異世界への儀式
鈴葉先輩が消えてから2週間が過ぎた。僕は警察に1度だけ事情聴取を受けた。
僕は聞かれたことにすべて答えた。刑事は何も手がかりを得られなかったようで、不満げだった。
それからの日々は荒れた。僕は茫然自失していた。食欲が失せ、ひげは伸び、一人暮らしの部屋はごみで溢れていた。毎日涙が止まらなかった。ただ、事情聴取を受けた際に刑事が漏らした言葉に引っかかっていた。
「2年前の紅葉大学の学生の失踪事件と似てるんだよな……」
部屋でボーっとしながら、テレビを眺めていると、スマホに着信があった。鈴葉先輩の母親の朝葉からだった。通話ボタンを押すと落ち着いた声が聞こえてきた。
「悠介君、もし良かったら、これからうちに来られない?話しておきたいことがあって……」
鈴葉先輩とよく似た、とても澄んだ声だった。
鈴葉先輩の声に似ていたからか、少しだけ生気を取り戻した僕は、身支度をすると鈴葉先輩の実家に向かった。鈴葉先輩の実家のインターホンを鳴らすと、待っていたようにすぐ迎え入れられた。
僕はテーブルに案内され、朝葉と向かい合うようにして座った。テーブルには古びた茶色の背表紙の本が置いてあった。タイトルのようなものが書いてあるが、古く汚れていて読めない。
朝葉が言った。
「これは、鈴葉がいなくなった日に鈴葉の机に置いてあったものなの。前半のページは何が書いてあるか良く
分からないわ。ただ、後半からあることが書いてあるの……」
「あることって?」
僕は言った。
「異世界への行き方。正直、私もどうかしてると思うわ。でも、この本ね、鈴葉が異世界同好会の先輩の成松君から貰ったって以前見せてくれたことがあってね。実は成松君も2年前に行方不明になっているの。」
僕は非科学的なことは信じていない性質だ。しかし、真剣に話す様子から戸惑いながらも話を聞いていた。
「鈴葉は成松君のことが好きだったから、追いかけたんじゃないかって思うの」
朝葉の口から出た言葉を受けて、僕の心に衝撃が走った。
「そうだったんですか……」
僕は動揺を隠せなかった。鈴葉先輩のことが心底好きになっていたからだ。のどが渇く。
「この本を、悠介君に渡すわ。紅葉大学異世界同好会の20年前の伝説が再び起こったみたいだわ。実は、私と旦那もかつて、この本を使って異世界へ行ったことがあるみたいなの。異世界の記憶はほとんど思い出せないけど、確かに行ってたことは覚えてる。あと、異世界に行ったことって言っちゃだめな掟らしいんだよね。言っちゃったけど」
朝葉は微笑んで、言った。
「私は鈴葉も、成松君も生きてるって信じてる。そして、これは私から悠介君へのお願い。二人を連れて帰ってきて欲しいの。」
信じられないような話だが、僕はもう信じてしまっていた。いや、信じたかったのだ。先輩が無事に生きているってことを。
「分かりました。僕に任せてください」
僕は本を受け取ると、そう返事をしていた。
僕は1年間異世界に行く為の準備を整えることにした。本に書いてある異世界への行き方に合わせるためだ。家族や友人には世界旅行に出掛けると伝えた。高校の後輩の秀太に事情を打ち明け、僕のいない間に出しておいて欲しい世界各国からの手紙や、合成した写真の数々を託した。
本の最終ページには「この本および異世界に関わることを口外してはならない」と記載されていた。僕はもうこの掟を2回も破っていた。
「まあ、きっと大丈夫」
僕はそう思って準備を進めていた。僕にはルールを守らないところが少しある。
僕は儀式を秀太に説明し、1年後の出発を見守ってもらうことにした。
儀式には、熱々の小籠包、桜の木の枝、図書館の1993年発刊の漢字辞典、親友の自転車のタイヤキャップ、ツクツクボウシの抜け殻、腐ったニンジンが必要とのことだった。
ツクツクボウシの抜け殻はネット通販やコレクターに頼み込んで何とか入手した。
この本によると、6月の晴れた日のキャンパスにて1限の必須授業をサボり、キャンパスのベンチにて漢字辞典を読みながら熱々の小籠包を食べるとのこと。その後、木の枝にセミの抜け殻を付けてベンチに飾って去る。自転車のタイヤキャップをズボンの右ポケットに入れて、大学図書館の屋上の扉の前に立つ。左手に腐ったニンジンを持ち、目を瞑り、「夏野菜カレーに夢中」と唱えながら扉を開けると異世界に転生できると。
そして、朝葉や先輩の父親の大介からも話を聞いた。思い出せないらしいが、どうやら異世界から戻る方法も存在しているらしい。現に2人が戻ってきている。
1年後の決行の日の朝、1限目の講義をサボった僕は秀太と環奈に言った。秀太は今年の春に紅葉大学の法学部に入学し、異世界同好会のメンバーになっていた。環奈は秀太と同じく工学部の新入生で異世界同好会の新メンバーだった。金髪のショートヘアーが似合う。環奈にも異世界のことは伝えている。
「秀太、環奈ありがとうな!」
僕は言った。
「いまだに、疑心暗鬼なところはあるけど、やってみる。何もならなかったら、笑ってくれ。」
僕の言葉に二人は頷いた。
「二人は、異世界には来るなよ。危ないし」
僕は言った。
「何言ってるんですか、ずるいですよ!」
「ありえないですよっ、信じられません!」
秀太と環奈が口々に言った。
僕は笑って返した。
「じゃあ異世界で会った時の合言葉を決めておこう」
「そんなの決まってますよ……」
「カタクチイワシ!!」
僕たちは声を揃えて言った。カタクチイワシとは僕と秀太が好きなアニメ「さかな星人」の有名なフレーズだ。3人の同好会生活で、最も語り合ったアニメだった。
僕はニンジンを左手に持ち、右手で扉を持つと、新たな世界に向けて1歩を踏み出した。




