいつしかその子と暴言を吐きあっていました。私はこんなことしたくなかったのかもしれません。しかし、よつさんに洗脳まがいのことをされていてもう戻る術はありませんでした。そうして、今日よつさんから「自殺して生まれ変わろう」とメッセージが届きました。私は彼女のことが大嫌いです。彼女の指示に従いたくないです。けれど、もう死ぬしか道はないのです。全部私の自業自得です。
本当にごめんなさい。
警視庁捜査一課 佐藤班───9月7日定例会議
殺人事件は佐藤班、少数精鋭武闘派集団。
何時からだろうか、そう呼ばれるようになったのは。佐藤は会議資料を眺めぼんやりと考えていた。
「クソ上司さーん、聞いてるんですかー?」
大きな会議室に響き渡る声で伊藤が叫んでいた。
「あぁ、すまん聞いてなかった。もう一度言ってくれ。」
「あぁ"?マジで聞いてねえのかよ、仕方ない。これで言うのは最後ですからね!次聞かなかったならサナちゃんに聞いて下さいよ」
伊藤の呼ぶサナちゃん──とは佐藤班の最年少、伊藤のふたつ下の女刑事真田である。
「えー?サトーさんと話すのやなんですけど?!名ばかり上司に話すことなんてないでしょ〜」
少数精鋭な武闘派班と呼ばれる佐藤班だが、男が1人しか居ないため非常に肩身が狭い。武闘派の名称は目の前の2人によって手にしたものだから余計に。
「で、月夜日夏だったっか?ソイツに礼状出してとっとと捕まえるんだろ?」
「あーもう!そこまで単純だったら私とサナちゃんで強行突破しますよ!!今回は佐藤さんの頭脳が必要なんです!」
2匹のメスゴリラを飼い慣らすのは大変だ、と佐藤は会議資料を見つめた。
「もしかして、昨晩水橋らが捕まえた奴との関係があるのか?」
「そうです、彼…名前は無いようです。水橋さんの事情聴取結果、彼は月夜日夏から女子中学生の遺体を食物と称しておおよそ10年間定期的に与えられていた、と。」
「はぁ?んなことあるのか、大体定期的にってなんだよ?月夜が教師とはいえ女子中学生の遺体をどう調達するんだ?」
「それが分からんのです。」
真田が不貞腐れた表情で言った。
佐藤は先日、こころの相談所について神谷から聞いたことを思い出す。確か──青い鯨を模倣した。弱みに漬け込んで毎日指示をする、それはどんどん過激になり最終的に自殺を指示する。それは自殺幇助となるはずだ。自殺幇助──ならば遺体は?遺体をアテに生きていたなら…定期的に与えられなければ餓死するだろ?定期的に与えられた遺体、女子中学生は。
「おい、伊藤。お前は過去10年間の近辺の女子中学生の行方不明の事件を調べとけ。そして真田、お前は月夜日夏の過去務めた学校を洗っとけ。」
「リョーカイっす」
「何かわかったんですね。来週の定例会議で報告出来るようにします。」
月夜姉妹───数年前
「ねぇ日夏ちゃん、なんで教職なんかに就いたの?職場恋愛とかできないでしょう?」
私──輝夜は紅茶の入ったティーカップを揺らしながら妹に尋ねた。
「んー?辛そうな子、苦しそうな子を“救いたい”からかなー?ってかお姉ちゃんみたいに出会い目的で職選んでるわけじゃないからさー」
(救い…ねぇ…。この子は他の子と少しズレているから不安だな…)
私は、我が妹の慈愛にあふれた表情の目の奥…微かに、濁って見えたのは気の所為だろうか?
