癒しの巫女
……『癒しの巫女』。ミーロ・フォン・ライオスがそう呼ばれたのは、もう随分と昔のこと。
彼女が貴族ではなく平民で、この国ではなく故郷である村に住んでいた、あの頃……あの日を堺に、彼女の世界は一変した。
村に、国の騎士たちがやって来た。その理由は、魔王を討伐するため、『国宝』に選ばれた人物を探すためだ。
それに選ばれたのが、ミーロ……平民には家名がないため、ただのミーロだった。そして、もうひとり……彼女の幼馴染である、ライヤという男の子。
『あなたの力が、必要なのです』
そう言われたミーロは、その時初めて、自分の中に眠る力のことに気づいた。
『癒しの力』と呼ばれるそれは、極めて珍しい力のようで、この村より遥かに人が多い王都でも、その力を扱える者はいないのだ。
それを扱える者を『癒しの巫女』というらしい。確かに、他の子に比べて自分の怪我の治りが早かったり、友達が次の日には怪我が治っていた、なんてことはよくあった。
それは一見、魔力による回復魔法にも似ているが……それとは、根本的に違うらしい。なにかいろいろ言っていたが、当時のミーロは軽く聞き流していた。ただ、魔力よりすごいものだということは、ぼんやりとわかった。
『わたしの、力……』
この力があれば、世界を救える……その手伝いができる。子供ながらに、それはミーロの心を踊らせた。
幼馴染のライヤと村を出たのは、それから数日後のこと。旅が始まった。時間をかけて、ミーロたちを見つけたという王様に会いに行くために。
ミーロにとって、ここまで村の外に出たのは初めてだ。見るものすべてが新鮮だった。
それから、共に旅をする仲間と出会い。危険な旅の中でも、確かに絆を深めていって……そして別れも、あって。いろんな、救えなかった人たちを見てきて。『呪病』事件でも、無力を思い知った。
もう、あんな人たちがいなくなるように……せめて、自分の手の届く範囲だけでもみんなを救えるように。平民から貴族となって、充実とした環境で、力を鍛えて、鍛えて、鍛えてきた……
……外に飛び出した、ミーロ。……彼女が、なにかに押しつぶされる瞬間を、ヤークワードたちは確かに見た。
誰も、なにも言わない……いや、言えない。そもそも、なにが起こったのか、理解が追いついていないのだ。
「み……」
「は、母上!」
しかし、そんな中でも一番に反応したのは……いや、同時に反応したのは、ヤークワードとキャーシュ。ミーロの子供である彼らであった。
とっさにミーロと名前を呼びそうになってしまったヤークワードだったが、それをかき消すほどの大声を上げたキャーシュに、救われる形となった。
「! いけない!」
次いで反応を見せるのは、ロイ。彼は、今にも走り出さんとするキャーシュの手首を、掴んでいた。
キャーシュが動こうとしたのも、それをとっさにロイが止めたのも、当然の行動と言える。なんせ、目の前で母親が押しつぶされたのだから……
衝動的に、動きかねない……だからロイは、キャーシュの手首を掴んだ。ヤークワードの方にも注意を配らせるが、彼はじっとしたままだ。動いてはいけないとわかっているのか、あっけにとられているのか……
「離して、ください!」
「落ち着いてください、キャーシュ様! 今外に出ては、奥様と同じように……」
ロイの制止を振り切ろうとするキャーシュを、今度はアンジーが止める。今外に出たのでは、彼女の二の舞いになる……と。
そんなアンジーだが、きっと冷静ではいられない……冷静を保っているだけだ。彼女は、ライオス家のメイドとして毎日のように、自宅を訪れていた。
だから、ミーロとの交流も多い……そんな相手が、目の前であんな目に遭い、冷静を保つのがやっとだった。
「……っ」
日常的にライオス家のメイドとして、自分を律する術を覚えてきたアンジー。その経験がなければ、きっとキャーシュと同じく、取り乱していたに違いない。
「で、でも……ミーロ様を、あのままには……」
と、オロオロした様子で口を挟むのはリィだ。そして、それは彼女の言う通りでもある。
このまま家の中にこもっていたとして、外に出たミーロを放置したままになる。それに、結界のおかげで無事だろうとはいえ、ここも確実に安全という保証があるわけではない。
それを踏まえた上で、アンジーはうなずく。
「……私が、連れ戻します」
「アンジー……!」
「家は結界で守られています、私も同じ状態ならば」
それは、確実性のないもの……しかし、他に方法がないのも事実。
あのままミーロを外にしてはおけない。どのみち、なにが起こっているのか確かめる必要があるのだ……外に出なければわからないことも、あるかもしれない。
「……気をつけて」
「はい」
一同が心配する中、ロイがアンジーに言葉をかけ……それに、うなずいて応える。
軽く深呼吸をして、アンジーは、開けられたままの玄関の扉から、外に出て……
「っ……!」
真上からのしかかる圧力に、顔を歪めた。魔力で体を守っていなければ、ミーロと同じように押しつぶされていたことだろう。
倒れていたミーロを抱え、すぐに家の中へ……戻ろうとした際、何気なく、空を見上げた。
「……あれ、は……?」
雲の向こうに、天に、なにかがいる……その、圧倒的な存在感を、肌にひしひしと感じてしまった。