神様クエスト
ピロピロと電話が部屋の中に鳴り響く。3コールで出た女は、ぶぜんとした表情のまま、それでも口調は軽やかに喋べる。
「はい。高天原本部です」
女がいるのは、日本の神様が集う場所、高天原の本部の事務室だった。
彼女以外にも、何人もの神様が、地上にいる神様などからの電話を受け賜り、必要部署に繋いでいる。女的には、地上に住む人間が作った音声ガイダンスの装置を取り入れたいというのが正直な気持ちだ。しかし長生きな神様は、真新しいものを使うのがあまり得意でないらしく、中々普及しないというか、下手するとそれに対するクレームが増えた。その為、今でも手作業で必要な部署に取り次ぐという仕事が減らない。さらにただの愚痴を聞いて欲しいだけの神様も多い為、彼女の仕事は一向に減る事がない。
「はい。天照大御神様は現在会議中でして。えっ? 最近天気が雨続きだから何とかして欲しい? 風の神の部署に回しますので、そちらにご相談下さい――。ああ。雨の神の方が良いですか? えっと……そちらの地域ですと、竜神様にご相談されるのがいいですね。闇龗神様と高龗神様ですか? えーっと。ああ、現在天照大御神様が主催される会議に出ていますね」
女は眉間にしわを寄せながらも、それでも相手の要望に応えて相談しやすい部署をお勧めする。
一通り、相手の要望というか愚痴を聞き終えた女は、電話回線を相手が望んだ部署へ繋ぎ、相手が求めている事柄を事前に説明して、電話を切った。
そしてキレた。
「もう嫌だ。転生する!」
「やめて下さい。見捨てないで下さい」
泣きついたのは、周りの神様。
「ええいっ。神様なら、神様らしく、自分の事は、自分で解決しろっていうのよ。何でもかんでも、私に回すんじゃない。私は元人間なの。神様にむしろ相談に乗って欲しい方なの! なのに、気がつけば、神様の尻拭い的ご相談室係。もう私の堪忍袋は決壊しまくりのツギハギだらけよ」
拳を握りしめて叫んだ彼女は、興奮が収まらないようで、肩で息つぎをする。
「そもそも。私は善行が認められて、ここに居るんでしょう? これじゃあ、地獄の亡者と変わらない無間地獄じゃないの!」
「そんな。人間から神様に昇格なんて中々ありませんよ、湊様」
「ええい。生前はいい顔したくて、人の頼みは断らないようにしたけれど、死んだ後なんて知ったことじゃないわ。というか、こんな職場ブラックよ、ブラック。上司は、いい加減しろって言うぐらいサボって、会議、居眠りして、会議、お茶して会議。会議のための会議に、会議の後の本当の会議。その間にどれだけ仕事が溜まっているとっ!! これだから、時間にルーズな上司は嫌いなのよ」
湊と呼ばれた彼女の死因は、過労だった。
生前、誰からもいい人と呼ばれていた彼女は、ひたすら人の願いを叶えた。聞こえはいいが、簡単にいえば、押し付けられた仕事を、元来持っていた真面目な性格から全て完璧にこなしていたのだ。
誰かに仕事のミスをを指摘されるのも嫌いな彼女は、とにかく働いた。働いて、働いて、働いて、気が付いたら幽霊だった。しかもそれさえも気が付かず、しばらく職場で働き続けたという強者でもある。
一歩間違えれば地縛霊だったのだが、そうなる前に鬼神のごとく仕事をこなす彼女を見つけた死神が冥界に導いたのだ。
その仕事っぷりはある意味、彼女の自己満。
しかし彼女が行っていたことは、自己満にすぎなくても、かなりの徳が積み重なっていた。さらに、彼女の死を嘆く者も多数でたりしたわけで、結果的に彼女は天国で過ごすもよし、転生もよしというかなりの特待で迎えられたのだ。
勿論生前働き続けていた彼女は思った。しばらく働きたくないと。
そしてそれは実現したのだが、3日目にして彼女は転生させてほしいともう一度申請しに行く事になる。理由は、いざ自由な時間を得たものの、何をしていいのか分からなかったから。定年を迎えた男と同様、仕事一筋というか、仕事以外の時間をとれなかった彼女は見事に余暇の使い方が分からなかったのだ。
これでは、天国にまで来て痴呆症になるかうつ病になるだけだと認識した彼女は、転生してもう一度人生やり直す決意をした。