年子の私たちはいつも一緒だった…といっても私はいつも監視役。小学生に上がっても虫の死骸を平気で引きちぎり、教室の本棚に放置する───いわゆるサイコパスな少女だった妹。
なにかするたびに周りの大人は
「ごめんね、輝夜ちゃん。日夏ちゃんがいけないことしたら止めてくれないかな?」
と言って大人びた私の本音なんか聞こうともせずに私をロボットみたいに扱った。そのせいで私の小学生時代は全部日夏だけだった。
中学生になって日夏も少しは変わると思っていた。しかし、彼女はまったく変わることが無かった。その分、日夏は異常だ。と私は妹を恥じ、塞ぎ込んでしまった。彼女から早く離れたい。けれど妹には犯罪者になって欲しくない。その一心で私は法律を勉強した。理由のひとつは法学部のある大学付属の寮付きのエリート高校に入る為。もうひとつは妹に犯罪の全てを教え、それは良くないと口酸っぱく体に叩き込む為。
日夏から逃げた私は大学を出て職に就くまで一切実家には帰らなかった。
そして社会人一年目、盆休みの今日。久しぶりに会った妹は教師になっていた。私は正直この子にそんなことが出来るわけがない、と思っていた。
「おねぇちゃーん?なにぼんやりしてるの?」
日夏の声で我に返る。目の前にいるのはあの頃の妹ではない、しっかり成長してくれたんだ。そう自分に言い聞かせた。
「えぇ?なんだっけ、ごめんね私あなたが成長したことに感動しちゃって」
「お姉ちゃん面白いね!それでさーお姉ちゃんってパソコンとか使える?ホームページを作ってみたいんだけど───」
一華 ───8月22日 深夜
彼女はよつさんに呼び出され、学校の屋上に居た。今日、ようやく私は生まれ変わるんだ。と洗脳をかけられた心は嬉しく飛び跳ねるようだった。
「茜一華さん、こんばんは。」
後ろから声が聞こえた。おそらくよつさんの声、一華は笑顔で振り向いた。
「よつさ…って月夜先生?なんでここに?」
そこに居たのはよつさん──ではなく月夜日夏だった。横には怯えきった表情の悠花音、月夜先生のスカートを握りしめている。
「んー?それは内緒よ…。ところで、今日は星が綺麗よ〜ほらもっとこっちで見ましょう。」
ずっと昔に建設された校舎の屋上。そこには柵が無く、足を踏み外したら落ちてしまいそうだ。月夜先生は今にも浮き出しそうな軽い足取りで彼女らの背を押し歩いた。
「…綺麗だな、私もこれくらい輝きたい。」
「…星って羨ましい、生きてるだけで褒められる。」
2人は夜の闇に溶かすかのように本音をこぼしていた。背中に感じる大人の女性の手、安心を覚えるような人肌の温かさ───
それは一瞬だった。背中に走った…とんっと、軽い感覚。頭に血液がのぼる、足がふわふわする、風が心地よい。何もかもスローに感じた。
彼女らは月夜日夏に背を押されていた。
鈍い音が響く。2人は頭からコンクリートの地面に激突していた。首の骨は90度曲がり骨が飛び出ていた。強打した頭は潰れ、眼球はかろうじて血管が繋がっていたが、ほぼ外に出ている。口からは内臓らしきものが血と吐瀉物と共に流れ出て液体が死体を包み込んでいた。
「あはは、とっても綺麗ね。あなた達はきっと“救われる”わ。」
女の恍惚とした声が夜空に響いた。
警視庁捜査一課 伊藤───9月8日
「行方不明になった子…女子中学生だけでこんなに居るんだなぁ…」
伊藤は過去の行方不明届を見漁っていた。生真面目にファイリングされている、おそらくこれは上司の佐藤がやったのだろう。
「資料多くてよくわからないよぉ…」
やたら今日は彼女の独り言が多い、そしてなんといっても口が良い。いつもなら暴言まみれなのに、だ。
「伊藤さんも大変だねぇ、あいつも詳しく言わないからどう調べたらいいか分からないよ…俺でもさ…」
伊藤の横で別班の上司であり、伊藤の想い人である水橋が声をかけた。
