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食パンのゆううつ

 昼休みの校舎の屋上。ベンチの上に、ぽつんと一斤の食パンが座っていた。

 その横に、缶ジュースを片手にした女子高生が腰を下ろす。

「……今日は、浮かない顔じゃん?」

 ほのかが問うと、パン――朝倉トーストくんは、少し間を置いて答えた。

「ああ……ほのかには隠せないか」

 いつもの爽やかな笑顔……も何だかしけっているように見えた。もし良かったら話してよ、とほのかが言うと。トーストくんはしばし考えたのち「うちの両親の事なんだけど」と前置きして話し始めてくれた。

「最近さ、朝の立ち仕事で腰をさすってることが増えてて。まだ高齢じゃないとは言うけど、パン屋は重労働なんだ」

 早朝とすら呼べないような深夜、早くて午前1時には起きて、パン生地を仕込み始める。それがパン職人の一日の始まりだ。仕込んだ生地は発酵を待ち、それから焼かなくてはならない。朝の開店に合わせて焼き立てのパンを提供しようとすれば、そういう生活になってしまう。

 しかも毎日、大量の材料を使うのだ。25kg越の小麦粉袋や、バターの塊を抱えて運ぶ生活。腰、肩、膝。身体の色んな箇所に負担のかかる重労働。パン屋は過酷な仕事なのだ。

「そ、そんなに大変なんだね……」

 ほのかの中の、パン屋さんに対する可憐で牧歌的な印象が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。そして代わりに現れたイメージは、水も食べ物も無い荒野で、貴重な種籾を守るおじいさん。そこに容赦なく襲い来る、モヒカンの蛮族たち。世紀末救世主はまだ来ないのか。ああっ、危ないおじいさん、逃げてー!

「ほのか?どうした、ほのか?」

「あっ、ごめんね。パン屋さんのお仕事が、思ったよりハードで、ちょっとびっくりしちゃってた……」

 ほのかがそう言うと、トーストくんも頷く。というか、食パンが元気なさそうにへにゃっと凹む。

「熱いオーブンを扱うから火傷も珍しくないし、材料をかき混ぜるミキサーの中に手を突っ込んだりもするから、ケガの危険もある」

「ひぇっ……」

 トーストくんはふっ、と溜息を一つ。そのイーストの香りにも覇気がない。

「正直、心配さ。でも『うちは昔からこうだから』って、言うんだ。焼かないと落ち着かないって」

「うん……」

 トーストくんも何か手伝おうとしたそうだ。でも、ふわふわ浮いてるだけのトーストくんに、そこまで重たい物は持てないし。ミキサーなどつつこうものなら、トーストくん自身がパンの材料になりかねない。

 それでもパン作りを諦めなかったトーストくんの腕前は、調理実習の時にほのかが見た通り。見事なものだった。

「でも、やっぱり仕事で使う大量の生地を仕込むのは、俺にはできなくて。せめてレジ打ちくらいは、って思ったんだけど」

 以前、トーストくんがレジを打っていたところ。お会計が済んだパンと間違えられてしまい、お客さんに持っていかれた事があったらしい。

「ブッ……!」

 ほのかは飲んでいた缶ジュースを、噴き出しそうになってしまった。いけない。深刻な話なのに。笑い事じゃないのに。

「だから親父もお袋も『お前は二度とレジ打ちはダメだ』って……。店の清掃だって、食パンが食品販売業の掃除、ってのも何かアレだしよ」

 衛生面的なイメージで、いいの?って感じだろ。と言って、トーストくんはますますぺちゃっとしおれてしまった。

「しかもパン屋業は薄利多売、売れ残って廃棄せざるを得ないパンが、毎日出てしまうんだ……俺の兄弟が棄てられていくようで、とても……」

 ああ、トーストくんが更に凹んでしまっている。もう、真空圧縮袋に詰められたお布団くらい萎んでいる。いかん。何か励まさなくちゃ。

「あっ、でもっ、朝倉ベーカリーのパン、すごく美味しかったよ!私もなるべく口コミ、頑張るからさ!」

「ほのか、……ありがとな」

 ほのかの精一杯のフォローに。カチカチの硬パンみたいに潰れていたトーストくんは、ふっくら加減を少し取り戻して笑った。


 だが現実は非情である。

 それから間もなく、近くに新規パン屋さんがオープンし。クラスのおいしいもの好きたちの話題もそちらにシフトしていく。

「ト、トーストくん……」

「大丈夫だ、ほのか。8店舗くらいいた競争相手が、9店舗くらいに増えるだけだから……」

「そんなに居るの!?」

 つい、ほのかの声が大きくなる。

「ああ……。それにパン屋が一軒増えたくらいじゃ、全体の状況はそう変わらないんだ」

 そもそも、スーパーやコンビニだってパンを売ってる。焼き立てのおいしいパン!といえば、昔はパン屋だったかもしれないけれど。今は大手の全国流通のパンだって、品質が飛躍的に向上し、劇的においしくなってるんだ。

「だからもう『パンが美味しいのは当たり前』という時代になってる。美味しいだけじゃ、もう勝てないんだ」

 そう教えてくれたトーストくんは、晴れの日なのに、ふやけてしまった顔をしていた。

「つかさぁ、トーストっち、パンの事メチャ詳しくね?」

 トーストくんの席の周りで、一緒に話を聞いていてくれたクラスメイトが言う。

「ああ、ウチの店も新商品を出したくて、俺もパンを研究してるんだ」

「へぇ〜!じゃあパンが一番強いコンビニってどこよ?」

 クラスメイトからの遠慮の無い質問に、えっそれ聞いちゃうの!?とほのかは狼狽えたが。トーストくんはスラスラと答える。

「総合力ならセブン、ちょっと変わり種ならFマート、健康志向なら某ソンがいいと思うぞ」

 へぇ〜、トーストっちマジスゴじゃん!っとクラスメイトは感心し、その後も美味しいパン情報を、目の前の食パンは淀みなく答えていた。

(すごいな、トースト君……。勉強家なんだね)

 そこへ、校内放送のチャイムが鳴る。休み時間が終わる合図だ。

「……もうこんな時間か。現国、あの先生の授業、なんでか眠くなるんだよな……」

「寝ちゃったら、起こしてあげる」

「……ふふ、頼むぜ」

 そう言って、トーストくんはいそいそと国語の教科書を取り出す。

「……ねえ、トーストくん」

「ん?」

 教室に入ってくる先生に目を向けながら、ほのかはトーストくんに語りかける。

「トーストくんが、お父さんお母さんのこと、すごく大切に思ってるって、伝わってきたよ。たぶん、その気持ちだけで、きっと嬉しいと思うな。……無理して何かしようとしなくてもさ」

「……。でも……やれることはやりたいよ。せっかく俺、生まれたんだからさ。パンとしてじゃなくて、『朝倉トースト』として、さ」

「うん。そっか」

 その言葉に、ほのかは穏やかに頷いた。パン屋の息子として生きる少年の、静かな決意がそこにはあった。そしてその決意を聞けたことを、ほのかは少し、誇らしく思った。

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