しかしそれを止めたのが、彼女の現上司である神様だった。神様は、彼女の徳を転生などで使いきってしまうのは勿体ないといい、折角だから神様をやってみないかと伝えた。転生してしまえば、例えお金持ちのお嬢様の家に生まれたとしても前世の記憶は引継ぎできない。だとしたら、同じく新しい人生を始めても湊のままでいられる神生を生きた方がいいだろうと。
「私は別に崇められたいとか思ってないの。私がいなくなった後、少しくらい苦労を感じて、カムバーックなんて言ってくれたらいいななんて女々しい事は思うけど、基本的に小市民なのよ。八意思兼命様に誘われた時は、自分の存在って何だろうってナーバスになっていたから、うっかり乗っちゃったけど、とりあえず自分というものを取り戻した今! 私はもうブラック企業には関わらないと心に決めたの」
天国に来て、いざ自由な時間ができて、何をやってもいいよと言われた時、初めて湊は自分の中に何もないのだと気が付いた。
何をしたらいいのか分からない。すべての基準が仕事だけだった為、初めての自由は苦痛しか感じられなかった。そして次第に、自分は何の為にここに居るのだろうと思うようになってしまった。生きている時は、仕事が自分に価値を与えるすべてで、それがなくなった時、分からなくなってしまったのだ。
そんな自分に自信を無くした時に出会ったのが八意思兼命だった。
湊の力を貸して欲しいと言われた瞬間、湊はまるで親鳥を初めて目にした小鳥のようについていき、神籍を得て現在その部下として働いている。
「ブラックとは酷いなぁ。和気藹々、楽しい職場だと思うけど」
不意に声をかけられ、湊はビクリと背中を震わせた。
「八意様……」
「僕は怒ってはいないから怯える――」
「遅いです。書類のサインが止まっています。こちらは、某大学の教授からの願いで、こちらは建設業の社長から、こちらは――。何をぼーっとしているのですか? お布施を頂いているのですよ。時は金也。人の人生というものは短いのですから、のんびり構えていたら、この人達の願いをかなえるタイミングを逃します」
「おや?」
先ほど、もう辞めてやると叫んでいた湊だったが、再び仕事モードに戻ると、八意と呼んだ上司の男に詰め寄った。湊が口ごもったため八意は悪口を聞かれて困っていると思ったようだが、当ては外れたようだ。湊が口ごもったのは怒りの為だったようである。
「……流石、湊ちゃん。いつものごとく、獄卒並みに鬼の様に働くねぇ。もう少し、休みながら――」
「休んでいいのは休憩時間だけと決まっています。いつもいつも、私が探しに行かないと、サボる癖をどうにかして下さい。八意様は、確かに高天原一頭が良いですが、仕事のできるできないは、頭の良さだけでは測れません。そもそも社会人に必要なのは、ホウレンソウです」
「ほうれん草って筋肉がムキムキになる――」
「そういうボケは要りません。報告、連絡、相談です。八意様は、まず最初の報告なしに休憩をとられ、連絡がつけられなくなり、更に相談もなしに次々に仕事を入れてしまう。色々社会人として問題です」
どちらが上司か分からないようなぐらいの勢いで湊が喋り、意見を最後まで言わせてもらえない八意は、マシンガントークにただただ耐える。半分涙目なのを見て、周りの神様は目を逸らした。
「会議は必要なことだよ。他の部署とちゃんと密に連絡とっておかないとね」
「他部署とのやり取りは大切ですが、会議は短くスピーディーに。はい。分かったら、書類にサイン。こちらは判子を押すだけでいいです。こちらはちゃんと読んで下さい。後、お社に来た恋愛成就祈願の氏子の願いは、別の神にお願いをしますから文をしたためてーー」
「湊ちゃん。分かったけど、そんなに言われたら覚えられないよ。ゆっくり一つ一つ隣について教えておくれ」
「神様でしょうが。まったく」
ぷりぷりと怒りながらも、湊は八意についていき、一つ一つ書類の説明をするのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「はぁい。湊ちゃん。そんなに慌ててどこへ行くのかしらん?」