「そうなんですよ…あのクソやr…えっと佐藤先輩の意図が読めなくってぇ…」
彼女はわざとらしく猫なで声で話した。
「うーん、多分会議の記録見るに行方不明かつ遺体が上がってないのを探してるんだよね、確か?多分これ過去の未解決事件も一気に解決しちゃおうって算段かな…」
「え、それって犯人捕まえてから裁判までの期間で調べればいいのでは?」
「うん、まぁ多分ホームページの解析とかこの前捕まえた青年の証言あれば今にでもとっ捕まえることできるよ。…多分アイツは君たち騙してなにか企んでるね」
「そうですかー!今から少し佐藤さんに聞いてきます!」
伊藤は怒りをあらわにし佐藤の居る喫煙所に向かって走り出した。
「あの野郎…煙草でヤキ入れしたろか…」
───
「で?そんなことに未だ気づいていなかったお前がなんの用?敵を騙すには味方からって言うけど本当に騙される奴がいるんだな。」
伊藤と佐藤は喫煙所で口論をしていた。
「早く捕まえないと次の被害者がでてしまいますよ?本当にそんなことして刑事としてどうなんですか?」
「大丈夫だ、俺は今月夜日夏とコンタクトを取っている。例のホームページで、だ。」
「何言ってるんですか、それと新たな被害者との関係性は?」
「あんな弱サイトなんざちょちょいとPC強いやつに任せりゃ来てる相談は一発で丸わかりだ。そんで月夜日夏のターゲットは1期間に1人か2人しか居ない。そして今回は1人かつ、俺にだ。まぁ気長に待って最高の夜にフィナーレを迎えようじゃないか。」
佐藤は気が高まったのか両手を広げひとりで盛り上がっていた。
「はぁ?フィナーレ、アホくさ。意味は分かりませんが私とサナちゃんのしてることって無駄にはなりませんよね?」
「あぁ、お前らは変わらず月夜日夏に与える罰を重くするための証拠を集めとけ。この事件の解決は俺だけで十分だ。」
───
「イトーパイセンっ!」
真田があいも変わらず元気な声で飛びついてきた。そして、伊藤の話す間も与えず話し出した。
「容疑者の経歴調べ終わりましたよーっ!!これで早く女の子たちが報われるといいですけど…」
「サナちゃん…健気だなぁ…あのクソ野郎私たち騙してたんだよ!!会議の時点で容疑者捕まえられてたのに〜」
伊藤は大袈裟に悲し泣きのフリをした。
「はぁ?!ありえないんですけどー?マジ最悪!憂さ晴らしに今晩2人で飲み行きましょーよー」
───
警視庁捜査一課 佐藤───同日深夜
「へックシュッ…花粉か…?」
「誰か佐藤さんのこと噂してるんじゃないですか?」
佐藤は水橋班、情報通の神谷と秘密裏に話をしていた。
「───それで話を戻しますが、月夜日夏の例のサイトで自殺をほのめかす指示は上振れ下振れはありますがおおよそ1ヶ月ほどです。」
「あぁ、すまない。それでお前に頼みたいのだが、俺が指示を出すまでその…サイト内での奴の動きを見張ってもらいたい。おそらく相談に対する返答はしないと思うが…少しでも動きがあれば俺に伝達しろ。」
「了解しました。」
佐藤は話を早々に切り上げ、足早に自分のデスクへと向かった。そうしてPCを立ち上げると“こころの相談所”から来た“よつ”改めて───月夜日夏からの返信を確認した。昨日神谷からの報告を受けたあと、日夏の務める某女子中学校の生徒を偽り気弱な女子を装い相談をしていたのだ。
(本当は女刑事に頼みたいところだが…メンタルもフィジカルもゴリラなあいつらに任せるよりは、俺だよな───)
すると、スマートフォンに一通の電話が来た。
『うぇ〜い、あはは!さとぅさん聞いてるぅ〜??いまぁ〜サナちゃんとぉ〜たのしいことぉ?してますお〜!!』
『あえへへ!いとぉさぁん〜なーにするんですかぁ??』
伊藤からだ。おそらく真田も居るだろう。あのゴリラ共が、酒に酔ってなにか「オタクくーん」的NTR展開もどきになっているぞ。と思いつつ彼は
「悪酔いは結構だが俺は職務中だ。」
