Jacqueline(age9〜10) 04
ミアと再会してもジャクリーンの暮らしは何一つ変わることはなく、王城へ通い、礼儀作法や知識や技能を学び、エルドレッドとお茶を飲み、ハモンド公爵から強制されるまま途絶えることなくお茶会を主催する日々。ミアと再会した秋が過ぎ、冬を越えて春になる頃には、ハモンド公爵家の分家や寄子以外の令嬢からお茶会の参加を断られることが出て来たほどに、ハモンド公爵家の求心力は段々と落ちていった。
ハモンド公爵家が以前よりも落ち目になっているとしても、エルドレッドの婚約者候補として周囲の令嬢から侮られる訳にはいかないジャクリーンと、平民の愛人が生んだ庶子なのに人気の侯爵令息トリスタンと婚約したせいで貴族令嬢達の中で孤立しているミア。
ジャクリーンがミアと仲良くするとミアはジャクリーンの弱点となりうる上に、今のジャクリーンにミアまで守る力はない。再会した時は仲良くしても大丈夫だと思ったが、冷静になって考えると、ジャクリーンがミアと仲良くすることは出来なかった。
春になり、3歳年上のミアは貴族学園に入学し、ジャクリーンが主催するお茶会に出席することが無くなる。それから2ヶ月後の春の終わり、ジャクリーンは10歳の誕生日を迎えハモンド公爵家で誕生会を開いた。
ジャクリーンの婚約者候補として誕生会へ参加しているエルドレッドの機嫌を取り、適度にエルドレッドに甘えながら、ジャクリーンの統率から外れた令嬢に足元を見られないように牽制する。自分の意思でエルドレッドの婚約者候補になったわけではないのに、10歳ですでに神経をすり減らす社交をしないといけない現状に、この先一生これが続くのだろうかと虚しさを感じる。
そんなジャクリーンの目線の先にはトリスタンと2人で参加するミアがいる。分家の令嬢としてミアと、その婚約者トリスタンも招待していた。
ジャクリーンを”リーンちゃん”と呼んでいた時と同じ笑顔でトリスタンの名を呼んでいるミア。トリスタンから間違えた立食の作法を直してもらった後にトリスタンと笑い合っているミア。トリスタンの挨拶回りに笑顔で花を添えているミア。トリスタンの金髪を意識した金色のドレスを着ているミア。
トリスタンの瞳とエルドレッドの瞳は同じ紫色なので、ジャクリーンはミアとお揃いのドレスを着れるかもと密かに期待し紫色のドレスを着たのだが、さすがに誕生会の主役と同じドレス色は避けないといけない事をミアは知っていたらしい。
そして、ダンスの時間が始まり、ミアはこの会場の主役になった。ミアと踊るトリスタンなどただの添え物だ。ミアのことを遠巻きにしていた令嬢達ですら、ミアのダンスに見惚れている。
「トリスタンの婚約者は平民だって聞いてたが、アレならアリだな」
横にいるエルドレッドのつぶやきにジャクリーンはイラっとしたが、笑顔で受け流す。
正確には違うステップを踏んだとしても、まるでミアが踏んだ間違えたステップが正しいように錯覚してしまうほど、堂々と大胆に華やかに踊っている。ミアが今踊っている貴族の社交ダンスは、腰や体を捻るリーアの踊りとは伴奏や振り付けが全く違う。全く違うというのにミアのダンスはリーアの踊りを思い出させた。
心からの笑顔でトリスタンを見つめて踊るミアの姿に、今のミアにジャクリーンは必要ないのだと言われたような気持ちになる。今日は自分の誕生会だというのに、ジャクリーンは胸から大切なものが抜け落ちたような寂しさで、油断をすると込み上げてくる涙を抑えるのに必死になっていた。
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そんな10歳の誕生会も終わり、初夏を迎えた頃、ジャクリーンはメリッサに「義妹が公爵令嬢になって初めて参加するお茶会を主催することになったので助けてほしい」と頼まれた。
メリッサは、社交が苦手だからとジャクリーン主催のお茶会へは滅多に参加しないのに、簡単に「助けてほしい」と言う。生まれた時から王族に次ぐ高位な貴族故の自然な傲慢さなのだろう。メリッサへの苛立ちが無かったと言ったら嘘になるが、ジャクリーンはこれを理由に今後メリッサの助力を得られるならばと思い、嫌な顔をせずに助力した。
メリッサの義妹とは、最近ジョンストン公爵家に養子入りしたメリッサの母方の従姉妹のこと。メリッサの母親、今は亡きジョンストン公爵夫人の妹のミルズ子爵夫人の娘で、ミルズ子爵夫妻が亡くなったために親戚のジョンストン公爵家の養子になった元子爵令嬢だ。
実父の兄の養子となり公爵令嬢となった元伯爵令嬢のジャクリーンと、実母の姉の家の養子となり公爵令嬢となった元子爵令嬢。メリッサから事情を聞いた時、ジャクリーンは自分と境遇が似ているとは思ったが、ただそれだけで特に興味を持つことはなかった。
お茶会の参加者はハモンド公爵家の分家と寄子の次女以降の令嬢で固めた。伯爵令嬢や侯爵令嬢でも次女以降は下位貴族と婚約している場合が多く、今は高位貴族令嬢でも将来は下位貴族となるために比較的謙虚な令嬢が多い。これで何かあってもジャクリーンの力で挽回できるし、お茶会の外に話が漏れる可能性は少ない。
