7-3
明け方近くに、俺は眠りから醒めた。窓の外はぼんやりと明るくなってきていた。恵美は黙って俺を見つめていた。
「起きてたの?俺、いつの間にか寝ちゃったな…」
恵美はただ、ふふっと微笑んだ。そして、布団から手を出し、それを俺に差し出した。照れくさくて戸惑っていたが、恵美がそれでも手を引っ込めないことを見て、ようやく俺はその手をとった。
暫くの間、無言のまま見つめあった。早朝の、静かな時が流れた。
「ねえ、章君。キスして」
恵美は俺を見つめたまま、ゆっくりと言った。
「どうしたの、突然」
俺が恥しさからそれをかわすように言うと、彼女は「お願い」と言った。そして、軽く微笑むとその目を閉じた。俺は小さく「うん」と言ってから、顔を寄せた。
初めて俺は恵美の唇に自分の唇を重ねた。ほんの数秒のキスだった。
恵美はゆっくり目を開けて、俺に微笑みかけた。俺も恥しさから照れ笑いをした。
「ねえ、もう一つお願い事、聞いてくれる?」
彼女はそう言って、左薬指にはめられた指輪を外すと、俺に手渡した。それは血がついて輝きが鈍くなっていた。
「ねえ、これを私の指にはめて欲しいの」
「どうしたの、一体」
俺は突然の連続に戸惑った。恵美は少し恥しそうに「章君にはめてもらいたいの」と言った。俺もその言葉にこそばがゆい恥しさを感じた。しかし、恵美の眼差しは真剣だった。彼女の願いを叶えてやらなければいけない、と思った。
「俺が、恵美さんに相応しい男になるまで」
そう囁いて恵美の手をとろうとすると、彼女は「もう十分に相応しいよ」と言って微笑んだ。その微笑みをたたえたままに俺を見つめて、小さく頷いた。俺は彼女の手をとった。
できるだけ紳士的に彼女の左薬指にその指輪をはめた。
恵美はその再びはめられた指輪を愛しそうに見つめた。そしてその左手を俺の頬にあてた。俺はその手を包むようにして自分の手を重ねた。これまで見た中で最も穏やかで、幸せに満ち溢れた微笑みが恵美の頬にこぼれた。そして恵美は言った。ありがとう、と。
*
恵美は、それから間もなくして昏睡状態に陥った。そして3時間後、息をひきとった。
脳内出血が原因だった。
「ありがとう」の言葉を俺に遺し、そのまま恵美は逝ってしまった。