と言い電話を切り、スマホの電源を落とした。
舌打ちをひとつした後、PCにて返信を見ようと手紙型のアイコンをクリック。
「最初は優しく───か、」
日夏から返信に佐藤は寒気を覚えた。そこには、
『いじめられていて困ってるのですね、あなたは悪くありませんよ。もし良ければもう少し詳しく教えて貰えませんか?───』
と書いてある。表面上は優しく、こんな所に頼るほどに衰弱している心になら響くだろうが…。本性は残虐性を持ち合わせる知的な殺人鬼ってか。とんだクソ女だな。
彼は大学生時に読み込んでボロボロな心理学の本を開く。
「───他人からの心理的暴力を受けた場合」
このページには心理的暴力─いじめ等の被害を受けた場合の心理とその対処法を記してある。そこから心理的情報と創作した架空の女子中学生の情報を混ぜ合わせる。それを己に投影し、PCのキーボードを打ち込む。涙が流れようが関係なしに。───それが終わった頃、部屋の扉が開く音がした。扉の隙間からアルコールの臭いが流れ込む。
「うぇええうぃ〜てんさいいとーちゃんがもどりましたおぉ〜!!ひっく」
「ぉおぇぃ〜サナちゃんもいるぉ〜!ひっく
ってお〜さとしゃんないてんじゃねーのか!!」
悪酔いしている2人に、いつもの佐藤ならあしらうことができるが、なんせ今は架空のいじめられっ子の女子中学生が憑依している。
「な、なんですか。お姉さん達…誰ですか」
佐藤(?)は恐る恐るか細い声を出した。
「うはは!いい歳したおっさんがなーにやってんですかよぉ〜ひっく」
「さけさけ、おみやげに度数強いやつ持ってきましたよォ〜へへへ、のめのめ〜」
最悪なことに2人は週末ということで、いつもの何倍も飲んでいた。というか完全に酒に飲まれていた。そのうえコンビニで買ったであろう佐藤が飲めば一瞬で潰れる酒を持ってきた。
「…やっやめ…うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
警視庁捜査一課 水橋───9月9日
「で?バケツとランデブーってか。そんなんで俺を呼ぶなよ…」
水橋は土曜出勤の神谷に呼び出されせっかくの休日を潰された。理由は…酒にやられた佐藤の吐瀉音に悩んでる…と。
「それはすみませんが…どっちかと言うと汚物とランデブーです。」
「そんなんはどうでもいい、で?誰かが飲ませたんだろ?あいつは酒に弱い。そのうえ仕事中は意地でも飲まない堅物野郎だ。」
部下のしょうもない訂正をあしらいつつ、水橋は佐藤班のデスク周りを見回ってみる。すると何かを見つけ溜息を吐いた。
「はぁ…多分2匹のゴリラだ。争った形跡がある。」
「あの人たちでしたか〜。またなにか恨み買うことしたのかな…佐藤さん。」
「逆恨みだろ。ってことで俺は帰るぞ、ったく…」
───
2人が雑談を交わしていると、先日保護された名前のない青年の取り調べ───及び勉強会に付き合っていた田中が嬉しそうに走ってきた。
「み・ず・は・し・さ〜ん!!休日に会えるなんて嬉しいです!!クマの内臓風味ジュース飲みますか〜?」
「っちょっと急用を思い出した!俺は帰る!あとは頼んだぞ、神谷…!!」
───
水橋が家に着いた頃、神谷からメッセージアプリに通知が届いていた。佐藤のことだったら明日ぶん殴ってやるからな…と思いつつ開くと、思っていたこととは違うことが書かれていた。
『田中さん青年の取り調べで有力情報確保したらしいですよ』
例の青年は捕まって以来なかなか心を開かない…と言っていたが、ようやく手がかりを手に入れたか。と水橋は思いつつこう返した。
『田中から聞いた事そのままメッセージで送ってくれ。』
嫁が入れてくれたコーヒーを啜りつつ、神谷の返信を待つ間、ネットニュースを見漁る。話題のニュースはなんだろうか、最近は事件の調査中心で 、世間の話題なんて見る機会が無かった彼は目を丸くして驚く。その見出しは青い鯨事件についてだった。
