1話
王女の年齢について訂正しました。
勇者アルバートの剣が魔王の心臓を貫いた。魔王といえど心臓を貫かれたら終わりだ。魔王はもがきながら茫然と呟く。
「っ…我もここまでか…」
口から血を吐き、その場に魔王が崩れ落ちる…その時だった。魔王の口から黒いモヤのようなものが出て、それは迷うことなく…勇者に襲いかかった。咄嗟に魔術師レオンが結界を張ろうとするも一歩遅かった。モヤはアルバートに絡みついて全身を覆う。すると彼の顔が苦悶に歪み、「グアァァァァ!」と悲鳴をあげてその場に倒れ込んだ。
「我はただでは死なん…勇者、貴様の中から真に愛する者を奪った…せいぜい苦しむがいい…」
それが最後の言葉だった。魔王の身体はボロボロと崩れ落ち、私が浄化魔法を使うと跡形もなく消えてしまった。
魔王が消滅したのを確認した私達はアルバートの元への駆け寄った。アルバートはさっきと違い、穏やかに眠っているようでそれが返って不気味だ。あのモヤは何なんだ、アルバートに何かあったら…考えるだけで全身から血の気が引いていく。
勇者アルバートは私、宮原星奈…聖女セナにとって大切な人だったから。突然異世界に魔王に対抗しうる聖女として召喚され、何も分からなかった私に優しく接し、気にかけてくれた。金髪碧眼の王子様のようなかっこいい人。来たばかりで聖女としての力も碌にコントロール出来ない私に、嫌な顔を見せることも決して無かった。性格も紳士的なこの人に惹かれないわけがなかった。同い年のレオンも、かなり年上の剣聖エドも私に親切にしてくれたが、やはり私にとってアルバートは特別で。魔王城を目指す道中で苦楽を共にする中、ハッキリと自分の好意を自覚してしまった。
世界が大変な時に言うべきではないと分かっていても、私は気持ちを止めることが出来ずアルバートに告白してしまった。彼はとても驚いていた。もしかしたらこんな時に色ボケている馬鹿だと軽蔑されたのかも、と考えると怖くて泣きたくなった。
けれど、アルバートは綺麗な碧い瞳を見開き、私をじっと見つめていた。そしてフッ、と優しく微笑む。
『…ありがとう、凄く嬉しい…俺もセナのことが好きなんだ』
何と。まさかの両思いだった。私は夢でも見ているのかと頬をつねったが、普通に痛かった。現実だった。こんな王子様みたいな人が、平々凡々な私を好きなんて信じられなかったけど。そんな私にアルバートが信じるまで何回も好きとか愛してるとか言い出したので、顔を真っ赤にしながら「信じるからもう勘弁して…」と白旗を上げた。
レオン、エドからは散々冷やかされ、そして祝ってくれた。特にレオンはいち早く私の気持ちに気づき、茶化しつつも悩みを聞いてくれた。人相が悪く怖がられることが多いが意外と面倒見がいい。まあ本人は「精々振られないように頑張れ」と人が気にしていることをハッキリと突きつけてくるデリカシーのなさも持ち合わせているけれど。
それからちょっとした言い合いになり目が笑ってないアルバートに「仲良いよな、2人って」と言われ、自分の迂闊な行動を反省した。同い年のせいかレオンとは気の置けない友人のような関係になっており、決して疾しいことはないのだがアルバートを不安にさせたくなくて、レオンとの距離間を改めようと決心した瞬間だった。
レオン、そしてアルバートとの関係性が変わった。とは言ってもアルバートとは手を繋ぐとかほっぺにキスするとか、成人した男女とは思えない程健全な関係を保っていた。真面目なアルバートは「全て終わってからにしよう」と譲らなかったし私も魔王が気がかりな状況で、先に進むことには消極的だったので彼の提案を受け入れた。
