世界初!モデル食パン!
ある休日。商店街のアーケードを、朝霧ほのかと朝倉トーストは並んで歩いていた。風にそよぐワンピースの裾。紙袋には、スーパーの特売品と、老舗和菓子屋のどら焼きが詰まっている。
「ねえトーストくん、このお団子屋さんも寄ってみない?」
「ああ、いい香りがするな」
ふわふわと宙をただよう一斤の食パン、朝倉トースト。口はないが、声は出る。手足はないが、ふよふよと中を浮いて移動する、摩訶不思議な食パンだった。
そんな二人を、商店街の片隅で一人の男が目を見開いて見つめていた。
茶髪にサングラス、肩に提げた大きなトートバッグ。胸の名札には、スタジオ名と「スカウト」と書かれている。
「……なんだあれは……!」
スカウトマン・本間啓介。数々の逸材を発掘してきた男である彼は、今、人生最大の衝撃を受けていた。
その視線は、可愛らしい女の子……を通過し、浮遊する一斤の食パンに釘付けだった。
「黄金比……っ……! 耳のバランス、焼き色、表面の質感……まさに、完璧だ……!」
その食パンには、プロの目が求める全てが詰まっていた。パンとしての完成度のみならず、被写体としての強さ。佇まいの美しさ。語ることなく語る表情。完璧だ。まさにパン界の貴公子。
「あ、あのっ……!」
ほのかとトーストくんが振り返る。パンは驚きでふわりと揺れた。
「突然すみません!私、モデルスカウトをしている者なんですが」
「おぉっ、ほのかは可愛いからな。お目が高いぞ」
「えっ私がモデル!?」
「いえ、違いますッ!」
本間は興奮のあまり、声をひときわ高くした。
「……その、食パンの方です!!」
商店街に静寂が落ちた。
たこ焼き屋の親父も、靴屋のばあちゃんも、凍ったように視線を向ける。
「……トーストくん、のことですか?」
ほのかが確認するように言うと、本間は何度もうなずいた。
「モデルとして完璧な素材だ! 焼き目のグラデーション、あのフチの厚み、センターのふくらみ。空気の中にただようだけでこれほどの存在感……ッ!お願いです!一度、スタジオにお越しいただけませんか!?」
「……なあ、ほのか」
トーストくんが小声で言った。
「俺って……そんなに、絵になるか?」
彼の声には、少しだけ照れが混じっていた。
「うん。トーストくんは、どこにいてもちゃんと“いる”って感じがするよ」
ほのかは微笑んだ。
「それに、モデルってちょっと面白そうじゃない?」
「……ま、まぁ。悪くないかもな」
トーストくんはふよりと浮かび、本間に向き直る。
「条件次第では、協力してやってもいいぞ」
「で、出たぁ!この余裕!すでにスターの風格……!」
こうして一斤の食パンは、モデルデビューという新たな道を歩むことになる。
このあと、スタジオの照明がトーストくんの表面を炙りすぎて危うく焼き直されかけるとは、まだ誰も予想していなかった。
トーストくんは、モデルデビューしてからというもの大忙しだった。
グルメ情報誌『月刊パンスタイル』の表紙に抜擢され、インフルエンサーとのコラボ撮影では、流行のティアラをのせて“姫系食パン”として大バズリ。
果ては、海外の高級ホテルから「ロビーに飾りたい」というオファーまで舞い込む始末。
それは充実した日々だった。しかし忙しさから、家のパン屋業は中々手伝えなくなってしまった。元々トーストくんに手伝える事は少ないし、今のトーストくんの稼ぎは店の売上を超えている。それを思えば今の状態の方が喜ばしいはずなのだが。トーストくんは、何だかモヤッとした気持ちを整理できずにいた。
ある日。撮影が一段落し、控室でふよふよと浮いていたトーストくんが、ぽつりと口を開いた。
「……なあ、本間さん。ちょっと、相談があるんだ」
本間啓介は即座に姿勢を正した。
彼にとって、今やトーストくんは神のごとき一斤である。些細なことでも全力で聞く構えだ。
「どうした?仕事のことか?スケジュール?焼き直し防止の冷却ジェルのこと?」
「いや……モデルとしての俺を、もっと活かしたいんだ」
本間はゴクリと喉を鳴らす。トーストくんの目?は本気だった。
「俺な、モデルの仕事をしてて思ったんだ。世間は、パンって聞くとふわふわとかもちもちとか、やたらとメルヘンなイメージを持ってる。でも……本当は違うんだ」
トーストくんは、窓の外に視線をやった。遠くに夕暮れの街並みが見える。
「パン屋って、めちゃくちゃ過酷な現場なんだよ。真冬でも夜中から仕込み、焼きたてに間に合うように常に熱気と戦い、しかも一日中立ちっぱなし。焦がしたり、失敗することもある。売れ残ったら廃棄。パンってのは、血と汗と努力でできてる」
「……!」
「俺は、モデルっていう仕事をしてるからこそ、伝えられることがあると思うんだ。パンの現場のリアルを。たとえば、ドキュメンタリーとか。啓発ポスターとか。そういう活動、やってみたい」
本間は、震えていた。
「お前さんってやつぁ……どこまで高みに行く気だ……!」
感極まった本間は、鼻をすすりながら立ち上がった。
「わかった。全面的に協力する。トーストくん……いや、朝倉トースト。お前の志、俺が世に届けてやる!」
「ありがとう、本間さん」
こうして、朝倉トーストは「モデルとしてパン業界の啓発活動を行う食パン」という、誰も歩んだことのない道を歩き始めた。
穏やかな初夏。午後のやわらかな陽射しが、商店街の通りをふんわりと照らしていた。
ほのかとトーストくんは、いつものように並んで歩いていた。商店街の掲示板の前で、ふと足を止める。
「……貼られてる」
ほのかの声が少し、息を呑むように震えた。掲示板の中央には、一枚の大きなポスター。そこに映っているのは、ほのかもよく知るパン。そして、世の中にとってはまったく新しい一斤のパンだった。
『あなたの朝を焼く人は、夜明け前から働いている』
そんなコピーとともに、トーストくんがしっかりと前を向いている写真。その隣には、パン屋で働く人たちの早朝の姿、粉まみれの作業着、屈み込んで重い粉袋を抱える職人の手。短く簡潔な説明文が添えられていた。
『多くのパン屋では、真夜中から仕込みが始まり、重い材料を運び、熱いオーブンの前で立ち続ける日々が続きます。朝、あなたの元に届く焼き立てのパンは、休む間もない努力でできています。それを、少しだけ想像してみてください』
ほのかは、ゆっくりと息を吐いた。
「……こんなふうに、なるんだね。ちゃんと届くんだね、トーストくんの声」
「これは最初の一歩だ。まだまだ、みんなに知らせなくっちゃいけない。パン屋のこと」
横で、トーストくんがふわっと浮いた。少し感慨深げに、掲示板を見つめている。
「きっと……見た人の心に、何か残るよ」
ほのかが言った。トーストくんは少し、焼き色の濃い側を陽に向けるようにして、笑った。




