5-2
「ねえ、修学旅行?何処に行くの?」
「北海道。今日は函館に泊まって、明日明後日と札幌に泊まるらしいよ」
「本当に?私も今晩の便で函館にフライトで、そのままステイなの」
恵美はそこまで言って、意味ありげに微笑んだ。
「ねえ、夜、ホテル抜け出せる?」
「もちろん、なんとしてでも抜け出すよ!」
共謀する二人の間に、もはや溝は存在していなかった。
恵美は楽しそうに函館の街のことを語った。函館山から夜景を見に行くこと、また美味しいラーメンの店へ行くこと(俺には客室乗務員とラーメンという大衆食との組合せがおかしかったが、彼女に言わせると、よく食べるのだそうだ)、そんなことを決めた。
その話が一段落つくと、沈黙が流れた。それは決して厭な静寂ではなかった。恵美は微笑をたたえたまま、コーヒーカップに沈めたスプーンを意味もなくくるくると回していた。俺はそっと学ランのポケットに手を突っ込んだ。
島から帰った翌日に買ったもの。家に置いたままでは、万が一家人に見付かっては厄介と思い、いつも持ち歩いていた。俺は意を決した。
「あの、恵美さん」
俺はそれをポケットから取り出し、恵美の前に差し出した。小さな小箱である。恵美は少し驚いたように俺を見つめた。
「これ、もらって欲しいんだ。…本当はこの前渡そうと思ったんだけど」
そう言ってその小箱の中から、指輪を取り出した。恵美はその意図とこのタイミングとを解しかねるように、少し困惑した表情を浮かべた。
「お、俺が貴方に相応しい男になるまでこれをつけていて欲しい」
その指輪はごくありふれたデザインのシルバーリングだったが、その裏には特別の言葉が刻まれてある。そして、それに俺の精一杯の想いが託されていた。
恵美は「どういうこと?」と訊いた。
「俺がいつの日か、恵美さんに相応しい男になったとき、これと交換に本物の、もっと立派な指輪を贈りたいんだ。それまで誰からの指輪もはめられないように…」
恵美はしばらく考えた様子だったが、黙ってそれを受け取ると、左手の薬指につけた。そして「ありがとう」と言った。ようやく全てのしこりを取り除くことができた俺はほっと安堵のため息をついた。
恵美はそれを微笑みながら見ていたが、突然
「ねえ、あれ」
と笑いを押し殺しかねるように店の外を指さした。俺がそちらを振り向くと、学ランを着た男どもが群がっていた。皆、こちらを見ては口々に野次っていた。
「妬けるねー、おふたりさーん」
「高村ぁ!いつ抜け駆けしたんだ!」
終いには何処から現れたのか、担任の男までが
「おいっ!高村ぁっ!俺が結婚できないっていうのに、なんでお前がそんな美人と付き合ってるんだっ!」
と勝手なことを騒ぐ始末だった。
「うるせえ!」
俺は叫んでから、恵美の方に向き直って頭痛がするかのように頭を押えるしぐさをした。それを見た彼女は悪戯っぽく笑った。
「見せつけてやろっか!」
そう言うや、立ち上りざまに俺の頬にキスしたのだった。
俺は突然のことに呆然とし、外から野次が一層激しく飛んだのだった。