でも、アルバートがこんなことになった今無理にでも抱いてもらうべきだったと後悔している。私は黒い瞳に大粒の涙を浮かべ、意識のないアルバートに縋りついた。瞳から溢れた涙が彼の服を濡らしていく。聖女として召喚された私は主に癒しと浄化の魔法を使うことが出来る。魔物や魔王の放つ攻撃は周囲を汚染し、蝕んでいき人間が喰らえば確実に死に至らしめる。それを浄化できるのが聖女である私だけ。魔王が何をしたか分からないが、ガタガタと震える手をアルバートの胸の上に置くと祈りを捧げるように癒しと浄化の力を流し込む。
魔王の攻撃なら確実に瘴気が含まれている。それを取り除くだけでも効果はあるはずだ。そんな望みにかけて兎に角魔力を注ぎ込んでいく。魔王との戦いでかなり魔力を使った私は、実はギリギリの状態だ。魔力が底をつくと、死ぬ危険がある。それを分かっているレオンは「アルを助ける前にお前がやられる、回復魔法なら俺が」も止めようとするが、無視して続ける。レオンが苦々しい顔で睨んでいるのが、顔を見てないのに分かる。
心配してくれたありがとう、でも私が倒れようとも絶対彼は助ける。視界が掠れてくるのも構わず、兎に角魔力を送り込む。
やがて、その願いが通じたのか。
「…セナ…?泣いてるのか…」
ゆっくりと彼の碧い瞳が開かれた。その瞬間私はアルバートに抱きついて大声で泣いた。アルバートは「く、くるしい…ちょっと力を抜いて」と呻き声を上げている。
そんな2人を心底ホッとしつつも、どこか呆れた目を向けている男と…仄暗い瞳でアルバートを凝視する男がいた。
「いやー、なんともなさそうで良かったわ。明らかに呪いかけてたのに、何だったんだろうなさっきの」
「ああ」
「文献にも魔王が死の間際に何か仕掛けるなんて記されてなかった。ただのハッタリだったってことか?」
「ああ」
「…レオンくん、生返事しようと構わないがポーカーフェイスを保つ努力はしろ。目が覚めた仲間に向ける目じゃないぞ」
「…」
「あ、マシになった。その調子。…ったく、そんなに拗らせるくらいならさっさと言えば良かっただろう」
「黙れ」
「はいはい、手が掛かる奴らだなー全く」
目が覚めたアルバートに改めて治癒魔法をかけたが、特に問題はなく身体のどこにも異常がない。アルバート本人も、全く問題ないから早く王都に戻ろう、と言うが私を含めた全員が反対する。結局アルバートが折れて、平和になった各地の街を回りながら戻ることになった。レオンが魔法で作り出した伝書鳩に、観光して帰ると馬鹿正直に書いた手紙を持たせたと知った時は何てことをしてくれたんだ!とレオンに詰め寄ったが王宮から戻ってきた手紙には、帰るのはゆっくりでいいと書かれていてレオン以外の全員が安堵した。
そして道中、やけに距離の近くなったアルバートに困惑しながらも私達はついに王都へと帰還した。国では魔王を討伐した勇者パーティの帰還を心待ちにしていたらしく、王都はお祭りムードだ。私達が旅立った半年前は魔王や魔物達の進行に国民は怯え、国全体の士気が下がっていたが魔王が消滅したことで魔物も激減し、弱体化の一途を辿っている。消滅したと言っても、魔王はいずれまた復活しこの世に災いをもたらす。とはいえ向こう数百年は平和が脅かされることはない、と教育係の人に聞いた。
少なくともこの時代に生きている人々が安心して暮らせる世界を守ることが出来た。最初は誘拐した上に仕事を押し付ける気か!と文句を並べていたが、楽しそうな人々を見ると聖女としての責務を果たして良かったと思える。
