会話
ザクッ____!
咄嗟に閉ざした瞳の裏側の世界で最初に感じたのは、《痛み》ではなく《音》だった。
それだけでも、心の落ち着きは取り戻せるはずなのだが、何せ今の状況は圧倒的に不確かで、いついかなる時であっても、警戒を怠ってはいけないという《自己防衛精神》が現在進行形で働き続け、より一層に瞼を固く閉ざさせていた。
________もう目を開けてもいいと思うんだけど?
しばらくして聞こえてきたのは先程の少女の声だった。
声色からして敵意や殺気は一切感じられず、むしろ友好的な程にその声は優しかった。安心感のある少女の感じと痛みを感じさせない自分の神経を信じ、俺はゆっくりと瞳を開ける。ぼやけた焦点が次第に本来の機能を果たし、いつしか視界ははっきりと映し出されていた。
目の前には弓を持った少女が不思議そうに俺の顔を覗き込む様に見つめ、時折、瞬きを繰り返していた。眉に、かかるか かからないか程の前髪と腰まで伸びた繊細な髪が特徴的な少女。
________大丈夫。私はあなたに矢を向けたりはしないから。
つい、数分前の出来事をここで無かったことにしようとする少女の発言に俺は思わず「えっ____?」っと思わず心の中で返していた。確実に俺は弓を向けられ、その矢を放たれたわけで・・・。今更、言い訳を言われところで到底、それを信じる気にもなれなかった。
だが、そんなことよりも、「あなたに」という意味深な発言が真っ先に頭をよぎったからだ。
「あなたにって・・・・・・。どういう事かな?」
やっと、俺は声を発することが出来た。張りつめていた空気が緩和され、少女から敵意を感じなかった事が大きな要因だろう。
________言葉通りよ。
一言で返される質問に対する答えに俺は再び疑問を抱いてしまう。それがどうやら顔に出ていたらしい。少女は首を傾げ、目を閉じると浅く呼吸をし、言葉を続ける。
________あなたの傍に《何か》、良くないモノがついて来ていたから、私がこの弓で追い払ったのよ?
左手に握った弓を差し出す様に見せ、少女は簡単に先程の出来事の説明をする。その際に「助けてあげたのに何で、そんなに警戒しているの?」と聞こえてきそうな程、不機嫌な顔をしていた。
「良くないモノ・・・。って事はこの矢はその為に____?」
改めて確認を取る。俺の右耳をほんの数センチ横に擦れる形で矢は後方の地面に斜め45度を指し示し、突き刺さっていた。
_______えぇ、そうよ。
「よくわからないけど、ありがとう。君に敵意がない事が分かっただけでも、一安心だよ」
完全に把握したわけではない、少女の行動と不確かな善意に俺はとりあえず、礼をした。
_______ん? それはどういう意味かな? 仮にも私は自分の気がそれるから、そうしただけであなたを助けようとして矢を放ったわけではないのよ? もし、私があなたに対して矢を放つような事がるとすれば、それは私に《何か》をしようとした時ぐらいよ。
サラッと血の気が引く文章を口にする弓士の少女に俺は少しばかりの戦慄と恐怖を覚えた。ここに来るまでに、掻いた汗が背中を一筋流れ、その冷たさがさらに恐怖心を煽る。
「えっと、それじゃあ俺は帰るよ。ここに居たら、君の迷惑になるみたいだし・・・・・・」
他人を気づかっている様に見えて、本当の所はそうではなかった。単純に命の危機を感じてしまったからだ。半ば後ずさりの様な形で近くに置いてあった、自分の鞄に手を伸ばすと、ゆっくりと立ち上がり、身だしなみを気にする余裕もなく、元来た道へと歩みを始める。
________もう会うことは無いかもしれないけど、これからは気を付けた方が良いわいよ。
階段の方へと向かう、俺へ少女はただ一言そう言った。
もう会うことはない____。そんな、寂し気なフレーズを言い残した弓士は何故、あんなところでその矢を放っていたのだろうか?今となっては理由を聞く事さえも、できなかった。もしも、その理由を聞く機会があるのだとすれば____
________次の【新学期】からだろう。
彼女自身は気づいていなかったのかもしれないが、目に映った少女の姿は俺の通う高校の制服を着た女子高生だった。それも、新品同様に綺麗で埃一つ付いていなのではないかと思うぐらいだ。
だから、数日後から始まる、新たな学園生活と共に俺はその少女にもう一度会って、話を聞いてみようと思った。
________【だが、四月の新学期を迎えた、新たな風の吹く校舎をいくら探し回っても、あの桜の舞い散る夜に出会った、少女に会うことは無かった】