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無欲少年と3つの願い事

作者: 神崎 月桂

 前略、誰とも知らぬ人へ。

 スマホから、何か出てきました――






 いったい何が起こっているのだろうか。

 おそらく俗に言う怪奇現象だったり超常現象だったり。そういった類のものだろう。現に今、目の前のそれは宙に浮いている。

 少し前のこと。七時限目が終わり、放課後を迎えた俺の元にメールが届いた。スマホに届いたそれにはただ1つ、隅付き括弧に囲まれたURL。たったそれだけ、文面に刻まれていた。

 なんだこれ。と思いながら3階にある普通教室にて考え込んでいると既に教室の中には俺一人だけだった。

 差出人欄に乗ってあるメールアドレスについてはまったく見覚えが無い。電話帳の中はおろか、今までに届いたメール。セールスや迷惑メールも含め、全てにおいて該当するメールアドレスは存在していなかった。

 それにしてもURLだけとは。新手の詐欺か迷惑メールだろうか。そんなことを思いながらメールを眺めていた。

 窓の外からは運動部の声が聞こえてくる。廊下からは吹奏楽部の音が聞こる。しかし俺の周りは無音だった。

 何を思ったのか。いや、きっとただの気まぐれだったろう。いつの間にか白い画面に浮かんでいる青字に指を伸ばしていた。

 青字よりもさらに薄い青で網掛けを施された様子が一瞬見えて、即座に画面は暗転した。

 しかし、様子がおかしかった。別のページに飛ぶための暗転なら問題なかったのだが、それはステータスバー。つまり電波強度やら電池残量。現在の時刻諸々込みで消えたのだ。まるで、急に電源を落としたかのように。

 電源ボタンを押してもなんの反応も無い。カチ、カチ、カチ。何回押しても変わらない。長押しをしてみる。何も変化は無い。

 確か電源残量は58%程度はあったはずだ。急にその全てが消失するなど考えづらい。では、なぜ?

 ついにはテレビの砂嵐の如くノイズ音を撒きはじめた。ああ。故障したのだろうか。もしかするとあのURLはウイルスだったのかもしれない。それなら辻褄も合うし、合点もいく。

 ノイズ音を放つスマホの音量ボタンを連打する。音量を下げる方を、だ。しかし、それなのになぜかノイズ音はどんどんと大きくなっていく。俺はテンパったのか、意味もなく電源ボタンを連打した。

