転校生
凍てついた氷の角に湯を注ぐように、緊張感が緩和される季節。
俺は高校二年生になった。
桜の舞い散る、校舎に暖かな風が吹く。開いた窓の隙間を潜り抜ける様にそれは教室に忍び込み、ピンク色の羽をゆらゆらと視界の端をちらつかせる。
下駄箱に靴を入れ、シューズに履き替えると、俺は真っ直ぐに新たな持ち場へと足を運ぶ。この学校にはクラス替えは無く、クラスメイトは一年の時と変わらない。その方が俺的には気は楽なのだが・・・。
ガラッと開けた教室のドアを覗くと中には数名ほどの生徒が既に登校しており、和気あいあいと会話を楽しんだり、机の整理などをしていた。
そして、俺はと言うと自らの定位置へと、一瞬の迷いも無く進んでいた。見慣れた風景に馴染んだ机や椅子は無かったものの、それでも俺には昔からの【盟友】がいた。
「おはよう バード」
窓辺の席の後ろから二番目。それが俺の席で前の席で本を読んでいる一人の男子生徒がそれだ。
「____おはよう。だが、その呼び名は今じゃないはずだ?」
そっけなく返される挨拶は今も昔も変わらない。けれど、その変わらなさがこの【鶫谷 雲雀】のいい所でもある。類まれなるクールさと、切れ長の目、誰も近づけないはしない、その格好の良い雰囲気は校内の女子生徒の中でも噂になる程のモノだった。
「二年になっても、まさか同じクラスだとはな」
「何を当たり前の事を言っている?それにさっきの話はまだ終わっていないはずだけど」
「そうだな。それじゃあ、改めて 鶫谷。一つ聞きたいことがあるんだけどいいか?」
俺は真っ先に、この学校の【裏情報網】と呼ばれる程の、一人の情報屋にあの少女の事を聞くことにした。
「キャンバスが俺に尋ね事とはな、珍しいこともある____。それで、どんな提供をすればいいのかな?」
「・・・・・・鶫谷。お前も俺の事をそうやって呼んでるじゃないか?」
「そうだったかな。まぁいい、本題に入るよ」
「あぁ」
それから、俺は数日前の事を事細く話し、少女の特徴を出来るだけ詳細に伝えた。普段なら、序盤の情報だけで鶫谷は確信に迫っているのだが、今回はそうではなかった。どれだけ、自分が知っている知識を持ち得て、伝えても返ってくる言葉は曖昧なモノばかりだった。挙句の果てには、俺が幻覚を見ていて、それを本当の事だと思い込んでいるのではないかと言われるまでになっていた。
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新学期が始まって二週間が経とうとしていた。
俺は未だに少女の事を調べていた。鶫谷は最終的にそれを霊的な何かだと、決定づけたが俺にはそうは思えなかった。だって、俺の瞳に映った彼女は、ちゃんと血の通った少女と何ら変わったところは無かったからだ。だからこそ、俺はあの日の____会話の続きがしたい。その一心で無我夢中で校舎を駆けまわっていた。
始業のチャイムが鳴り、俺は強制的に教室に戻される。
「それじゃあ、HRを始めます」
教室の前ドアから入ってきた、先生の声を皮切りに生徒たちは席に着き、前を向いた。
「____っと、その前に皆さんに転校生の紹介をします。さ、入って」
不意に切り出される話題に俺は一瞬だけ息を呑んだ。普通、転校生がこのクラスに来るのだとすれば、情報屋の鶫谷が知らないわけもなし、もっと言えば、他の男子生徒が何かしらの噂話をしていてもおかしくはないはずだ。
だからこそ、今もこうして教室中が、どよめいていると言えるのではないだろうか?