『女子中高生自殺後遺体消失 犯人未だ見つからず』
この事件の詳細は───マスコミ…いやマスゴミ共には漏らさないよう水橋班、そして佐藤の野郎の班では少なからず徹底させていたはずだ。“未だ”ということならば、少し前からこの事件の情報は出回っていた…ということ。被害者の親あたりが事件の詳細を語ったとしても───カメラや手帳を持った奴等が出しゃばるはずだ、そして刑事にだって取材をする輩の対応にリソースを裂かれるはずだ。なのに、皺寄せが回らない。どうして…そう思っていたのもつかの間、手元のスマートフォンがけたたましい音を立てて振動した。これは───緊急アラーム、現在の人員での対応が不可能な時に武力に秀でている人間の元に通知が飛ぶシステムである。現在捜査一課の建物に居るのは───捜査のため土曜出勤をしている神谷と二日酔いでダウンしている佐藤。問題が起きれば連帯責任は免れない、おそらく首が飛ぶだろう。
彼は最低限の鍵とスマホを持ち、バイクに跨り走り出した。
月夜日夏───8月22日
彼女は赤が何よりも美しい…そう思っている。下に見えるコンクリートに流れ染み込み美しい跡ができる様は妖艶であった。早く匂いを嗅ぎたい、あの鉄錆のにおい。真夏の夜の蒸し暑さと混ざり合って夢のような生臭さを放つあの…においを…あぁ、早く、はやく、、、
屋上から早く降りなければ…匂いを嗅ぎたいのが1番だ。しかし死体を見られれば捕まってしまう。そうしたら教師としていられなくなる…この美しい瞬間を見られなくなる。
某女子中学校は5階建て、日夏は必死に階段を駆け下りていた。早く“人間の最も美しい姿をみたい”、その気持ちが彼女を動かしていた。
───彼女が2階に降りた頃、その思いも虚しく外から叫び声が聞こえた。コンクリートと人間がぶつかる鈍い音が近所に聞こえたのか?それとも落ちる時の叫び声?
そんなのどうでもいい、この場に居るのを悟られなければ良い。死体の処理は…後からでもなんとかなるだろう。いつも全てが上手くいった彼女の顔には冷や汗が流れていた。
声からして、死体の発見者はおそらく若い女。通報したあとは見てられなくなってその場を離れるだろう。女の叫び声につられて誰かが来たら終わりだ、一か八か日夏は全速力で死体の元まで走った。そこにはひとりの女が居た。死体の方向へ走れば視界に入ってしまう。
いつもなら特殊業者に連絡して自宅まで移送してもらいもう一度愉しむ…しかし今、車が入れば疑われるのは当然だ。1度逃げよう、彼女は手持ちの小型GPSを死体の飛び出した眼球の隙間から投げ込み人通りの少ない東口から脱出した。
警視庁捜査一課 佐藤───9月9日
佐藤は昨日悪酔いした部下ふたりに酒を飲まされ朝からデスクの付近の床で大の字に寝転んでいた。胃の底から不快な臭いが上がる、吐き気を催した、だが体が動かない。誰か通りかかって来ないか───そう思っていた時、一人の男が上から覗き込んできた。水橋のところの田中だ。
「あれぇ、佐藤さんどうしましたかー?死にそうな顔してますよー。…うぇっ酒臭、もしかして気持ち悪いですか?」
佐藤はかろうじて動く親指を立てて反応をした。
「あー仕方ない、僕がお姫様抱っこで医務室まで運んであげますよ。」
───
医務室に着いた頃には佐藤は完全に動けなくなっていた。田中は掃除用らしきバケツを横に置き、デスクに二日酔いに効くものがあると医務室を駆け出して行った。
「あ、佐藤さんー戻りましたよ…って顔色悪。」
戻ってきた田中の手には水筒と紙コップ、封ができる袋に入ったスナック菓子らしきものがあった。ベッドの横の椅子に座った田中は水筒の中身を紙コップになみなみと注いだ。それは黒い液体で少しドロドロとしている。
「口開きますかー、イナゴのスムージーですよー。飲んでくださいよー。」