「高龗神様」
湊が走っていると、呼び止められて、その足を止めた。そして、自分よりも高い地位にいる龍神に対し深々と頭を下げる。
「こんにちは。お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。先日は会議中にもかかわらず無理なお願いを聞いていただきありがとうございます」
「どういたしまして。八意ちゃんの懐刀な湊ちゃんからの頼みですもの、気にしなくてもいいわ。それから、私の事は高ちゃんでいいと言っているのに」
湊は高龗神の言葉に、曖昧に笑った。
高龗神はオネエ言葉だが、歴とした男。しかも貴船神社で祭られている、由緒正しい八意と同じぐらい偉い神様だ。湊としては、そんな方を愛称で呼ぶのは何だか悪い気がして、中々それができなかった。昔から真面目だけが取り柄だった為融通というものが利かない。
だったら上司はどうなのかという事になるのだが、八意は湊の中ではダメ上司に位置づけられていて、最初こそ躊躇ってはいたが、今はそうい気持ちはなくなっている。
「それで、そんなに慌ててどこへ向かっているのかしら?」
「上司がまたサボって、どこかに姿を暗ましてしまったので、探してるんです。……高天原にいてくれればいいんですけど、ふらりと人間界に行く事もあれば、この間なんて普通に地獄で温泉に浸かってましたし」
普通、高天原の住人は地獄へ行くのを嫌うものなのだが、八意はその辺りの考えが柔軟で、どこへでも遊びに行く。その為交友関係も広いのだが、湊としては中々見つけられないので、結構困っていた。
ある程度の書類ならば、湊の方でなんとかできる。しかし重要書類は八意に目を通しておいてもらいたいし、氏子だって八意に願いを叶えてもらいたいと思っているに違いないと考えていた。
「そういえば、ついさっき会った時も地獄に行ってくるって言っていたわね」
「またですか?! あーもう。あそこに、もしかして女とか作ってるんじゃ……あっ。すみません」
高龗神に下世話な話をしてしまったと湊は恥じる。どうにもここに来てからというもの、八意に振り回されている為か、ついぽろっと口から言葉が出てしまう事が多くなった。
「謝らなくてもいいわよ。むしろ、だいぶんと砕けてきた感じで私は嬉しいわ。ここに来たばかり湊ちゃんってば、固いし表情筋死んでるし、目も死んでるし、心は病んでるなぁって感じだったもの」
ニコニコ笑いながら言われるが、その言葉はかなり鋭い刃となって湊に突き刺さる。でも、高龗神の言う通りだと湊も分かっていた。
来たばかりの頃は、ぽっかりと空いてしまったものを何で埋めればいいのかも分からなくて途方に暮れていたから。
「今は、ちゃんと働いていますから。……働くしか私には能がないですので」
「そうね。湊ちゃんが秀でているとしたら、真面目に働くという所だもの」
働くしか能がない事を他人からも肯定されて、分かっていた事だが湊は落ち込む。どうせ、自分は何の面白みもないですよと心の中でいじけてみるが虚しいだけなのですぐに止めた。
「八意に認められるのは凄い事よ。何も秀でたところを見つけられない子だっているものだし」
「はぁ」
落ち込んだ事を見抜いたらしい高龗神が言葉を続ける。
「湊ちゃんはもう少し自信を持っていいという事よ。八意がほいほい出かけられるのも、湊ちゃんがちゃんと職場を放棄しないで守ってくれているからだしね」
「私としては、放棄しないでいてくれるのが一番なのですが……。では、時間がないので、この辺りで失礼します」
「ええ。そうだわ。闇龗神も会いたがっていたし、今度私の社に遊びに来てちょうだい」
高龗神に誘われて湊は頷いた。
「今度時間が空けば、是非」
「社交辞令じゃないから、絶対よ。じゃあ、呼び止めて悪かったわね」
湊はいいえと首を横に振ると、再び走り出した。
八意は地獄にいる事が分かったので、少し遠出になる。
「剣と盾は必要ないけど、書類とペンは必要そうね」
