Episode2・異世界からの迷い人
家から出て約2時間ほどが経過していた。
気温はかなり高く、日本の真夏日和ってくらいの暑さで、3人は肩を並べ、額から汗を垂らして街を歩いていた。
外に出てまず最初に気づいたこと……それは、どうやらこの家は、外からは他の人たちには(たぶん)見えていないらしいということ。
俺たちが外へ出た瞬間、通行人のおじさんにかなり驚いた様子で、
「──⁉︎ 今あんたらどっから現れたんだ?」
なんて聞かれ、指をさして、そこと言うと、ただの空き地じゃねぇかなんてこと言われたのだ。
凛もミラーナも俺同様に、疑問の表情を浮かべていたが、話を整理したところ、俺たち以外の人には外からは見えないのではないかと言う結論が出た。
街を歩いている際に目にするものは新鮮なものが多く、今までの生活からかけ離れたものが多かった。
学生服と警官服が合わさった貴族のような服装の、腰に剣を携えたかなり怖い人。人間と同じように街中を歩く亜人。看板に書かれた初めて目にする訳のわからない文字。
それを見てこう思う……俺の願いは1つ──どうかここが地球でありますように。
かなり薄い期待を込めながらそんなことを考えていた。
そして現在……
「いっくよ〜〜はいーっ!」
「えーーーっ⁉︎ なんなのあれ!ねぇなんなの!」
俺たちは街の広場でパフォーマンスをする女性に目を奪われていた。
隣で凛が大げさに騒ぎ立てる。
いや、俺もかなり驚いているのだが……。
「ラストーっ!」
パンッ、という音を立てて綺麗な氷の結晶が降り注ぐ。
「まじか……」
それはもう凄かった。何もない空中に、突然氷の花を咲かせ、くるくると回転させる。そして、それを最後に粉々に砕いて割ったのだ。雪よりも小さい氷の結晶は陽の光を浴び、小さな虹を生み出す。
こんな不思議現象を目前にすると目を奪われて当然だ。なにせ、一切手を使っていないのだから。
だが……
「凄いですか〜?あれ」
1人だけ、全く興味なしのやつがいた。
「いや、どう考えても凄いだろ。あんなすっげーマジシャン世界中探してもそういないぞー」
軽く棒読みで伝える。
「違いますよ〜。あれ、魔術です」
俺は黙り込む。
うん、なんとなく分かってた。分かっちゃいたけど、マジックショーだと自分の頭に言い聞かせていたんだ。この受け入れがたい“異世界”という物を少しでも否定するために。
「そうか……うん、そうだよな。はは」
理不尽だ、なんでこんなことになってしまったんだろう。
確信する。ここは異世界ですね……はいはい認めますよ!
ヤケクソ気味に心で叫び、ため息を吐く。
「ん?てかなんでお前は魔術って分かったんだ?なんの確証もないのに」
というか、こいつも今さっき俺たちとここに来たばっかじゃないか
そんなことを思いつつ聞いてみる。
「だって、私もあれくらいならできますよ〜」
「まじでっ!あたしにも教えなさいよ!」
ミラーナの発言に即座に食いついたのは凛だ。
目をキラキラと輝かせ、小さな子供が何かを買ってくれるときの親を見つめるような視線をミラーナに浴びせる。
「無理です〜」
ミラーナはにっこり微笑み、冷酷な天使の笑顔で即答する。
あ、これやばいな。凛キレるんじゃねーの。
と、思ったのだが。
「おねがい♡」
誰だよこいつ。
凛は両の掌を合わせて懇願する。なんとも優しい笑みだ。
軽く眉間にしわ寄ってるけどな!