いつもはゲテモノを食わされそうになっても他の奴らに押し付けることができるが、今日に限っては口に無理やり流されてしまう。抵抗手段なんてひとつも無い、鼻から生臭い内臓の臭いがした。吐き気に拍車がかかる、もうダメだ…───
警視庁捜査一課 水橋───9月9日
彼が目的地に着いた時、そこには目を疑う光景があった。噂をすればなんとやら…カメラを持った記者らが建物を囲んでいた。水橋の姿に気づいた奴らは次々に彼を囲み出す。
「遺体消失については───」
「刑事として───」
煩い、なんで今日に限ってなんだ。事件の詳細は前から出てたはずだろう。佐藤が動けるときであれば───あいつは、あいつは…
あいつはこの事件の担当に入ってから朝から外での聞き込みが多かったはず。もしかすると、あいつは1人で記者の気を引いて俺たちの邪魔にならないようにしていたのかもしれない。
佐藤が動けない現状そうと考えるのが妥当だろう。
緊急アラームの原因はおそらくコレだ。水橋は記者をあしらいつつ、神谷に電話をかけた。
「…水橋だ。緊急ってのは、記者の集団の対応でいいのか?」
『あの、はい、水橋さん。どうすれば…』
「俺に任せろ、あいにく今日は暇なもんでな。」
水橋は電話を切って記者の集団の中に入っていった。
月夜日夏───8月23日
日夏がGPSアプリを起動しようとスマホの電源を入れると、メッセージアプリに通知が入っていた。送り主は───榊原、ゴリラ顔の部下であった。おそらく昨日のことについてだろう。起動した。GPSの発信元は───近隣のA病院、ヤクザがバックに居るという噂のところだ。おそらく霊安室にでも居るだろう。ここからどうやって死体を回収するのか…という迷いは無かった。彼女はとある電話番号に電話をかける。
『日夏ちゃん、俺に電話をかけるなんて珍しいな。どうしたんだい?』
「えぇ、あなたA病院に顔が効くでしょ?ちょぉっと死体を回収して貰えないかしら───」
───
電話が終わると彼女はようやく榊原からのメッセージを確認した。そこには…
『緊急性のある事案ができたので、本日出勤していただけませんか』
とだけ書かれていた。これはおそらく長時間の話し合いは免れないだろう、今日は死体の回収と処理が必須だというのに。彼女は「体調が優れないもので、本日はお休みさせて頂きます。」とだけ打ち込んでメッセージアプリを閉じた。今日の動きによって今後の動きやすさが変わると察していた彼女は早速行動を起こした。
まず必要なのは刑事共の撹乱、これに手っ取り早いのは邪魔を入れること…だが、方法はいくつかある。別の事件を起こす、知り合いの反社組織に頼み大きな問題を起こす…その他にもあるが、それは自分が捕まるリスクを考えると実行はしない方が良いだろう。そこで日夏が考えたのは、マスコミに事件の情報をリークして記者の対応にリソースを割かせることだ。これならば匿名でリークすることにより、日夏が捕まるリスクはない上に、捜査の撹乱ができるだろう。現代はスマホ1台でこんなことが出来るんだから便利なものだ。
警視庁捜査一課 水橋───9月24日
あの日から記者によってあそこまでの問題が怒ることは無かった。おそらく佐藤が裏で動いてくれたのだろう。しかし、それとは別の問題が起こっている。それは、事件の容疑者が捕まっていないということだ。容疑者が月夜日夏だという情報はまだ水橋班と佐藤班以外には出ていない。そして、未だ佐藤は「まだ捕まえない」と言っている。奴が言うにはあと半月…らしいが、事件が起こってからもう1ヶ月が経っている。そうとなると上からの圧が苦痛になりかけてしまう。佐藤は基本そういうことには我関せず…的対応をとるため、圧をかけるなら自分だろうな、と水橋は察していた。
