もう大丈夫です。
朝、目覚めた隣に真保さんの姿はなかった。どれだけ眠ってしまったんだろう。壁にかけられた時計を見ると既に九時過ぎだ。部屋を見回すと、テーブルの上に鍵と書置きがあった。
(おはよ。よく眠ってたから、起こすのも悪い気がしたので。ワタシは仕事に行きます。カギはポストに入れといて下さい。シャワーとかタオルとか、使っていいからね)
勝手に他人の家で寝てしまって起きないなんて不覚だ。ひどい話だ。昨日は何時頃に寝たんだろう。ここに入ってから時計を見た記憶がない。真保さんはちゃんと眠れたんだろうか。仕事だというのに、悪いことをした。
ベッドからのそりと起き出して、目についたバスタオルを手に持って浴室に入る。鏡に映った自分は目が充血していてひどい形相だ。こんな顔じゃ、何を言ったところで聞きたくないだろうな。
シャワーを終えて身体を拭いていると、自分の髪から真保さんの香りがした。
夜、真保さんからメールがきた。
(昨日はありがとう。椎名君のおかげで元気が出ました。それで、ずっと悩んでいたことにも結論を出すことができたから、椎名君に報告します。実は音楽を続けていこうかやめようか悩んでたんだけど、もう少し、自分の好きなように続けていくことにします。椎名君のように私の歌を好きと言ってくれる人がいたら、やっぱり嬉しいし。それともう一つ。私ね、結婚して引っ越すことになりました。この前はいきなり頼っちゃってごめん。でも、もう大丈夫です。ちゃんとしたライブもそのうちしたいと思うから、少し遠くなっちゃうけど、もしよければ遊びに来てください。それでは)
何度も何度も、何度も何度も文面を読み返しては、家にあったワインをひたすら飲んでいた。その間ひたすら煙草を吸い続けた。底が見えていた灰皿が吸い殻でいっぱいになったころには極悪な吐き気がこみ上げてきて、トイレからなかなか出られないまま、胃の中のものが全てなくなっても、何かを絞りだすように喉の奥に力を込めていた。
何をかはわからないけれど、全てを吐いてしまいたかった。自分の中から、出ていってしまえと。
「ねえ、陽介。なんでここにいるの」
「……別に」
「ねえ、陽介」
「なに?」
「もう来なくていいから。私、もうあなたがいなくても大丈夫だから」
「……そう」
「うん」
「……わかった」
「陽ちゃん、どした?」
「え? どしたって、何か変?」
「んー、何がって言われると困るけど、なんとなく」
「なんだよ、それ。別にどうもしてないけど」
「そう? ならいいけど」
「うん」
「……あ。そう言えば聞いた?」
「……何を?」
「真保さん、結婚して引っ越すって」
「……ああ、メールくれたよ」
「あ、そうなんだ」
「うん」
「残念だったねー。ま、どっちみち陽ちゃんには佳奈ちゃんがいるもんね」
「……別れたけど」
「え、マジで?」
「マジで」
「……あー。そりゃ、ごめん……悪かったね」
「……何が?」
「いや、なんとなく」
「ん」
「……だいじょぶ?」
「ん」
深夜、一人きりの静けさに耐えかねて家を出た。
ヘッドホンをつけて音楽を大音量でかけ、外の音が聞こえない状態で誰もいない道を歩く。
……ああ、仕方ないな。
かまわなかったんだから。
「……あー」
ヘッドホンから出力される音楽は全てを聞こえなくしてくれるけど。
やがて、雨が降り出した。
この雨がやめば、その時には。
俺も言えるだろうか。
以上、時間を割いて読んでいただきまして本当にありがとうございました。
この物語は、六年ほど前に書いたものを見直し、書き直したり書き加えたり、
どうしたものかととても悩みました。
ちゃんと物語としてより良くケリをつけようかとも思いましたが、
これに関しては終わったこととして、やはり大筋の流れは変えずに
終えようと思いました。
ああ、読んで良かったと思えるような物語を期待していた方には
申し訳ありません。ただ、これはこれで現実的かと思っています。
ありがとうございました。