「魔術ってそう簡単に扱えるものじゃないんです〜。それに私、人に教えるの苦手ですもん〜」
「ちっ」
あら、怖い子。
なんでこいつミラーナに刺々しいのだろう。
ミラーナも凛の扱いには慣れたらしく平然としている。
「なぁ、お前ら本来の目的忘れてね?」
俺がそう言うと2人は、
「「あっ」」
2人してポカンと口をあけている。何2人揃って忘れてるんだよ。
「いいか、目的は原因を探り、どうやったら日本に帰れるかってことだ」
「でもこれだけ歩き回ったのに手掛かりなんてなさそうじゃない?」
「まぁたしかにそうだが……」
「私、お腹すきました〜」
空気を読まず挙手をするミラーナの腹音と言葉が訴えかける。
「たしかにあたしもペコペコー」
「しょうがないな。そこらへんでなんか買うか」
まぁここまで情報がないとどれだけ情報を集めようとしても同じことだろうし、そろそろ時間も昼になる頃だろう。
この街にはかなりの店がある。テントを張って、お祭りの屋台のような形で様々なものが売られており、食べ物もかなり充実している。
「あっ、あれ食べたいわっ」
凛が指差したのは、
──チョコバナナだと⁉︎
「なんで異世界にチョコバナナあるんだよ!」
ついツッコミを入れてしまった。
もしかしたら文化がすこし流通しているのかもしれないな……そんなわけないか。
「おばちゃん、チョコバナナ3本ください」
店主のおばちゃんにそう言うと、首を傾げ、
「ちょこ……バナナ?なんだい?そりゃ。これのことかい」
「はい、そうですけど」
「違うよ。これは、くそバナナだよ」
「「「えっ」」」
「バナナをトロピカルドラゴンの甘〜いう◯こに漬けたものさ」
「失礼しましたーー」
食えるかっっ!
さすがに予想外すぎて食欲が一気に失せた。
トロピカルドラゴンって名前からして、もしかしたら甘くて美味しいのかもしれないんだろうけど……そのネーミングやめろよな。
「はぁ……ここってもしかしてうんこしか食べるものないのかしら……」
「やめろよ!鳥肌立つわ!」
凛の恐ろしい発言に寒気がした。
「あれはどう!焼きドラだって!」
「どら焼きみたいになってんじゃねーか!まぁ、美味そうだけど」
名前からはあんこを生地で挟み込んだあの和菓子のどら焼きをイメージするが、それとは全く違う食べ物で、その見た目は焼き鳥みたいなものだった。
たぶん、ドラゴンの肉だ。やけにドラゴン料理多いな。
「そういえば〜、ここはお金ってどうなるんでしょうか〜」
「言われてみれば……」
もしかしたら何も買えないかもしれない、という可能性はある。
ミラーナ、アホそうだけど意外と頭回るんだな。
「まぁ物は試しってゆーし、一回試して見ましょっ」
凛はいつでもノリが軽いな。昔からだし、しょーがないけど。
「そーだな。でもなーんか怖いんだよな。これ日本でいう偽札みたいなもんだろ?さっきから見かけるあの警官みたいなやつら、街の中めっちゃ警戒してるみたいだし、剣持ってて物騒だし。もし騒ぎになって武力行使されたらなす術なしじゃないか」
俺は嘆息し、ちょうど横目で視界に入った警官っぽいのを顎でくいくい、と、凛とミラーナへ伝える。
すると、自信満々な様子でミラーナが開口する。
「安心してください〜。私がいますし〜」
えっへんと、豊満な胸を張る。
だが、俺は彼女へと残念そうな人を見る目で、
「お前……さっき家ん中で凛にやられてたじゃん」
「な……っ!あ、あれは、不可抗力ですよ〜⁉︎」
必死で言い訳をするミラーナ。そこで凛が、学校にたまにいる『先生ー、◯◯君が悪さしてましたー』とかよく言う、チクり魔のような悪い顔で口を開く。
「ゆーちゃん、こいつ、超力弱かったわよ。もしもの時は置いて逃げましょ!オウガくん以下って感じだからっ」
「ひどいですよ〜っ」
ちなみにオウガくんとは凛の飼っている犬の名前だ。
名前的にはすげぇ強そうなんだけど、チワワなんだよなこれが。
涙目でしょぼくれているミラーナ。
でもたしか……こいつって。
「ミラーナって、魔術使えるんだろ?」
「はい〜」
急に笑顔になる。もしかして落ち込んだふりだった?