「はいっ!静かに____それじゃあ、改めて」
ドアの方へと顔を向けると、一人の女子生徒が教室に入り教卓の前へと歩みを進め前を見た。おしとやかな立ち振る舞いと、清楚な雰囲気、そして澄んだ瞳がその場の動揺を一斉に静まり返らせる。本来なら、ここで転校生の方が緊張しているはずなのだが、あろうことか俺達の様な既存の生徒側が緊張させられていた。
「まずは自己紹介をしてくれるかな?__さん」
先生の問いかけにその女子生徒は頷き、口を開いた________。
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朝のHRを終えると、俺は席を立つことはせず、何も考えずにただ校庭の風景を見ていた。左向きに固定された首は一ミリも動くことはせず、授業が始まるのを待っていた。もちろん、拘束されているわけではなく、これは精神的拘束の様なものだ。
何故なら____
________このクラスに来た転校生はあの夜桜の舞い散る、星の輝きの中で出会った少女だったからだ。
そして、俺の隣の席に座っており、あの日の事を忘れているのかそれとも、気づかないふりをしているのかは知らないが、机を取り囲む様に集まったクラスの女子と仲良さげに話している。
だじゃらこそ、逆にその素振りが怖く思えてしまう。
(・・・うん?何だ・・・急に話し声が聞こえなくなったぞ・・・・・・?)
俺は不自然なまでに静まり返った、隣の話し声が気になりゆっくりと首を右に向ける。すると____
________ねぇ、ちょっといいかな?
「えっ____!?」
その少女が俺を見つめそう言った。集まっていた女子生徒は一通りの話が終わったのか各自、自分の席へと戻っていた。
________どうしたの?もしかして、今はダメかな。
「そうじゃないけど。俺に何か用事?」
________うん。
優しく返事を返してくれる少女に俺は軽く胸の高鳴りを覚えていた。普段は鶫谷やその他周辺の人物と必要最低限の会話してこなかった俺にはこの状況があまりにも新鮮過ぎて、何か裏があるのではないかと疑いをかけてしまう。
「わ、わかった。それで、どんな用かな?」
________それはその・・・ここじゃダメなの・・・・・・だから____。
言葉を言い切る前に少女は、ほんの少し赤らめた頬を隠す様に俺の右手を引いた。それは《想定外》・《予想外》と全くの反則的行動に俺は成すすべなく、その身を奪われる。サラッと席から立たされ、教室の後ろのドアから出て、どこかに向かわされる俺をクラスの男子が敵意を持った目で見ていた。
その際に、俺は右手首を握る少女の力の籠った、その手に気づけてはいなかった。
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「えっと・・・それで、俺に____」
カチャッ____!
引きずられる様に導かれた、用具室で俺は少女と二人っきりになっていた。普段はあまり使われていないここは、カーテンが閉められており、朝だというのに薄暗く、廊下を歩く人の気配も感じられなかった。幸いにも、掃除は行き届いており、それだけでもここには人が来るという安心感があった。
(・・・・・・・と思えるだけ、俺はまだ落ち着いている・・・はず)
「・・・鍵」
「どうしたの?」
「いや、その・・・・・・今、鍵かけたのかなって・・・?」
「うん。だって、そうしないと____」
これ以上は聞きたくない。その一心で俺は話を進めることを優先した。
「そ、そんなことより、俺に何か用があるんだったね。何かな?」
恐る恐る、一語一句を口にする。
「えぇ、そうね」
声色が冷たくなり、顔から笑みが消える。それは、あの日の様に矢を手に取った弓士の時の様に____。
「単刀直入に言うわ、あの日の事を他の誰かに話したりはしないで。それだけよ」
「それだけ?」
簡単な約束に俺は安堵するとともに、少女が俺の事を覚えていてくれたことに嬉しさが押し寄せる。だが____
「もし、あの日の事を少しでも誰かに話したりしたら・・・・・・分かってるよね?」
笑顔で底知れない闇を感じさせ少女は念を押しで、もう一度、問いかけてきた。
「あ、あぁ。わかったよ。誰にも言わないし、君に迷惑がかかる様な話はしない」
俺は少女に誓う様に約束を口にし、真っ直ぐ少女を見た。整った容姿に繊細な糸の様に細い髪がカーテンの隙間から射しこむ光を受け、黒光りを放つ。着慣れない制服は少女の体を包み込み、俺の目の前に一人の女子生徒を体現させていた。
「____よろしい」
確認を取った後、少女は力の秘めた声でそう言った。そうして、数秒間、俺達は特に話すことも黙り込んでしまい、もどかしい空気が流れ始めた。本来なら、ここで何か話題を見つけ相手を退屈させないのが妥当なのだが、お互いの事をよく知らず、何から話せばよいか分からなかった。
カチャッ____!
