Episode1・1日の始まりは普通じゃなくて
ジリリリリーーっと暗がりから目覚まし時計が騒音を立てる。
「んっ……」
眠りから覚め、まだ完全に消えない眠気に逆らうように目を半開きにして、ぼんやりとした中、目覚まし時計のボタンを探る。
床に敷かれた布団からゆっくりと起き上がる。2階にあるこの寝室にはベットもあるがそっちは使っていない。布団の方が寝心地がいいから。
幼い頃に両親が居なくなって一人暮らしをしている俺にとって、この寝室は広すぎる。
部屋のカーテンを開けると両手を組んで、掌を天井へと向け、すーっと伸びをする。
「今日も、雨か……」
雨によって日は見えない。見えるのは暗く広がる雲、灰色に染まった空。
ここ最近ずっと雨だ。なにせ6月、日本は今、梅雨の時期だから。
部屋のドアを開けると、1階へと続く全部で12段の階段へと向かう。
目をこすりながら階段を降りていく。
とん、とん、とん、と一歩一歩の音が響く。
「ん──?」
そこでふと疑問が浮かぶ──妙に静かだ。
窓から外を見たときは激しい雨が降っていた。
しかし、雨音は一切聞こえない。
「寝起きだからかねぇ」
気にするのをすぐにやめ、階段を降りた先のリビングへと向かう。
ドアを開けると──
「おはようございます〜」
「──⁉︎ 」
ソファーに腰掛ける人物が丁寧に挨拶をしてきた。
一瞬驚いたが、もちろん返さない。
ん?なぜかって?そりゃ知らない人だからな!
棚を開けコップを手に取り、水道の水をコップ半分ほどまで注ぐ。
注いだ水を一気に喉へと通す。
飲んだ水が身体を芯から冷やし、そこでやっと目が冴える。もう何年間にも渡る習慣だ。
今日は金曜日、今週最後の登校日か。
朝食を取り、歯を磨き、着替える。
朝飯のパンを食べている時に。
「私も、お腹すきましたぁ」
なんて聞こえたが聞かなかったことにする。
俺は“普通主義”をモットーに生きている。
変わったことは敢えて見過ごす。
幽霊?不法侵入?そんなの知らない。
──本音を言うと、実は起きた時からかなり怖かったんだけど……。
「そろそろ出るか」
時刻は8時前、学校の規則では8時半までに席についておくこと。この家から学校までは徒歩で15分ほどしかかからない。
早すぎず遅過ぎず、大体この時間に家を出るのがベストだ。
玄関へ向かう……と、その前に、やっぱりこれはさすがに見過ごせる状況じゃないな……。
「誰だか知らんけど俺が帰ってくるまでに出てってくれ。じゃないと警察呼ぶからな」
ちゃんと伝えておく。
いつまでもこんな不審者に家にいてもらっちゃ困るからな。
「私だってかえりたいですよぉー」
「は?」
訳のわからない返事が来て、俺は呆れたようにため息を吐く。
何を言ってるんだこいつは。バカなのか?
むしろはやく帰ってくださいって感じだよ。
心の中でごちゃごちゃと文句を言っていると、
「出れないんです」
「どういうこと?」
「そのままの意味ですけどぉ……」
会話相手の人物は、ソファーから立ち上がりこちらを向く。
起床当時、まだ朝早く、電気もつけなかったせいで部屋の中は暗くてよく見えなかった。
まだ明るいとは言い切れないが、僅かに明るくなった今、その人物を見て、驚く。
糸のように細く地面に着きそうなほどまで長く伸びた髪。日本人とは思えないような銀髪、毛先はピンクパープルで宝石のような輝きをしている。
その顔は人でないかのように整っており、穏やかな碧い瞳は長い睫毛によって妖艶な雰囲気を醸し出していた。
華奢な体つきに出るとこはしっかりと出て、一言で言うなら、まさに美少女だ。
純白の羽衣を着ており、若干はだけた肩や胸元……かなり刺激が強い。
その少女の姿に一瞬時が止まってしまったかのように俺の視線は奪われていた──。
すっげえ、可愛い……
彼女はクエスチョンマークを浮かべる。
「あっ……ごめん」
慌てて目を泳がせる。危ない、完全に瞳に吸い込まれそうだった。
俺は落ち着いて改めて状況を確認する。
「外に出れないってことか?」
こくり、と彼女は頷く。
「鍵閉めてるんじゃないのか」
シンプルな答えを導き出し、独り言のようにつぶやきながら玄関へと向かう。
普通に鍵は開いていた。
取っ手を下に引き、扉を開くと──何事もなかったかのように開いた。
「おーい、ドア普通に開いてんだけど」
「知ってますよぉー」
リビングへ向かってそう叫ぶと、またしても謎な返事が返ってきた。
言ってること無茶苦茶だな、おい。
数センチほど開いたドアを勢いよく全開にする……
──同時、俺は目を見開いた。
眩しい──。……太陽が、眩しい。
そして、眼前に広がる光景は、見慣れた二階建ての一軒家が広がる住宅街なんかではなく、初めて見る街だった。
街の雰囲気は明らかに日本ではなく、ほとんどの建物が我が家の四分の一ほどの大きさであり一階建て、それもレンガで出来ており、チラホラとテントなどが立ち並んでいる。そして、多くの人が歩く中、人間……と呼ぶには難しい、何かの物語や映画で出てきそうな、亜人と呼ばれる見た目の者達が目に入ってゆく。
コスプレ……じゃあないよな?
