プロローグ
突然だが、俺、鈴音 優は、この『普通』の日常がたまらなく好きだ。
──幼い頃に、両親は突然行方をくらまして、それ以来ひとりぼっち。
『さみしい』『家族がほしい』と、それからよく思うようになり、そんな混濁した感情を胸に抱きながらこの17年間生きてきた。
普通の日常を送っていたのなら、今頃、家族で仲良く過ごしていたのかもしれない。
また何かが起こって嫌な思いをするくらいなら。
──ずっと普通でいたい、そう思う。
普通の日常というのは、ただただ時間が過ぎ行く──同じようで異なる毎日が淡々と過ぎて行く──そんな日常だ。
普段から俺は、厄介ごとに巻き込まれるのを避け、変わったことを目にしても敢えて見過ごす。
厄介ごとはゴメンだ。
そんな俺の生き方を“普通主義”と言う。ちなみにこれは自分で名付けた。
──だけど、自分でも気づいていないことがあって、他人から見ると、実は、面倒見が良かったり、正義感が強かったりするらしい。
こんな普通の生活がいつまでも続いてくれたらな、なんて願い──否。願うようなことでもなく、そんな日々は勝手に時間を重ねてゆくはずだった。
だって──それこそが本当の『普通』の日常なのだから。
「……ぁう……っ」
不意に意識が覚醒する。
若干視界がぼやけているが、空が見える──。
あぁ、倒れていたのか。
全身へと、地面から氷のような冷たさが伝わってくる。
体を動かそうと、四肢に力を入れる──が、うまく力が入らない。
そして何より、全身が痛い……。
痛い、と、そう実感した瞬間、全神経を通してさらにその痛みは増してくる。痛い痛い痛い痛い。
「そういえば……凛は……」
つい先刻のことが頭をよぎる。
声にならない声を僅かに発声し、動かない体を、痛みに逆らいながら首だけを必死に動かす。
頬に感じる水気、地面が濡れている。
そして、隣で横たわっている見慣れた少女を視界に捉える。
「凛……」
彼女の瞼が持ち上がることはない。
そして、彼女の口元から液体が流れている。
その液体は、涎……なんかでは無い。その液体にはしっかりとした色があるから。
真っ赤な──鮮血。
ぼやけていた視界がだんだんと晴れていく──そしてそれと同時に脳の思考回路の動きも早まり、この状況を理解した。
身体を無理矢理に起こす。痛い──しかしそんなことはどうでもいい、『痛いだけ』だろう。
彼女の元へと駆け寄る。
「凛っ!凛……っ!」
返事は一切返ってこない。
そして、その血は口からだけではなかった。全身がボロボロになり、深く痛々しい生傷から、今もどんどん溢れ出している。
その量は尋常ではない、これほどの量の血をみて──一瞬思ってしまう。『死んでしまうのではないか?』と──気が動転してしまいそうだ。
心臓はバクバクと跳ね上がり、いまにも口からこぼれ出てしまうのではないかというほどまでに高鳴る。
「ああぁぁあああ───っっ!」
誰でもいいから彼女を助けてくれ。
誰か……誰か……。
両の掌で自分の顔を覆う。べちゃりと冷たい感覚。
そうだ、地面が濡れていたのだった。
地面へと視線を向ける。
そして、今更ながら、気づく──その赤一色に染まった地面に、自分のいた場所に。
──そして……自分の胴体に何かが貫通したような穴がポッカリと空いていたことに。
「────ぅ」
そこで意識は限界へと達し、視界は真っ暗闇へと染まった──。