「さっきのお姉さんみたいに何もないとこにいきなり氷とか作れんの?」
「そのくらいならよゆうですよ〜」
これはいけるかもしれない。
バトル系漫画を想像する。
魔術を使えない雑魚キャラが魔道士に挑むと、速攻やられてしまうあるあるの展開だ。
「まぁ今回に限ったことじゃなくて、もし武力行使されたらそんときは頼んだぞ。なるべく怪我させない程度に」
「任せてください〜」
細く白い右腕を曲げて筋肉を(全然ないけど)左手でぽんぽん、と、叩いてみせるミラーナ。
頼もしい……たぶん。
とりあえず俺の考えている対処法は2つ。
剣を氷漬けにして、相手の武器の使用を封じること。
刀身を氷で凍らせさえすれば、それは最早刃物とは言えない。
つまり最悪の状況は避けられる……と。
なんにせよ、騒ぎになるのは避けたいんだが。
それともう1つ、それはひたすら逃げることだ。
「聞いてくれ2人とも。もし日本円が使えなくて騒がれたら逃げよう。俺がフードを被って買い物をする。2人は10メートルほど離れていてくれ」
「逃げるって……どこにですか〜?」
「家だ。幸いにもここからわりかし近いし、外から見えないようだから入ればこっちのもんだ」
2人とも、分かったと賛成する。
家を出る際に制服からパーカーへと着替えており、フードがついているから深く被れば顔も隠せる。
……なんで買い物するだけなのにこんな命懸けな展開なんだよ。
誰に対するわけでもないツッコミを入れる。
「行ってくる」
戦場に行くかのようなかっこいいセリフを吐き捨てて、店主の前へと行く。
かなりイカつい顔のスキンヘッドに無精髭といった典型的な怖い人だ。
「これ3つください」
財布をケツポケットから出そうと、後ろへ回す。
手がプルプルと震えている。
「はいよ。390ゼルだ」
「はーい……えっ」
ゼル……だと⁉︎
──やられた、円じゃない。
さあ、どうする俺。
考えろ……立ち去るか、千円札を差し出すか──。
しゅっ、と、野口さんを召喚する。
「は?おい兄ちゃんなんだいこりゃあ?」
「英世……です」
血迷ったか俺ぇぇぇえええ!!!
心臓がばくばくと心拍数を上げて行き、その鼓動が体を震わせる。額と背中からは暑さとは別の冷や汗が伝う。
逃げるなら……今か。
凛とミラーナへと振り向いた、瞬間。
「ゆーちゃん!隣!」
凛が俺へと叫ぶ。
──は?
俺は左隣をふと見る。
そこには、俺が1番警戒していた、剣を携えた警官みたいなまだ若い少女。見た目年齢は俺と同じ程だが、その凛とした顔からは厳格さが伺える。
少しきつい、その眼を俺へと向け、目が合い──
「おい、君。それは──」
見た目通りの澄んだ声を発し、俺に何か告げようして……
「逃げるぞお前らっ!!」
俺は、もしかしたら、程度にしか考えてなかった最悪の状況から、逃れようと全力で走り出す。
凛とミラーナは俺より先にスタートダッシュをきったため、少し前方を駆けている。
途中、風で被っていたフードが脱げる。だが、そんなことを気にしている余裕はない。
一瞬だけ後ろを振り返って見ると……
「おそっ!」
こんな状況なのにツッコミを入れてしまうほど警官少女は遅かった。
これなら上手く撒けそうだ。彼女の鈍足さに走りながら安堵する。
あと100メートルほどだ。このまま走りきれば──!
ガチャン!最後についた俺は、即刻ドアを閉める。
「はぁ……はぁ……た、助かったぁあああ。ってお前らなんで息切れしてないわけ」
「あのくらいの距離なら全然平気です〜」
「私もよっ」
こいつらの身体ハイスペックだな。凛に関しては分かっちゃいたが、まさかミラーナもだとは。さすが自称天使様。
「ふぅー。そろそろ落ち着いてきた……って待てよ?よく考えたら食べ物なんてウチにいくらでもあるじゃないか」
ってなわけで、3人でテーブルを囲い、冷凍食品のチャーハンを胃の中へと掻き込んでいた。
「それにしてもすげーな。電気も水も使えるなんて」
「はひはにねっ。ふひぎだわー」
「口に入れたまま喋んな!」
なんていう風な新たな不思議現象にも気づいてしまったのだ。
まぁ、異世界転移なんて事があったから、もう少々な事じゃ驚かないけどな。
「あれ〜?」
そこで口を開いたのはミラーナだった。スプーンを持った右手を止め、どこか不思議そうな表情で窓を眺めている。窓から入ってくる陽の光に照らされた彼女は、なんというか……幻想的だった。
それに比べ凛は、はむはむっ、と、チャーハンを貪って、幻想的……でもなんでもない。
もはや犬にしか見えない。
気になり、ミラーナに声をかけて見る。
「どうした?ミラーナ」
すると、ミラーナは、首を傾げながらん〜と唸り、そっとこちらへと視線を向ける。そして、窓を指差すと。
「外、景色変わってますよ〜」
そう言った。
同時、ガチャン──と玄関を勢いよく開ける音が家中に響き渡り、食事を貪る凛も含め、全員の視線は玄関の方へと向いた。
あ、鍵……閉め忘れたっけ。