小人とあたしと。
見上げれば、どこまでも続いてゆく満点の星空。漆黒の絵の具を垂らした画用紙に、きらきら輝くビーズやスパンコールをうっかりばら蒔いてしまったかのよう。
そんな輝かしい夜空を、一本の箒星が長い尾を描いて流れる。
「うむ――星、ひとつ。西の方角」
晴れ渡る夜空のした、どこまでも続く深い翠の丘陵。そんなひとつの丘の頂きに、ぽつねんとその大木はあった。
遠い空へと手をのばすかのように、ぐっと枝々がそびえ立つ。
そんな大木の幹に寄り添うように、一人の老人がいた。古代中国に生きたかのような、裾が長く袖口がゆったりとした着物のような着衣。腰まである髭はたっぷりと豊かで白い。
優しい好好爺とした風情の老人は、目もとに慈しむような笑い皺を刻み、その大きな手で何かを受け止めるかのように宙へ差し出した。
「星、ふたつ――ようやくじゃの」
にこりと老人は夜空を見上げた。
老人の視線の先、そこには真っ直ぐと来る一筋の太く、けれど弱々しい光。何回か点滅して、老人の掌におさまった。
「ようやく来たのぉ、よしよし」
彼は労るかのように光に声をかけた。掌におさまった光は、米粒大の大きさになり、ゆっくりと白い光を点滅させていた。
「そなたは、こちらじゃ」
彼は空いている手の指を、音楽を指揮するかのように軽やかに動かし、宙へ何かを描いた。すると、淡い桃色の光を放ちながらひとつの巻物が現れた。彼がもう一度指を振れば、ふよふよと宙を漂いながら巻物が開かれていく。そしてある箇所でぴたりと止まる。
「――東の方角、豐葦原中国」
彼が巻物に書かれていた文言を読み上げれば、米粒大の光はふよふよと彼の指先に移動した。
「それでは、行きなさい。生の再びの旅路が幸あらんことを。行き着く先に、良い紅い縁があることを――姫よ、小さな魂よ、わたしはあなたの門出をことほごう」
彼は、懐から白い錠前――南京錠と赤い鍵を取り出した。
「これは月下老人からの祝福じゃ」
ある国では、南京錠は縁結びのスポットでたくさん見られる。南京錠をくくりつけて、恋の成立を願うそうだ。それは近年現れた、新しい縁願いの手法。月下老人たる彼は、その力で赤い糸ならぬ赤い鍵を産み出した。
光る魂に、白い南京錠を預けるように差し入れた。光は何度か震え、白い南京錠を飲み込んだ。
「鍵を探しなさい――きっと、彼らが導いてくれる」
彼がそういい終わる頃には、小さな魂は最後に激しく揺らぎ、すう……と大気に溶け込むように消えていった。
彼はただ願う。かの魂に幸あらんことを。
『『『『任せて』』』』
彼の願いに答えるように、よっつの小さな声が辺りに響いた。
少し昔。ある世界、ある国にとても不幸せな姫がいた。継母に苛められ、強いたげられ、手にするはずだった運命を魔女に全て奪われた薄幸の姫。
天によって定められていた運命を書き換えられ、結ばれるはずだった相手と会えることすら叶わなかった姫。小人に囲まれるように守られ、森の奥でひっそり前の生を閉じた姫の魂は、今度こそ幸せになるために、彼――縁結びの神、月下老人に託された。次の世でこそ、先の世で歪められ出会えなかった定められてた相手に出会うために。
運命の相手は、月下老人が手にする縁組み帖に記載されているという。
さぁ、次の世で姫の魂は無事に会うことができるのか。
その先は、誰も知らない。月下老人にもわからない。縁組み帖に記された男女が、どのような出会いを紡いでいくのか。
さぁ、物語は始まる。
0.