 できるだけ態度には出さないように頑張ってみたが、相当に焦っていた。割と真面目に対策が見つからない。

 ふと、冷静になる。あ、これは無理だ。

 自分の手には負えない事態だと悟り、帰りにスマホを買った携帯ショップに寄ろうかと。手持ちの金はいくら程度あったろうかと。そんなことを考えていたその時だった。

 手に持っていたスマホが震えた。震えたといってもバイブレーションのそれとは違う。細かく速く震えるでは無く、大きく。そして遅く。

 と、今度は鳴り続けていたノイズ音が止まる。ノイズに邪魔されて聞こえていなかった楽器の音が聞こえてくる。

 なんの曲を練習しているのだろう。なんていうことを考える暇などなかった。

 スマホの震えが止まった。かと思うと画面が急にぱっと明るくなった。

 直ったのだろうか。と一瞬喜びかけたが、すぐに異変に気づく。

 画面中央が膨らみだし、そして、

 何かが飛び出した。




 ふわふわと浮いているそれは握り拳ほどの大きさでアンゴラウサギのように長く柔らかそうな白色の体毛を纏っていた。

 手に持っていたスマホから出てきたはずなのだが、不思議なことに穴など開いていない。その上、先ほどまでの異常などまるで嘘だったかのように平然と正常に稼働している。

 白いそれは2つ並んでいる黒い瞳。たぶん瞳と思われる小さな黒い点で俺のことをじっと見ている。

「すみません。もしかしてURLをクリックしてくれましたか?」

 甲高い声が聞こえた。まさかと思い見てみると白い毛の中に糸で引いたような小さな口があり、それがもぞもぞと動いていた。

「クリックはしたが…。えっ、お前がしゃべってるの?」

「はい!」

 白いそれは元気に返事をすると上下に動いて主張した。

 にわかに信じがたいが、この白いなにかがしゃべっているらしい。信じがたいが。

「あ、申し遅れました!私は精霊です!あなたの願い事を叶えに来ました!」

 ふむ。セイレイ。せいれい…。

「せい…れい…。蜻蛉(せいれい)…。あ、トンボか。」

 俺の知っているそれとは見かけも違うし、確かしゃべらないはずだけど。

「ちーがーいーまーすー!精霊ですよ!せ、い、れ、い。精神の精に幽霊の霊です!蜻蛉(トンボ)ではありません!まあ、まだ見習いなんですけど…。」

 怒った様子で見習いの精霊(自称)はそう言った。小さすぎて表情は見えないが、その高い声を荒げて言っているのでたぶん怒っている。

「まあいいです。で、私は願い事を叶えに来たんです!3つだけですけれど、遠慮なく言っちゃってください!さあ!」

「願い事…ねえ。」

 急に言われても思いつかないよな、そんなもの。

 精霊は小さな目でこちらを見てくる。この姿はクチバシと脚、それから羽をつけて黄色く染めてしまえばヒヨコにみたいだった…ってそうじゃなくて考えるのは願い事…。

 細かく速く動きながら待っている様子は子供が楽しみなものを目の前にしてウズウズとしているように。もしくは「早く!」とそれを催促しているかのように思えた。

「思うんだけど、なんでお前の方が俺よりも嬉しそうなんだよ。俺が読んだことあるような本とかの話だと普通は叶えてもらう側の方が嬉しがると思うんだが。」

 正直な感想だった。どうやら精霊にとって少しばかり痛いところを突いてしまったようで、動揺したのかオロオロと左右に動いていた。人間なら目をそらせて冷や汗をかいているころだろう。

 精霊は、(ども)らせながら言った。

「い、今まで何回も同じようにしてURL付きのメールを送ったんですけれど…。で、でも1度も押されたことがなかったんですよ。で、今回初めて呼んでもらえて、すっごく嬉しかったんです。だから…。」

 なるほど、つまり、

「そのメールは不審すぎて誰も押されず、やっと俺が押したってわけか。」

 ピタッと精霊の動きが止まる。

「まあ、それはやり方に問題があるだろうな。メールのURLとか警戒して押す人少ないしな。俺が押したのだってただの気まぐれだし。」

 ハッキリとそう言った。その言葉に精霊は落ち込んでいるのか「うう…。」と小さく唸った。

「少しくらいオブラートに包んで言ってくれたっていいじゃないですか…。私女の子ですよ!?」

「えっ、女の子だったんだ。気づかなかったよ。」

「酷い…。」

 酷いと言われてもわからないものは仕方ない。俺から見たら大きな毛玉にしか見えないし、確かに声は女の子っぽいとは思っていたけど見かけ上は白い毛玉だし。やっぱり毛玉だし。

「というか、精霊って日本語をしゃべることができるんだな。今気づいたよ。」

「あたりまえでしょう?日本語だけでなく英語やフランス語、ドイツ語や中国語なんかも。それ以外でも基本的な言語なら話せます。」

 先ほどのことをまだ根に持っているのか不服そうな声色で彼女はそう言う。

「それがあたりまえなのか…。すげえな。」

 ぽつりとそう呟く。彼女はピクリと反応した。

「あっ、あたりまえですよ。私たちは人間の願い事を叶えることによって成長できるんです。ですからどんな人にでも対応できるように仕込まれます。ま、まあ。人間からすればすごいことなのかもしれませんけどねっ!」