夜には王宮で盛大に祝賀パーティーが催されるらしいが、その前に謁見の間に来るように言伝を貰っている。恐らくその場で私達は褒賞を陛下から賜る。何でも好きなものを望むことが出来るという。レオンとエドは何を貰おうか悩んでいるらしい。そしてアルバートと私が何を望むのかは…とっくに決まっていた。
最初は元の世界に帰るためにがむしゃらに備わった力のコントロールを学び、この世界のことを勉強していた。けれど、もう私には帰りたいと言う気持ちがあまり残っていない。両親や友人にもう会えないと言うのに、恋に溺れた人間は何と薄情なのだろう、と自嘲した。
私は自分の些細な幸せが、すぐに崩れ去ってしまうことに全く気づいていなかった。
謁見の間で頭を垂れて待っていると国王夫妻と王太子殿下、王女殿下が現れる。正直王族は全員傲慢だと思い込んでいたけれど、この国の王族は国の都合で私を召喚したことについて申し訳なく思っていると、頭を下げて謝罪をされた。謝ったからと言って私の気が済むわけではなかったけれど、絶対許すものかと頑なだった私の心が少し解けた瞬間ではあった。
懐かしいことを思い出していると、私達の前にクレア王女殿下が歩いてきた。ニコニコと笑顔で私達1人1人に労いの言葉をかけてくださった。彼女は私の2つ下でアルバートの幼馴染。なのでアルバートとかなり親しく、「アル」と呼んでいるが、公の場なので「アルバート・ヴェルダー様」とフルネームで呼んだ。だが、呼ばれたアルバートの表情に違和感を覚える。まるで…。
「……陛下、発言をお許しください。この方は一体どなたでしょうか…?この場にいらっしゃるといることは王族の方なのでしょうが…」
アルバートの発言に謁見の間の空気が凍りつき、クレア王女殿下の顔から表情が消えていった。アルバートが王女に向ける視線は、初めて会った他人に向けるものでしかなかったのだ。
王女殿下も陛下も、アルバートがタチの悪い冗談を言っているのだと笑って流そうとした。しかし、アルバートが真剣な顔で王女のことが分からないと言うと段々その表情に怒りが滲み始め、私は焦る。アルバートは「アル?何を言ってるの、私達幼馴染でしょ?」と詰め寄られても困惑するばかり。ここまでくると勇者であろうと不敬罪で切り捨てられてもおかしくない。だが、演技に見えない。そもそも謁見の間でこんな馬鹿げた振る舞いをするわけがない。
私とレオン、そしてエドは顔を見合わせた。私達の脳裏にはあの日、死の間際に魔王の遺した言葉が蘇っている。
「我はただでは死なん…勇者、貴様の中から真に愛する者を奪った…せいぜい苦しむがいい…」
ただ私達を混乱させるためだけに遺したと思っていた奴の言葉がここにきて信憑性を帯び始めていた。同時に私の身体は急激に体温が下がり、手がガタガタと震えてくる。
魔王の言う「真に愛する者を奪った」という言葉が、アルバートからその人の記憶を奪うというものだったとしたら…。彼は私のことは覚えていたし、何なら距離が近くなり態度や私に向ける表情すら甘くなっていった。私は戸惑いながらも満更ではなく、深く考えることなくアルバートからの愛情表現を享受していた。
だが、彼の中からは王女殿下の記憶、いや存在そのものが消えてしまっていた。私のことは覚えているのに。
それはつまり。私にとって残酷な真実に辿り着こうとした、その時。押し問答を繰り広げていた王女は遂に耐えきれなくなったのか、その翡翠の瞳に涙を浮かべて叫んだ。
「っ…酷いわ!私たち愛し合っていたじゃない!お父様の命令を止められなかった私のことを恨んでいるのは分かるわ、でも覚えてないなんて子供みたいな態度を取るなんてっ…!」
王女殿下の愛らしい顔は怒りで歪み、ポロポロと大粒の涙を流してアルバートをキッ、と睨みつける。
私の中で、何かが崩れる音がした。