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わたしにだけ視える眼鏡がイケメンすぎてヤバい。  作者: 七緒ナナオ
第1章 眼鏡であれば実在問わず
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第3話 どのようなおつもりで?

「イェリナ・バーゼル男爵令嬢! 貴女、どのようなおつもりで?」


 セドリックの顔に幻視した素晴らしい眼鏡へ思いを馳せて、ついには生まれる前まで遡ってしまったイェリナの意識を呼び戻すように、凛とした鋭い声が響いた。

 冷たい湖の青緑色の眼、綺麗に巻かれた少し暗めの金髪。鷲と鉱石が配置された襟飾り(ブローチ)をつけた女子学生——襟飾り(ブローチ)の意匠から、彼女は伯爵令嬢であろう——がイェリナに向かって歩いてくる。


「バーゼル男爵令嬢、お答えになって?」

「……えっと、その……」


 見知らぬ伯爵令嬢の強い声と視線とに、現実に引き戻されたばかりのイェリナの肩が思わず跳ね、膝が震え出す。

 王都グランセイユの中心地に建つ学院(アカデミー)は、貴族子女が通う高等学院である。貴族のための貴族の学院だ。

 学院から支給される制服はすべてオーダーメイドで、上品なデザインと最高級のハイドマ絹を使って縫製されている。女子学生はワンピースとボレロ、男子学生はブレザータイプの制服だ。

 王室が出資するこの学院は、エリートを養成する目的で設立された。歴史が古く、自由と平等を謳っていても、当然そこには階級意識が根付いている。

 イェリナは貴族階級の中でも下位にあたる男爵家の令嬢だ。裕福でもなく、政治に強いわけでもない、西方領区の田舎貴族の娘でしかない。

 そんな令嬢が、こともあろうか大公家の息子に自ら声をかけ、ダンスに誘い、条件付きではあるものの承諾されたのだ。

 伝統を重んじる高位の貴族子女——特に、婚約者のいない令嬢たち——は、イェリナの無礼で破廉恥な振る舞いを許せるものではないのである。


「あの、ですね……」


 そんなつもりはなかったけれど、学院内の御令嬢たちを敵に回してしまった。下位貴族が高位貴族に目をつけられて、安全に過ごせるはずはないというのに。

 イェリナは目の前に立ちはだかる伯爵令嬢の気に障らないよう、頭を巡らせ慎重に言葉を選んでは捨て、捨てては拾うことなくまた巡らせる。

 けれど、どんなに頭の中をひっくり返しても、イェリナの事情を他人(ひと)に理解してもらえるような簡単で優しい説明は存在しなかった。


(どうしよう、眼鏡を語ることはできても、説明ができない……!)


 困り果てて視線を彷徨わせているイェリナの様子が、伯爵令嬢にしてみれば、不恰好な悪あがきに見えたのかもしれない。

 彼女は丁寧に巻かれた金髪をゆっさゆっさと揺らし、美しく輝く青緑色(ターコイズブルー)の眼を吊り上げながら、カツカツと(ヒール)を鳴らしてイェリナに詰め寄った。


「貴女、カーライル大公子息様を存じ上げない、なんてお粗末な嘘までついてお近づきになりましたね?」

「いえ……あの……」

「なんて卑怯な。カーライル様に婚約者がいらっしゃらないことをいいことに、はしたない真似を……。一体、どのような教育を受けていらっしゃったの?」

「え、嘘。ああ、よかった! 眼が……セドリック様は婚約者がおられないのですね。よかった……泥棒猫にならなくて、本当によかったぁ……!」


 はじめからセドリックにはパートナーがいなかったのかもしれない。だから、高位貴族の気まぐれを発揮して、イェリナの申し出を受けてくれたのだ。

 イェリナはようやく実態がわかって安堵した。けれど伯爵令嬢の怒りは収まることなく増すばかり。


「ちょっと! この後に及んで、なんて酷い受け答えなの!? いくら名前呼びを許されたからって、はしたない真似を重ねるなんて、本当に無礼な方ね。やっぱり貴女、カーライル様を狙っているのでしょう?」

「狙うだなんて、物騒な……でも、セドリック様に婚約者がおられないのならば、別に構わないのではないかな、と思うのですが……本人に許されていますし」


 貴族社会を凝縮させた箱庭である学院(アカデミー)では、社交界の礼儀と作法(マナー)が重んじられる。

 身分の低い者は、身分が高い者に許されるまで話しかけてはいけないし、ましてや名前で呼ぶなどもってのほかだ。

 けれどイェリナは、許された。セドリックの猫のような気まぐれで、名前で呼ぶことを許されたのだ。

 けれど。イェリナは苛ついた様子で奥歯を噛み締める伯爵令嬢の姿を見て、ハッと気づいた。


「ええっと……あなた様もセド……カーライル様を狙っておられるのですか?」

「わたくしのことはいいのよ!」


 伯爵令嬢が強気に言って、胸を張る。


「カーライル様は、貴女のような田舎の男爵令嬢風情が言い寄ってよい存在ではありません」

「それでは、しがない田舎の男爵令嬢風情の物知らずなわたしに、カーライル様がどのような方か、ぜひ教えていただけませんか。わたし、高貴な方々とはこの先一生関わることなどないと思っておりましたので、徽章とお名前を一致させることくらいしかできないのです」