コスプレにしては妙にリアルすぎるというか、生々しい。
「あ……」
完全に言葉を失ってしまう。言いたい事は沢山あるが、逆にあり過ぎて何も言えない。
とりあえず……ガチャン。
扉を閉めることにした。
早足でリビングへと戻ると、
「分かった!夢か……これ夢だよな!おやすみ」
困惑した様子の銀髪の少女へと、自分でも訳のわからないことを告げると、走って階段を駆け上がり寝室へと向かった。
「ま、待ってくださいよーー」
下からそんな声がしたが、知らん。
寝室から外を眺める、相変わらずの大雨だ。
寝よう……これはリアルな、あまりにも出来すぎた夢だ。
そう思い、目を瞑る──。
………………………………。
5分ほど経っただろうか。
全く眠れない。そもそも夢なのに寝ると夢から覚めるって考えはどうなんだ?
冷静に考えてみると、かなりバカだよな。
目を瞑りながらそんなことを考えていると……
ガチャンっ。
「えっ⁉︎ 誰よ──っ!!!」
朝っぱらから超うるさい聞き慣れた声がここまで響いてきた。
よし、そろそろやめよう──現実逃避なんて。
俺は速攻で起き上がり、一息で階段を駆け下りる。
家の中でこんなに運動した日は今までに一度もない。
ばんっ! 勢いよくドアを開けると、リビングでは、プロレスごっこが行われていた。
「このっ、白状しなさいよっ」
「うぅぅ……痛いですよぉ……」
銀髪少女が仰向けで床に倒れ、その上に俺の幼馴染で同い年の、小柄なシルエットの少女、葉月 凛が馬乗りになって、銀髪少女の頬を思いっきり引っ張っている。銀髪少女はかなり涙目になっていて、知らない人とはいえ、なんだか可哀想になってきた。
「凛──」
「あ、ゆーちゃん」
そこで凛の動きは静止する。どうやらドアを開けた音にすら気づかなかったらしい。
こちらを向くと同時、背中の真ん中辺りまで伸びたライトブラウンのポニーテールがふわりと揺れる。
翠の無邪気さを秘めた視線が俺の瞳を捉える。
「もう学校始まっちゃうんだけど ⁉︎ ゆーちゃん家ピンポン何回押しても出ないから、寝坊してるのかと思って入ってみれば変な人はいるし、学校行く支度はできてるし……状況説明して!」
うーむ。そもそもインターホンがなったこと自体気づかなかった。
状況説明と言われてもかなり困る。
こちらが聞きたいくらいだ。
「分からん」
と、しか言いようがない。
むすっ。と、凛は頬を膨らませ、分かりやすく怒った表情へと変わる。まずいな、なんて答えよう。
こいつ……怒ると面倒くさいんだよな。
「あのぉ……重いです」
「あんたは黙ってなさい!この不法侵入っ!」
「うううぅぅ〜……」
第三者の介入によって怒りの矛先がそちらへと移る。凛のバカでかい声によって銀髪少女は涙目になっている。
……そうだ。こいつには色々聞かなくちゃいけないな。
まずそれが最優先だ。なにより知ってることが多そうだし。この状況についてとか。
「凛、そろそろやめとけよ。俺もそいつには色々と聞きたいことがある」
「むぅ」
はぶてた感じで凛は立ち上がると、助かりましたぁと、銀髪少女も続けて立ち上がる。
そして、この、なんとも不可思議な状況へと巻き込んでしまった凛も含め、3人でリビングの長方形の木製テーブルを囲い、椅子に腰掛け、話し合いが始まった。
……………………………………。
流れる沈黙。鼓膜へと届く音は、すぅーすぅー、という3人の呼吸音だけ。
家の中はひたすらに静かで物音がしない。
「んー、コホン。まず俺が目にしたことから話そう」
重かった沈黙の空気を咳払いを入れて破ると、少し雑に話を切り出す──。
先ほど玄関を開けた時に見た光景を2人へと告げる。
「変なのー。あたしがここに入ってきた時は普通だったよ。それに外はどしゃ降りの大雨だったし」
「それから外には?」
ブルブルと、子犬の様に凛は首を横へと振る。
「ちょっと、見てくる!」
ドタバタと玄関へと走って行った凛は、
「ウソォおおおおおおお────っっ!!」
と大声を響かせ再びダッシュで帰ってきた。
「──⁉︎」
びっくりしたな!俺と銀髪少女は体をびくっ、と体を震わせる。
あんまりひとんちで暴れるなよな。
「なんなのあれ!」
かなり動揺している様だ。無理もない。
「あの〜、私も同じ状況でした」
そして、恐る恐るといった感じで手を挙げたのは銀髪少女。そもそも出れないと言ったのは彼女。最初は意味が理解できなかったが、今ならなるほどと言える。
「待って──」
急に立ち上がり、さっきとはまるで違う、低いトーンで言葉を発したのは、凛。
「てかあんた誰なのよっ⁉︎ 」
ビシッと銀髪少女へと人差し指を向け、犯人を追い詰めた時の刑事がする様なポーズをとる。リアクション芸人になれるんじゃないのか?