 明らかに調子に乗っている。すごいのひとことでこうまでなるとは、こいつ、かなりチョロいんじゃないだろうか。

「さあっ!私になんでも願いがいいのですよ!」

 もはや調子に乗りすぎて少し言い回しに違和感を感じる。

 でもさ、やっぱりなんだけど、

「あー、うん。考えてみたが無いわ、願い事とか。」

 一瞬、カシャリと切り抜いた写真のように精霊の動きから呼吸からなにまでが止まったように見えた。

「えっ、なにも無いんですか?」

「うん。」

 肯定の返事をした直後、久しく長い静寂が訪れる。運動部のかけ声が聞こえてくる。吹奏楽部は合奏を始めたようだった。この曲は…『アルセナール』だろうか。

 そんなことを思っていた意識はぽつりと零された言葉に反応して引き寄せられた。

「あなたって人はいったいどれだけ無欲なんですか…。」

 嘆くように、悲しむように漏れ出たその言葉にニヤリと悪い笑みを浮かべて答える。

「ああ。よく言われる。」

 メールを送る人、間違えた…。という小さな声を俺は聞き逃さなかった。




「うーん、そうだな…。」

 さすがにこのまま放置してしまうのはかわいそうに思えてきて、考えてみることにした。

 顎に手を当てて考えてみる。やはり願い事なんて思いつかないな。そもそも生まれてこの方約17年、そういった願い事なんてものは持ったことが無い。

 あまりに思いつかなくて顎に置いていた手を頭に持ってきて、どこにでもありそうな短髪をむちゃくちゃにかき回す。

「ほ、ほら遠慮なんてしないでください!無理なら無理ってキチンと言うのでドーンと壮大なことを言っちゃってください!」

「というか、無理なこととかあるんだな。」

 そう言うと彼女は少し不服そうな声で答えた。

「そりゃ、ありますよ。私が使える魔法は基本的に“ある程度の物を生み出す魔法”と“ある程度の物理法則を操る魔法”だけなんですから…。」

 それがどれくらいの魔法なのかは俺にはわからないが、人間からしてみればどちらもすごいものだと思う。

「まあ、とりあえず言ってみたらいいのですよ。言うだけなら無料(タダ)なのですから。」

 無料と言われても興味ないものは興味ないんだよな。

 すこし悩んだ後に「じゃあとりあえず、」と言ってみた。精霊から飛んでくる視線が刺すようで痛い。

「世界平和。」

「無理です。」

 即答されてしまった。無理だろうと予想はしていたものの、刹那の時も挟まずに答えを返してきたその速さには驚いてしまう。

「人の心に干渉するような願い事は残念ながら私には無理なのです。1人や2人くらいならもしかすると力技(パワープレイ)てなんとかできるかもしれないですけれど…。」

 シュンとした声でそう答えてくれた彼女を見ていると、なんだか悪いことをしてしまったような気がしてくる。

 というか、力技(パワープレイ)なんだな。やり方。

「じゃあ、俺を無欲でなくすってのも無理なのか。」

「絶対的に不可能ってわけではありませんが、そうなります。残念ながら。」

 まあ、俺にとっては残念でもなんでもないんだがな。

 さて、振り出しに戻ってしまった。




「なあ、願い事を考えてもらうっていう願い事はダメか?」

 ふと思いついたことを呟いてみる。よく考えると名案な気がする。

「え、え?えっと、それはどういう…?」

「だから、願い事を考えて貰うって願い事をすれば、願い事を考えてそれを俺に提示することで1つの願い事、そして提示された願い事を叶えてもらうことで1つの願い事。合計2つの願い事が叶うことになる。」

