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私のこと'も'どうぞお気遣いなく、これまで通りにお過ごしください。  作者: くびのほきょう


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Mia(age17) 07

魔法学園の休日、侍女も連れずに1人でレノン伯爵家の図書室へ向い廊下を歩いていたミアは、ふと窓の外を見て、ケンブル侯爵家の家紋が入った馬車が馬車止めに駐車されていることに気づいた。トリスタンはミアとのお茶会のためにレノン伯爵家に来ていたが、お茶会が終わりトリスタンがミアの部屋を辞去したのはもう1時間も前のこと。トリスタンはもうとっくに帰っているはずなのに、なぜまだ馬車止めにケンブル侯爵家の馬車があるのだろうか。


きっとトリスタンはお父様と話をしているのね。


そう考えつつも、ミアは図書室へ向かっていた足を止め踵を返した。レノン伯爵の執務室は図書室と同じ方向にあるため、本当にトリスタンが父と話をしていると思っているのならばそのまままっすぐ進めば良い。それなのに歩いて来た廊下を引き返したのは無意識下で何かを察していたのかもしれない。ミアが足を向けた先の図書室と反対方向には義母や異母弟、そしてひと月前にハモンド公爵家からレノン伯爵家へ戻って来た異母妹ジャクリーンの部屋がある。


心持ち早歩きで2階の廊下を逆戻りするミアの目の端に、不意に馴染みのある金色が入ってきた。その金色の方向を見ると、窓の外、中庭の隅の木の下にこちらに背を向けた金色の髪の男性が立っている。

金髪の男性はグレーのジャケットを着ていて、後ろ姿だけでもトリスタンに間違い無いとわかる。そのトリスタンの向こうから紫色のスカートがはみ出して見えている。トリスタンの影になりミアから姿は見えないが、女性がいるようだ。ミアの位置からはスカートしか見えないほどに2人の位置は近く、寄り添っているようにしか見えない。


ミアはバルコニーから落ちた日からずっと自室へ運ばれてくる食事を1人でとっていて、レノン伯爵家の人たちとは滅多に食事を共にすることがなく、同じ屋敷に住んでいても彼らの顔を見ない日がある。そして、今日はまだミアはジャクリーンと顔を合わせていないため、ジャクリーンがどんな色のドレスを着ているのか知らない。

でも、ジャクリーンがエルドレッドの瞳の色と同じ紫色のドレスを沢山持っている事、手持ちのドレスが増えていないために今だ紫色のドレスを頻繁に着ている事をミアは知っていた。


つい1時間ほど前ミアと語り合っていた、いつも通りのトリスタンの笑顔を思い出す。


トリスタンはなぜ従者を遠ざけて人目を忍ぶようにジャクリーンと2人きりで会っているのか。なぜお茶会の後にジャクリーンとの逢瀬を控えていてもミアへ普段と同じ態度を取れていたのか。ミアにはトリスタンの気持ちが理解できない。


ミアが立ち止まって窓へ近づくと同時、こちらへ背を向けていたトリスタンが後ろを振り返った。


咄嗟に窓に背を向け、窓と窓の間の壁に隠れたミアの心臓がドキドキと脈打つ。トリスタンの紫色の瞳は1階を向いていたので2階の廊下から覗いていたミアには気付いていないはずだ。煩い胸の鼓動を落ち着けようとミアは深呼吸を繰り返しながら、なぜ自分が隠れる必要があるのかと思った。


しばらくして動悸が治ると、ミアはゆっくりと窓から庭を見下ろしたが、すでに庭にはもうトリスタンもジャクリーンも誰もいなくなっていた。図書室近くの馬車止めが見える廊下へ戻るとケンブル侯爵家の馬車はいなくなっていた。


頼れる家族も友達もいないミアにとって、トリスタンは自分の全てといっても過言ではない。過去の記憶がないミアには、トリスタンと結婚するためだけに努力し続けてきたこの5年の思い出しかないのだ。

トリスタンがミア以外の女性を選んだ時、自分はどうやって生きていけばいいのか想像することもできない。トリスタンからミアへの愛がなくなると考えるだけで、息が苦しくなり、指の先まで冷たくなる。


ジャクリーンが養子に出てトリスタンと婚約できなくなったために、ミアはジャクリーンの代わりとしてこのレノン伯爵家に引き取られた。レノン伯爵夫人から産まれたジャクリーンがレノン家へ戻り、婚約者がいない今、ミアよりもジャクリーンの方がトリスタンに相応しいと言われてしまうのではないかと想像して不安になってしまう。


