好きだよ
転校生の切峰雪紗との高校生活が始まって3日が経った。
朝礼前の雑談タイムはさることながら、春の風が甘く感じられる。開けっ放しの窓からは桜の花びらが一枚、ヒラヒラと風に飛ばされ教室に舞い散る。目で追った視線の先に不意に現れた黒髪の少女。
条件反射で逸らした瞳は机の角一転を見続けていた。もう一度、その瞳に彼女の姿を映そうとゆっくりと上げた顔が強張る。そうしている間にも刻一刻と足音が近づいて来る。
先に声をかけようと呼吸を始めた時、俺よりも先に少女の方が声を発していた。
「おはよう 名取くん」
たったその一言だけで心が穏やかにうつろいだ。
「おはよう 切峰さ・・・・・雪紗」
気恥ずかしくあどけない彼女の言葉に返す様に返事をする。途中、名を口にした俺の言葉に眉をひそめる仕草が見られ、俺はすかさず下の名で呼び直した。
「えっと・・・・・・その・・・」
「うん?」
何か言いたげな雪紗の頬は若干の赤みを帯びていたものの、熱があるようには見えず、俺はただただ首を傾げ彼女の次の発言に注意を払った。
「・・・今日って、時間あるかな?」
小さく呟く様に口を動かした雪紗。
「大丈夫だけど。・・・何か用事?」
その問いに慎重に言葉を返した。
「なら、放課後、行きたい所があるんだけどいいかな?」
「いいけど。行きたい所って?」
「駅前の本屋さん」
「うん、いいよ。ちょうど、俺も行こうと思ってたし」
「え、でも昨日、帰りに行ったんじゃないの?」
「あぁ、行こうと思ったんだけど・・・行く気になれなくて」
なれなかったのではなく、なれなくさせられたと言った方が適切だろう。
あの日、雪紗と図書室で分かれた帰り道、俺は下級生の《泡沫 円澂》と名乗る少女が放った得体のしれない言葉、そして、今でも脳裏に焼き付いている、愛に満ちた怒りの様な目。それを見せつけられれば誰でも正気ではいられなくなるだろう。
そう思わされてしまう程に泡沫の出現は奇妙だった。
「そうなんだ。だったら、誘って良かった。それに今日は一緒に行けるしね」
笑顔で語り掛けてくれる彼女が俺の中のもどかしさを消してくれたような気がした。
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昼休みのチャイムが鳴り響く。
クラスの人間は皆口々にこれからの数十分間の予定を話し出す。
「屋上行こうかな」
席を立った時、教室の前のドアから出て行く雪紗の姿があった。俺はそんな彼女の背が気になり後を追う様に教室を出た。
しかし、昼の校舎は騒がしく人の数も多い。見渡せば届きそうな距離でさえも、この人の群れを避けて歩かなければならないと考えると、少々、気疲れする。そんな中で一際、人だかりの出来た場所があった。
(なんだ?)
廊下を遮るように集まった生徒たちは、しきりに顔を見合わせ目の前に広がる光景を口にしていた。
「名取、こんな所で何してるんだ?」
「うわっ・・・て、雲雀か」
「驚くことはないと思うけど。 それより、お前もあれを見たのか?」
「あれ・・・?」
雲雀は人だかりを指差し、「あれだ」と言い放つ。
目まぐるしく変わる眼前の光景と時折、生徒間に隙間出来る。そすして、俺はようやく、それを視界に捉えた。
「・・・硝子? 一体何で?」
廊下に散らばる、透明な硝子片。そして、斜め上に視線を向けると無残に割られた窓が無作為に外からの風を吹き入れていた。
「理由は分からないが、朝かららしいぞ」
「ってことは、窓が割られたのは昨日の放課後から今日の朝までって事か・・・・・・」
「何故そう言える?」
「多分だけど、昨日、俺達が一番最後まで学校に残ってたから」
「俺達?」
「図書室で雪____切峰さんと一緒だったんだよ」
「お前が図書室で・・・か。 意外だな」
鼻で笑われた。というか、それ以前に俺の話自体が信じられていない。
「信じてないのか?」
「さあな。 まぁいい、それより俺は昼はパスだ。 やらなきゃいけない用事が出来たんでね」
「そうか。 なら____」
(雪紗でも誘ってみようかな)
「なぁ、雲雀。 切峰さんが何処にいるか知らないか?」
「確か職員室に呼ばれていた様な。 何かあるのか?」
「いや、別に。 後、ありがとう」
雲雀から雪紗の居場所を聞いた後、俺は硝子の散らばった廊下を背に職員室へと歩みを始めた。そんな時だった。雲雀が俺に珍しく交友関係の質問を投げかけてきたのだ。
「名取は切峰さんのこと、どう思ってるんだ?」
あまりに唐突なその問いに俺は一瞬、呼吸が止まった。
「ひ、雲雀!?」
「どうした? 俺は別におかしなことは聞いてないはずだが」
「そ、そうだけど。 ・・・・・・切峰さんの事はただのクラスメイトだよ」
目線を外し、零す様に一言そう言った。
本当の気持ちは自分自身でも分からない。でも、もしも、彼女といることでその答えが出せるのだとしたら____。
「そうか、ならいいんだ・・・・・・あっ____」
