ロイvs魔族
……世界が、ゆっくり動いているように、感じられた。人の動きが、風の動きが、なにもかもが。
俺は、手を伸ばす……しかし、その手は届かない。当然だ、世界がゆっくりになっているということは、俺の動きもゆっくりになっているということ。
届かない、届かない……俺の手は、また俺の大切なものを守れない。
それも、シュベルトの時とは違う……俺の、目の届く。手の届く範囲にいて、それでも、助けられない……自分への怒りが、湧いてくる。
やりきれなさが、悔しさが、湧き出て、そして…………
「アンジー!!!」
……ズシャッ……!
目の前の光景を、ただ見ていることしかできなかった。
倒れたアンジーに、魔族が迫り……その手には、剣を持っていた。それを、アンジーに振り下ろして……
鮮血が、舞った。
「ぁ……っ……」
舞った血の色は……赤色では、なかった。
「かっ……」
「?」
アンジーを襲った魔族は、うめき声を上げて倒れた。舞った鮮血は、アンジーのものではなく魔族のものだ。
魔族が、斬られて、倒れた……その光景は、一瞬、夢かと思うほどで。それでも、確かに現実だった。
魔族を斬り、アンジーを助けた人物。そこに、立っていたのは……
「アンジーに、手を出すな……!」
「せ、先生!?」
「ロイ、様……」
そこには、一人の男が立っていた。剣を構え、振るったことで刃に付着した魔族の血を振り払う。
ロイ・ダウンテッド……俺の剣の先生である人物が、そこにいた。
「先生、先生……!」
「やぁヤーク。お久しぶりですね。元気にしてましたか?」
先生とは、久しぶりの再会だ。俺が学園に入ってからは、会っていない。
だが、実家にはよく顔を出しているらしい。なんでも、キャーシュの家庭教師……もちろん剣の、ではない。勉学のだ。ロイ先生は頭もいいのだ。
それに、先生はアンジーといい仲のように見えた。家に通っているのは、それが理由でもあるのだろう。
「先生、えっと……なにから、説明すればいいか」
「大丈夫。なにが起こっているかは、ここに来るまでの間に大方」
先生は、国中に現れた魔族の存在に、異変を察知して魔族と戦ってくれていた。その中で、俺たちの姿を見つけたのだという。
俺たちを見つけたのは偶然だが、その偶然に今は感謝したい。
「ほぉ……『勇者』以外にも、戦える者がいたのですね」
「!」
先生の姿を見て、あの魔族が興味深そうにつぶやく。
やっぱり、勇者の……ガラドの存在を、知っている。知っていて、仕掛けてきたっていうのか。
「あの程度の魔族なら、戦える者はたくさんいると思いますが?」
「そうですか。私の調べでは、この国で魔族に対抗できる人間は『勇者』ガラド、『癒やしの巫女』ミーロ、……以前勇者パーティーと呼ばれた者たちくらいだと思っていました」
「!」
この国にいる、2人の名前……その中に、俺の名前は入っていないか。
実際、単体で魔族と戦える力なんてなかったから、仕方ないが。……ん、2人?
「残りの勇者パーティーメンバー、エーネとヴァルゴス。エーネは現在、エルフの森に。ヴァルゴスは行方知れずとなっている。勇者パーティーの力は、文字通り半減……容易いと、思ったのですが」
「ぇ……」
魔族の口から、予想もしていなかった事実が語られる。ヴァルゴスが……行方知れず?
確かに、ヴァルゴスの情報だけは、いくら探しても得られなかった。積極的に探そうとしたわけでもないが、かつての勇者パーティーメンバーなら、そのうち勝手に見つかると思っていた。
まさか、行方知れずになっているなんて……
「さらに言うなら、『癒やしの巫女』は戦闘向きではない。この国に、もはや我々魔族と渡り合えるのはひとりだけ……そう、思っていたのですがね」
「あてが外れたな」
魔族の言葉を受けても、先生は動揺することなく剣を構える。アンジーを守るように、立ちながら。
そして、それからしばしの沈黙……動きがあったのは、僅か数秒後だった。
「はっ……!」
「ふっ……!」
その場から消えるように、互いに接近し……剣と腕とが、激しくぶつかり合う。
金属同士が打ち合ったような、激しい音が響いた。
「っ、さっきの魔族とは、まるで違うな」
「あなたも、人間にしては素晴らしい力を持っている」
その後何度か、互いに打ち合う。剣が、腕が、交錯する。1本しかない剣に対し、魔族の対する腕は2本……単純に数の分が悪い。
だが先生は、繰り出される腕をひとつひとつ丁寧に、払っていく。
「す、すげぇ……って、見とれてる場合か!」
今のうちに、俺はアンジーの側へと駆け寄る。結界の力で全体的に弱まり、さっきの魔法攻撃をもろに食らったのだ。
アンジーはなんとか立ち上がろうとしているが、俺はそれを押さえる。
「アンジー、じっとしてて」
「し、かし……」
「大丈夫だから」
アンジーがこれ以上無理をして倒れたら、俺も先生も悔やみきれないだろう。こんな時に、魔法さえ使えれば……
不意に、人間は昔魔術を使えていたと言ったセイメイの顔が浮かぶが……それを、振り払う。ないものねだりをしても、仕方ない。
「ヤーク! アンジーを連れて、どこか、安全な場所へ! こいつは、私が……!」
「先生!?」
「安全な場所? はて……そんなもの、もう国中のどこにも、ありはしませんよ」
先生を置いて、逃げろと……そんなこと、できるはずがない。だが、このままここにいても、仕方ないのも事実。
迷う時間すら、しかし与えてはくれない。先生と魔族は、何度かの斬り合いの後距離を離す。
「いいですねぇ、その動き、気迫。実に私好みだ……しかし、それだけに惜しい。人間の体では、それが限界のようだ」
「……?」
言って、魔族はなにもない空間に手を伸ばす。そして、まるで鞄からなにかを取り出すかのように、手を探らせ……なにかを、掴んだ。
そのまま、なにかを引っ張り出す。……なにもない空間から、出てきたのは、黒い刀身の剣だった。