このままジャクリーンの所へ乗り込み腹を割って話をしたい気持ちと、開き直ったジャクリーンにトリスタンを取られてしまうかもしれないという不安な気持ち、ミアは相反する二つの感情の間で揺れ動く。


何よりも煮え切らない自分が気持ち悪い。


ミアは今からひと月前の春先、ジャクリーンが伯爵家に戻って来た翌日にジャクリーンと2人きりでお茶を飲んだ時の事を思い出す。


「ミアはレノン家に引き取られる前に私と会った時のことはもう忘れてしまった?」


「申し訳ございません。実はレノン家に来てすぐに事故で頭を打って、それ以前の記憶が無いんです」


「そう……」


ジャクリーンは泣きそうな顔をしてミアを見ていた。ジャクリーンは以前より感情表現が豊かになった気がするが、エルドレッドの婚約者候補を降ろされたせいだろうか。


ミアは小柄で可愛らしいジャクリーンの悲しそうな顔を直視することができず、テーブルの上に生けられた青い勿忘草へ目を逸らした。記憶を失くしてから5年、ミアはもう以前の記憶を取り戻そうという気持ちがすっかりなくなっていた。


「私たちは姉妹になったのだから砕けた言葉遣いでいいのよ?」


ミアはジャクリーンへ微笑み返しただけで、否定も肯定もしなかった。


そんなお茶会があったきり、ジャクリーンとミアは打ち解けることはなく、かといって特別にいがみ合うこともなく、同じ屋敷に住んでいるだけで距離が縮まることはなかった。


ジャクリーンは、エルドレッドの婚約者候補のハモンド公爵令嬢として2年間過ごしていた貴族学園を、3年生になってからはレノン伯爵令嬢として通っている。しかも、エルドレッドの婚約者候補を降ろされたのはジャクリーンに問題があった事になっていて、とんでもない男好きだという悪評まであるのだ。


きっと優しいトリスタンはそんな可哀想な幼馴染を捨て置くことが出来ないのだろう。ジャクリーンがまだハモンド公爵令嬢だった時からトリスタンはジャクリーンを気にかけていて、何度ミアが止めて欲しいと頼んでも2人きりになるのを止めてくれなかったほどだ。


ミアだってジャクリーンの事は不憫だと思っている。でも、それならば、トリスタンはミアと一緒にいる時に隠し立てせずジャクリーンに手を差し伸べれば良いではないか。

ジャクリーンもジャクリーンだ。ジャクリーンが異母姉ミアの婚約者トリスタンと2人きりになる事がどれだけ礼儀をわきまえないことかなど、王妃になるための教育を受けていたジャクリーンなら重々知っているはずだ。


ミアといる時はちゃんとミアだけを見て愛情を持って接してくれるトリスタンを信じようと、ミアはそう自分に言い訳をし、お茶会の後にジャクリーンと会っていた理由をトリスタンに聞く事はしなかった。正しく言い直すならば、トリスタンがミアではなくジャクリーンを選ぶかもしれない事に怯えていたミアには、お茶会の後にジャクリーンと会っていた理由をトリスタンに聞くことが出来なかった。


この日以降、トリスタンがレノン伯爵家に来た日は、トリスタンがミアの元を辞去した後にミアは1人で図書室前の廊下まで行き、ケンブル侯爵家の馬車が立ち去ったかを馬車止めを見て確認するようになった。そんなミアのことをトリスタンは知らない。

ミアと別れた後もケンブル侯爵家の馬車が馬車止めに長時間止まっている事は珍しくなく、ミアはその度にトリスタンとジャクリーンが密会し寄り添う姿を想像して胸にこみ上げてくる不安に押しつぶされそうになっていた。


レノン伯爵令嬢に戻ったジャクリーンは、可愛らしい容姿で令息達からの人気があるせいもあり、仲の良かった令嬢たちからは除け者にされ、貴族学園で孤立しているらしい。ヒューバートとジャクリーンが恋仲だと噂される原因となったアメリアだけは、唯一、以前と変わらずにジャクリーンと仲良くしているようだった。ジャクリーンに会うために学園の休日にレノン伯爵家へ来ているアメリアの姿をしばしば見かけるのは、おそらく学園でジャクリーンとアメリアが親密にしているとアメリアの評判に関わるからとジャクリーンが遠慮しているのだろう。


