クルドの心情
「……すぅ」
日は暮れ、夜の時間がやってきていた。もう、日は跨いだだろうか。いつもは少なからず光の灯る国中が、いまや暗闇に包まれている。
とはいえ、クルドにとって人の国の夜など、こうして落ち着いて見るなんて初めてのことだ。
そんなクルドの後ろ、ベンチで、ひとりの少女が眠っている。
「すぅ……」
「ふっ、やはり疲れがたまっていたか」
少女の名は、ミライヤ。クルドと同じく、夜の見張りを申し出た少女だ。
みんなの……正確にはヤークワードの役に立ちたいと、そう意気込んでいた少女であったが、今はあどけない表情を浮かべ、身を丸めて眠っている。
ここに毛布もあれば、かけてやるところだが……あいにくと、屋外にそのようなものはない。それに、毛布を取りに学内に戻るのも気が引けた。
一応、クルドの安全性はガラドが訴えてくれた。それで他の人間がみんな納得してくれたかというと、そうでもない。
「やれやれ、だな」
竜族に対して、ほとんどの人間は恐怖を抱いている。未知というものに、人間はどうしようもなく過敏になる。
そんな中で、ヤークワードらが付き添ってくれるならともかくクルドが単身、学内を歩き回れば、他の人間を怖がらせることになる。
実のところ、見張りを申し出たのは、そうした人間たちに配慮してのこともあった。
「どうして、自分から人間たちに関わろうとしたんだかな」
誰に言うでもない、クルドの言葉は宙へと消えていく。誰も、その答えを持ってはいない。
なぜ人間の助けを、と聞かれれば、それはヤークワードのためだ。だが、一度会ったきりの人間……数日一緒に過ごしたとはいえ、その程度の関係性の人間だ。
現に、他の竜族は人間界の騒ぎなど放っておけと、関わらないことを決め込んだ。
ヤークワード・フォン・ライオス……彼には、どこか不思議な雰囲気がある。それが、忘れられなかったからだろうか。騒ぎの道中に彼がいると知り、居ても立っても居られなかった。
「んんぅ……ヤークしゃまぁ……」
今眠っているこの少女だって、そうだ。ヤークワードのことを深く慕っている。ノアリもそのひとりだ。
人を引き付ける、といえばいいのか。いや、そんな問題ではない。
彼と、初めて会った時に感じたあの気配……彼の中に感じた、もうひとつの生命のようなもの。無視できないと、感じた。
他の誰も、それには気づいてはいないようだが。
「っくしゅ!」
「む……やはり、少し冷えるか?」
竜族の体は、痛みに強い。また、暑さや寒さにも、強い。だから、人間が寒いと感じるそれを、クルドは理解できない。
クルドはミライヤの側に寄り、尻尾を彼女の側に寄せる。触れる未知の感覚に、ミライヤはクルドの尻尾をまるで抱き枕のように、抱きしめた。
「ぅへへ……」
ずっと起きていると意気込んでいた少女。だが、立ったままでも眠ってしまうほどに、その体には疲労が溜まっていた。
捕まっていたから、ヤークワードやノアリほど疲れてはいない……とは本人の言葉だ。ヤークワードも、その言葉を受けて彼女の意見を尊重したのだが……
「疲れていないはずがない、な」
捕まっていただけ……そう聞けばたいした疲労はなさそうだ。だが、実際には捕まっているだけでも、疲労は溜まる。
常に緊張感を張り詰め、自分たちがどうなるかわからない恐怖と戦っていたのだ。しかも、相手は魔族……そう、未知の相手だ。
たとえ痛みなど、目に見える傷は負っていなくても……精神的なものまで、負っていないはずがない。
「……」
この、ミライヤという少女……彼女に対しても、クルドは不思議な感覚を得ていた。ヤークワードとは、また違ったものだ。
彼女は人間族……であるはずだが、そうと断ずる自信がない。いうなれば、純粋な人間族よりも今のノアリのような、他種族の血を感じる。
だが、それを確認する術はない。ミライヤ自身、自分の体のことはわかっていないのだろうから。
「さて……これから我は、どうすべきか」
思考の中でも、警戒は怠らない。人間族と魔族、その争いに自分が混ざってもいいのかという気持ちは、あった。
だが、魔族を放っておけば、そう遠くないうちに世界は悪い方へと傾いていくだろう。こうして積極的に動くクルドが、竜族の中でも特殊ではあるのだが。
人間族と魔族、そして……この場にあまり見かけない、命族。今はエルフ族と名を変えている者たち。そこに、竜族である自分も参加している。
そもそもが、魔族が復活した理由がわからないのだが……なんだか、これまでに起こったことのないようなことが、起きようとしているようで。
「うぉあぁああ!?」
「!」
その時だ。クルドの耳に、声が聞こえた。それは、悲鳴にも近い。が、学園内の悲鳴が屋上にまで届くことは、あまりない。
これは、聴力のいい竜族だからこそ、捉えることができた。むしろ、声の主は必死に声を押さえ込もうとしていた。
そして、気づけた理由がもうひとつ。声の主が、知った人間のものだったから。
「ヤーク……!?」
まさか、学園内に敵が? しかし、悪意ある気配はなにも感じない。それに、声を押し殺した理由もわからない。
すでに、朝日は昇り始めている。屋上を離れても、問題はないだろう。
「う、んん……」
そこへ、今まで寝ていたミライヤも目を覚ましたようだ。寝ている彼女を置いていかなくてよくなった安堵感と同時に、彼女に説明している時間が惜しい気持ちが湧く。
「ミライヤ、ヤークになにかあったようだ! 先に行くぞ!」
「へ……?」
まだ寝ぼけ目のままの彼女に要点だけ伝えて……クルドは、学内へと駆けこんだ。




