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食パンと異文化食からの刺客

 昼下がりの屋上。校舎の最上階にある小さなベンチに、いつものように女子高生と、一斤の食パンが並んで座っていた。

 トーストくんが、アルミのお弁当箱から取り出したのは、いつものホットサンド。と、売れ残りのミニメロンパンと、ハムマヨパン。ホットサンドの方もよくよく見れば、売れ残りのパンをアレンジ調理したものらしい。

 対してほのかは、赤い布で包まれたお弁当箱を開けると、中には色とりどりの和のおかずが綺麗に詰められていた。卵焼き、きんぴらごぼう、煮豆、そして堂々と白飯の上に鎮座する、照りの美しい焼き鮭。

 トーストくんの視線が、ぴたりと焼き鮭に吸い寄せられる。

「焼き鮭か……」

 あまりにも真剣なその眼差しに、ほのかは箸を止めた。

「ん、焼き鮭?好きだったっけ?」

「いや、好きと言うと少し違うんだが……」

 トーストくんは遠くを見やりながら、何かを思い出すようにしんなりとへこむ。

「俺さ……パン食以外の飯、……特に、和食に憧れてんだ」

「え……」

 トーストくんが、しみじみと呟く。聞き返したほのかに、彼はぽつぽつと語り出した。

「ウチの飯は、基本的に全部パンなんだ。ベーカリーの売れ残り、捨てちゃうのも勿体ないしさ」

 いや、うちのパンは世界一うまいパンだと思ってるぞ?とパンを弁護をしつつ、トーストくんは続ける。

「でも、それがいくら美味いパンでもさ……パンが続くと、パン以外のものに憧れちまうんだよ。和食とか中華とかエスニックとか……」

 憧れは、止められねぇんだ。と力無く呟くトーストくん。パン以外への憧れに、彼はどうやら罪悪感があるらしい。

「お袋の、売れ残りパンのアレンジも大好きなんだ。今日はどうアレンジしてくるのか、いつも楽しみだったりするんだ」

 なのに。のに……。とトーストくんはパンの身をぷるぷると震えさせ、空に吠えた。

「俺にはっ、和食の血が流れているんだ。親父もお袋もこっちに越してきた道産子、俺の原料だって、粉もバターも北海道産なんだっ」

「それは、ほぼ道民だね……」

 パンの悩みも大変だなぁと、ほのかは焼き鮭に目を落とす。

「じゃあさ。焼き鮭と、メロンパン、交換しない?」

「……いいのか?」

「シャケもさ、そこまで欲しい人?に食べられたら、本望じゃないかなぁ」

 トーストくんは、じっとほのかの顔を見つめた。彼に目はないが、その気配はひしひしと伝わってくる。

「……いただきます」

 静かにそう言うと、トーストくんはメロンパンを器用に器の端に滑らせて差し出した。代わりに、ほのかにもらった焼き鮭を、お弁当箱のホットサンドの上に乗せた。そして、かじる。食パンの表面には口も歯も無いが、とにかくシャケを乗せたホットサンドを、トーストくんは齧った。

「……うまい」

 食パンの身が、しっとりと波打つ。あまりの旨さに、軽くトーストの角が反り返っている。彼の内側にじんわり染みる、和の塩気。皮の香ばしさ。肉厚な身からじゅわっと広がる、優しい旨味。

 トーストくんは、ただ静かに空を見上げていた。

「……俺は、たぶん今、パンを越えた」

「越えなくていいと思うよ……?」

 ほのかがそっと言うと、トーストくんはふにゃりと笑ったようだった。パンに表情があるわけではないが、なぜかそう見えた。


「ふぅ、ご馳走さまでした」

「ごちそうさまでした。メロンパン、美味しかったよ〜」

 焼き鮭が乗っていた白飯に、変わりにメロンパンを乗せて食べるという、唯一無二の食べ方を披露した女、朝霧ほのか。それを見つめるトーストくんはごく優しげで、二人は立派なバカップルだった。

