逃げない覚悟
「ぐっ……か、はっ……」
その場に膝を付き、崩れ落ちるはノアリ。腹部に、凄まじい衝撃を受けたためだ。
思わぬ痛みに、ノアリは腹部を押さえ、今しがた衝撃を与えてきた人物……校長であるゼルジアル・フランケルトの姿。
一歩二歩ではきかない距離は離れていた。それを、一瞬で詰められて……そもそも、こんなに痛みがあるなんて、完全に予想外だ。
竜人となったノアリの体は、常人以上の硬度を誇っている。殴られても痛みはないどころか、殴った方にダメージが行くくらいだ。
だというのに……
「まだ、闘気のある目をしていますねぇ」
彼は、普通の人間だ。それなりに、いやかなり強い人間だろうとはいえ、人間という枠組みには違いない。
それに、彼は老人で、握れば折れてしまいそうな細腕だ。
……ノアリを持ち上げたときもそうだが、あの細腕のどこから、あんな力が湧いてくるのだろうか。
「ノアリさん!」
「だい、じょうぶ……」
心配して駆け寄ってこようとするアンジェリーナを、ノアリは手で制する。
痛い……が、それでダウンしてしまうほどではない。
「ほぉ。さすがに、竜人は防御力が高いですねぇ」
立ち上がるノアリを見て、感心したように校長があごひげを撫でる。
人数の上ではこちらが有利とはいえ……すでにミライヤとリエナはダウンし、その治療にヤネッサが当たっている。
リエナの傷を見るに、一撃でも攻撃を食らえば常人ならばアウト……それは、ノアリが実感している。
竜人であるノアリですら一撃貰っただけでフラフラなのだ、アンジェリーナがくらったら……
「ぅ……わ、私も、まだ……」
「ミライヤ!?」
弱々しくも、強い意志を感じさせる声……ヤネッサが驚いた声を上げる中で、ゆっくりと起き上がるのはミライヤだ。
ヤネッサの助けを受けながらも、ミライヤは立ち上がる。
「私は、大丈夫、です……ヤネッサさんは、リエナさんを、お願い、します……」
そう言って、ミライヤは構える。その体からは、バチバチと白くまばゆい電撃が迸っている。
鬼族の血を引くミライヤの体も、また常人とは一線を引いたもの。さらに、先ほどは校長の拳を腕で受けることで、顔面へのクリーンヒットは阻止した。
人間、竜人、そして鬼の血を引く、それぞれの少女たち。
「ふむ……」
三者に囲まれ、それでも校長は余裕の表情を崩さない。
その余裕は、己の実力ゆえだろう。3人に囲まれても、自分が負けるとは思っていないのだ。
「なるほどなるほど。竜人に鬼族の娘……まさか、実際に目にすることができるとは。……どれほど硬いのか、興味がありますねぇ」
「……っ」
瞬間、ノアリとミライヤの背中に、すさまじい悪寒が走る。
あの目は……教師として、生徒を見るそれではない。純粋に、己の興味を満たさんとする、狂気にも似たもの。
「しかし、そこの2人はともかく……あなたは、下がっておいた方がいいでしょう。アンジェリーナ・レイさん」
「!」
対峙する3人に……正確には、アンジェリーナに向けて、言葉が投げかけられる。
それは、アンジェリーナの実力を見下しているわけではなく……もしかしたら、純粋な親切心なのかもしれない。ノアリやミライヤと違い、常人である彼女では、この戦いに耐えられないと。
それはつまり、生徒であろうと、どうなってしまうかわからないことをする、とも取れるようで……
「い、いや、です! 私は……リエナを、あんな目に遭わされて……私だけ、逃げるなんて!」
「勘違いしないでください。私だって、やりたくてやったわけではないのですよ? ただ、こうでもしないとあなたがた、諦めないでしょう?」
こちらには、魔法の使えるエルフ族がいる……それも込みで、多少は荒っぽくなったのだろう。
それでも……やりすぎだと、思うが。
「アンジェ様、ここは下がっててください。私たちで、なんとか……」
「いやです」
ノアリの進言も、アンジェリーナはきっぱりと断る。
もちろん、ノアリもアンジェリーナを見くびっているわけではない。だが、今回はあまりにも……
「もういや、なんです……ただ、見てるだけなのは。私に……もっと、力があれば。だから、シュベルト様は……」
「……」
それは、涙ながらに語るアンジェリーナの本音。大切な者を失い、今また、誰かを失ってしまうかもしれないという恐怖。
シュベルトの件は、もちろんアンジェリーナのせいではない。だが、彼女にとって、あの件は深く影を落としたはずだ……あの時、彼をひとりにしなければ。後悔が、ある。
とはいえ、力があれば全てを救えるというのは、それは傲慢というものだろう。それに、あのときアンジェリーナに力があっても、どうしようもなかっただろう。
「それに……」
彼が大変な時、自分はなにもできなかった。彼を救ったのは、ヤークワードだ。
その、ヤークワードが……シュベルトの友達が、訳も分からないうちに連れていかれて。殺されるかもしれない。それだけじゃない、目の前で自らの友人が、危険にさらされている。
力がなくても……友人に背を預けて、逃げる? リエナまであんな目に遭っているのに?
そんなことをすれば、きっとシュベルトに、失望されてしまうだろう。
「いやぁ、見事。元王子の婚約者、ただのか弱い女性だと思っていましたが……訂正しましょう」
対峙するアンジェリーナを見て、校長は拍手を送る。それは、煽りでもなんでもない、純粋な敬意だ。
圧倒的不利な状況にも逃げない、その覚悟。正直彼女と直接話すまでは、頭がお花畑のほわほわお嬢様だと思っていた。
ぞれとも、数々の経験が彼女を変えたのかは、定かではないが。
そんな、小さくも強い彼女を前に校長は……
「逃げない姿勢、実に美点です。
……ただし、それが足手まといとならないことを、祈りますよ」
不吉な言葉を、口にした。