――今度こそ、来世こそ、幸せになってね、ぼくらの姫様――
暁は物心つく頃からよく見る夢がある。もう何百、何千と見たかわからない。
粗末な寝台に寝かされた自分が、白雪姫に登場するような格好の四人の小人に囲まれ、死出の旅へ旅立とうとしている夢。
夢の中の自分は小人達を家族のように大切にしていて、だからこそ彼等に感謝の念を向けていて。
だからこそ、最期に泣かないで大丈夫よ心配しないでと言葉を遺して。
そんな夢の中の自分に、暁はいつも一言申したい。
「大丈夫じゃないでしょ」
おそらくは、夢の中の自分は前世の自分。そう思わないとやっていけない。
「重い……」
鏡に映るのは、真っ黒な癖毛の髪を耳の横でひとつにまとめた眼鏡の若い女性。地味で、ぱっとしない、姫とは正反対の次元、ポジションにいる自分。とても顔色が良いとはいえない色白な自分の顔の横で、にこにこと笑う左肩の小人と目が合い、暁は髪をわしゃくしゃして無性に喚きたくなった。
『姫様、どしたの?』
『悩みすぎるとね?』
『はげちゃうよ☆』
右肩に黄色いの一人、左肩に青いの一人、頭の上に緑の一人。色違いでお揃いのベストにシャツ、ズボンにとんがり帽子。まるで三つ子のように同じ顔の小人がそれぞれの定位置に座っていた。彼らは夢の中の小人と瓜二つ、というより本人だ。
「……うるさいうるさいうるさい!!」
肩と頭上のきゃっきゃととかしましい小人達を摘まんでは投げ、摘まんでは投げる。しかし瞬きをすればすぐにまたそれぞれの定位置に戻っているのだ。
「………疲れる」
しばらく鏡の前で項垂れていれば、チャイムが聞こえてきた。二時間目の講義が始まった合図。けれど二回生の暁には次の講義はない。つまりは空き時間。
一時間目の講義が終わり、休憩時間開始からずっと、この場所――学内の多目的トイレの鏡の前で暁は唸っては項垂れていた。
昨日十二月一日日曜日は暁の二十歳の誕生日。その誕生日の朝から、これが見えた。これ――暁を姫様と呼ぶ小人三人衆が。
月に五、六回は見る前世の死に際の夢。前世の自分に泣きつき、彼らを宥める夢。
夢なら良かった。夢なら良かったのだ、本当に。
『姫様、泣くと皺が増えるよー』
『二十歳ってお肌の曲がり角☆』
『眉間に皺よると癖になるよ〜?』
実際は辛辣で、毒舌で、辛口。しかもにこにこと可愛らしい笑顔でぶちぶちと。小人出現からまだ二日目だというのに、暁はもう白旗をあげていた。
『さっ、姫様〜?』
『運命の相手をー』
『探しに行こうねぇ☆』
――拝啓、前世の自分。マジで大丈夫じゃないよ、現世のあたし。あんた何したんだ?
暁は前世の自分を殴りたくなった。あんた他人(小人三人衆)を宥める為に大丈夫いってる場合じゃないよ、と暁は悲しくなった。
――『ぼくらはね、いっこうに出会わない姫様をね、サポートするためにやってきたんだよー?』
――『くっつけるんだよ☆』
――『姫様と運命の相手をね〜』
昨日、朝。いつものように洗面台で歯を磨こうと、歯ブラシに歯みがき粉をつけたときだった。そんな聞きたくもない宣言を一方的にして、小人は急に姿を現した。ずしっ、ずしっ、ずしっと現実の重みを伴って、頭と肩に降臨した。
小人達は可愛らしい顔で今も毒を吐く。
『姫様〜、お休み時間をトイレで過ごすなんて〜』
『姫様ってー』
『ぼっち? きゃは☆』
何が、きゃはだ。何が、☆マークだ。誰のせいだと思ってるんだ、と暁は小人を睨もうとして……やめた。鏡に映る自分の顔が鬼女の面みたいだったからだ。スマイル、スマイル。でないと、目標は達成できない。
加賀見暁、二十歳。初彼氏と昨日――誕生日に別れたばかり。世間ではもうすぐクリスマス。
折しも、暁と小人の目標は同じであった。
小人達は、姫様である暁に運命の恋人を。暁はぼっちクリスマスを防ぐために、そして見返すために彼氏を。
決意も新たに鏡の前でガッツポーズを決める暁に、電波の住人である青小人が電波発言を突きつけた。
『さ、姫様〜、鍵を持つ人を探すんだよ〜』
――鍵って、何だ。
暁は、クスクス笑う小人をまた投げたくなった。
1.
