6-1
修学旅行は、すっかり俺と恵美との関係のことで持ちきりとなった。級友たちが騒ぐのはまだ分かるとしても、担任までもがこのことを面白おかしく騒ぎ立てているのだから、始末に負えない。しかし、いろいろと冷やかされるのにも、厭な気はしなかった。
その度に俺は自分の頬に手をやる。 まだ恵美の唇の感触が残っているかのようだった。
恵美が真実の俺を受け入れたこと、…それから、キスされたこと、これらが時々嘘だったのではないか、夢でも見ていたのではないかと思えてしまう。それでもこうして囃したてられる度に、嘘ではなかったと確認できるのだ。
とはいえ、部屋に居ると、入れ替わり立ち替わり、どこまで行った、などと訊いて来るので、さすがにうんざりした。あとで抜け出すことも考えて、ロビーでテレビを見ることにした。ロビーには教員もいることだし、絡んでくる者もいないだろう。
一人の教員は例外として。
「おい、高村ぁ」
そう言ってさきほどからしつこく絡んでくるのは担任だった。この男は35歳で独身。別に不細工というわけでもなければ、どうということもない、極々普通の男なのだが、何故だか結婚のチャンスを悉く逸している、そんな男なのである。
「俺はなあ、別にお前とあのスチュワーデスさんとの仲を妬いているわけじゃあない。俺は、いいことだと思うよ。 うん、あんな綺麗な人がそばにいるだけで幸せな気分になれるもんなあ、うんうん」
担任は続けた。
「いや、本当に、妬いているわけじゃあないんだよ。 ただ、なんていうのかなあ、俺ももういい年だからさあ。羨ましいのかなあ。 いや、生徒の恋愛を見て羨ましいなんていうのもおかしいな。 わからんなあ…。 ただ、とにかくさあ…」
俺が適当に相槌を打ちながら、そろそろホテルを抜け出そうかと、そんなことを考えていたときだった。突然ロビーのテレビに映されていたニュース画面が変わり、慌てた表情の中年アナウンサーが映し出された。そのアナウンサーは表情をそのまま、慌てた様子で原稿を読み出した。
「臨時ニュースをお伝えします。さきほど入りました情報によりますと、E航空185便、羽田発函館行きの消息が分からなくなっているとのことです。繰り返します。…さきほど入りました…」
俺は跳ね上がるようにして立ち上がると、すぐさま走り出した。ホテルの入口で幾人かの教員に取り押えられそうになったが、構わず力任せに振りきり、雨の中を走った。
大通りでタクシーを拾った。乗り込むなり「空港まで!」と怒鳴った。運転手は俺の尋常ならぬ気配に驚いた様子だったが、車を出した。
「できるだけ急いで!」
俺は懇願するように叫んだ。どうしたんだ、といったような目でバックミラーから俺の様子をのぞきこんだ。
「まあ、そう言っても、この雨だもの」
走っているときは気にならなかったが、外はバケツをひっくり返したような土砂降りの雨だった。髪からぽたぽたと雫が落ち、シャツはべったりと肌に貼り付いていた。
「すみません、シート濡らしちゃって」
俺は少し冷静を取り戻し、運転手に詫びた。彼は、いいよいいよ、と言いながら、手をあげて見せた。ラジオのニュースでも緊急速報として函館便の墜落の可能性を報じていた。新しい情報では、E185便は函館空港に着陸許可の要請をした交信を最後に、通信を絶ってしまったとのことだった。
「まさか、あんたの知り合いでも乗ってるのか」
運転手は心配そうにバックミラーから覗き込んで訊いた。
「…かもしれない…」
走ったせいもあるかもしれないが、呼吸がひどく荒れた。胸が苦しかった。横隔膜が痙攣しそうだった。E航空は、恵美の働く航空会社だ。羽田発の函館便は8時、14時、17時の3便。恵美が乗務すると言っていたのは、夜の、17時の函館便。
「ああ」
こぼれるように息が漏れた。
「…なあに、大丈夫さ」
運転手は、何の根拠も持っていなかったが、ただ俺の悲痛極まる表情を見て、必死に励まそうと、空港に着くまで、彼は何度もこの言葉を繰り返した。