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楽しい時間

「最後まで聴いてくれてありがとう」

 歌い終えた真保さんはしばらく周囲の人たちと話していたが、ひとしきり話も済んだのか、わざわざこちらに近寄ってきてくれた。満足のいく歌が歌えたのか、にこにこと素直に笑顔を浮かべている。

「ええと、二人とも、この後は時間あいてたりするかな。私はちょっと飲みに行きたいと思うんだけど、もしよければ一緒に行かないかな」

 そんな笑顔で言われたら悩むまでもない。仮に時間があいていなかったとしても、しっぽを振ってついて行く所存。

「うーん、あたしはあんまり時間ないから、少しでもいい? 代わりに陽ちゃんが真保さんの気がすむまで付き合うから」

 別にいいけど、取りあえず俺はまだ何も言ってないぞということを目で訴えてみる。けれども、麻衣は聞く耳持たずといった態度で話を進めていった。

「いいよね、陽ちゃん。まさか、真保さんが飲みたいって言ってるのにそれに付き合えないなんてことがあるはずないもんね」

 麻衣の後ろでは真保さんが心配そうな顔をして返答を待っている。この状況で断る奴がいるなら、多分俺はそいつとは付き合えない。真保さんの誘いを断る理由など最初から最後まで一つもない。

「行きます。俺で良ければいくらでも付き合います。真保さんとは色々話もしたいし」

「本当に? 無理はしなくていいからね」

「いや、俺めちゃくちゃお酒好きですし。最後にはたいてい日本酒とか飲みだしますから」

 真保さんはそれを聞くと安心したように笑ってくれた。飲みに付き合うだけで彼女が笑ってくれるなら、生きていかれなくなる限界まで飲めると思う。どうしてもきつくなってきたら、トイレに行って胃の中の不快なものを綺麗さっぱり出し切って、何でもなかったように席に戻って彼女が満足するまで付き合えばいい。


 日曜の居酒屋はわりと空いていた。遠く離れたテーブルに二組客がいるだけで、落ち着いて話ができそうだった。

 一杯目は取りあえず全員中生。十九歳、未成年者の麻衣も中生。威勢よくお疲れ様と言い合ってジョッキを当てる。喉が渇いていたのか、真保さんはあっという間に半分以上飲んでしまった。舌で唇の上についた泡を舐め取る仕草が猫っぽい。負けじとこちらも一気にビールを流し込む。

「あ、陽ちゃんが張り合い出した。真保さん、この人変なところで無意味に負けず嫌いなのさ。だから挑発するときっと笑えるくらいペース速くなるよ」

「うるさいな。お前こそどんどん飲めよ。早く帰るからって、そんなちびちび飲んで酔わないんじゃつまんないだろ」

 つまりは多分、愛のあるつぶし合い。そんなに麻衣に酔っ払われても困るけど。でもどうせ何時になったって、どれだけ酔ったって、最後には帰れる。だから安心して酔えばいいと思う。俺だっていくら酔ったって、例えば日が昇ったとしても最後にはちゃんと帰るのだから。大学だってまだまだ休みなのだから、ペースがいくら速かろうが構わない。

「よーし、じゃあ麻衣ちゃんも時間まで飲んで飲んで。私明日は仕事休みだし、とことん飲ませてもらうから」

 真保さんに言われては麻衣も断れない。じゃあいっちょ行くかーと、お前本当に親父なんだよって感じの声をあげ、ジョッキに半分ほど残っていたビールを一気に飲み干す。なんだかんだ言ったところで麻衣も酒好きにはかわりない。

 一時間半ほど飲んだところで、麻衣がじゃあ明日は早いのでと言って席を立った。いくらかなと言って財布を取り出そうとしたところ、真保さんがここは出すと言い張ったので仕方なさそうに、けれども心底嬉しそうにごちそうさまと言って帰っていった。現金なやつ。

 その頃には俺もビール、ワイン、日本酒、焼酎のちゃんぽんにやられ気味。真保さんはさっきからいかに自分が駄目人間なのかを語ることに夢中で、俺はそれをひたすらそんなことはないですよってフォローして、いかに真保さんが素晴らしいかを説明する役目。実はこういうのは好きだけど。

 麻衣がいなくなってからさらに三十分、焼酎を飲み続けた俺達は初めて話をするとは思えないくらい気軽に話をし、些細なことに過剰に反応してみたりして大袈裟に笑った。

 本当は、会話が途切れるのが嫌でただただ騒いでいただけで、真保さんが時折見せる妙に冷めた目が怖かった。その目を見たくなくて、調子の良い振る舞いを続けていた。その目は「キミなんてなんでもないんだよ」と語っているようだったから。