ぼっち、それは友情面でも恋人面でも、どちらか一方でもお一人様なのを意味する。
「どっかに縁転がってないかしら……」
暁は恋愛面におけるぼっちだ。クリスマスも近い今、暁の友人たちは皆さん恋人がいる。クリスマスも近いなら、恋人達は何をするかといえば――
「どこいこうか?」
「えっと〜、ふたりでいられたら〜どこでもいぃ〜」
「俺もだよ」
「あたしもぉ」
正解は、甘いピンクのオーラを放って、いちゃいちゃ。ふたりで過ごすクリスマスを計画しているようで結局いちゃいちゃ。
そんなバのつくカップルが、図書館にも食堂にもどこかしこにもわんさか、うようよ。暁のいる購買も、わんさかうようよ。
暁は色々泣きたくなった。
何で、あたしが。何で、何で。
今年の夏、初めて告白された。気になっていた人だった。爽やかで、二枚目で、優しくて。お姫様のように扱ってくれて、有頂天だった。幸せ気分は鰻登りだった。
好きな人に大切にされる。好きな人を想い、想われるそんな関係。暁は幸せの絶頂期だった。
しかしそんな幸せの時間は、恋人から別れを切り出されたことで終わりを告げる。
――飽きたわ
その一言で、暁は奈落へまっ逆さま。幸せの対極、不幸の極みへご案内されてしまった。
(許さない許さない)
心の奥底から、ふつふつと暗い気持ちが沸いてくる。
――そうよ、恨みなさい、恨みなさい。
聞き慣れない、暗い声。ねっとりと、湿度が高い、肌にまとわりつくような声。
暁はぞっとした。一気に覚醒する。暖かい日溜まりで転た寝をしていたらしい。暖かいのに、どこか寒気がする。背筋が寒い。
『姫様〜、目が殺! ってなってるぅ☆』
『そんな目をしていると〜』
『鍵も見つからないよー』
楽しそうに、愉快そうに笑う。そしてとどめとばかりに、三人揃って一言。
『『『幸せ逃げるよ』』』
失恋の痛みに沈もうとしたときに現れた小人。彼らは時に真っ直ぐに正しいことを言う。
『笑うなんたらに福来たる〜!』
『だからスマイル☆』
両肩の小人がぺちぺちと小さな紅葉のような手で暁の頬を叩く。
『姫様〜、今の姫様は覚えてないけど〜』
『前の姫様は、悪い悪い魔女に陥れられてー』
『運命をねじ曲げられたんだよ』
『だから、今度こそ』
『幸せになるんだよー』
『だから、暗い気持ちになるとまた魔女を読んじゃうよ〜』
『マイナスはマイナスしか呼ばない、暗い気持ちはより暗いのを呼び込む』
『だからスマイル☆』
暁ははっとした。
暗い感情が駄々漏れだったから。
それを気づかせてくれたのは彼ら。まだ二日間しかともにいない小人。
「ありがとう」
暁はなんだか暖かい気分になった。
2.
「おはよう」
朝起きて、小人に挨拶。
『『『おはよう』』』
暁が小人と出会って五日が経過した。
毎朝、小人に挨拶して、鏡を見る度にスマイルを確認――きちんと笑えているか、確認。これが日課になりつつあった。
小人いわく、暁の運命の人は近くにいるらしい。
運命の赤い糸ならぬ赤い鍵を首から下げた小人を頭にのせた人、そんな人がいるらしい。
「本当にいるの?」
たまに疑いたくなる、そんなファンタジーで非現実な話。
前世で結ばれなかった相手の縁を今世へ持ち越した暁。その縁は、赤い鍵と白い錠前で成り立つ。
相手にも小人がいて、こちらにも小人がいる。小人達は暁の縁を導くべくいる。白い錠前――これは今は見えないけれど、南京錠の形をしていて、暁の魂に眠っているらしい。
「会えるといいね」
まだ見ぬ、相手。
小人に会ってから暁はすっかり前の彼氏を忘れ去っていた。
「あっちゃん!」
「げ」
すっかり忘れ去っていた元彼が、暁の前に現れた。
図書館で課題の資料を探していたときだった。いつものようにかしましい小人達を肩と頭にのせて、彼らの賑々しい会話をBGMにして。
「あっちゃん」
元彼が一歩近付く、暁は二歩下がる。
「やっぱり僕には君しか」
元彼は呆気にとられた暁を放置して、マシンガンのように言葉を立て続けに並べていく。
君がやはり唯一だの、僕には君しかいないだの、君だけだだの、よりを戻そうだの。
「――あたしはそのつもりはないからッ!」
周囲からの視線を集めながら、暁は敵前逃亡した。三十六計逃げるにしかず、を体現した暁に、元彼は待ってと追い始めた。
「だぁ、しつこい!」
学内は広い。幾つかの異なる学科が存在し、たくさんの生徒を収容するために、徒歩で端から端まで移動したら何時間もかかるくらいには広い。
そんなキャンパスにて、暁は元彼と鬼ごっこを繰り広げていた。
「待って!」
にわかストーカーと化した元彼は手強かった。スタート地点は図書館、ゴールは学務科。あの場所にはストーカーに対する相談窓口がある。犯罪が多様化した昨今、特にストーカー被害が際立ってきた社会問題を背景に、学生も加害者にも被害者にもなりうるため、大学側が設置したのだ。その窓口担当は警察のOB。
だから、暁は必死に逃げる。逃げて、逃げて逃げまくる。
『こっち来るな〜』
『きもいー』
『どっかいけ!』
小人達は定位置から何か投げているのか、時に耳元でひゅっと風を切る音がして、近付くストーカーがこける音が耳に届く。
「ごめんね、ありがとう」
暁は小人に感謝しながら、走るスピードをあげた。学務科のある棟はすぐ目前まで来ていた。
3.
