旅
三題噺もどき―ひゃくはちじゅうに。
お題:テディベア・涙・気球
静かに太陽が昇り始めた空。
山の輪郭が赤く、青く、黒く、染まりつつある。
所々に差す紫が、不思議と柔く、温かく見える。
「……」
その中を。
その空の中を。
1つの物体が進んでいく。
丸く大きな影の下に、小さなかごをぶら下げて。風を受けて、空の中を突き進む。
「……」
よく聞く名では、それは気球と呼ばれる。それは確か、熱を必要としていたが…。空を飛ぶそれには、炎の影は1つもない。
ただ静かに。空の中を進むだけ。
風を受け。光を受け。
どこかへと、進んでいく。
「……」
その風の中。
音もなく飛ぶ気球の中に。1人の少女が眠っている。
毛足が長い毛布の中に、その小さな体を包み込み。仔猫のように丸くなり。静かな寝息を立てている。
「……」
籠の中には、食料を入れるバケット。小さなランタン。
何冊も積まれている本。―そのどれもが分厚く、色あせ、かなり古いモノのように思える。実際大人たちにみせても、これらの本を読み解けるものは数少ない。
しかしそれでも、少女は。
この本を読み。解き。明かしていかなければ、ならないのだ。
「……」
それは少女の、罪だから。
「……」
そのほかにも、小さな黒い鞄。その中から、1本の木の枝のようなものが飛び出している。その上に、真黒なとんがり帽がひっかけられている。
「……」
そして、もう一つ。
眠る少女のすぐ隣。小さく、丸くなっている少女の頭のあたり。陽の光で、少女の眠りが妨げられないように、影を作っているものが一つ。
少女に寄り添うものが。1人。
「……」
それは少々大きめのクマの人形。テディベアと言ったりする。
そんな、ただの人形。毛艶はいい。その首には、黒のリボンが巻かれている。小さな瞳は、黒曜石でできている。陽の光さえも吸い込むような、その瞳は。ただ虚空を写すのみ。
「……」
しかし、その瞳は。
確かに、少女を写す。
動くはずのない、その人形は、静かに首を回す。
―この朝の。静かな時間だけ。その人形は魂の持ち主に応える。少女の眠るこの時間だけ。どこまで行っても、少女の前ではただの人形でしかいられない。
「……」
瞳に写す少女を、それは無表情で見つめる。それでも、どこか悲し気に見えるのは、なぜなのだろう。―愛おしげに少女を見つめているように思えるのは。
「……」
その瞳に見つめられる中。
少女はふと、涙を流す。
「……」
よくない夢でも見ているのだろう。こんな年端もいかぬ少女が、1人でいるのだ。寂しくないわけがない。
―そして、少女が1人でこうしている原因であるテディベアは。
より一層悲しげに、少女を見つめる。
「……」
その中には、一つの魂が入っている。
それは、1人の少年の魂。
幼い少女と共に育った。小さな村の、少年の心。
―少女が恋した。少年の魂。
「……」
ほんの少し、昔の話をしよう。
―小さな村の小さな家に。1人の少女が住んでいた。
その少女は、隣に住む少年に密かに恋をしていた。けれど、自分に自信がない少女は、魔法をかけてしまったのだ。少女は、恋心に自信はなくともその魔法の力には自信があった。古い呪いだって、使いこなせると思っていた。名誉ある一族の末裔だから。けれど、そんなもの上手くいくわけでもなかった。恋をかなえる方法を間違えた少女は、少年と話す事すらできなくなり。少年の魂は、人形に閉じ込められた。
「……」
実のところ。
この少年も、少女に恋をしていた。ほんとうは、呪いなんてなくとも、叶うはずの恋だったのだ。
それは、少女のたった一度の過ちで、叶わぬものとなった。
「……」
だから、少女はただ一人。
少年を戻すために、遠くの国へと旅をしている。
必ずどこかにあるはずの。解呪の方法を求めて。
「……」
少女が静かに流した涙を。彼は優しくぬぐい取る。
今は、ただの人形でしか在れない。
はだけた布を掛けなおすことも。悲しむ少女に声を掛けることも。助けることも。
何もできない。
「……」
ただ少女の旅の共をして。涙を拭う事しか許されない。
「……」
すれ違う少女と、少年。
テディベアと、少女。
2人の小さな旅人は、気球に乗って。
今日も静かに飛んでいる。