死神へ変身
「ねぇ、いいじゃない。私もそのうち帰って来るし」
「それでもしばらくは遊ぶつもりだろ?」
「ま、そうだね」
「10日とか、半月?ぐらいか?」
「…あともう少し」
「まさか1ヶ月も?」
「うーん、まだ解んないけど、のんびりしたいなぁ」
「それって、どのくらいだ?」
「きっと、2・3年か、4・50年、多分100年よりは短めかな」
「あのな、それって、歴史が代わってるぞ」
「そうかな、意外とあっという間だよ。それより、早く飲み干して」
そう言いながらアコエルはポン太のペットボトルを覗き込んだ。
ほとんど空になってはいたが、底の部分にわずかな水が揺れている。
それはコップ半分にも満たない量でしかない。うっかりダストボックスに投げ込んでも後悔しないほどであった。
軽い。
何気に軽く振っても、重量感はほとんど手元に伝わっては来ない。
ただ、水の跳ねる感触はあまりに心細く、その量を確かめたくなるほどに頼りない。
ポン太はそれを顔に近づけ、真横から眺めた。
ペットボトルの水の向こうで、風景が歪んでいる。
それはなんとも言えない不思議な気分にさせられた。
自分の手に握られているのは、他でもないポン太自身なのだ。
「これを飲んだら、終わっちゃうんだよな」
ポン太はペットボトルを見つめたまま独り言のように呟いていた。
生きていては死神になることはできないらしい。つまり、自分で死神になることを決意して、一度その命を終えなくてはならない。
当然のことだが、一方通行の選択に、便利なリセットボタンはどこにもない。
自分として生きるために、前向きにその命を終えなくてはならない。
なんだかヘンテコな手順だが、それを決めたのもやはりヘンテコな神様である。
さて、普通に考えて、命を賭けるほど死神になりたい奴なんかいる訳がない。
いたとしたら、よっぽど悲惨な来世が待ち受けてる哀れな人物だけである。
そんな人物にできるのは、ろくでもない未来に想像力を働かせることぐらいかもしれない。
「ねぇ、これからポン太も水着選びに付き合ってよ」
アコエルは嬉しそうに弾んだ声で話しかけた。気分は完全に南国にスイッチしている。
しかし、そんな声はポン太の耳に届いていない。なぜなら、思考回路に若干の暴走が発生していたのだ。
「ねぇってば、ポン太はどんな水着が好き?」
『生まれ変わるなら、まともなのがいいな…』
「かわいい水着がいい?」
『まさか、カメムシとかザリガニなんかに生まれ変わるのは嫌だし…』
「それか、ちょっぴりセクシーなのがいいかな?」
『かと言って、ジジイのパンツなんかに生まれたら絶対に嫌だぞ。得体の知れない固まりにムニュッと張り付く人生はゾッとするな…』
「言っとくけどビキニは無理だからね♪」
『絶対、ジジイのパンツは無理だ…』
「でも、ポン太がどうしてもってお願いするなら考えてもいいけど?」
「いや! 考えたくないぞ。頭ん中で映像化しただけで、吐きそうになる…』
「ねぇ、ポン太はどんなのがいいの?」
『そうだな、妥協案として電気カミソリあたりはどうだろ? なんかちょっとカッコイイ気もする…
いやいや、ジジイの場合、シェービングクリームなんて使う訳無いから、加齢臭の直撃を受けるだろう。
これは酷いだろう。
朝っぱらから、細切れの臭いヒゲをたらふく喰わされるぞ。ちょいちょい鼻毛なんかも紛れ込むぞ。
そいつら、み〜んなコテコテんなった顔の脂身で粘り付くんだ。
充電でも切れてみろ、逆さまになって、そのまんま忘れられるかもしれん。
バカ野郎! それじゃ、腹ん中でジジイのヒゲやら鼻毛がグツグツ発酵するじゃないか。
そりゃあ、思いっ切り臭いぞ!
そんでもって、洗面所の隅っこで忘れられたまんま飼い殺しか!
それじゃ、俺の方が腐っちゃうだろう!
おー危ねぇ。生き地獄だな。うっかり騙されるとこだった。
電気カミソリのカッコは、罠だなきっと。油断も隙もない奴だ。
やはり見た目じゃないな……』
「ねぇ、聞いてる? ちゃんと答えてよ」
「エッ!? ああ、見た目じゃない」
「へえーっ、なんか似合わないこと言うね。でも、それいいかも♪」
そう言って、アコエルはニッコリと微笑みを浮かべたが、ポン太は笑うことができないでいた。
『…死神になった方が、マシかもしれない…』
思考回路が暴走していると判断力が狂う。当たり前のことが不思議なくらいわからない。
後悔するのはその後である。




