最愛の人
前話の「蛍の声」の続きになります。
アパートの一室で明かりもつけずに、部屋の中で力無く座り込んでしまった。
ガンで亡くなった蛍を想い、一人、憔悴しきっている私の元に、来客を告げるインターホンの音が耳に届いた。
おずおずとインターホンのモニターを見つめると、蛍とよく似た顔をした彼の姉である陽菜乃さんが心配そうな顔をして、インターホン越しに声をかけてきた。
「なんだか嫌な胸騒ぎがして、様子を見に来たの。大丈夫?」
「陽菜乃さん……うわぁん」
涙が止まらなくなってしまい、玄関の扉を開けて勢いよく抱き付き、思いの丈を全てぶつけてしまう。甘くて華やかな香りが、彼との違いを感じさせて余計に胸が締め付けられてしまう。
陽菜乃さんに家の中へと促され、されるがままに部屋の中に入った。
「なんで、なんで死んじゃったの、私を置いて。会いたい、会いたいよ」
泣きじゃくる私の背中を優しくさすってくれる陽菜乃さんの手は、ひどく温かかった。その温もりもまた蛍とどこか似ていて、余計に涙が止まらなくなってしまう。
「もう、そんなに泣かないの。わたしももちろんだけど、蛍も心配しちゃうわよ」
「そう、ですね」
陽菜乃さんとは蛍の体調が悪化し始めてからよく会うようになった。
私にすごく良くしてくれて、「蛍の彼女なら私の妹ね! 蛍より私を頼りにしてくれていいのよ?」「姉さん、それはひどくない?」なんてやり取りを姉弟でしていて、よく笑わせてもらっていた。
私は私で本当のお姉さんのように甘えたり、すごく頼りにしてもいるし、尊敬もしている人。
蛍が私にしょうもないイタズラをしてきた時は、「好きな子にちょっかいかけて喜んでるんじゃないわよ!」なんて言って、冗談めかして怒っていたことがひどく懐かしく感じられた。
「わたしもね、本音を言えば心にぽっかり穴が開いたみたいなのよ。……あの子に長生きして欲しかった」
ボソリ、と小さな声で言う陽菜乃さんの表情はひどく悲しそうだった。
愛情の形は違うとしても、お互いに最愛の人を失ってしまったのだから。
「でもね、あなたも悲しんでいるのに、わたしまで悲しんでいたらあの子は喜ばないし、成仏も出来ないんじゃないか、って考えたら泣けないのよ。それにわたしまで泣いたら、あなたもっと悲しむでしょう?」
「陽菜乃さん……」
この時に私が悲しみすぎたら、私に気を使ってしまって他の人が悲しめないかもしれないということに、ようやく気付いた。
それくらい私は周りが見えていなかったし、余裕が全くなかったことに気付かされたのだった。
とはいえひどく心配をさせてしまったみたいで、それから2、3日に1回、陽菜乃さんから電話がかかってくるようになった。
「今日はいい天気だねー」とか、「ちゃんとご飯を食べてる? 今度一緒にご飯を食べに行こうね」といった他愛もない話ばかりだったけれど、その心遣いと、重ねた月日が心の隙間を少しずつ埋めていってくれた。
悲しみは癒えたわけではないけれど、それでも前を向いて、彼の分まで強く生きていかないといけない。
だって蛍が言ったのだ。
自分のことを覚えたまま、生き続けて欲しいって。
そうする覚悟が決まってからの日々は、あっという間に過ぎていった。
最近は蛍の話を笑いながら話せるようになって、ようやく傷が癒えてきたのかな、と思うようになっていた。
前ほどは少しずつ蛍の声や記憶が薄れていくことを嫌だとは思わなくなっていた。
どれだけ忘れていったとしても、彼のことを好きになって愛し合ったという、尊くて儚い経験は、私の中にいつまでも残っているのだから。
きっとこれから先も人の愛し方を教えてくれた最愛の人であることは、変わらないのだから。
蛍と共に、私は生きていく。
あなたが愛してくれた私のまま、生きていく。