表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

蛍の声

タイトルの読み方は「ほたるの声」でもあるし、「けいの声」でもあります。

お好きな方でお読み下さい。

(けい)……?」


懐かしい珈琲(コーヒー)の香りと共に、一年前に亡くなったはずの恋人の声を聞いた気がして、声のした方を振り向くと、一匹のほたるが飛んでいた。


仕事帰り、月明かりもない暗い夜道で、ゆらゆらと漂う小さな光。

その光に誘われるまま歩みを進める。

足元を転がる石の感触や鼻をくすぐる水の香りから、どうやら河原にたどり着いたようだ。

水がサラサラと流れる音だけが辺りに響いている。


蛍は(はかな)く笑う人だった。

彼の周りはいつでも空気が澄んでいて、まるでこの世の人ではないような、そんな浮世離れした雰囲気を持っていた。

喫茶店で一人静かに読書をする姿に見惚れてしまい、私から話しかけ、あれよあれよという間に付き合うことになったのだった。


「君は太陽みたいな人だなって思ったから、一緒にいたら楽しいだろうなって」


そう言って笑う彼の隣で。

舞い上がってはしゃぐ私を優しく見守ってくれていたことが、昨日のことのように思い出せる。

彼は珈琲が好きだったから、彼のそばではいつも珈琲の香りがしていた。


週末はショッピングモールで買い物に付き合わせたり、映画を一緒に見たり。

蛍が読んだ本の話を聞いて、背伸びして同じ本を読んで感想を言って、「読んでくれて嬉しいな」と言って微笑む彼に「頑張ったから頭を撫でて!」なんてワガママを言ったり。

平日はお互いのアパートを行ったり来たりして、家事をこなしたりして。

蛍に朗読をして貰い、落ち着いた柔らかい声を聴きながら寝落ちしたり。


そんな何でもない日常が愛おしかった。


けれど彼はガンに侵され、若かったせいかあっという間にガンは進行してしまったのだった。


「蛍、蛍、私を置いていかないでよ!」


抗がん剤治療の為に髪は抜け落ち、枯れ木のように細くなってしまった体に縋り付く。

蛍は私の頭を優しく撫でた。


「僕以外の人と幸せになって欲しい」


柔らかく微笑みながら言うその言葉を、私は受け止めることが出来なかった。


「嫌、嫌だよ! 蛍がいいの、蛍じゃなきゃダメなの」

「……ごめんね」


困らせていることは分かっていたけれど、嫌なものは嫌だった。

(こぼ)れ落ちる涙が止まらない。

病室のシーツを涙で濡らしてしまった。


「本当は僕のことは忘れてくれ、と言うべきなのかもしれない。だからこれは僕の最後のわがままだ。君が生きている限り、僕はこの世界で生きていたって記憶は残るんだ。だから生きていて欲しい」


その時の蛍は久方ぶりに私の手を力強く手を握り、涙を拭ってくれながら、真剣な目をして私に告げた。

いっそ後を追って一緒に死んでしまいたいと思っていたのに、それを許してくれない彼は酷いと思いながら。


それから数日の後に、彼は亡くなった。

火葬場で焼かれ、骨壷一つになってしまった彼の骨は所々が黒ずみボロボロだった。


亡くなってから一年が経ち、蛍の声を少しずつ忘れ、そして笑顔や想い出がおぼろげになっていく。


私はそんな自分が許せなかった。

大好きだった蛍のことを少しづつ忘れていく自分が、ひどく薄情に思えて仕方なかった。


うずくまり、そんなことを考えていた私の肩に蛍がとまった。

私を慰めるように明滅を繰り返している。


「蛍、蛍。会いたいよ。蛍のことを忘れたくないのに、どんどん忘れていくの……」


涙が止まらない。

残っている動画で声や姿は思い出せるけれど、少しずつ蛍を考える時間が減っている事に気が付く度に、自分に苛立って仕方が無かった。


夢でもいいから、もう一度、蛍の姿を見たいと思いながら。

私は肩に乗ったほたるがどこかに飛び去ってしまうまで、その場にとどまり続けたのだった。

天野月子さんの「(こえ)」を聴きつつ。

お題サイトの『確かに恋だった』様より「君の声、届く夢から、醒めても」というお題と、ホラーゲームの『零』の「刺青の聲」からインスピレーションを得て書きました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