そのうえ最近の佐藤は1人で動くことが多くなり、奴の部下2人のお守りをしなければならないのが余計に大変である。今日も2人揃って資料の確認に来やがった。
───
「水橋さん、あの…月夜日夏の職務先とそこの生徒の行方不明事件資料完成しました。」
2人で調べていたものだから、なかなかに細部まで調査がされていた。
「あぁ、ありがとうな。…うん、やはり月夜日夏の職務先にて女子中学生の行方不明事件が起こっていたか。佐藤の読みは…当たっていたな。」
事件に関しては佐藤の独壇場になっている為、水橋はそれしか言えなかった。下手に動けば容疑者に悟られる───と暗黙の了解だったからだ。
警視庁捜査一課 神谷───同時刻
「佐藤さん、腕に月の模様を掘った画像なんて何に使うんですか?」
神谷は電話で佐藤に疑問をぶつけていた。
『容疑者からの指示だよ、ほら青い鯨ゲームにそんな指示あっただろ?そういうのだよ、やっぱりそれを模倣してる。』
「そうですか、言い方悪いですけどこんなことやってどうしたいんですか?容疑者捕まえれる情報はあるんですよね?」
『それはな、面白いからだよ。俺の方で被害者は出ないようにしてるからな。折角なら最高の瞬間がいいじゃねぇか?』
「はぁ、僕の方で誤魔化せるのもせいぜいあと数週間ですよ。それまでには何とかしてくださいよ。」
『分かってるよ』
月夜日夏───8月24日
昨日の電話の主から死体が届いた。やはり死んだ若い女は美しい、恍惚とした表情を浮かべる彼女に届けに来た男が苦笑いを浮かべ語りかけた。
「あのなぁ、日夏ちゃんからと言ってもな…結野組でも結構きついんだぞ…」
「えぇ、分かってるわ。これ以上ヘマはしない。」
死体を部屋の奥に運び込んだ男は守代の回収だとか言って帰って行った。
日夏は今日にでも死体を処理しないと…2日出勤していないし流石に榊原あたりに疑われるかな。と思い特殊業者に連絡を入れた。「本日いつもの輸送を頼みます」…と
死体の見物を思う存分愉しんだ後、彼女は夜になるまでベッドで仮眠を取ることにした。
───
ピンポーン
玄関のチャイムがなる音で目が覚めた。特殊業者かな、と日夏は戸を開けた。
「こんばんは、繁華街に輸送でよろしいですか?」
深く帽子をかぶった特殊業者の男は静かに、丁寧に口を開けた。
警視庁捜査一課 佐藤───10月8日
「そろそろか…」
佐藤は珍しくデスクに座り、そう呟いた。
「そろそろって何ですか、早く容疑者捕まえてくださいよ。上のジジィ達からの圧が気色悪いです。」
部下の伊藤がいつも通りに冷たい対応を取った。
「あぁ、いよいよ明日捕まえられるぞ。そこでお前に頼みたいことがある。お前…ミクちゃんになってくれないか?」
佐藤はいつもに増して意味不明な事を言ってきた。ならば、と伊藤は生ゴミを見る目で上司を見る。
「はぁ?何ですか?機械音声にでもなるんですか?」
「はは、すまんな。お前青い鯨事件の詳細は分かるよな。そこでお前には囮役をして貰いたいんだ。明日、深夜某女子中学校の屋上に居ればいいから。」
「そういうことなら最初からそう言ってください。で?捕まえること出来るんですよね。私落ちませんよね、屋上から。」
「あぁ、今日水橋んとことの緊急合同会議で詳しく話すから待ってろよ。」
そう言って佐藤は席を立った。
「はぁ?先言えよクソ上司がよお…」
背後からの呟き声を聞いた佐藤は少し落ち込んでいたように見える。
月夜日夏───9月6日
死体を処理したあと日夏は少し物足りない気持ちに苛まれていた。わたしならもう少し上手に出来るはずなのに…とずっと考えていた。
同じところで事件を起こすと怪しまれるかな…と思ってはいたが、やはりもう1回死体を見たいなとなっていた。日夏は“こころの相談所”に某女子中の子から相談が来てたらもう1回やろうかな…とホームページを開く。
すると、虐められている某女子中生からの相談が目に入った。彼女の目は一瞬で肉食動物の目に変わる───。