湊は幼いころにやったゲームを思いだし、そう独り言ちる。あのゲームはドラゴンを探す旅だったが、こっちは神様を探す日々だ。まさに神様クエスト。ただし神様をどれだけぼこりたくても、倒しちゃまずいので無事に連れて帰るのがクリアポイントだ。
その間の仕事を溜めるわけにもいかないので、地獄行きの電車に乗りつつ、中で仕事をしようと湊は頭の中で荷造り道具を考えた。
◇◆◇◆◇◆◇
昔、伊邪那美と痴話喧嘩した伊弉諾の所為で高天原と地獄の行き来はなかった。
しかし時代は進み、やはり仕事上不便という事もあって、今では交流も再開している。伊邪那美と伊弉諾は相変わらず仲が悪いが、それはそれ、これはこれ。
ただ高天原には黄泉の国は穢れるという考え方がある為、位の高い神が赴く事は少ない。基本は湊のような神に仕える低位の神が往復するぐらいだが、それでも電車ができるぐらいには繋がっている。
『血の池~、血の池~』
車内アナウンスが流れて、湊はずっと目を通していた書類を鞄の中にしまうと立ち上がる。
相変わらず鉄臭そうな駅名だと湊は思うが、ここは地獄なのだから可愛い名前があるわけもないかとすぐに頭の中を切り替えた。
「この間は遊女がいた所にいたけど、また同じ所かしら」
地獄には遊郭という場所が今でもある。
湊が生きていた時代の日本にはもうなくなってしまったもの。高天原の清い場所で生まれた女仙は、こういった場所を忌避して中々近づけないが、元々人間出身の湊は特に穢れなどを気にする事なく近づけた。
そういう事情もあって、八意の捜索はもっぱら湊が引き受ける事になってしまっている。ため息反面、自分しかできない仕事に若干ながらの充実を感じてしまっているのも事実で、湊は自分の性根は神様向きではないなと思っていた。むしろ地獄で働いた方が合っているのではないかと。
周りにいい顔がしたいだけで人のお願いごとを聞いていた湊は、それほど高潔な性格はしていない。むしろ欲まみれだ。私がいなくなって困ればいいのになんて思ったりもしている。
湊自身、自分は神様には向いていないと最近特に感じていた。
地獄は、亡者と鬼が住まう場所かといえばそうとも限らない。閻魔王は元々人であるし、伊邪那美のような神様もいる。人間である小野篁が地獄で働いているというのも有名な話で、罪を償わなければなければならない亡者と、現地人である鬼以外にも、そこそこ人は居る。
「あら。八意の旦那のところのお嬢ちゃんじゃないの」
遊郭へ行くと、普通に出迎えられて湊は内心ため息をつく。遊郭の方と顔なじみというのはどうなのだろうとと思うが、それぐらい来ているという事だ。
「八意様はいらっしゃっていますか?」
「今夜予約は取ってみえるけど、まだ来てみえないね。またふらりとどこかへ行ってしまったのかい?」
「ええ。少し待たせていただいてもいいでしょうか。席料は、八意様に払って頂きますから」
湊はシレッと八意にツケさせる。
湊は生前人の頼みが断れないだけあって、あまり気が強い方ではない。死んで少しはっちゃけてしまってはいるが、それでも根柢の部分は変わっていなかった。その為、私は来たくて来ているのではないのだからと心の中で言い訳しつつだったけれど。
「ええ。八意様も、もしも湊様がみえた時はそうしてくれと言って見えたからねぇ。大切にされているじゃないの。この辺りは治安が良いとは言えないからね」
「そんな伝言をするぐらいなら、初めから私が来なくて済むように事前に一言言って出かけてくれればいいのに。気の使い方を間違えてます」
湊はため息をつきながら中に入る。
日本家屋のような佇まいの遊郭は、まるで高級旅館のようだ。この町一の遊郭だからだろう。まだ日が高いため客の出入りは少ないが、夜になると一気に増える。
自分も男だったら、こういう場所に通ったのだろうかと湊は思う。
「あら湊じゃない」
「姉さん、こんにちは」
この遊郭の人気遊女と顔を合わせた湊は頭を下げる。以前八意と居た時に、姉さんとは顔を合わせた事があった。
「神様がそんなへこへこと頭を下げるものじゃないわよ」
「いえ。私は神様というほどのものではありませんので」
「今日も八意様を探しに?」