雲雀は俺の返答を聞くや否や暗く表情を落とし、すぐさま目を見開いた。その挙動の変わりように意味が分からない俺は「どうした?」と聞こうとした。
しかし、その瞬間、俺は背後に人の温かみを感じ咄嗟に後方へと体制を立て直す。
「じゃあな、名取。 俺はそろそろ行くよ。 後は、2人で・・・な?」
俺の戸惑っている様子を楽しむ様に一瞥した雲雀はそのまま階段へと足をかけ、消えた。後の事は任せたと言わんばかりに、無邪気に手渡された後のイベントに焦りと、その要因である雲雀に苛立ちを覚えながら、俺は背中に感じた温度に気を向けた。
「名取先輩 こんにちは! 昨日の今日だから流石に忘れてませんよね?」
「泡沫・・・お前・・・・・・」
「わぁ、私の名前、憶えていてくれたんですね! 嬉しいです」
「覚えてるも何も・・・・・・」
(あんな事を言われて忘れられる訳がない・・・・)
と、思いつつも周囲の他生徒の視線が気になり過ぎてそれどころではなかったのは言うまでもない。後輩に背中から抱き着かれた上級生という、シチュエーションに顔を赤らめる女子生徒の姿、そして、恨めしそうにこちらを睨み続ける男子生徒と、例を挙げらばいくらでも言えそうな程のヘイトが俺へと降り注がれていた。
「あ、そうだ 《手紙》 読んでくれましたか?」
「手紙・・・まだ読んでない」
「もぉー、酷いです。 女の子が一生懸命、勇気を出して書いた思いをすぐに読まないなんて・・・・」
「ちょっ・・・! 声が大きい! 分かった、読むから・・・読むから今はそっとしといてくれ」
「分かりました。 では、なるべく早めに読んでくださいね」
そして、事なき?を得た廊下の後には少なからず、憎悪の残り香が今も滞在していた。
目まぐるしい、生活に疲れを覚えた俺は軽い目眩を引き連れて、雪紗の元へと歩き出した。
「先輩、早く読んでくださいね。 2回も出したのに1つ目を捨てるなんて酷い方ですね』
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放課後、下駄箱で誰かを待つ雪紗の姿を見た。凛とした佇まいと鮮やかな黒髪が絵になる彼女。スマホを片手に時折、周囲を見渡す彼女は一体何を考えているのだろうと興味が湧く。いつの間にか、ジーっと見ていたことを気疲れ視線が合う。俺は思わず、「あっ!」と声を上げてしまった。
すると、雪紗は不機嫌そうな顔した後、静かに微笑み俺の方へと近付いて来た。
「見てるんなら、声をかけてくれても良いんじゃないかな?」
ムッとした顔をしつつも、可愛げのある顔。
「ごめん、つい____」
「つい? つい何?」
「あ、いや・・・別に____」
「隠し事? 私そう言うのあんまり好きじゃないかな?」
「・・・・・・」
「いいよ。 それじゃあ、行こっか?」
「うん」
校門を出た後、駅前の書店に行く道中、自分の事や相手の事についての他愛無い会話をした。横を向くと楽しげに笑う彼女の顔、そしてその表情につられる様に俺も自然と笑っていた。
楽しいというよりも、一緒にいるだけで気持ちが楽になる様な、そんな感じがしていた。
「ここだよね?」
「うん」
いつもなら、ただ、ダラダラと歩くだけの帰路も今日は新鮮に感じられ、学校での疲れもいつしか消え去っていた。
「・・・名取くん、1つ聞いてもいい?」
「え、何?」
「今はあまり詳しいことは言えないけど。 あの夜の日の事覚えてる?」
《あの夜》、それは雪紗がまだ俺の通う高校に転校して来る前に彼女と出会った時の話だ。月夜の岸辺で弓を射る、青い烏。それが彼女を見た時の第一印象だった。今でも瞳を閉じる度にその光景は鮮明に思い起こされ、俺の中でも美しい過ぎる程に綺麗な記憶として在り続けていた。
「覚えてるよ」
「だったら、何で私に構うの?」
関係性を全否定された気がした。その言葉が胸に深く突き刺さる。
「それってどういう意味?」
「普通だったら、あんな得体の知れない私を見て関わりたくないと思うのが普通でしょ? それなのにどうして・・・・・・?」
「・・・それは」
自分でも意味が分からなかった。どうして、彼女と一緒にいるのか?何故、そこまでして関係性を保とうとしているのか。彼女の時折見せる、寂し気な顔を見たから?それとも、図書室で雪紗の泣き声を聞いたから?
思い当たる節はいくつか思い起こせた。だが、しかし、それではこの感情に結論を出すには不十分に思えた。
何か、一言彼女に伝えるのなら、それはきっと________
「・・・もしかして、名取君も私を狙ってるの? アイツらと同じで____」
「アイツら・・・? 雪紗、俺には君が何を言っているのか分からないよ・・・・・・」
「嘘・・・じゃあ、名取くんは私の事をどう思ってるの?」
____呼吸を整え、冷静さを呼び起こす。
____心臓の脈は速さを緩めることなく機能している。
____自然なままで、安らぎの様に。
________【好きだよ】。
サァ____と口から零れ落ちた思い。
それは、時間をも止める感覚を生み、俺と彼女の間に2人だけの世界を創っていた。