 精霊は絶句した。唖然としているのだろうか。

 木魚の音がポクポクと流れ出しそうな雰囲気の中、彼女はまだ固まっている。思考回路が溶け落ちてしまったのだろうか。

 というか、吹奏楽部に行けばきっとテンプルブロックくらいはあるだろう。借りてこようかな。そしてここで鳴らしてやろうか。

 ビクッとその小さな身体を最大限に反応させて彼女はその意識を取り戻した。そして、

「やりましょう!やらせてくださいその願い事!」

 精霊はとても乗り気でいた。彼女はその柔らかそうな身体を上下に跳ねさせるように動きながら回転し、そして、回転しながら考えていた。

 あれでもない、これでもない。と、ああだこうだ言いながら考えてくれていた。

 そしてその動きがだんだんと小さくなっていく。

「やっぱりこういうのは自分で考えるべきだと思います。」

「ようするに、思いつかなかったんだな。」

 そう言うと精霊は「あ、ははは…。」と力無く笑っていた。

「仕方ないじゃないですか。他人の願い事なんて。特にあなたのように無欲な人の願い事なんて思いつきませんよ!」

 まあ、そうだろうな。本人すら思いついていないようなものを考えてくれってなかなかに酷なことだと思う。自分で依頼しておいて、まあ言えた立場ではないとは思うのだが。

「やっぱり俺が考えなきゃいけないのか。」

 その俺の呟きに彼女は「はい。」と肯定を返す。

 そういえばさっきからかけ声が聞こえてこないな。と思い、白の毛玉から目を離し、窓の外を目に写す。日はかなり傾き、空は朱に染まっていた。

 かけ声が聞こえないと思えば、グラウンドでは運動部が休憩をしていた。その集団の中にクラスメイトの姿も見つける。

「うーん、あいつにイタズラをしてっていう願い事はダメ?」

 指差しで見つけたクラスメイトを示してみせる。しかしここは3階。精霊に見えているのだろうかと心配になってくる。なんといってもこの小ささ(サイズ)だからな。

「あそこにいるスポーツドリンクを飲んでいる少年ですか?」

「そうそう。別に恨みとかはないんだけどね。」

 多少心は痛かったが仕方ないじゃないか。他に思いつかないのだから。もしかして非人道的だとかそういう理由で捕まらなかっただけかももしれないし。

 しかし、指差しだけで個人を特定できるということは、相当に目がいいのだろう。

「別に…できますし、いいですけれど…。」

 戸惑った様子の彼女の声はだんだんと小さくなっていく。

「え、え?そんなことでいいんですか?願い事。確かにあまりにも壮大なことはできませんけど、願い事は3つしかないんですよ?」

「いいのいいの。どうせ1つだろうが3つだろうが思いつかないものは思いつかないんだから、やっとそれっぽいのが見つかったんだからやろうよ。」

何を原因としているのかはわからないが、呆然としている彼女を無視して内容を考える。

「そうだな…。手に持ってるスポドリのキャップを小石と取り替えるってのはどうだ?キャップは凹んでる方が上に来るようにして。これならそこまで被害もないでしょ。」

 とりあえずなんとなく思いついたものを連ねてみた。そんなこんなでやっとこさ思いついた願い事。まあ、別にやりたいことでもなんでもない。これを願い事として達成すればとりあえず1つ終わるだろう。その思いでとりあえずイタズラを願い事として提案したのだった。

「初めての仕事がこんなにもくだらないことになるだなんて…。」

 彼女はそうぼやいた。そういえば俺が初めて彼女を呼び出したんだっけか。

 そう考えてみると少し申し訳なく感じる。まあ、変えるつもりはないけれど。

「じゃあ、お願いします!」

「わかりましたよ…。」

彼女は愚痴を零すような調子の声でそう言った。

 と、そのとき、ビュウと小さく風が吹いて、精霊はその姿を消した。そういえば物理法則を操れるのか。

 10秒もしないうちに彼女は教室に再び現れた。それを見て窓の外を見てみると、たった1人だけ他の人と違い小石を握っていて、嘆き、慌てふためき、そしてテンパっているクラスメイトは必死に弁解をしようとし、そのクラスメイトの様子を見て笑っている他の部員たちが彼の様子に大笑いをしていた。

「そういえば、なんか大きくなってない?」

 一瞬目を離したからだろうか。彼女の大きさが一回りほど大きくなっているような気がした。

 彼女には、「気のせいでは?」とあしらわれてしまった。

「話は戻りますけど、もう少しマシな願い事ってなかったんですか?たとえば空を飛びたいとか、手から火を出した…。」

「じゃあ、それで。」

 彼女の言葉を遮るようにしてそう言った。素っ頓狂な声をあげて精霊は驚く。

「だから、空を飛ぶ。2つ目の願い事。」




 外からの声は無くなり、合奏の音も止んでいた。

 教室の中にはまだ声があった。

「だって今言ったじゃん。たとえば空を飛びたいとかーって。」

「いや、言いましたけど…。言いましたけどっ!本当にそれでいいんですか?」

 少し戸惑いながら彼女はそう聞いてくる。俺はそれにコクリと頭を縦に振って答えた。

「正直なんでもいいし、たとえばで例示したってことはできるんでしょ?それにマシな願い事として納得もいく。ならやろうよ。」

 精霊は黙っている。これは了承されたってことでいいんだろうか。

「ならさっそく――」

 やろう。と言おうとした瞬間、突然音が鳴り始めた。

 俺と精霊は即座に音の発生源、黒板の上、中央に構えるスピーカーを見た。

 そこから流れ出る電子音は1つの旋律を紡いでいた。

 ドボルザークの『家路』だ。

「もうそんな時間か…。」

 スピーカーの左隣に掛けられている時計に目をやると、時計の針はピンと直線になり、下校時間を示していた。

「あの…、それなら。」

 精霊が少し控えめな声で聞いてくる。

「空を飛んで帰る…、というのはどうでしょうか。」




「言われた通り、靴を履いてきたぞ。次はどうすればいい?」

「魔法をかけるのでやりやすいようにできるだけ高くジャンプをしてください。」

 とりあえず言われた通りにその場でジャンプをする。すると足元から黄色の光が湧いてくる。

 その光に包まれたかと思うと体はジャンプによって飛び上がったまま落ちなくなった。

「へえ。これはすごい。」

重力操作(グラビティ)魔法です。これで重力を無視できます。変位(ヴェクタ)魔法もかけるので少し待ってください。」

 すると今度は青色の光が身体を纏う。

「進みたい方向を頭の中で思ってください。それで動けます。」

 とりあえず真上。と思ってみた。すると体はどこかから思い切り引っ張られるようにして豪速で釣り上げられる。

 いや、速い。速い!速すぎる!