学務科前は騒然としていた。
「来ないで!」
「あっちゃん!」
学務科入り口前にて、暁が今にもストーカーに襲われようとしていた。
血走った目、おかしい呼吸音。あっちゃんあっちゃんとしか話さない元彼は、既に狂っているようだった。
『暗い感情にのまれてる!』
『姫様に近付くなぁ!』
『来るな来るなぁ!』
小人達は怯えていた。
元彼は、暁にも見える黒い靄に覆われ始めていた。そんな異様な姿に、暁は腰を抜かしてしまったのだ。
「や、だぁ……」
狂った目が暁を射抜く。
――『あの人は渡さない!』
狂った姿が、あの女と重なる。
嫉妬に狂った魔女の姿が、怒濤のように思い出されていく。前世の記憶に溺れ、さらに暁は動けなくなった。
「――……!!」
いつのまにか元彼の手に握られていたナイフの刃が鈍く光った。ナイフの切っ先は暁に向けられていた。暁は目を瞑り――
「離れろ!」
目を瞑った暗闇の向こうで、怒りに満ちた低い声が聞こえてくるのを感じながら、暁は意識を手放した。
4.
少し昔、こことは違う世界で前世の暁は生まれた。恋した相手がいた。しかし継母に虐げられ、魔女の嫉妬にさらされ、次第に身を細くしていき、病に倒れた。手にするはずだった幸せは他人に奪われ、残りの時間を人知れず森の奥で過ごした。最期まで彼女の側にいたのは四人の小人、青に赤に黄色に緑。
暁は彼女の人生を全て走馬灯のように見た。悲哀に満ちた歪められた人生。
今の世も、再び出会った小人達。しかし、一人足りない。赤の小人がいない。
「どこ……!?」
一気に目が覚めて、暁はがばっと起き上がった。
目に飛び込んできたのは保健室の風景だった。暁は保健室の寝台に寝かされていたらしい。
『『『『姫様ぁー!!!!』』』』
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした小人達が、どすどすどすどすっと続けて暁の顔に飛び込んできた。
「ぶっ」
地味に痛かった。反射で彼らを摘まもうと暁は手をあげて、動きを止めた。……顔に感じる重みが、ひとつ多い。
「おい、おまえら離れろ」
続いて耳に入る、低い声。小人が邪魔で見えないが、誰かが側にいるらしい。暁が驚いているうちに、小人が視界から消えていく。その誰かが、嫌がる小人をはがしている――誰が? 暁にしか見えない、触れない彼らを、いったい誰が。
「どうも、はじめまして――たぶん嫁さん?」
暁は顔が急激に火照っていくのを感じた。
寝台の脇にあった椅子に座っていたのは、赤い小人を肩に戻す見知らぬ若い男性。きりっとした眉に、切れ長の瞳、座っていてもわかる長身の体格の良い――警察官。
彼の肩の小人は、赤い鍵をぶんぶん振っていた。暁はと目があえば、嬉しそうに鍵を投げた。
「こら、物は投げるもんじゃない」
『いだっ』
若い警察官が赤い小人をでこぴんする。その光景を目にしつつ、暁は鍵を受け取ろうと手を伸ばし――
「あ」
かちゃん、と錠前が開く音を耳にして、鍵が消えた。
満点の星空の下、月下老人は木に寄りかかって巻物を開いていた。
「ほう、ほう。そろそろかね」
手元の別の巻物が光だし、月下老人は今見ている巻物を巻いて閉じ、光っている巻物を取り上げて開いた。
「ほう……良かったのう」
月下老人は豊かな髭を撫でながら、嬉しそうに微笑んだ。
手元の巻物では、輝く軌跡を放ちながら、ひとつの文章が綴られていく。
――【姫の魂の錠前、無事に開錠されたし。】
「良かったのう」
月下老人は光を放つ巻物を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
「あちらの女神さんにも報告せんとのぅ。小人をあちらからよこしたのは彼女じゃからのう」
月下老人は、異界の神である愛の女神――もう一人の功労者――に久々に会うために、ゆっくりと歩き出した。