『魔導書』の行方
「……!」
魔石を、渡した……その答えを聞いた瞬間、その場の空気が変わった。……いや、正確には俺とノアリの出す空気が、か。
1年前の『魔導書』事件……首謀者はビライス・ノラムだ。だが、奴に魔石を渡した人物の正体が、まだわかっていなかった。
「……なんじゃ、物騒な空気を出しおってからに」
場の空気が変わったことに、セイメイも気づいたらしい。目を細め、俺たちを見ていた。
ミライヤだけは、まだ呆然としている。展開の動きに、ついていけていないのだろう。
「どうした、そんな怖い顔をしてからに」
「……」
『魔導書』事件……あの一件で、ミライヤは心に深い傷を負った。男が苦手になり、なにより両親を失った。
本人は平気だと言うし、実際にこの1年で以前よりもミライヤの精神は安定しているように見える。……だが、ミライヤと同室のリィが言うには、今もまだ、寝ている最中にうなされているとのこと。
その事件を引き起こしたのが、ビライス・ノラム。俺は奴を許さない……が、奴に魔石を渡した黒幕のことも、許せない。
「……ははー、読めたぞ。確か、その事件で犠牲になったのは、そこの娘の一家じゃったか」
「!」
「なるほどの……つまりは、儂があの男に魔石を渡したことで、あの事件が起きたと? それは考え過ぎじゃろう。儂はただ、あの男に魔石を渡しただけ……その後の事件は、あやつが勝手に起こしただけじゃぞ?」
……確かに、セイメイの言うことは一理あるだろう。魔石を渡した、という行為だけなら、それを責めるのは酷というもの。魔石を渡されたビライス・ノラムが、魔石をなにに使うか、分からないはずだから。
わかってはいる……が、それでも……
「お前が、そんな物騒なものを渡さなければ……」
「やれやれ、結果論を責めてもどうにもなるまい。儂は魔石を確かに渡したが、別にそれを使って悪さをしろとも、その娘の家を襲えとも言っていないぞ。ただまあ……一言だけ、教えてはやったがの」
「……一言?」
思い出そうとしているかのように、セイメイはあごを撫でている。まるでもったいぶるような、仕草で。
「そうとも。奴は力を欲しておった。じゃから魔石を与え、こう告げてやったのよ……『魔導書』の存在及び在処を」
「……!」
それを聞いた瞬間、俺はその場から飛びかかっていた。狙うは正面にいるセイメイ、その喉笛に刃を突き立てるため、腰に手をかけて……
「ヤーク様!?」
……セイメイを目前にし、剣を抜こうとした体勢のまま……動けなく、なった。
なんだ、これは。手が……いや、手だけじゃない。足も、首も、全身のどこも動かせない。動くのは……目と……
「そうかっかするでない。やはり最近の若者は、落ち着きがなくていかん」
「っ……お前が、『魔導書』の場所を……」
口も、動く。なので、睨みつけることと声を出すことだけは出来るが……それだけだ。他の箇所は、動かせない。
どれだけ力を込めても。
「く、そ……!」
「力任せに動こうとしても無駄じゃよ。これは……主らにわかりやすく言えば、金縛り系統の魔術じゃ」
金縛り……寝ている最中に動けなくなるってよく聞く、あれか。つまりは、動きを封じる術……!
セイメイは、動いた様子はなかった。それに、俺はいきなり懐に潜り込んだ……不意をついた、はずだ。だってのに、ノーモーションで……!
「や、ヤークを離しなさいよ!」
「いきなり斬りかかられたのは儂じゃぞ? これは自衛じゃよ。なあに、人払いは済んでおるから、変なポーズで立ち止まっとると誰に見られる必要もないぞ」
振り向けないからわからないが、ノアリの声は切羽詰まっている。もしかしたら、もう剣を抜いているのかもしれない。
だが、いきなり斬りかからないのは……俺のように、ならないためか。
「……ど、どうして、『魔導書』が、私の家にあると……!?」
声を振り絞るように、ミライヤが聞く。セイメイは、『魔導書』の存在と在処を伝えたと言った……そう、在処もだ。
どうやって、それがミライヤの家にあると知ったのか……
「どうして、か。そりゃ、あの『魔導書』を書いたのは儂じゃからの。どこにあるかくらい、わかるようにしとるわい」
「……は?」
あっけらかんと答えるセイメイ……『魔導書』を、書いただと? それは……嘘を言っている顔では、ないよな。
制作者だから、それの場所がわかる……その理屈はよくわからんが、あれを書いたのがセイメイならば……
「なんで、ミライヤの家に……」
「そこまでは知らん。月日の移り変わりと共に、『魔導書』そのものが移動したり、そこに新たな建造物が建てられたり……おぉ、そうじゃ!」
途端、なにか思いついた……いや、思い出したかのように、セイメイは手を叩く。
「『魔導書』は今、どこにある。その存在を知っておると言うことは、今どこにあるのかも知っておるのじゃろ?」
「……は?」
なにを聞かれるかと思えば、『魔導書』の現在地、だと?
しかし、それを人に聞くのか? たった今、『魔導書』の場所はわかると言ったはずだ。
「自分で、探せるだろ」
「それが、1年前……そう、ちょうど事件が起こった時期か。それからぱったりと『魔導書』の存在を感じなくなっての。おそらく、高度な魔力を持つエルフに見つかり、結界にでも隠されたと思っておるのじゃが。なんせあれほどの高価なもの、価値あるとわかる者が見れば、どこかに保管するに違いないと……」
腕を組み、唸るセイメイ。その在処は、エルフが結界に隠してしまったため、感じられなくなってしまったのだと。
そうか、こいつ……知らないのか、『魔導書』がもうないってことを。俺が、『魔導書』を斬って捨てたことを。
そうか、そうか……だったら……
「ないよ」
「……なに?」
『魔導書』が、自分の書いたものがなくなったと知れば、多少なりとも悔しがるかもしれない……この高慢な男の悔し顔が少しでも見られるのなら。
そんな、ささやかな仕返しのつもりだった。
「『魔導書』は、もうない。俺が、斬って捨てたからな」
「……斬って……捨てた……?」
……それは間違いであったと、すぐに思い知らされることになる。
「斬って捨てた…………じゃと……!?」
「!!」
ゾワッ……と、全身を覆うほどの悪寒が、一気に襲い来る。これは……なんだ、この、圧力……プレッシャーは……!?
手が、震える……今、俺が動けないのは、金縛りのせいなのか? それとも……生物としての、恐怖から、なのか?