 と、ここで気づく。止まり方がわからない。しかしこのまま上に突っ切ってしまうと確実に死ぬ。

 これも止まれって思えば止まるのだろうか。えっと、止まれ!

 すると糸が突っ張ったようにして体がその場でピタッと止まる。豪速で移動した後に急停止したためか激しく気分が悪い。吐きそう。

 とりあえず落ち着いて気分を抑えていると、ふわふわと白い毛玉が浮いてきた。

「いきなり強く思いすぎですよ。慣れるまでは思いの向きが進む方向、強さが速さ。この2つによる速度だと思ってください。」

「そういうことは先に言っておくべきだな。吐きそうだ。」

 うっ。と精霊は言葉を詰まらせた。軽く咳払いをして彼女は改めて口を開く。

「これ、忘れ物ですよ。」

 仄かに青い光に包まれた制カバンを受けとる。「ありがとう。助かったよ。」と言うと、

「さ、さあ行きますよ!家に帰りましょう!」

 また調子に乗った。少し言葉を添えただけなのに。やっぱりチョロいな。こいつ、

 あ、でも。

「家、こっちだぞ?」

 既に逆方向に進んでいた精霊にそう言った。




「どうですか?空を飛んでいるという気分は。」

 精霊にそう聞かれた。

「確かに速いけど、思っていたよりもなんというか…。」

 言い表現がないか少し考えて、そして

「普通だな。なんというか。」

 結局1番始めに思いついた答えを告げた。

 現在、空を飛んで家に帰っている。真上に飛び上がったそのあと、「見つかると面倒だから。」と、透明になる魔法をかけてもらった。名前は…忘れた。

「そうだな、表現するならばマインをクラフトするゲームのチート(クリエイティブ)モードで空中を移動しているときみたいな感じかな?」

 もっと端的に言えば、空中を平行移動している感じだ。

 まあ、そうなりますよね…。と、少しバツが悪そうに彼女は言った。

「本当は羽を生やしてもっと自由に動けるようにしたかったんですが…。」

 バツが悪そうというよりかは悔しそうに。だろうか。

 彼女の言うところでは、羽を生やすこと自体は可能なのだが、今の彼女の技術だとただの飾りとでしか機能しないらしい。

 というのも、羽を使って飛ぼうと思うと重力操作魔法を使ったとしても背中に羽を動かすために専用の筋肉を創造する必要があり、さらにそれを動かすために専用の神経を創り出す必要があるという。やろうと思えば非常に繊細で緻密な作業に耐えきれる技術と集中力を要するらしい。

 日は既に落ち、空は紫紺に切り替わっていた。

 地上の様子が見えなくなるのでは?と心配したが、案外家々の光で最低限は見えそうだった。

「あ、あそこだ。」

 家が見えてきた。家付近の上空まで移動すると、今度はさっきと同じことにならないように慎重に下降をしていく。精霊曰く、下降でミスをすると骨折ものだという。まあ、変位魔法の強制力がどれだけ強いかはわからないが、その強制力と地面に挟まれてしまえば骨折することは理解できる。