そして、指を指されるも、ポカンとした表情の銀髪少女。
だけど、
「まぁ、そうだな。それは俺もかなり気になっている」
事実、この少女は謎が多い。最初は害はなさそうだし、見なかったことにするつもりだったが、現在進行中のこの不思議現象を目の前にしては話が変わって来る。
きっとこの外で見たありえない光景とこの少女には因果関係がある──と、俺の脳は予想する。
「君のことについて、教えてくれないか?」
ポカンとしていた彼女は一間置いて、穏やかな天使の様な笑顔を浮かべる。
「はい〜、私は天界から降りて来ました、ミラーナって言いますー」
こいつ……ちょっと変わったやつだとは思っていたが、やっぱりおかしい奴なのか。
俺は彼女へとジト目を向けながらこう思った。
いわゆるアレだろ……
「ちゅ──」
「あんた、中二病⁉︎ なめてんの⁉︎ そもそもなんでゆーちゃんの家に居るのよ。ちゃんと答えなさい!」
どうやら凛も俺と同じことを思ったらしく、すぐに口にした。
しかし、顔はこんなに可愛いのに中身が残念って。勿体無い……。
「ほ、ほんとですよっ。信じてください!」
銀髪少女、ミラーナは涙目になりながら、弱々しく穏やかだった声に、張りを持たせ訴えかけてくる。
けっこう顔つきはマジだし……嘘を言っている様には思えない。けど……。
話が進まないし信じるフリだけでもしとくか。
「ミラーナ、だっけ。お前の話は信じてやる。だけどもうちょっと具体的に話してくれないか?」
ふぅ、と、どこか安堵あんどした様子のミラーナはこくりと頷く。やはり嘘の表情には見えない。
「この世界には、天界という人間たちは絶対に関わることのない場所があってですね〜、そして……って!信じてくださいよ〜っ」
「いやいやいや、まだ何も言ってないだろ!」
めんどくせぇ!ミラーナの視線は俺の隣へと向いている。
俺は右隣に腰掛ける凛へと視線を向ける。
すっごいジト目でミラーナを見つめていた。嘘くさっ!って今にも言い出しそうな表情だ……原因はこいつか!
「凛、話進まないからちゃんと聞いてやろうぜ。一応でいいから。一応で」
最後の一応という部分は凛にしか聞こえないように言った。
「むむむぅー、しょーがないなー」
若干……というか、むしろかなり嫌々そうな雰囲気の凛だが、納得してくれたらしい。ようやく話が進みそうだ。
「それで?」
「はい、その天界にはたくさんの天使がいるのです。天使には仕事があってですね〜、人間界で不思議な力を観測した時、すぐにその事情を把握することなんです〜。そして私は今回、この家から観測された、例を見ない大きな不思議な力を調査しに来たんです〜」
「天使だとかなんとかにわかに信じがたい話が多いけど、つまりお前はその天使ってことなのか?」
「はい〜。ここらへんの地区担当です〜」
ここらへんって……適当すぎるだろ。だがミラーナのその目は真剣そのものだ。
「で、今回その俺の家から観測された不思議な力ってのは?」
しばらくの間ミラーナは俯いて──
「分かりませんでした……」
はっきりとそう告げた。
「そうか」
「力及ばずで……天界にも帰れませんー……」
そう言うと、彼女の表情は、まるで希望を失ったように暗くなる。
この家から観測される様な不思議な力、そしてこの家に住む俺自身が気づけなかったという事実。
ここ最近で変わったことなんて特になかったし。
今できることは、この現状の打開策は探ることくらいか。
「とりあえず外に行ってみないか?ここがどこなのかってのも知りたいし」
冷静に考えた結果思い浮かんだ事を2人へと提案する。
2人とも何かを考え込んでいた様でしばらくの間黙り込んでいたが、
「そうよね。今出来ることはそれくらいしか……」
「ないですね〜」
「セリフ被せてくんなぁー!」
「ううぅぅぅっ」
どうやらみんな出た答えは同じのようだ。
そしてこの2人は──犬猿の仲……否。人間と天使ような関係になりつつあった。