ジャクリーンは養子を解消してからヒューバートとの接点はなくなり、王城へ通うことがなくなったおかげでトリスタンと交流してる姿を目撃されることもない。それでも、一度ついた身持ちが悪いという心象は簡単には拭うことができなかった。


秋の半ば、ジャクリーンが若い商人と市井で遊んでいるという新たな噂が流れた。


その噂によって社交界で笑い者にされた義母とジャクリーンが言い争っている声が、2人がいる部屋の近くをたまたま通っていたミアの耳にまで聞こえて来た。

どうしても欲しい品があったためにレノン伯爵家に来ている外商の紹介してくれた店に行っただけだと主張しているジャクリーンに対し、義母は実際に商人と遊んでいたのかは問題ではなく、そんな噂が流れていることが問題なのだと一方的に切り捨てている。


第二王子が長年の婚約者候補を降ろしてからそう間を空けずに第一王子までもが婚約者候補を降ろしたことで、今、王子2人の評判は著しく落ちている。ジャクリーンの素行に問題があったとして婚約者候補を降ろしたというのに、エルドレッドの評価まで下がった事で、エルドレッドはジャクリーンに新たな瑕疵を付けて婚約者候補を降ろした事は致し方なかったと強調したいのだ。ただでさえジャクリーンの嫁ぎ先が見つからないというのに、せめてこれ以上悪評を付けられないように気をつけるように。


そう義母はジャクリーンへ言い含め、2人の応酬は終わった。


ヒューバートとの不貞にトリスタンとの逢瀬だけでなく、商人と遊んでいると囁かれるようになったジャクリーンは、もはやまともな縁談は望めない。レノン伯爵家の使用人がそんな立ち話をするようになった程にジャクリーンが置かれている状況は悪い。


商人との噂が出た後から、ジャクリーンはそれまでは隠れるように会っていたトリスタンと、誰の目にも付く所で堂々と交流するようになった。きっとジャクリーンは開き直ったのだろう。


それまで学園の休日は王城で仕事をする前にレノン伯爵家に立ち寄りミアとお茶会をしていたトリスタンが、休日にレノン伯爵家に来る事が少なくなった。そして、トリスタンとミアがお茶会をしなかった休日はトリスタンとジャクリーンが2人で出かけている姿が目撃されるようになった。


とある喫茶店でお互いのケーキを食べ合っていた、花鳥園でオウムと触れ合っていた、楽しそうにぶどう狩りをしていたなど、ミアは2人のデートの詳細を令息達から耳打ちされる。


何よりも悲しかったのは、ジャクリーンとトリスタンの外出先が、ミアとトリスタンが過去にデートした場所と同じということ。令息達からの密告を聞くたびに、ミアはまるで自分の思い出まで奪われたような喪失感に襲われていた。


ジャクリーンが本性を現し、大っぴらにトリスタンと2人で出かけるようになった秋の中頃、ミアはトリスタンと2人で魔法学園の食堂の個室でお昼ご飯を食べていた。

もしもトリスタンがミアに興味がない態度を取ったらと思うと怖くなり、最近のミアは令息達に告げ口されていることをトリスタンへ伝えていない。自分はこんなにも臆病だっただろうかと疑問を覚えるが、怯えずに前向きに考えることは難しい。


「ミアに話があるんだけど聞いてくれる?」


トリスタンが食事の手を止めミアを見つめ微笑んでいる。ミアは嫌な予感がしつつも、「うん」と返事をした。


「レノン伯爵夫人がジャクリーンを評判の悪い貴族の後妻にしようとしているらしくてね。それなら、ジャクリーンもケンブル侯爵家に迎え入れようと思って、父とレノン伯爵に提案したら了承を得ることが出来たんだ。ジャクリーンとミアと私の3人で仲良くしよう。……ジャクリーンもそうしたいと言ってる」


トリスタンの言葉が理解出来ず、ミアは呆然としてしまう。ミアへ事前に相談が無かったことも、3人で仲良くするという意味も何も分からない。


「僕が愛するのはミアだけだし、正妻はミアだから安心してね」


正妻はミアということは、ジャクリーンは何になるのだろう。ジャクリーンのことは愛していないというのならどう思っているのだろう。どう考えれば安心できるのだろう。


自分の理解を超えた状況に考え込むミアを他所に、反対されないのを同意とみなしたのか、トリスタンは午後の授業へ出席するために立ち去っていった。トリスタンは最初から最後まで、悪びれもせず、いつも通りの微笑みを浮かべていた。