 モデル業で多忙になってきたトーストくんだが、登下校とお弁当はずっとほのかと一緒。この幸せだけは絶対に譲れない。

 そんなトーストくんのハッピー空間に、不穏な気配が忍び寄る。

「おいマジで開けんのかよ……」

「いや、いけるっしょ、缶詰だし!」

 屋上の端っこ、柵の近くで男子グループが何やらざわついていた。手元には……見たことのない缶詰。異国情緒なパッケージに、英語……でもない何語だろう。その缶が、プスリと開封された。

「……あれ、もしかして……」

 トーストくんが浮いたまま、ぼんやりと呟いた。

 トーストくんは、視力の良いパンであった。視力検査は両目とも常に1.5以上。彼も検査時には他の生徒と同じように片目?ずつに遮眼器を当てていたので、どうやら両目がある。

 とにかく、トーストくんの眼に映るのは――シュールストレミング。

 北の国からやってきた、世界最強レベルの発酵ニシン缶。開けた瞬間に立ち昇る悪臭は、人体に精神的ダメージを与えるとも噂される発酵の極致。

「あれは……!伏せろほのかッッッ!!」

 ふいに、屋上の風向きが変わる。流れてきたのは、異臭だった。焼き鮭の香りなんて遥か彼方。濃厚な魚臭、アンモニアの刺激、そして何より「これは食べ物ではないのでは?」という哲学的疑念を誘発する、奇怪な存在感。

「お゛っ……!?なにこれ……!!」

「く、くっさっ……うっ……おえええ……!」

 缶を開けた男子グループが、声にならない悲鳴をあげてのけぞる。風下にいるトーストくんとほのかにも、強烈な生ゴミ臭が容赦なく襲いかかった。

「うわっ……! 目が……ッ!」

 ほのかはたまらず眼を閉じ、同じようにパンもくしゃっと潰れる。

「トーストくん!アレ何か分かる!?」

 食パンの体がわずかに震えた。

「ああ……!あれは発酵業界の帝王!シュールストレミング!!……俺、ベーカリーの厨房に、シュールストレミングの菌、持ち帰っちまうかも……!」

 何がだめかって、繊細なパンの聖域に、異文化発酵の暴君が混入してしまうのだ。

「シュールストレミングの菌は!とても強いんだ!厨房の空気に入り込んだら、うちのパン全部、酵母がやられちまう……!」

「それだけは……それだけは絶対に避けなきゃ……!」

 二人は慌てて校舎内へと避難したが、まだ鼻の奥に強烈なゴミの日のにおいが残っている。

「こうなったら消毒だ……!俺を丸洗いしてくれ、ほのか!」

「洗うってどうやって!?水吸ったらベチャベチャに……!」

「くっ……。仕方無い、最終手段を使う」

 トーストくんが静かに語った。

「サランラップで完全密封だ……!」

「えっ」

「お前確か、こないだの家庭科のラップ、まだ持ってないか……?」

「そ、それはあるけど……!ほんとにやるの!?密封されるの!?」

「ほのか……頼む……家族のためだ」

「わ、分かったよ……!」

 半ば泣きながら、ほのかはラップを取ってくると、トーストくんを慎重に包み込む。表面をぴったり覆っていくたびに、トーストくんの声がこもっていく。

「……これで……朝倉家の聖域は……守られた……」

「……うん……、トーストくん……」

 その姿はもう、完全にラップされた一斤のパン――売り物感すらあった。が、そこには確かに、家族とパンを愛する少年(食パン)の覚悟が宿っていた。

 屋上の異臭騒動は、間もなく風に散り、男子グループには生活指導の呼び出しが下された。

 そしてトーストくんは、午後の授業もラップに包まれたまま過ごすこととなる。教室で臭ったら嫌だし。セルフで蒸しパンになってしまいそうなトーストくんを、ジャージに着替えたほのかが、隣で見守っていた。

「……暑い。めちゃくちゃ暑い……」

「が、がんばって……」

 緊急事態に備えて、今度からラップは多めに常備しておこう。ほのかはそう決意していた。

 トーストくんはというと、異文化食は今日たっぷり堪能したから、しばらくはいいかな……とたそがれていた。


 ちなみに、現地ではシュールストレミングはパンに乗せて食べられたりもする。シュールストレミングとは正に、パンの文化圏から来た食べ物であった。パン文化圏の広さに、トーストくんは恐れ慄いたという。

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