 店を出たあと、あまりにも酔いのまわった俺たちはお互いに肩をかしあって、何度も転びそうになりながらふらふらと真保さんの家へと帰った。

 よく整頓された、暖かみのある色の家具が多い部屋だ。真保さんは靴を脱いで部屋に入ると、何も言わずにベッドに倒れ込んでしまった。そして三十秒もしないうちに寝息を立て始めた。なんだろう、この人は。俺の存在を真っ向から否定しているのだろうか。

 帰ろうかとも思ったけれど、鍵がどこにあるのかわからない。あまり探し回るのも礼儀に欠けるかと悩んだあげく結局帰るのは諦め、上着のシャツを脱いで硬い床に寝転ぶ。よくわからない日になった。



 目を覚ました瞬間に目に入ったものが馴染みのない人間の顔だってのはけっこうびっくりする。寝覚めが最高にいい人だったらきっと飛び起きる。一瞬、真保さんが誰だかわからず混乱した。頭痛いし、喉からからだし。けど、床で寝たはずなのに、なんで俺はベッドで寝てんだろう。いつの間にか真保さんはパジャマに着替えて寝てるし。掛け布団ベッドの下に落としていびきかいて寝てるし。

 机の上にある時計を見ると時刻は七時半。真保さんは顔を枕に埋もれさせている。こんな息苦しそうな姿勢でよく眠れるな。綺麗な顔に、綺麗な歌声。酒飲み、寝相悪い、いびきうるさい。残念だ。

 その全てのポイントを合わせてみて、余計に真保さんに好印象を持っているらしいと一人で分析する。多分、その中でも特に大酒飲みだったり、いびきがうるさいというわかりやすく残念な点が好きだ。安心できる。

 部屋を見渡すと、目に付くのは大量のCDに加えて大量の本。壁に飾られた何枚もの写真。思えば真保さんのことなどほとんど何も知らないに等しいのに、なぜここにいるんだろう。昨日は酔っ払っていたから正常な思考などお互いできなかったけど、目覚めて素面になった彼女はどういう対応をするんだろう。いきなり追い出されたりはしないだろうか。それを考えると今すぐに逃げ出したくなる。

 そこに、ううう、と面倒くさそうにうなり声を上げる真保さん。取りあえず驚かせないよう静かに声をかけてみる。気持ち体を仰け反らせて彼女との距離をあけながら。

「真保さん、おはようございます」

 真保さんは一度ん、と喉をならして目を開き、顔を枕で隠しながら、ああ、えっと、椎名君、おはよう、とつっかえつっかえ言った。

「昨日はけっこうがっつり飲みましたね。なんかそのまま泊めてもらっちゃったみたいでごめんなさい。昨日のこと、覚えてますか」

「うん、ちゃんと覚えてるよ。ごめんね、勝手に寝ちゃったりして……格好悪いなあ、せっかく椎名君に誉めてもらっていい気分になってたのに、有り得ないくらいだらしない姿見せちゃった。おまけに二日酔いだし」

溜め息を吐きながら、彼女は枕を抱きかかえて壁を向く。ひどく無防備な背中だ。パジャマ姿の肩のラインと首筋が妙に色っぽくて、俺は目を逸らした。

「いや、俺はむしろ真保さんの駄目駄目な姿を見れて安心しましたけどね」

 彼女はなんでーと眠たそうに呟く。

「真保さんの格好良い姿しか見れてなかったら、多分今、俺焦りまくって申しわけない気持ちで死にそうになってますもん」

 そういうことならわからなくもないけど、という声を背中に、俺はベッドから抜け出る。脱ぎ捨ててあったシャツをはおって、壁に立て掛けてある鏡で寝癖がないかだけ見て鞄を持つ。本当はこんなにさっさと帰りたいとは思わないけれど、間が持たない。

「本当に昨日は楽しかったです。せっかくのお休みに長居しても悪いので、行きますね」

 視界の隅で真保さんがベッドから起き上がるのが見える。それに背中を向けて、かがみ込んで靴を履く。はあ、本当によくわからない夜だった。そんなことを考えていると、頭に軽く手が置かれた。

「椎名君、色々ありがとね。また今度歌うときも、よければ聴きに来てよ」

 愚問です。

「ええ、もちろん」

 馬鹿な朝。


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