「ええ。予約は入っているようですので、しばらく待たせていただこうと思いまして。ここは茶屋ではない事は知っていますが――」
「そんな固い事言わなくてもいいわ。それより、相変わらずの恰好ね」
遊女に指摘されて湊は困ったように笑った。
湊は仕事の荷造りはてきぱきとこなせるが、どうしても自身の身だしなみについては手を抜いてしまう。今日も櫛をといたかどうか怪しいぼさぼさ髪に、黒縁メガネ。服もOLの制服っぽい地味なワンピースに手元が汚れないよう腕抜きをはめていた。おしゃれ度はかなり低い。
「すみません。このような恰好で」
「仕事が忙しいのは分かるけれど、もう少し身だしなみも気にした方が良いわよ。湊ちゃんは女の子なんだから」
「はあ。すみません」
「今はお客もいないし、折角だから八意様がみえるまで、少し着飾ってみましょう?」
「いえ、仕事がありますので」
着飾ると言う言葉に、湊は拒否を返した。
「どうして? 可愛く着飾れば八意様も、職場にもっといてくれるかもしれないわよ。殿方は追いかけられるより追う方が好きな生き物だし。まあ、たまにはこちらにも来ていただきたいけれど」
「そういうのはいいです。少女漫画は高校生で卒業しましたから」
「少女漫画? って現世の?」
「はい。眼鏡をとったら美人。着飾ったら美人。そしてイケメンとゴールインという内容です。このタイミングで姉さんに着飾られた場合、私が遊女と間違われるようなイベント発生。そこに八意様突入というイメージです。でも、そういうのはいいんです。見た目を褒められたいわけではありませんので」
きびっとした様子で、つらつらと少女漫画を語る湊に遊女は苦笑した。
「湊ちゃんはお化粧や綺麗な服は嫌い?」
「いえ。姉さんの様に綺麗な女性を見るのは好きです」
湊だって女だ。着飾るのが嫌いではない。
「ただ。その服は、私が行う仕事に向いていません。適材適所という事だけです」
遊女の服は、着物な上、肩口が開いたような着方をしていた。洋服になれた現代人である湊が動き回るのに向いているものではない。
「相変わらず、仕事が好きなのね」
「そうですね。私にはそれしかないので。でも皆から頼られ、上司に必要とされるというのは、悪くはないものです」
湊はそう言って苦笑する。
「きっと湊ちゃんの事だから、持ってきた仕事のほとんどが車内で終わってしまったでしょう? だったら、少しここの帳面づけの仕事を手伝ってもらえないかしら? 代わりに簡単なメイクを教えてあげるから」
「……そんなに見苦しいですか?」
湊は困ったように頭を掻く。
「清潔感はあるけれど、それだけという感じね。仕事を頑張るのはいいけど、やっぱり私は、女は着飾るべきだと思うの。普段からできるレベルで教えるから」
さあさあと、背中を押され、湊は分かりましたと言いながら一室に入っていった。
◇◆◇◆◇◆◇
「八意様。遅かったですね」
「おや? 予約の時間はすぎていないと思うけれど」
入口にいた老婆に声をかけられ、八意は首を傾げた。
「ええ。ですが、お嬢ちゃんが首を長くして待っておられますよ」
「もうたどり着いちゃたんだ。いつもながら、湊ちゃんは早いなぁ。悪かったね、うちの子を預かってもらって」
「いえいえ。そのぶん、お代はきっちりといただきますので」
そろばんを弾くような動きをする老婆に、八意は笑った。
高天原にいる神は、こうやって金銭で解決していく方法を嫌うものもいるが、八意は分かりやすくで結構好きだった。
元々、八意は仕事の神。そして仕事に金はついてまわるもの。だからかもなぁと、呑気にそんな事を考えながら中へ入る。
「八意様、いらっしゃいませ」
中に入ると禿がぺこりと小さな角の生えた頭を八意の前で下げた。こんな小さな子がとも思わなくもないが、これも立派な仕事の一つ。今でこそ日本からは消えてしまったが、昔はあったものだ。
仕事の神として差別は特にする気もない。まじめに働いているならば、それなりの見返りが彼女に訪れる様にするだけ。
「こんにちは」
「姉さんが湊様と一緒に首を長くしてお待ちです」
「そうかい。でも湊ちゃんが居るなら長居はできないかな」
