Jacqueline(age3〜6) 01
ジャクリーンの一番古い記憶は、黒い髪をたなびかせ白い布をヒラヒラと自在に操り妖艶な舞いを踊る綺麗な女性の笑顔だ。
3歳のジャクリーンは父のレノン伯爵に連れられとある貴族の誕生会に来ていた。
肌を惜しげも無く出す赤・青・緑など様々な色の衣装を身にまとい舞う踊り子達の中で、透き通るような純白の衣装を着た女性が目にとまる。激しい動きによってフワフワと舞う白い布と腰まである黒髪に吸い込まれるような黒い瞳。白と黒のコントラストが印象深い。
心からダンスを楽しんでいると思わせる溌剌とした表情なのにふとした瞬間に艶やかさを感じる笑顔が幼いジャクリーンの心を魅きつけ、他にもたくさんの踊り子がいるにも関わらずその女性から目が離せなかった。
まるで夢の世界にいるかのようにジャクリーンを魅惑したダンスの時間が終わると、ジャクリーンが心を奪われた黒髪の踊り子が父の元へ駆け寄ってきた。ジャクリーンの母よりもずっと父と睦まじく話しをしているその踊り子は、リーアという名の平民で、乳母や父とは違う濃厚な甘い香りがした。
小さいジャクリーンの目線に合わせてしゃがみ、踊っている時の笑顔とは違う、優しく包まれるような暖かい笑顔を向けてくれたリーア。その後ろからジャクリーンよりも頭一つ大きい女の子がひょっこりと顔を出した。リーアと同じ黒髪でリーアにそっくりな顔をしたその女の子は、ジャクリーンの父と同じピンク色の瞳をしていた。
「あたしはミア!6歳!あなたは?」
「じゃくリーン。3さいです」
「リーンちゃんっていうのね!リーアちゃんと似てる名前でいいなぁ。リーアちゃん、見て!ミアとリーンちゃん、ピンクのお目目がおそろい!」
3歳のジャクリーンは上手に”ジャクリーン”と言えなかったため、ミアには”リーン”と聞こえたようだ。”リーア”と”リーン”が似てると言われたことが嬉しく、ミアに”リーンちゃん”と呼ばれるたびにジャクリーンの胸がポカポカと暖かくなる。
「リーンちゃんも踊ろ!ミアが教えてあげる!」
踊り子達のダンスは終わったが、ダンスホールで自由に踊っている大人達のために音楽は流れ続けている。ミアに促され、ジャクリーンはミアと手を繋いで踊った。傍目には幼い子供が音楽に身を任せてクルクルと回るだけの拙い踊りだったろう。それでも、ジャクリーンにとってはまるで先ほど見たリーアのように踊っているようで、心から喜びはしゃぎ回った。ミアが疲れたと言ってももっともっととねだり続け、二人で踊り続けた事を覚えている。
それからジャクリーンは年に数回リーアに会いに行く父に着いて行くようになった。3歳から4歳、5歳と大きくなるにつれ、リーアは父の愛人で、ミアは父とリーアの娘、つまりジャクリーンの異母姉で、父はリーアのことしか愛していないということを理解していった。口数が少なく表情も乏しい父は母や弟やジャクリーンだけでなく ミアにすら笑顔を見せない。無口で無愛想な父が愛おしそうに笑いかける唯一の相手がリーアだった。
母のことを思えば、父の愛人のリーアとその娘のミアと仲良くしていることは良くないことなのだろう。でも、ジャクリーンは思い出す限り母に抱きしめられたことなどない。そんな母なら、ジャクリーンが父の愛人に懐いていても傷つくことなどないから良いだろうと開き直っていた。
ジャクリーンのことを乳母に任せっきりにして放置している母は、2歳下の弟のことは自ら抱き上げて甲斐甲斐しく世話をしている。
ある日偶然聞いてしまった、悪気なく侍女に話しかけていた母の言葉が忘れられない。
「私、子供はうるさいし汚いから嫌いだったのよ。生き写しなほど自分に似ている子供でも無理だと思ったのに、ハンフリーなら何をされても可愛いと思えるの。不思議よね」
無理だと思った子供とはジャクリーンのことで、可愛いハンフリーとは弟のこと。これ以降、ジャクリーンは母に愛されることを諦めた。弟と母の笑い声が聞こえてくるたびに深い孤独を感じていたが、リーアとミアに出会ってからは気にならなくなった。
幼いジャクリーンは年に数回リーアとミアに会いに行く事を何よりも楽しみに、レノン伯爵家で彩りのない日々を過ごしていた。そのころのジャクリーンは毎日を乳母や侍女と過ごし、1ヶ月に1回、3歳年上の婚約者候補トリスタン・ケンブル侯爵令息に会うために母と二人でケンブル侯爵家へ行くのが日課だった。
婚約者候補のトリスタンはどう見てもジャクリーンの母に恋い焦がれていた。トリスタンは幼いジャクリーンと2人きりで遊ぶことはせず、トリスタンの母とジャクリーンの母がお茶をしているところに混ざり夫人達から可愛がられることを好んだ。4人でお茶をしているはずなのにジャクリーンが話しかけても話を遮られたり無視される、そんなケンブル侯爵家でのお茶会がジャクリーンは嫌いだった。
ミアの9歳の誕生日にリーアとミアへ会いに行った時、ミアは将来リーアのような踊り子になりたいと言った。貴族令嬢のジャクリーンは踊り子になるなどありえない。それでもミアと同じようにリーアに憧れる気持ちを抑えることができず、ジャクリーンもミアと同じようにリーアのような踊り子になりたいと言った。
リーアは初めて会った時から変わらない優しい笑顔で大きく手を広げ、ミアとジャクリーンを2人一辺に抱きしめてくれた。リーアとミアの身体はとても暖かくて柔らかくて、受け止めきれないほどの幸福感で目眩がした。
その幸せな気持ちとリーアの甘い香りはジャクリーンにとって忘れられない思い出。そして、それはジャクリーンにとってリーアとの最後の思い出にもなった。
ジャクリーンが6歳になってすぐ、父の兄であるハモンド公爵の娘、つまりジャクリーンの従姉妹の公爵令嬢が病気で亡くなった。ジャクリーンは亡くなった従姉妹の代わりに第一王子と婚約することになり、ハモンド公爵家へ養子に出され、リーアとミアとの宝物のような時間は終わりを迎えた。
養子に入り新しく家族になったハモンド公爵家では、ジャクリーンを気にかける人などいない。
伯父から養父になったハモンド公爵と、6歳年上の義兄ヒューバートはジャクリーンのことを政略の駒としか見ていない。そして、可愛がっていた娘を病気で亡くしたばかりのハモンド公爵夫人は、愛娘の喪が明ける前に養子入りし代わりに王子の婚約者候補となったジャクリーンを認めることが出来ないらしく、あからさまにジャクリーンの事を嫌い、話しかけることはおろか徹底して目を合わせない。
馴染みの乳母と侍女はレノン伯爵家に残され付いてこなかったため、ジャクリーンはハモンド公爵家で生家のレノン伯爵家よりもずっと冷え冷えとした日々を過ごすことになった。
愛のない家族など慣れていたはずなのに、ごく稀に、堪えきれない寂しさで眠れない夜がある。ジャクリーンは自覚していなかっただけで、ハモンド公爵家では暖かい家族関係を築けるかもしれないと期待していたのだ。