1-1.海魔レヴィアタン、降臨
ということで、物語の始まりです。
この第一話で作品の雰囲気は大体ご理解いただけるかと思います。
1-1から1-8まで、少々長いですがお付き合いいただけると幸いです。
もし気に入っていただければ、これから先も応援してもらえると嬉しいかも...
「永き猶予の時は過ぎた!我らは今こそ、この地上へと帰還せり!」
それは、あまりに唐突に起こった。
レッビッツと呼ばれる街。
豊かな土壌を開拓し農業により発展してきた、長閑だか賑やかなその街が今、未曾有の混乱に包まれていた。
前触れもなく、突如空から何かが降りてきた。
その何かはゆっくりと町の上空にさながら雲のように静止してしばし佇むと、声高らかにそう宣言した。
「我は海魔レヴィアタン、汝らニンゲンの呼ぶところの《悪魔》である。汝らの棲処は今この時より、地上の海へと没することになる」
―――《悪魔》。
その呼び名に街の人々は震え上がった。
海魔レヴィアタンと名乗るその何かが現れてからほどなくして、レンビッツの自警団が現場に駆けつけた。
凶暴な怪物程度なら撃退できるほどの腕利き、街にとっての守護神のような者達だ。
「悪魔って、あの《悪魔》!?大昔に、この世界を滅ぼそうとして神様達と争ったっていう……」
「馬鹿な、そんなのおとぎ話か、そうでなければ宗教の言い伝えじゃないか!そんなもの実在するはずがない!」
「だとしたらアレをどう説明するんだよ!」
彼らは上空に佇む悪魔の姿を呆然と見上げながら、口々に言い争っていた。
「外見は人のように……俺達と同じように見えなくもないが」
「馬鹿言うな、アレが人に見えるのか!?俺にはとてもじゃないが、まともな生き物だとすら思えない」
彼らの眼には、悪魔レヴィアタンと名乗る者の姿は自分達と同じ人間のようにも見えたし、同時に人とはまるでかけ離れたものにも見えた。
すらりと伸びた肢体を群青色のロングドレスのような布地に包んだその姿は、女性のそれを彷彿とさせなくもない。
だが、その石膏のように真っ白な血の気を感じさせない肌は。微かに発光する金色の瞳はどうだ。
風に揺られるでもなく、一本一本がまるでそれ自体生きているかのようにうねる、肌と同じく真っ白な長い頭髪はどうだ。
それが人の容姿であるなどとはとても思えない。
あれは一体何なのか。
誰もが息を呑みどうすればいいのか考えあぐねる中、一人の勇気ある、あるいはただ無謀なだけの男が啖呵を切った。
「おいお前、何が悪魔だ!口から出まかせを言って無意味に人を惑わせるな!
どうせただのいたずらか何かだろう。自分を悪魔だと言うのなら、その証拠でも見せてみることだな。この自警団には魔術を使える者だって大勢いる。
返り討ちにあってもいいっていうなら、どうぞこの街を滅ぼすなりなんなりしてみればいい!」
男の挑発に、悪魔レヴィアタンは目の色ひとつ変えることはない。
ただゆっくりと右手を上げ、街の郊外にある丘に広がる農耕地の方へと手のひらをかざす。
街の人々はいつも遠くの丘に見える豊かな田畑を眺めながら一日を過ごしていた。
次の瞬間だった。
その手のひらから一条の線が真っ直ぐに伸びた。
それは、水だった。凄まじい勢いで水が放たれたのだ。
それは大地を切り裂き、収穫前の作物で埋め尽くされていた豊穣なる田畑を真っ二つに切断した。
裂け目から、打ち付けられた水が上空へと向かって盛大に吹き上がる。それはさながら、海もないはずの地上で発生した津波のようにさえ見えた。
とても、この世に現実として起こった光景には見えなかった。
毎日眺めていた当たり前の光景が今、あっけなく消え去ったのだ。
「へぇっ!?」
「ほ、本当に、悪魔……!?」
屈強な自警団のメンバーが、自分よりも大きなモンスターを前にした時でも決した発したことのない、情けない悲鳴をあげる。
最早疑いようはない。あれは悪魔だ。あれは正真正銘の悪魔だ。
かつてこの世界を滅ぼそうとしたと言い伝えられる……。
「良くもほざいたな?これはなかなか興が乗ってきたぞ」
そう嘲笑いながら、レヴィアタンは宙に浮いていたその身体をゆっくりと下降させ、自警団の眼前へと降り立った。
「このままただ沈めるだけでは酔狂が足りんな。うむ……一人だ、まずは一人。
誰でもいいから我が前に出てみよ。まずはそやつから嬲り殺しにしてやるとしよう」
悪魔がそう提案する。
つまりは一対一の決闘だ。これから始まる水没の宴の余興に、人を一人見せしめにしようというのである。
だが今しがたあんな光景を見せられて、勇ましく名乗りを上げる者など誰もいない。誰もが口を開くこともできず、身動きすら取れないでいた。
「どうした?誰もいないのか。さっき我に口を利いてきた男がいるだろう、汝はどうだ?」
そう呼びかけられた男。先程啖呵を切ってみせた勇気ある男だ。
しかし彼は先程の勇ましさなど嘘のようにびくりと身震いし、恐怖に耐えきれずその場から逃げ出そうとする。
「ひ、ひぇっ」
だがそれに対し、追い打ちをかけるように悪魔は言い放つ。
「我に対し背中を見せようというのならその場で殺す。許すのはこの眼前に姿を晒すことのみ。それが何者にも出来ぬというのならば……、
やはり面白味はないがこの場は今すぐに沈めることにするか」
つまり、どの道死ぬ、結果はそれだけだ。
レンビッツの住人達はようやくそのことに気づいた。
助かるという結末はない。あり得る過程は三つ。
戦って死ぬか、逃げて死ぬか、何もせずに死ぬか。
絶望が全ての人の脳裏によぎる。
だが、そんな中だった。
立ち往生する自警団の人混みの中から一人の男が声を上げ、一歩足を踏み出してきた。
「待て!」
この状況でそんな真似をする理由も意味も、ひとつだけだろう。
悪魔はにたりと笑みを浮かべた。
「ようやく名乗り出たか。さて、ではこれから汝を殺すが、如何に抗ってくれようか?」
その突き刺すような視線を一身に受けながら、男は涼しい顔で片手をスッとあげた。
「いや、別にそういうのはいいから」
「……なんだと」
「あんたには、それをプレイしてもらいたい」
「ぷ、ぷれ……?」
続けて男は挙げた手をそのまま降ろして、ある場所に向かって指さした。
その人差し指が向いているのは、レヴィアタンの足元だ。
釣られて悪魔も指さされた方向に視線を移す。
そこには、
「何、だ。これは?」
地面に垂直に立った黒い板のようなもの。そしてそのすぐ傍に置かれている箱状の物体。いつからここにあったのか?
「それは……ゲームだ!!」