八意がこうやって遊郭に来るのは、姉さんと呼ばれる遊女に会うためでもあった。
地獄と高天原は空気が違い、仲良くしていくためには事前情報が必要だったりする。そこで上客をとる事の多い姉さんから、地獄の役人の情報を色々話を聞いておくのだ。
ただふらふらと遊び呆けているわけではない。
そしてそれができるのは湊がいるからに他ならず、さらに最近、湊がこうやって迎えに来るというのを八意は楽しみにもしていた。どれぐらいで自分を見つけ出す事ができるか、一種のゲームのような感覚で。
元々八意が湊を引き取ったのは気まぐれ。少し自分の加護が強すぎた為か、仕事だけで人生を終わらせてしまい、それ以外を見つけられなかった人の子。天国へ来たならゆっくりすればいいのに、余暇の使い方が分からず途方に暮れているような子だ。
だから自分の元へ導いた。そのまま消えてしまうには惜しいと思ったので。
それが思わぬいい拾い物だったと後々気が付き、高龗神から譲れなどと言われているが、湊を見つけれたのはきっと自分の徳のおかげだと言って突っぱねている。
「大丈夫です。湊様は現在こちらの仕事を手伝ってみえますので」
「ん? 手伝い?」
禿から言われた言葉に八意はそのまま表情を固まらせた。
遊女の仕事はいわゆる、性的なものも含まれていて……いやいや、まさか湊ちゃんに限ってと首を横に振る。
「えっと……湊ちゃんは、どんな手伝い――というか、どんな様子だい?」
仕事に優劣はないと八意は自分に言い聞かせつつ禿に尋ねる。
「とても楽しげな様子です」
「楽しげ……楽しげね」
果たしていつも仕事をしている時はどのような表情だっただろうかと、八意は考えて……憂鬱な気持ちになった。ふと最近んの記憶を思い返し、湊の笑顔を見ていないという事に気が付いた為に。
「湊ちゃんがいる部屋に案内してくれないかな?」
八意が禿にそう声をかけると、禿はくすくすと笑った。
「何で笑うのかな?」
「あっ、ごめんなさい」
「いや、怒っているわけではないよ。ただ、何に笑われたのかが不思議でね」
「姉さんが言った通りだから」
禿は少しだけ恐る恐るといった様子で八意に伝える。
八意は神。禿のような存在は、神の機嫌を損ねれば一瞬で消されてしまうぐらいか細い存在である。そこでふと、八意は湊が自分に怯えた事はないなと気が付く。
「姉さんは、たぶん私ではなく湊様に八意様は会いに来られるだろうと言われてました」
「面白い事を言うね」
「私もそう思います。八意様は姉さんに会いに来ていて、湊様は八意様を探して会いに来てみえる。なのに、八意様が湊様に会いに来るなんておかしいです。でも八意様が湊様のいる部屋を訊ねられたので、姉さんは凄いなと思いました。まるで、神様みたい――あ、すみません」
禿はしまったという顔をして、口を押えた。
遊女を神のようだというのは、神にとっては失礼な話。それでも八意は、確かにそうだと思った。
「謝る必要はないよ。姉さんは凄いねぇ。こちらの事はお見通しというわけだ」
「はい。姉さんは凄いです」
姉さんが好きなのだろう。禿は、ニコリと笑った。
「恋愛の神様も姉さんにはかなわないかもね……いや、案外気が付いていたかもな。知恵に富んだ神と呼ばれてはいるが、自分の事は中々分からないものだねぇ」
「神様でもわからないことがあるのですか?」
「仕事の事は分かるけれど、それ以外はさっぱりだね。追いかけられているようで、追いかけているのは自分の方だと言われてようやく気が付いたぐらいだ」
「八意様は追いかけてみえるのですか?」
禿は首をかしげる。
「そう言う事だね。彼女は仕事しか見てくれないからね。僕を見て欲しくて、僕は追いかけられているんだろうね」
「良く分からないのですが、えっと。姉さんが湊様をおめかしして待っていますので行きませんか?」
「湊ちゃんがおめかしか。それは楽しみだなぁ」
八意は笑いながら、ゆっくりと禿の後をついていった。
湊が『仕事をしてから外出して下さいと言ったでしょうが』と叫ぶ数分前のできごとである。彼らの追いかけっこが終わるのはまだまだ先の話のようだ。