 地面より数センチほど高い位置まで下降して精霊に解除を頼む。

 トスっと地面に足をつける。しばらくぶりの重力に少しばかり怠さを感じる。

「ただいま。」

 玄関のドアを開けてそう告げると台所で晩御飯の準備をしているであろう母からの返答が来た。




 晩御飯を食べ、自室へと戻ってくる。

「最後の願い事、なんですかー?」

 ボフっとベットにうつ伏せで倒れ込む。精霊の催促は無視をする。

「おーい。願い事を教えてくださいー!」

 背中の上で精霊がぴょんぴょんと跳ねる。かなり鬱陶しい。

「あー、わかったわかった。考えるから。」

 腕を立てて上半身だけを起こしていらえを返す。

 タイミングよく浮き上がった精霊はくるりくるりと宙を舞いながら目の前に移動してくる。俺もそのままでは体勢がキツいので座り直した。

「なあ、やっぱりおまえ大きくなってないか?」

 最初のころは握り拳くらいだったはずなのに、今ではハンドボールほどの大きさがある。頑張れば表情も見えそうなくらいである。

「え、本当ですか?もしかして願い事を叶えたから…?」

 そういえば精霊は成長するために願い事を叶えないといけないんだっけか?つまり願い事を叶えたから大きくなったと。

「って、私のことはどうでもいいんですよ!願い事、願い事です!」

 願い事かー。そう言われても…。

「今思ったんだけどさ、俺は言うつもりないし、言ったところで困るだけなんだけど、3つ目の願い事のときに“叶えてくれる願い事を3つ増やしてください”って言われたらどうするの?」

 つまり、これを繰り返せばいくらでも叶うことになる。

「あー、メタな願い事は断ることになってます。それに、わざわざ最後の1回に言わなくても“叶えてくれる願い事を無限に増やしてください”と言えば解決しますよ。1回で済みますし。まあ、あなたには無用の長物でしょうが。」

 なるほど。メタな願い事。願い事についての願い事はダメってことか。筋は通っている。

「なるほど。ありがとう。」

「で、願い事を教えてください。」

 催促の手は。声は緩まなかった。

 願い事といっても、正直な話、

「今の現状に満足してるからな…。」

 願い事、願い事。

 願い事か。

「そうだ。それなら――」

 俺は精霊に3つ目の願い事を告げる。

「本当に、それでいいんですか?」

「また、願い事として不満か?」

「いえ、とても素敵だと思います。」






 翌日、朝。

「行ってきます!」

 母にそう言って玄関のドアを開ける。

 登校するために最寄りの駅まで歩いて行く。右ポケットの中にはスマホが入っている。

 驚いたことに昨日届いていたメールは消えていた。

 駅に着く。定期を使って改札を通ると階段を登ってホームに辿り着く。タイミングよく到着した電車に乗り込む。満員電車。かなりの密度だった。

 ありとあらゆる手を尽くしてみたがスマホ内のどこにも昨日のメールは存在していなかった。

 電車が目的の駅に着く。プシューという音を立てて開く。押し出されるようにしてホームに降りる。

 よく考えてみると、昨日のことは現実離れしていて夢だったのではないかと何度も思う。今でも思っている。

 教室に着くともう既に何人かの生徒は登校していた。そして、1人の男子は生徒が近寄ってきた。

「聞いてくれよ。俺さ、昨日ちゃんとスポドリのキャップを持ってたはずなのにいつの間にか小石に変わってたんだよ。これ、絶対に幽霊の仕業だよ!」

 高校生にまでなって何を言っているんだろうか。

 しかし、それとは別の意味でおかしくなってきて、俺はクスリと笑った。

「幽霊じゃなくて精霊の仕業、じゃないかな?」

 俺はそうとだけ告げて自分の席に座った。例の男子は意味が分からない様子でなにか考えていた。

 本当に、夢みたいな出来事だったな。そんなことを考えていると時間があっという間に過ぎ、教室の中にはたくさんの人がいた。結局入ってくる人、1人1人に彼は昨日の出来事を言っていた。

 始業の鐘が鳴る。

 今日も、いつも通りの1日が始まる。


 草々






「Hello, I am a spirit. I came to make three of your wishes.」


「What is your wish?」

注釈


アンゴラウサギ…ウサギの中で最も長毛と言われるウサギ。その毛は白色で柔らかく、また暖かいため、毛糸や織物に用いられる。


『アルセナール』…またの名を『アーセナル』。ヤン・ヴァン・デル・ロースト作曲の吹奏楽編成の行進曲。


『家路』…ドボルザーク作曲の交響曲第9番『新世界より』の第2楽章。ドボルザークの死後に歌詞をつけられ、愛唱歌として編曲された。『家路』の他にも『遠き山に日は落ちる』など。


テンプルブロック…吹奏楽における木魚。吹奏楽では木魚よりもこちらの名前で呼ばれることが多い。事実上は同一の楽器。一般に見る木魚だけでなく、音階の与えられた四角い形のテンプルブロックもある。


メタ…元はギリシア語の接頭辞。意味は「高次の~」「超~」「~を含む」「~の間の」「~についての」「~の後の」などの意味をもつ。ここでは「~についての」を用いた。

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