いざない夜の静騒
「ほら、早く早く」
お母さんに急かされ、背中を押されるがままに前へ進む。人が多く、先導してくれているお父さんを見失いそうだ。
「んー、ここまで混んでるとは思わなかったねぇ」
私の横にいる妹が呟く。しかし、今日開催されているのは有名な祭りなので、むしろ人通りは少ない方だろう。
現に、数回人とぶつかることはあっても比較的早く大通りに着いた。
「お、もうやってるみたいだ。通りに沿って人が薄いところに行こう」
お父さんは到着した瞬間にそう言い、私の手を引いて人混みの中へ突っ込んだ。
「ちょっ、ちょっと、お父さん!?」
人々の圧に耐えながらも、もつれる足をなんとか動かしてお父さんについていく。こういうとき、お父さんはいつも私の声をシャットダウンする。
「………………ここなら空いてるな。ほら、盆踊りがよく見えるぞ」
やっと止まったかと思えば、今度はスマホを頭上にかざして動画を撮り始めた。
本当に、なんでこの人は私の手を引いたのか、全く理解できない。
振り返ってお母さん達の方を見ると、さすがに迂回した方がいいと思ったのか、こちらを見つつも別の方向に進んでいき、やがて人混みで見えなくなった。
「はあぁ………………もう、疲れた………」
いくら高校生と言えど、あの人混みの中は流石にキツイ。膝に手をついて呼吸を整えていると、お父さんが私を見ずに話し始めた。
「あの集団が見えるか?あれは『連』といって、この盆踊りはああして一つのグループが何個もあって、学生や企業で構成されてる連もあるんだ」
「へ、へぇ………」
正直、興味がない。いや、踊り自体にはそこそこあるけど、そんな細かいことは別にいい。
しかし、顔を上げてみると、確かにここは踊りがよく見えた。
踊っている人達はみんな笑顔で、中には全力で大袈裟な踊りをしている人もいる。私なんかとは違って、本気で祭りを楽しみに来た人たちだ。
「………………………ごめん、お父さん、人混みでちょっと気持ち悪くなっちゃった。大通りから出ていい?」
「ん?スマホは持っているか?連絡できるならいいぞ」
「ん、ちゃんと90%」
お父さんに自分のスマホを見せてから、そそくさとそこを離れる。
気持ち悪いのは嘘ではないが、それが直接の理由ではない。
「ん、やっぱり人がいっぱいいる………」
その全員が、私とは反対方向、踊りの方を見ていた。
私はぶつかる度に謝りながら、やっとのことで大通りから出て、小さな路地裏についた。
そこにも少しだけ人がいたので、さらに奥へと進み、路地裏を抜けた。
「ん、公園?」
薄暗い路地裏の先には、数本の街灯で照らされた誰もいない小さな公園があった。
広くはない砂場に鯖が目立つブランコ、半ば草むらに覆われている滑り台、その公園にはそれだけしかなかった。
しかし、そこには、祭りとは無関係の、涼しい風が吹いていた。あの量の人混みの中では感じることのない風だ。
「あ、月が出てる」
街の光で真っ暗ではない空に、陽の光を浴びて輝く月が、灰色の雲から顔を出した。
自分以外誰もいない、静かな夜だ。
「久しぶりにブランコに乗ろっかなぁ」
鯖ついている金具は触らないようにしつつ、幾度となく雨と風に晒されたプラスチック製の板に座る。金具が小さく、キィと悲鳴を上げた。
「………………本気って、いいなぁ」
私があの祭りから抜け出した理由。それは、嫉妬だった。
私はこれまで一度となく本気になったことがなかった。本気で楽しんだことなんか、なかった。
自分で本気になりたいと思うこともなかったし、本気にさせたものもなかった。
だから、あの祭りで踊っている人たちみたいに、本気で、あんなに笑って、全力で楽しんでいるのを見ると、嫉妬しそうになる。
なんで、私は本気になれない。
なんで、私を本気にさせてくれるものがない。
なんで、私には本気を出す気力がない。
ただの若気の至り。お父さんが聞けば、思春期だからと片付けられてしまうだろう。成長すれば、そんなの気にしなくなる、と。
それは、嫌だ。今、悩んでいるものを、時間なんかで解決したくない。
だけど、
「だけど、確かめる気も、ないんだよねぇ………」
達観、諦観というやつだろうか。もう、それでいいやと思ってしまう自分がいる。というか、そんな気持ちが大半だ。
そもそも、本気というのはどこからどこまでなのか。命を賭けたら?人生を賭けたら?自分の未来を賭けたら?