午後の授業が終わり、放課後は王城で仕事があるトリスタンと会う事なくレノン伯爵家へと帰ったミアは、侍女から小箱を手渡された。ケンブル侯爵家から派遣されている侍女は5年経っても相変わらず素っ気ない態度だが、ミアはもう慣れた。


「これは何?」


「ジャクリーン様からお嬢様へ、誕生日プレゼントだそうです」


7日後はミアの18歳の誕生日。レノン伯爵夫人から冷遇されているミアは誕生会など開かれないため、毎年誕生日はトリスタンと2人きりで祝っていて、来週もその予定だ。昼にトリスタンからされた話を考えると、来週のミアの誕生会にはジャクリーンも参加するのだろうか。


いや、そのつもりなら誕生会の時にプレゼントを渡すはずで、今渡してくることはないだろう。ミアはふと、隣の帝国では誕生日の7日前にプレゼントを渡すのが習慣という学んだ知識を思い出す。なぜかジャクリーンは帝国式でお祝いを渡してくれたようだ。


ジャクリーンもケンブル侯爵家に迎え入れるというトリスタンの発言について消化しきれてないまま、ミアはジャクリーンからの誕生日プレゼントを受け取った。


手のひらより少し大きい箱を開けると、中にはくびれた曲線が美しいガラス瓶に入った香水が入っている。そのくびれに2本重ねて結ばれているリボンの、白と黒のコントラストが目を惹く。


「ミアの夢が叶いますように……」


ミアは添えられているカードに記されたジャクリーンからのメッセージを読み上げた。ジャクリーンの示す”ミアの夢”とは何だろうと思いながら、ミアは香水の蓋を開けた。


華やかな中に濃厚な甘い香りがミアの鼻から喉、肺、胸と浸透していく。頭の中に弾むような音楽が流れ出し、目を閉じると黒い瞳の女性が黒い髪をたなびかせ白い布をヒラヒラと自在に操り妖艶な舞いを踊る光景が目に浮かぶ。


これ、リーアちゃんの香りだ……。


『ミアは私の宝物よ』……『ミアは本当に踊りが好きなのね』……『じゃくリーン。3さいです』……『航海から戻ってきたら、ミアの踊りがどれだけ上達したか見せてね』……『帝国の店とはいえレノン伯爵家がこんな小さな店を潰すのは簡単です。ミア様をこちらへ寄越して頂けないとなるとどうなるかお分かりですね?』……『うわぁ、せん妄を起こしてるじゃないか。この薬はミアには使えないなって、おい!そっちはバルコニーしか……』


甘い香りを吸い込むたびに、ミアの頭の中に様々な声が響く。


『ミア、大きくなったらリーアちゃんみたいな踊り子になる!』


ミアは目を開き立ち上がる。今この部屋にいるのはミアとケンブル侯爵家から派遣された侍女だけだ。


「図書室に行ってくるわ」


ミアは瞼の裏にこみ上げてくる熱い涙も、今すぐ叫び出したい気持ちも我慢して、丁寧に香水を箱に戻した。自然な動作で図書室から持ち出した本を持ち、いつものようにと心がけて1人で部屋を出た。

屋敷内は侍女も護衛も付けずに行動している。普段図書室へ行く時のように廊下を進み、何回か曲がり角を曲がったミアは、いきなり本ごとスカートを掴み全速力で走り出した。

足を出して走るなどという貴族令嬢としてはありえないミアの行動に、すれ違うレノン伯爵家の使用人達が驚いているが気にしない。


目指すは春先のお茶会以来入ったことがない、図書室とは逆方向のあの部屋だ。


「リーンちゃん!」


ミアはノックも無しで部屋へ飛び込み、お揃いのピンク色の瞳を見開き驚いている異母妹に飛びつき、その小さな身体を抱きしめた。

おかげさまで「私のことはどうぞお気遣いなく、これまで通りにお過ごしください。」が第11回ネット小説大賞の小説賞を受賞し、ツギクル様より書籍化されることになりました!

こちらのスピンオフ「私のこと'も'どうぞお気遣いなく、これまで通りにお過ごしください。」のミアとジャクリーンも出てくる書き下ろしを追加予定です。(たぶん)


こちらのスピンオフもそろそろ佳境となるネタバラシパートが近づいていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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