ありがとう
ヤークワードたちと別れ、シュベルト・フラ・ゲルドはひとり、学園内の中庭を歩いていた。
今の状況で、ひとりになるのはよろしくないのは、わかっている。だが、ひとりになりたかったのだ……いろいろと、考えたいことがあったから。
シュベルトが、ゲルド王国の第一王子……つまり次期国王という立場であった。だが、すでに彼はその立場にはない。
「……ふぅ」
しばらく歩き、見つけたベンチに座る。ここは木々が生い茂っており、気持ちのいい風が吹く。日も傾いてきたからか、聞こえる生徒の声も少ない。
シュベルトが持っていた第一王子の立場は、今は弟であるリーダのものだ。彼こそ、立場としては真なる第一王子なのだ、なにもおかしなことはない。
現在、国は大騒ぎだ。シュベルトの出自、国王の死去、リーダへの次期国王の任命……これから、なにが起こるのか想像もつかない。
ただ、わかっていることは……
「もう私……いや、僕にはなにもできない」
天を仰ぎ、シュベルトはひとりぼやく。もう、言葉遣いを取り繕うのも、疲れてしまった。
リーダが次期国王として、国王の任命を受けている以上、シュベルトにできることはない。世間は、もう自分を許してはくれないだろうから。
嘘を、ついた。それも、国民を騙す嘘だ。それは、謝ったところで許されるものではない。
始まりは、国王のついた嘘。だが、真実を知ったシュベルト本人も、その嘘にすがり続けた。
「平等な世界を作りたい、か……はは、そんなの最初から無理だったな」
シュベルトが第一王子であり続けた理由は、国王となり世の在り方を変えたいからだ。貴族と平民、その差により生まれる壁を、無くしたいからだ。
だが、そう願うシュベルトこそが、立場を偽り欺いていた。
そう……シュベルトの願いは、シュベルトが生まれた時点で叶わないものだったのだ。
「……みんなに、申し訳ないな」
自分についてきてくれていたアンジェリーナ、リエナ、そしてこの学園で仲良くなったヤークワード、ノアリ、ミライヤ、リィ。彼らに、申し訳なく思う。
しかし、ヤークワードたちの関係こそ、シュベルトの理想だ。平民と、貴族と、『勇者』と。
立場を関係なく、仲良く笑い合える関係が。
「……僕の理想は僕の手では果たせない。けれど、ヤークたちなら……」
赤く、燃えるように赤く浮かんでいる太陽に、手を伸ばす。いつもよりも赤く見えるそれは、夕焼け空によるものだろうか。
シュベルトが叶えたかった理想。だが、ヤークワードたちを見ていればわかる……たとえ王族じゃなくたって、それを叶えることは可能なのだと。
国王になるよりも、時間はかかるかもしれない。だが、まだなにも諦めることはない。これから大変だろう、これまで以上に。これから自分に向けられる目はこれまでの比ではないだろう。
ひとりだったら、とっくに折れていた。だが、シュベルトにはまだ仲間が……友達が、いる。
「よし……いつまでも、落ち込んではいられないか」
ひとりになったおかげで、だいぶ考えを纏めることが出来た。自分の願いは、立場でなくあり方で叶えることが出来る。
それがわかったから、まだ前を向ける。ヤークワードたちとだったら、この先も歩いていける。
「そろそろ、戻るか……」
「あ、あのっ」
あまり長く離れていても、みんなを心配させてしまうかもしれない。そう思い立ち上がったシュベルトの背中から、声がかけられた。
振り向くと、そこにはひとりの女子生徒がいた。見覚えは、ない……同学年以上の生徒なら、顔は覚えている。ならば、後輩だろう。
その女子生徒は、胸の前で両手を握り、なにか言いたそうにしている。
先輩だからと緊張しているのか……それとも、シュベルトはもう第一王子ではないが王族であることに変わりはない。それによる緊張か。
こういった、立場の壁を、シュベルトはいずれ、無くしたいのだ。
「キミは……ぼ……私に、何か用かい?」
なるべく、女子生徒を怖がらせないように、笑いかける。その笑顔に安心してか、女子生徒は一歩、踏み出す。
「わ、私……シュベルト様のこと、応援してます! あんなことがあって、大変だとは思いますけど……」
「! あぁ……ありがとう」
それは、シュベルトを応援しているという、シュベルトが一番欲しい言葉であった。
会ったこともない人物から、応援を向けられる……これまで、支えてくれたのは友達だけだった。だからこそ、初対面の人物からの応援が、こんなに響きとは思わなかった。
思わず涙ぐんでしまいそうなのを、ぐっとこらえる。まだ、自分の味方はいるのだと、思い知らされた。
「ありがとう、うん、ありがとう。キミの名前を、聞いても?」
「……ナナ・シーゼロと申します。あの、良ければ握手、してくださいませんか?」
「あぁ、もちろん」
ナナと名乗った少女のことを、シュベルトはこの先も決して忘れないだろう。彼女の存在が、他にも自分を見てくれている人がいるかもしれないと、希望をくれた。
