Mia(age18) 01
「これ以上ジャクリーンが傷つく姿は見たくない……。ミア、私は君との婚約を破棄してジャクリーンと婚約するよ」
魔法学園で開催される年末のダンスパーティーの最中、ミアの異母妹のジャクリーンを背に隠した婚約者のトリスタンはミアとの婚約破棄を宣言した。
物腰が柔らかく優しい雰囲気の美形として異性から人気がある侯爵令息トリスタンと、その婚約者の伯爵令嬢ミアと、トリスタンの幼馴染でミアの異母妹のジャクリーン。近ごろ生徒達の間でなにかと話題に上る3人のただならぬ雰囲気に、周囲の生徒達は声を潜め、さりげなく横目で3人を見ながら聞き耳を立てている。
本来なら周囲のさざめきにかき消されていただろうトリスタンの言葉は思いがけず周囲へ響き渡った。
ダンスパーティーは魔法学園の催事ではあるが、来賓として公爵や侯爵などの権力者や、生徒の中には第一王子エルドレッド殿下がいる。皆が注目していたこの状況でのケンブル侯爵令息トリスタンが宣言したレノン伯爵令嬢ミアとの婚約破棄は、冗談だったと撤回することなど許されない。
ミアとトリスタンは魔法学園3年生の18歳。あと3ヶ月程で魔法学園を卒業し、そのすぐ後に結婚する予定だったのだが、結婚まであと少しというところで婚約がなくなってしまった。
ミアはレノン伯爵の平民の愛人が生んだ庶子。トリスタンの婚約者となるために、12歳でレノン伯爵家に引き取られた。義母の伯爵夫人と異母弟からは疎まれ、使用人には軽んじられ、父親は助けてくれず、友人もいない。そんなミアが唯一自分に優しくしてくれる婚約者のトリスタンに傾倒していったのは自然な流れだろう。
トリスタンが恥をかかないように、将来立派なケンブル侯爵夫人になるためにと、礼儀作法や勉強を必死に頑張るミアの息抜きになるように動物園や喫茶店などへ連れ出してくれた。義母や級友の令嬢から嫌がらせを受けると手ずからお茶を入れて励ましてくれた。ダンスが好きなミアのためにクタクタになるまで一緒に踊ってくれた。トリスタンを愛し、愛されていたと思っていた時の記憶が頭を過ぎ、いつもミアを優しく温かく見つめてくれていた紫の瞳を思い出す。
そんなトリスタンが、今は眉を顰め嫌悪感を滲ませる紫の瞳でミアを見下ろしている。ミアを見るトリスタンの瞳の冷たさに、尖ったナイフが胸に突き刺さったように痛む。
異母妹のジャクリーンはそのトリスタンの背から顔だけ出し、ミアを怖がり怯えているような表情をしている。今ジャクリーンが立っているトリスタンのその背の後ろはミアの場所だったのに。
ジャクリーンはミアより3歳年下の15歳。レノン伯爵とレノン伯爵夫人の間に生まれた正当な血筋のレノン伯爵令嬢で、6歳の時にレノン伯爵の実家のハモンド公爵家に養子入りして第一王子の婚約者候補になった。それなのに養子入りしたハモンド公爵家の嫡男と不貞していると噂になり、13歳で貴族学園に入学した頃には、身持ちの悪い不実な令嬢として第一王子から嫌われていた。貴族学園3年になったばかりの今年の春先、遂に婚約者候補を解消され、ハモンド公爵家から養子も解消され、ミアのいるレノン伯爵家に帰ってきたのだ。
小柄で華奢なのに胸だけが大きく、ふわふわとゆれるオリーブ色の髪につぶらなピンク色の瞳で、控えめな性格で笑顔を絶やさず可愛いらしいジャクリーンは周囲の人の庇護欲を掻き立てる。男性の理想を固めたような見た目と振る舞いをしているジャクリーンは、男好きという貴族令嬢として致命的な悪評があるにも関わらず、男子生徒からの人気は高いままだ。
そして今、ジャクリーンは貴族学園の3年生でまだ魔法学園の生徒ではないし婚約者もいないのに、なぜかトリスタンのパートナーとしてこのダンスパーティーに参加している。
ジャクリーンが着ている金色のドレスには大きな赤いシミ。対面しているミアの手には僅かに赤ワインが残ったワイングラス。金髪のトリスタンのパートナーとして金色のドレスでパーティーに参加しているジャクリーンにトリスタンの婚約者のミアが嫉妬し、ジャクリーンにワインをかけたのだと誰しもが思うだろう。
案の定、ジャクリーンの悲鳴を聞き駆けつけてジャクリーンのドレスについたワインのシミを見ただけのトリスタンは、実際にミアがジャクリーンのドレスにワインをかけた瞬間を見た訳でもないのにミアの犯行だと決めつけてしまった。
少なくない男子生徒もジャクリーンに同情的な視線を向けている。
「君は私と婚約するためだけに引き取られた庶子だ。もう貴族令嬢として過ごせなくなることを覚悟して欲しい。……昔のミアはこんな愚かではなかったのに、とても残念だよ」
トリスタンはそんな捨て台詞を吐き、労わるようにジャクリーンの肩を抱き、ミアへ背を向けて出口へ向かい歩き出した。ミアの返事は必要ないようだ。
レノン伯爵の愛人の娘で12歳まで平民として過ごしていたミアが、まだ正式には婚約者とはいえ、現王妃の実家のケンブル侯爵家嫡男のトリスタンへ衆目の中で口答えすることなどできるはずがないとトリスタンはわかっているのだ。それならば、立場の弱いミアがレノン伯爵の正妻が生んだジャクリーンのドレスへワインをかけることなどできないとは考えてくれないのだろうか。
トリスタンに肩を抱かれたジャクリーンが顔だけ後ろを振り返り、呆然と立ち竦むことしかできないミアを見つめた。つい先ほどまでオドオドと震えていたジャクリーンの形の良い薄い唇が弧を描いているのはミアの見間違いではない。
結婚まであと数ヶ月というところで婚約を破棄されたミアに、ジャクリーンは自分の勝利を見せつけているのだ。これでは周囲の生徒達にもジャクリーンの本性がバレてしまうだろう。ミアはジャクリーンの浅はかな行為に呆れ、込み上げてくる思いを抑えるためにギュッと拳を握りしめて堪えた。