憎き相手への懇願
「ヤネッサァアア!!」
蹴り飛ばされ、地面に転がるヤネッサの姿に、俺はすぐに体が動くのを感じた。
腹部から、大量の出血……素人目にも、かなりまずい状況なのがわかる。手を伸ばすが、迂闊に障るのは危険だと考え、寸前で止める。
まずいまずいまずい……早く、傷を塞がないと……それに、血を止めて……とりあえず、失血するのをどうにか……
「やれやれ……こういうのを、あなたたちの言葉でざまあない、と言うのでしょうか」
「ぁ……」
目の前に、冷たく俺たちを見下ろす魔族が、立っていた。
今まで、なにを考えているのかわからなかった魔族の表情……仮面のような顔の奥にある、その目は……
……俺を、ひどく侮蔑する目だ。
「っ……今すぐ、結界を解け!」
そうだ、結界さえ解ければ、魔法でどうにか……ヤネッサだってまだ、意識はある。
まずは血さえ止められれば、なんとかなる、はずだ。
「それはできません」
しかし、魔族の答えはひどく冷たくて。
「っ……たの、むよ……結界を、解いてくれ! ヤネッサを、助けてくれ!」
……俺は、なにをやっているのだろう。国中をめちゃくちゃにして、アンジーやロイ先生にひどいことをして、ノアリやミライヤたち国中の人間をあんな目に遭わせ、ルオールの森林を燃やしエルフ族を大量に殺した……そんな相手に、懇願している。
エルフ族は、いい人たちばかりだった。初めは俺は警戒されていたがな……10年も前のことだが、しっかり覚えている。
ジャネビアさん……村のみんな……ウオルズさん……それに、エーネ……みんな、『呪病』事件の時に、世話になった。ノアリたちを連れて、みんなに会わせてやりたかった……
みんな、いい人たちだった。その人たちを、こいつは、殺した……そんな相手に、俺は、ヤネッサを助けてくれと、懇願して……
「何度も言わせないでください。そんなこと、するはずがないでしょう」
……冷たく、突き放された。
「くっ……てめぇ! 殺してやる!!」
「そんな泣き顔で吠えられても、怖くありませんよ。それに、私を相手にするくらいなら、一分一秒でもその少女に寄り添っていては?」
「っ……」
ヤネッサの呼吸は、荒くなっている。顔色も、悪い……これじゃ、たとえ魔力を使えるようになっても、こんな深手を治せるのか……?
いや、なにを弱気になっているんだ俺は! なにか方法があるはずだ! なにか……
「ゴギャァアアアアア!!」
「!」
ドゴォ……と、近くの建物になにかが衝突し、崩れていく音が響く。それと同じく、巨大な咆哮が轟く。
ガラガラと崩れていく建物……その中にいたのは、巨大な影。
「クル、ド……」
「ほぉ、これはこれは。己と同等の力を持つ影を、こうも一方的に倒すとは」
「己と同等の力を持つと言うのなら……その影よりも、己が強くなればいいだけのこと」
「ふむ」
クルドは、人間の姿ではなく……竜族本来の、姿をしていた。赤く輝く鱗を持つ、巨体。赤黒い角は、それだけで人一人の大きさがありそうだ。
クルドの竜の姿を見るのは、2回目だ。ただ、あの時は家へ乗せてもらう過程で、目にしただけだ。
戦う姿は、初めて見る……
「ルォアアアアア!!」
「おっと」
巨大な拳が、魔族に振り下ろされるが……魔族はそれを、簡単にかわす。
そして、クルドが追撃をしようとしたところで……
「! ヤーク、その目は……それに、その娘……ヤネッサか!?」
俺たちの姿が、目に入った。クルドとヤネッサはあの時、会っている……ヤネッサのことを、覚えてくれていたのだ。
「あぁ、ヤネッサが……このままじゃ……」
俺のことはいい、今はとにかく、ヤネッサを……
クルドは、魔族を牽制しつつ……俺の側へと、寄る。ヤネッサの姿を確認するようにして……
「まずは、出血を止めねばな」
言って、クルドはヤネッサの体へと手をかざす。大きな手だ、人2人くらい簡単に潰せるだろう手。
だが、恐怖はない。それに、クルドの手からは、温かな光が漏れだしてくる。
「……血が、止まった?」
出血のひどかった、ヤネッサの腹部からは……みるみる、出血が止まっていく。これは、回復魔法か?
いや、魔力は使えないはずだ。魔法魔術問わず、その力は使えないはず。ならばこれは……
「竜族特有の、力?」
「詳しい説明は後に回すが、そう認識してくれていい。血を止めただけの応急処置だ……それ以上は、あいつをどうにかしなければな」
本格的に治療するには、時間が掛かる。そして、その時間を確保するために……あの魔族が、邪魔だ。
クルドは魔族を睨みつけたまま……口を、大きく開く。その中に、強大なエネルギーが溜まっていくのがわかり……
「ゴァアアアア!!」
轟く咆哮と共に、口の中に溜められたエネルギーが放出される。それはまるで炎のように、燃えたぎり……魔族へと、放たれた。
後ろにいる俺でも、熱さを感じる……アレに呑み込まれれば、きっと灰も残らない。
それを真っ向から、魔族は……
「すぅ……ハッ!」
腰を落として、構えた状態から振られた漆黒の剣……それから放たれた、黒い斬撃がクルドの放つ炎と衝突する。
瞬間、2つのエネルギーが反発するように拮抗して……
ドォン……!
……大きな音を立てて、爆発した。
「! 相殺した、のか?」
「あの剣、やはり強大な力を感じると思っていたが……むん!」
爆発の余波で立ち上る煙、その中を魔族は突っ切ってきて……クルドの眼前へと飛び、漆黒の刃を振り下ろす。
クルドはそれを、右腕を振り上げることで受け止める。金属同士がぶつかり合ったような、激しい音が鳴り響く。
あの、クルドと拮抗した力を……!? いや、それだけではない。
「っ、貴様!」
クルドが異変に気付いた時には、もう遅い。魔族の左腕、漆黒の剣を持っているのとは逆側の腕を、黒いなにかが纏っている。
それは、魔力だ。魔族は、左腕に纏った魔力を振るうことで、武器がなくとも飛ぶ斬撃を放つことが可能なのだ。
魔族は、クルドの相手を片手間に、それを俺へ……いや、瀕死のヤネッサへと、放ってきた。
だから、俺は……
「っ、ぐっ、あぁあああぁああ!?」
咄嗟に、ヤネッサを守るように左腕を前に出して……自ら、斬撃を左腕に受けた。
……千切れた腕が、飛んでいくのが……見えた。