Episode7狂人②
完全に、狂ってやがる──。
俺の恐怖はいつの間にか怒りへとすり替わっていた。
こいつだけは、野放しにできない。
たかが一般人の俺がヒーローなりたいのか──否。
そうではない。こいつを放っておくと危ないという感情とは別に、俺の感情も含まれている。
この異世界に来て、一日──まだ短い時間だったけど中身は結構濃いものだった。
「セシリーも、アレクさんも……短い間だったけど、しっかりと俺の記憶の中に刻まれている人間なんだよ……知り合いが目の前でやられて見過ごすわけには絶対いかない」
「お茶をぶちまけることしか脳のない猿が何を言うかと思えば……あははははっ!笑わせてくださいますわね。つまりそれは私を倒すと言いたいのでして?」
狂人は嘲笑する。
脅しているつもりだろうけど、微塵も恐怖なんてものは感じない。
「当然お前をぶっ飛ばす。凛、一分間まかせられるか?」
合流した凛に頼む。もちろんその返答は──
「当たり前でしょ。逆に一分で終わっちゃったらごめんね?」
「さすがだ。もし一分で終わったら……そうだなぁ。帰ったら冷蔵庫のケーキ一人でワンホール食わしてやる」
「やってやりますぜー!」
ケーキパワーで気合全開の凛はリズへと電光石火の勢いで迫る──。
そして、セシリーさえも圧倒したあの剣技によってリズを攻める。
「なんですの……この速さ……っ」
「エクスカリバーよ」
いや意味わかんねぇけど!
短剣が一つしか残っていないないリズは、必死の動きで凛の斬撃を受け止めるが、全ては受け切れないようで、次々とその身体に赤い線を刻んでゆく。
「今の内だ、ミラーナ。急いでセシリーの手当をしよう」
「はい〜」
急いでセシリーの元へと駆け寄る。
腹部に突き刺さった短剣は深く、その体を貫通している。
おそらく内臓もやられているだろう……
「合図したら俺がこいつを引き抜く。同時に魔術で傷口を凍らせてくれ」
「まかせてください〜っ」
そして、短剣を握る。
痛々しいそのセシリーの姿を見て、表情が引き攣る。
「いくぞ、さん、に、いち!」
──抜くと同時、一瞬血が吹き出たが、ミラーナが一瞬で凍らせる。
「魔術が使えない以上ミラーナが行っても危険だ。ここでセシリーを見ていてくれ」
そう告げると短剣片手に俺は立ち上がる。
走り出そうとした瞬間、服を掴まれる。
「優さんが行っても……危険だと思いますけどぉ……」
「俺だって一応男だぞ?凛には敵わないけど、かっけー見せ場作ってくるから見てろ!」
ちょっとかっこつけてしまった俺は、ミラーナの頭をポンポンと叩くと、凛とリズの元へと走る──
「待たせた凛、こっからは二対一だ」
「ゆーちゃん⁉︎ 危ないから下がって──」
「私を目の前によそ見したら首が跳ねますわ」
「させねーよ!」
凛がリズの刃を受け止めた瞬間、俺は全力の回し蹴りをリズの頭部目掛け放つ──
それは、サンドバッグでも蹴っているかのようにクリーンヒットし、リズは頭から地面へと叩きつけられる。
「さすが全国レベル〜」
ニコニコしながら凛は褒めてくる……褒めているんだろうけど。
「世界一に言われても嬉しくねーよ。つか、こいつしぶとすぎるだろ。ゾンビかよ……」
何度倒れてもすぐに起き上がるリズに俺はかなり引いていた。
確実な一撃がないと倒せない、まるで痛みを感じていないかのような動き。
「チート使ってるのかしら」
「そうだな」
本当にチートでも使っているような忍耐力だよ。
だが、完全に効いていないわけではない……その顔からは、もう笑顔は無くなっていた。
呼吸も荒い。
「雑魚と思っていた二人が……意外とめんどくさいですわ……」
「雑魚ってあんたじゃないの?体力多いだけの、雑魚。あたしかすり傷一つ受けてないんだけど?雑魚」
凛は嘲笑うように挑発を繰り返す。
その煽りにリズは簡単に怒りを滲ませ、血相を変える。
「調子に乗って……見た所貴方達は魔術が使えないようですわね。もっともっと恐怖する顔が見たいけど仕方ない。魔術で、恐怖する間も無く殺して差し上げますわ」
そう言うと、カチューシャを投げ捨てる。
何も変わっていないように見えるが……
「さあ、血のカーニバルですわ」
リズの手から光が溢れ出す。
──すると、全身に浴びていた血が、リズの全身を走り回り、捥がれた右腕を、血の塊として創り出す。
血に濡れたカーペットへと、真紅の右手を着くと、飛び散った血液がリズへと向かって集結し──巨大な血の鎌へと変化した。
「なによあれ……」
「全ての血は私の支配下。誰かが血を流せば流すほど私は強くなる。これが私の魔術──血の集結ですわ」
自分が勝つ、とでも決まったかのように余裕の微笑みを浮かべ語るリズ。
「魔術の使えない貴方達に勝ち目はないですわ」
巨大な鎌が、横振りで空気を裂きながら叫びをあげるように迫る。
上手くしゃがんで躱す──。
バカみたいにデカイのに……速いっ!