ナナはシュベルトが動くよりも先に距離を詰め、シュベルトの前に立つ。シュベルトの肩ほどしかないため、見上げてくる形だ。
2人は、互いの右手でしっかりと、固い握手を交わした。
「ふふ、嬉しいです、シュベルト様」
「そんな堅苦しくなくてもいいのに」
ぎゅっと握られた手からは、確かに人の温かさを感じる。思えば、こうして誰かと手を繋ぐのはいつぶりだろう。
見知らぬ人物からの好意を向けられ、シュベルトは嬉しかった。嬉しかった。嬉しかった……だからこそ、気づかなかった。
……少女が、なぜこんな時間に、ひとりでこんな所にいたのか。学園内とはいえ立場的に不安定なシュベルトがひとりのタイミングで現れたのは、果たして単なる偶然だったのか。
手を離し、ナナはゆっくりと、離れる。
「……それでは、失礼しますね。シュベルト様」
「あぁ。今度会ったら私の友達を紹介するよ」
「まあ、嬉しい。…………さようなら、シュベルト・フラ・ゲルド様」
年相応な、かわいらしい笑顔を浮かべ、ナナは去った。その背中を見送って、シュベルトは温かな気持ちを抱いたまま、握手を交わした右手を見つめた。
自分よりも一回り小さな手、その存在があったことを確かめるように……見つめた右手、その手首には、針が刺さっていた。
「……え?」
その存在を確認した瞬間、シュベルトの体から力が抜ける。膝から崩れ落ちる、それをなんとか耐えようとするがうまく力が入らない。
まるで倒れ込むように、ベンチに再び座ってしまう。
「ぅ……これ、は……?」
体が痺れる、言うことを聞かない。それに、意識が遠のいていくのを感じる。
右手首、その動脈に刺された針……それには、おそらく毒が塗ってある。それも、体の自由を奪うだけのものではない。
このまま放っておいたら、きっと……
「は…………おおきな、声も……で、ないか……」
すでに、毒は全身に回りつつあるのだろう。もう、大きな声も出ない。恐ろしく効き目の早い毒だ。
いつ、針を刺されたのか……そんなもの、心当たりはひとつしかない。先ほど、ナナ・シーゼロと名乗る少女と握手した時だ。
針を刺されたことに気付かないほどシュベルトが油断していたのか、それとも少女の刺し方がうまかったのか……いや、たとえ気づけてもどうしようもないだろう。
ナナ……多分、偽名だろう。ナナ・シーゼロ……ナナシーゼロ、ナナシ・ゼロ。名無しで無、死にゆく者にも名など教えないということか。
「ぁ……アン、ジェ…………リ、エナ……」
もう、息をするのもつらい。ひとりで、行動したことの結果がこれか……残してきたみんなに、あきれられてしまう。
死にたくない……だってまだ、彼女たちになにも返せてない。なのに、こんな、ところで……
せめて……最期に、顔を見たかった。まだ彼女たちが残っているであろう屋上のある場所へと、手を伸ばす……木々に遮られて、なにも、見えない。
「あぁ…………ごめん、な……でも、ありがとう」
なにも返せず、なにも残せない無念……それを、抱きながら……瞳から流れる、一筋の涙さえも拭う力はなくて。ただ、もらったものの大きさは、計り知れなくて……
無念のはずなのに、彼女たちの、そして友の顔を思い浮かべたら、自然と頬が緩んだ。身勝手に振り回して、身勝手に離れる自分に、それでもついてきてくれた、愛しい人たちを想って。
伸ばした手は、力を失って…………ゆっくりと、落ちて……
……
…………
………………
「お、こんなところにいた。みんな、いたぞ!」
もう辺りも暗くなってきた。なのに、まだシュベルトは戻ってこない。なので、俺たちはシュベルトを探しに下りた。
どうやら木々の生い茂る場所に行ったところまでは見えていたが、それ以降はここからでは見えなかった。
出てきたのは女子生徒ひとりだけ、なのでまだここにいるのだろうと思って、手分けして探しに来たが……正解だったようだ。
「シュベルト様! ……はぁ、まったくもう。少しは今の自分の立場の自覚をですね」
「まあまあ。彼、疲れて寝ちゃってるみたいだから」
「ホントだ、人の気も知らないで」
「いいじゃないですか、きっと本人が一番、疲れていたんですから」
シュベルトはベンチに座っていた。目を閉じ、眠っているようだった。
ここを吹き抜ける風は、気持ちいいものだ。気温もいいし、なによりシュベルトは疲れていたのだろう。
本人の問題に加えて、セイメイとの戦いにも巻き込んでしまった。友達だから困ってたら助ける……そう言ってはくれたが、それにしてもシュベルトには助けられた。
助けてくれた恩には、報いる。だから、これからは俺が、俺たちが助ける番だ。
本人にしかわからない重いものもあっただろう。だから、今はゆっくり休んでくれ。
「お疲れさん、ありがとな」
シュベルトの顔を覗き込むと……なんとも幸せそうな、穏やかな顔で、眠っていた。