その時、鍵のかかった用具室のドアが外側から開けられた。
「あれ?おかしいな・・・今は誰も使っていないはずなのに何で鍵がかかってるんだろ・・・・・・それに撃つ側鍵をかけたんなら中に人がいるはずなんだけど・・・・・・・。」
「窓から出たのか見知れませんよ?」
「それはないと思う。だって、ここ三階だよ?もし、窓から出たんなら骨折じゃすまないだろ?」
「それじゃあ・・・まさか・・・・・・幽霊っ!?」
「おっおい・・・!怖いこと言うなよ_____」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!」
「おいてかないでくださいよぉぉぉぉぉぉーーーーーー!!」
息を潜め、物陰に隠れていた俺達はその一部始終を見ていた。
「どうやら、行ったみたいだよ」
「そうみたいね」
「・・・うん?どうかした?」
「・・・・・・うぅ、何で・・・どうして・・・こうなるのよーーーーーー!」
そう、俺達は咄嗟の出来事に後先を考えずに行動してしまっていた。その為、今現時点で俺達の置かれている状況はとても、良いモノとは言えなかった。人が一人、入れるか分からない、備品を入れるための棚と棚の隙間に二人で無理矢理、隠れていた。展開はラブコメ主人公のそれに該当するのだが、それはあくまで漫画や小説の中の話であって、現実に起こる事はまずない。だからこそ、この状況を打破する策はすぐには思いつかなかった。
密着した体が触れ、少女は今までに見たことの無いほど赤面していた。対して、俺はこの有様を誰かに見られたらという、焦りの方が大きかった。
冷静になって考えれば、これはラッキーな展開に変わりないのだが、それを表情に出してしまえば俺は確実に少女に矢で刺されるという、最悪な確信があった。
「まずは俺から出るけどいいかな?多分、その方が出やすいと思うし・・・」
「わ、分かったわよ。なら、ささっと出なさいよ・・・・・・!」
「少し、当たるかもしれないけど・・・」
「少しどころか、もう十分当たってるわよ・・・・・バカ!」
「それじゃあ____」
足に力を込め、勢いよく体を前方へと倒した。
「ちょっ____!あっにゃっ____!」
その際、俺の体に柔らかな感触が伝わると同時に少女の甲高い声が室内に響いた________。
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「一時はどうなる事かと思った・・・」
「まったくよ・・・」
無事に窮地を奪還した俺達は改めて、お互いを見た。
「言わなくても分かると思うけど、今日の事も____」
「分かった」
「なら、私は教室に戻るわ」
「俺は少し時間を空けて、戻るよ。一緒に戻ったら、クラスの男子に何て言われるか分からないからな・・・・・・」
「そう。意外と考えてるのね」
「それなりには」
制服とスカートの埃をはたき、少女はドアへと歩いていく。俺はその後姿を何かを考えるわけもなく、見ていた。すると、少女はドアに伸ばした手を戻した。そして、こちらに振り返り口を開いた。
「これからよろしくね。【名取 絵人】君」
真意の笑顔かそれとも偽りの笑顔なのかは分からない。それでも振り返った彼女のその在り方はどこかが寂しくて、どこかが壊れている様に見えた。俺に何かが出来るわけでも、何かを分かち合えるわけでもない。それが、今は今だけはどうしても許せなくて____。
だから、この先は____
「こちらこそよろしく。【切峰 雪紗】さん。それと、ありがとう」
互いの名を呼び合い、確認する。
何も偽らない、純粋な時間を今、この瞬間だけは____と、心に言い聞かせる様に________。
【これが俺と彼女が行動を共にした、たった数ヶ月間という時間を記録したノートの最初の一ページだった】。