「ふふっ、私が救ってあげるね。」
最悪の事態はここから始まることなんて知らずに───
警視庁捜査一課 水橋班、佐藤班緊急合同会議
───10月8日 書記:佐藤班 真田
・佐藤、月夜日夏とのHPでのコンタクトに成功。
10月9日に逮捕になるとのこと。
〈10月9日の動き〉
伊藤:女子中学生の姿で待機→容疑者逮捕(手錠所持必須)
真田:近接戦になった場合の応援班班長として背後で待機。(応援班:水橋班 無記名者全員)
佐藤:校舎5階にて伊藤に無線で指示を送信(サポートとして神谷、田中も同行)
水橋:校舎裏にてパトカーに乗車して待機
特殊事件専門射撃班:背後からの警護
月夜日夏───10月8日
あぁ、やっとだ。やっと、また死体が眺められる。“ミクちゃん”が送ってくれた自撮り写真すっごく可愛い、死に顔はさぞかし美しいんだろうな…───日夏は恍惚とした表情でパソコンを眺めていた。
明日を待つ為に、綿密な計画を立てていた。
───今度は絶対に失敗しない。
あの日から目撃者の対処法をずっと考えていた。そして導き出した結論。───拳銃を使えばいいんだ、と。拳銃ならば結野組に頼めばいくらでもくれる、だって結野組の若頭は私の彼氏なのだから。日夏は絶対ミスをしない。そう確信していた。
警視庁捜査一課 伊藤───10月9日
『あーあー、こちら佐藤。聞こえたら返事を、どうぞ。』
伊藤の耳元のイヤホン型無線から声が聞こえる。何年ぶりだろうか、セーラー服を着たのは。秋の風が足にあたってアラサーの体には少々辛い。
「こちら伊藤、聞こえてます。どうぞ。」
容疑者との約束時間までおおよそ10分、心臓の音がうるさい、もしかしたら死ぬかもしれない。だけど最後まで刑事としてやりきる。心は決まっていた。
『ズズッ…こちら田中、容疑者が校舎内に入ったことを確認。各自戦闘態勢へ、どうぞ。』
「…了解。」
おおよそ1分くらい経っただろうか、月夜日夏の声が聞こえた。
「こんばんは、貴方がミクさん?」
「え、えぇそうですよ。あなたはよつさんですか?月夜日夏先生ですよね。」
狂気を孕んだ瞳が目の前にある。殺意、殺意に満ちている。伊藤は恐怖を覚えた。
「今日は月が綺麗ね、ほらもっと前に出て、よく見ましょう。」
背中を強く押される、端へ、端へ進んでいく。
恐怖でしかない。
「ちょっと月夜先生。力強すぎますよ、落ちちゃう。」
「えぇそうね。で?その手の物は?」
「ッチクソが、バレたか。───私は警視庁捜査一課伊藤だ。月夜日夏、自殺幇助、遺体遺棄の容疑で逮捕する。」
伊藤が手錠をかけようとしたその時、拳銃の音が鳴った。
「カハッ…」
それ…は伊藤の脳天を貫通していた。
───
「全員戦闘態勢用意!出撃ー!!」
真田の声で特殊班、応援班が動き出す。そして、「伊藤さんはもう死んでる、特殊班、彼女ごと撃てーッ」
真田は覚悟を決めて向かった。親愛なる先輩を殺られた怒り、憎悪、全てを込めて手錠を月夜日夏にかけた。
「10月9日、午後11時26分、月夜日夏、死体遺棄、自殺幇助、殺人の容疑で逮捕する。」
真田の目には大量の涙、彼女のおかげで伊藤以外の死者は出なかった。しかし、それ以上に彼女の心は傷ついていた。
───
エピローグ
警視庁捜査一課 佐藤───10月10日
「真田、よく頑張ったよ。伊藤もあの世で喜んでいるはずだ。」
佐藤はかける声も見つからず、ただ、テンプレのような言葉しか出てこなかった。
真田は心を失った人形のようにただ、机に向かって座っていた。顔には大粒の涙と泣き跡。
「もう一度サナちゃんって呼んで貰いたかったな…」
ここまで読んでくださりありがとうございます。小説は初めて書いたもので右も左も分からない状態でした。そのため、誤字脱字や後半が早すぎるなどと欠点がかなり見受けられますが見逃してもらえると幸いです。