序章
あれは半年前の夏。俺はごくごく普通の高校生だった。
その夏、俺は従兄の住む島へと遊びに来ていた。従兄は東京の大学を中退後、この島でダイビングのインストラクターをしている。夏休みに入る直前に彼から遊びに来ないかと誘われた。特に予定があるわけでもなかったから、俺はその誘いにのった。
そして、夏休みに入るや、すぐに島へと遊びに,やって来たのである。従兄は間違いなく「遊びに来い」と言った。だから俺は「遊び」にやって来たのだ。
しかし、実のところは夏のシーズンで、客が多く、一人ではさばききれないため、俺を水夫として酷使せんがために呼び付けたことを島についた翌日に知った。尤も、大した娯楽があるわけでもない、ただ山と海ばかりのこの島で何をして遊ぶかという当てがあったわけでもなかった。東京でただ無為に夏を過ごすよりは、この普段と違った環境に汗を流し働くことは楽しいことだった。
ある日、帰港した船上で、俺が甲板を洗っていると、機関のチェックをしていた従兄が機関室からやおら顔を出すなり、突然俺に問うた。
「章は彼女とかいないのか」
突拍子もないこの問いかけに俺が驚き、また多少狼狽えた様子を見て、彼はにやにやと笑った。
「せっかくだから、カノジョサンを連れて来れば良かったのに」
明らかに俺にそういった対象のいないことを分かっていてこのように言う従兄を恨めしく思った。俺は敢えてぶっきらぼうに答えた。
「そんなのいねーよ。だいたい、いたとしたら、こんな島に来て、こんな労働基準法無視の肉体労働なんか、誰がするかよ」
従兄はそれを聞いて笑った。
「まあ、それもそうだが。それにしても寂しい青春の一ページだな」
そう言って、また大きく笑うのだった。
「まあ、いいさ。いつか誰かが現れるだろうから」
俺がそう言うと従兄は苦しそうに腹を抱えて笑った。
「そんなんじゃ、いつまでたっても彼女なんてできそうにないな」
俺はそれでもいいと思っていた。
もちろん、健全なる男子高校生であるから、人並に異性に対する興味はある。しかしある女生徒に対して、いいな、と思うことはあっても、それ以上の感情が湧くことはなかった。
「まあ、そのうちに」
俺は曖昧に答えた。
これ以上の答えは出せなかった。俺にとって「恋人」という概念はあまりにも漠然としすぎていた。
―――人を「好きになる」ということさえも。
そう、この時までは。