「凛、気をつけろよ」
「言われなくとも──っ!」
凛も必死で躱している。
二人とも、速すぎて躱すのが精一杯の状態だ。
「あははははは──さっきまでの威勢はどうしたんですの?」
相変わらず狂った笑い声をあげながら鎌を振り回すリズ。
近くにあった大理石のテーブルは一撃で真っ二つに切り裂かれ、床に敷かれた絨毯は布切れへと変わっていく。
くそ!くそ──!
規格外の威力に全身から冷や汗が溢れる。
「おや?そんなに死にたいのですか」
突然、回避だけに集中していた凛が──リズへと向かい走り出した。
「ばか──!危険だっ!」
くそ、俺の声は届いていない──
リズは次々と紅の斬撃を放つが──凛には当たらない……‼︎
「まじかよ……」
むしろ、当たる気配すらなかった。
凛は、両手で刀を腰の位置に下げ、すれすれの所で全ての攻撃を躱し、どんどんリズとの距離を詰めていく。
──そして。
「もらったわ──っ‼︎」
超高速の一振りをリズの首へと──
放った瞬間──!リズの鎌は一瞬で形を失い、血で壁を作って凛の斬撃を防いで見せた。
そして壁から針のようなものが伸び、凛に襲いかかる──
「嘘でしょ……いったっ」
急いで防いだ凛だったが、何本か体を掠ったようだ。
俺はすかさず壁の後方へと回りこむ。
これは完全にチャンスだ……この機を逃したら次はない……!
そして手にしていた短剣を無防備のリズのへと突き立てて──
「うぐぁ……っ!」
「あら、おしいですわね」
血の障壁へと手を突っ込んでリズが手にした細剣が俺の肩を貫いた。
くっっっそ痛ぇ……!
即座に気づけてよかった。避けてなかったら首を貫かれてた──。
そう考えると、眠っていた恐怖が突然目覚めたように体を支配する。
リズから距離をとった俺と凛は、なす術なしで動けずにいた。
「ゆーちゃん!大丈夫……⁉︎」
泣きそうな声で心配してくる凛。
「大丈夫……すげぇ痛えけど、反対の腕は動く。どうすれば……どうやったらあいつを倒せんだよ……」
「あたし一人でやる。あいつは、許さない」
「無茶言うなよ!相手が相手だ、勝てるわけがない」
「でも……っ!」
本当にどうやったら勝てるのかが分からない。
凛もかなりパニックになっている……。
「お話は終わりまして?では、二人同時に、天国へと送ってあげますわ」
リズは両手を掲げる──すると、血は無数の剣へと姿を変える。
その数──数十本。
どう頑張っても、どう足掻いても、防げる数じゃない……。
ははは……こんなあっけなく人生って終わるんだな。
「凛、巻き込んでごめんな。ほんとに……ごめん」
何かが頬を伝う感触……
いつの間にか、涙が溢れ出していた。
「ううん、あたしはあやまってほしくなんてない。だってあたしは……ゆーちゃんが──」
凛が何かを言いかけていた途端──
──無数の剣が襲いくる。
剣の雨、それは──数秒後にはもう俺たちを肉片に変えてしまっているのだろう。
「チェックメイトですわ」
無数に飛来してくる赤い刃を目にした瞬間。
最後の……本当に最後の足掻きで、凛を守るように抱きしめ、そして、恐怖と、死へと向かう現実から逃げるように、そっと目を閉じた────