分からない。本当に、分からない。
「………………あー、めんどい。もういいや」
壁に当たったので、今までの思考を全て放棄する。そんなことを悩むくらいなら、ゲームのダンジョン攻略を考えた方がマシだ。
「………………………………」
風が髪を揺らす。祭りが盛り上がってきたのか、音楽と人の喧騒が大きくなり、静かな公園も祭りの雰囲気に巻き込まれていく。
でも、それはそれで心地よかった。私が嫌いなのは、あの人混みだ。祭りのあのどんちゃん騒ぎは嫌いじゃない。
しばらく、夜の冷えた風と、祭りのほどよく熱い雰囲気を味わう。寒くも、暑くもない、適温。
「………………ん」
ポケットに入れていたスマホがヴーーと鳴った。ロックを開くと、お父さんたちからの連絡が来ていた。もう少ししたら、すぐに帰るらしい。いつの間にか、一時間以上も経っていた。
私はスマホのマップアプリを起動し、位置情報を写真に撮ってお父さん達に送った。帰るときには、こっちに来てくれるだろう。
スマホを再びポケットに入れ、空を見上げる。街の明かりで星が存在しない夜空を、煌々と光る月が独占していた。
「えっと、なんか月に関する言葉があったよね?なんだったっけ………」
月から連想して勝手に出かかった言葉を、思い出そうと奮闘する。
「あ、そうだ、あれだ。確か………………『月が綺麗ですね』」
言って、意味を思い出して、顔が少し赤くなる。
周りを見渡して、誰もいないのを確認すると、ほっと一息ついた。
「あーー、こんなんでいっかね、私の人生」
勝手に思いついて、勝手に行動して、勝手に恥かいて、勝手に一人で終わらせる。人と関わるのが苦手な私には、こんなのがお似合いかもしれない。
「まあ、すぐに忘れるんだろうけど」
私は、くだらないことには脳のリソースに割かない派だ。家に帰るころには、すでに脳から綺麗さっぱり消えているだろう。
「あ、いたいた、おねーちゃーん?」
その声に振り向くと、妹が手を振って駆け寄ってきた。お母さんお父さんは、いない。
「あの、お父さんがね、駅で合流だって。私はあの人混みを進むのが嫌だから、お姉ちゃんに伝えるついでにこっち来ちゃった」
「そうだよねー、あそこ、暑いしうるさいよねー。別に動画でも見るだけでもよかったのに」
「お父さんはそういうの納得しないでしょ。ほら、早く行くよ。電車が結構早めに来るんだって」
妹の言葉に、しぶしぶブランコを降りる。もう少し夜風に当たっていたかったが、仕方がない。
「ねぇねぇ、途中でコンビニ寄ろうよ。私グミ食べたくなってきた」
「さっき自分で早く合流するって言ったでしょ………」
「別にコンビニ寄るくらいの時間はあるよ。ついでにチョコも買っちゃおうかなー?」
祭りでの高揚が収まっていないのか、妹は普段よりもテンションが高い。足取りも不規則で、時おり祭りのリズムに乗っている。
ふと、後ろを振り返ってみた。
そこにあるのは、淋しいが私に安寧をくれた公園と、人混みは暑いが私を遠くから楽しませてくれた祭りだ。
それを見ると、本当に自然に、小さな笑みが溢れた。
「………………………本当に、楽しそうだね」
「お姉ちゃんなんか言った?早く行こー?」
「はいはい、あんまりお菓子買い過ぎないでよ?」
「だいじょぶ!今の私の手持ちは1000円のみ!だいたいはクラスのみんなへのお土産に消えた!」
それを聞いて、私もお土産を買った方がいいかと思ったが、もう時間的に無理だと判断した。そのまま、上機嫌な妹の背中を追う。
「ねぇ、お姉ちゃんは何買う?」
「んー、キャンディーでも買おうかな」
「お姉ちゃんそればっかりだねー」
「お菓子は噛んだらすぐ無くなっちゃうから。舐めた方が長持ちするでしょ」
「普通はそんな基準で選ばないよー。でも、そんなお姉ちゃんにピッタリなのが、ハードグミ!種類によっては本当に硬いってよー」
「まあ、それもいいかもねぇ」
こうして、私の祭りは、ひっそりと幕を閉じた。