久しぶりにメリッサ以外は自分の権力の及ぶ令嬢しかいないお茶会に、肩の力を抜いてジャクリーンはジョンストン公爵家を訪れた。
「丁度カルミアの花が見ごろでございます。会場まで遠回りにはなりますがご覧になられますか?」
今日は一番遅くに会場入りする必要があるジャクリーンに、案内役のメリッサの侍女の提案を断る理由はない。控え室で時間になるのを待つよりも良いだろうと、侍女に言われるまま遠回りしてカルミアを見に行くことにした。
カルミアはまだ五分咲きだったが、独特な蕾の形が可愛いために丁度見ごろと言うのもわかる。白やピンクのカルミアを見ているジャクリーンの耳にブツブツと呟く声が花壇の向こうから聞こえてきた。
「……タルト生地にフォークを垂直に刺し点線の跡を付け、そこへフォークのサイド部分を沿えて切り分ける。その際、フォークを皿に当てて音を立てるとがないように注意。フルーツとタルト生地はなるべく分けず……」
こっそりと声がした方を覗き見ると、煌めく金髪に薔薇のような赤い瞳の少女が小さな東屋で本を読み上げている。その表情は真剣で、鬼気迫るものがあり、少し涙目になりながら必死に復唱しているのはタルトの食べ方だろうか。
ジョンストン公爵家の庭にいる見覚えのないこの令嬢は、本日の主役のメリッサの義妹アメリア・ジョンストンで間違い無い。
アメリアはジャクリーンが近くにいることに気づいていないようで、今はパイの食べ方を読み上げている。少し前まで子爵令嬢だったはずだが、下位貴族だと10歳ではケーキやタルトの食べ方を習わないのかと教育の差に驚く。
”なぜ”お茶会が始まる直前に、”なぜ”自分の部屋ではなく庭先で、”なぜ”隠れるように、”なぜ”必死にお茶会作法の本を読み上げているのか。
”なぜ”が積み重なるほどに勝手にその意味を推測してしまう。ハモンド公爵家で冷遇されているジャクリーンが、自分と似た境遇のアメリアがジョンストン公爵家で冷遇されているのではないかと考えてしまうのは仕方がないことだろう。冷遇する筆頭として自分が苦手としているメリッサを思い浮かべてしまったが、ジャクリーンは思い込みは良くないと自分を律し、アメリアに話しかけずに控え室へ向かった。
お茶会の冒頭、主催のメリッサに紹介されたアメリアは最近まで子爵令嬢だったとは思えない見事なカーテシーを披露した。
華のある美貌で周囲を惹きつけるミアは”美しい”、背が低く幼い容貌のジャクリーンが”かわいい”、ならば、目鼻立ちが整っているのに愛嬌があるアメリアはそのちょうど中間、美しいとかわいいの両方を兼ね備えた美少女と言えるだろう。
お茶会が進むと、アメリアはシンプルなケーキも上手に食べられないのだと目に涙を溜め、恥ずかしそうに謝っている。披露したカーテシーの綺麗さが、アメリアは習った事は努力し習得する人物だと証明している。そんなアメリアならケーキの食べ方だって努力して身につけれるはず。ならば、まだマナーが身についていないアメリアをなぜお披露目したのだろうか。
メリッサはアメリアが困っているというのに、助けることもなく他の令嬢と話をしている。
「メリッサ様はわざと人目に晒してアメリア様を笑い者にしようとしたのでは?」
カルミアの花の陰で一心不乱に本を読み上げていたアメリアの姿を見ていない令嬢達ですら、メリッサへ不信感を持ち囁き出した。皆姉を持つ次女以降の令嬢だったこともあり、不出来な妹を持つ姉の苦労よりも、自分より強い姉に逆らえない妹の苦労に共感してしまう空気がなかったとは言わない。
「そんなに気負わないで大丈夫よ」
アメリアの近くに座っていた伯爵令嬢が上から目線で慰めたのが聞こえてきた。おそらく本心でアメリアがかわいそうだと同情したのだろうが、この伯爵令嬢は何様だろうか。返事次第では養子から公爵令嬢になったアメリアの今後を左右してしまう。公爵令嬢として生きていくにはアメリアはここで舐められるわけにはいかない。
自分の境遇と重ね、アメリアが伯爵令嬢にどう返事するのか、自分のことではないのに焦燥に駆り立てられたジャクリーンは、アメリアが返事をする前に声を張り上げた。
「メリッサ様、アメリア様がかわいそうだわ」
このお茶会で建前上はメリッサと対等に立場の強いジャクリーン。ジャクリーンのこの一言で、これはメリッサがアメリアを嘲笑うためのお茶会だったのだと決定した。
ただでさえハモンド公爵家の勢力が落ちているというのに、メリッサと仲違いしてしまったと、ジャクリーンは狼狽えた。でも、もうこの発言を取り消すことなど出来ない。こうなったら同じジョンストン公爵令嬢のアメリアを自分の陣営に取り込めばいい。社交が苦手だからと避けるようなメリッサに負けないように、アメリアに社交術を教えてあげればいい。
「アメリアさん、今度少人数のお茶会を開こうと思っているの。お茶会のマナーなら私が教えるわ。招待状を送るから気軽な気持ちで参加してちょうだい」
ジャクリーンは微笑みながらアメリアにお茶会への招待を約束し、その場を退席した。
メリッサの言い分を聞くことなくメリッサがアメリアをいじめていると断定したジャクリーン。ジャクリーンとメリッサとの間には深い溝が生まれ、このお茶会以降、王城で会っても話しをする事すらなくなった。