「なんですって!? 貴女、カーライル様のお名前だけじゃなく、誰にでも平等に優しく接してくださるお人柄まで知らないの!? 信じられない……女学生に大変な人気で昨年の星祭りはカーライル様のパートナーを巡って骨肉の争いが起こったことも……ご存じない?」

「……ご存じでは、ない……ですね!」

「なんてこと……あなた、貴族令嬢なのよね? そんなに世俗に疎くて大丈夫なの?」


 信じられないものを見るような目で伯爵令嬢がイェリナを見ていた。


「あなた、大丈夫? ……学院(アカデミー)の理事をされているのが誰かご存じ?」

「えっと……去年、国王陛下から王太子殿下に代わられたのですよね? 殿下は大変仕事熱心で、滅多に夜会には参加せず、働き振りは素晴らしいとしか言いようがない、と聞いています。あまりにも仕事熱心で女性に興味がないのか、婚約もまだだとか……」

「……それはきちんと頭に入っているのね。けれど、殿下に対してその物言いは失礼よ。改めなさい」


 イェリナは、教師然とした伯爵令嬢の言葉に素直に頷くと同時に、あっ、と閃いた。

 この機会(チャンス)を逃してなるものか、と。

 恥などとうに掻いている。学院(アカデミー)へ入学して一年少し。ひとりも友人知人がいないイェリナは、どこかお人好しな雰囲気を醸し出す伯爵令嬢に、質問を重ねるべく前のめりに詰め寄った。


「あ、あの! 失礼ついでで恐縮ですが、カーライル様が好ましいと思う女性像などはご存じですか?」

「あっ、貴女! やっぱりカーライル様を狙っているんじゃない!」


 それみたことか、と鬼の首をとったかのように丁寧に巻かれた金髪をゆさりと揺らし、美しい青緑色の目を輝かせる伯爵令嬢に、イェリナが冷静に首を横へ振る。

 目下の目標は、頑ななアドレーを説得することだ。

 セドリックに見合うような女性になることができれば、幾らかはアドレーの評価を上げることができるかもしれない。


「違います、違います。パートナーとして当然の義務です。一夜とはいえ、ともに踊るのです。好ましいと思う相手のほうが、ご不快な思いをさせることもないかな、と思いまして」

「ぐっ……妙な説得力が……。いえ、挫けてはダメ、頑張れサラティア、負けてはなりません、ふぁいと! ……ゴホン。いいでしょう、わたくしがお教えいたします。カーライル様は、大公家の次男。いずれ大公家をお継ぎになるジョシュ様を支えるべく研鑽を積んでおられます」

「ということは、アドレー様はカーライル様の……?」

「彼はカーライル様の手足となる者、忠実な従者よ。カーライル様はお優しいからトラブルさえ歓迎してしまう。今回だって、きっとそう。そんなカーライル様をいつも助けているのが彼よ」


 伯爵令嬢は背筋を伸ばし胸を張り、まるで自分の身内を褒めるかのようにアドレーの話をイェリナに聞かせた。


「彼の言葉なら、カーライル様は無条件で従うほどの信頼を寄せているわ」

「まずはアドレー様のお眼鏡に敵わなければならない、ということですか?」

「……貴女、先ほどから聞いてばかりね」


 伯爵令嬢の鋭い指摘に、イェリナはぎくりと肩をすくめた。

 よこしまな心は隠そうとすれば余計に浮き上がる。だからイェリナは堂々と伯爵令嬢に言ってのけた。


「いけませんか?」

「い、いけなくは……いいえ! ダメよ、ダメです! わたくしは貴女と馴れ合う気はないの!」

「ですが、わたしは貴女様から心配されるほど世俗な話に弱いのです。どうか、これ以上わたしが無礼を働かないようにご協力願えないかと思うのですが」

「……それもそうね。それに、貴女がいくら謙虚で慎ましく、寡黙で知的な……つまり、貴女とは正反対の女性をカーライル様の前で演じたとしても、鉄壁の従者である彼を納得させなければ、すべて無駄なこと。そうして貴女は飽きられて見向きもされなくなる。残るのは歪んだ悪い噂だけ。だから手遅れになる前に……」


 切々と説得しようとする伯爵令嬢の話など、イェリナは半分も聞いていなかった。人は誰しも、聞きたいことだけを切り取って聞く。


「今のわたしと正反対……。それなら、それなら!」


 思わず頬が緩みそうになって、慌てて両手で覆って俯いた。

 謙虚で慎ましく、寡黙で知的な女性。それはイェリナと正反対どころか、幻覚眼鏡に狂ってしまった以前のイェリナの日常の姿そのものだ。

 まさかの楽勝? やはり神様はわたしをお見捨てにならなかった! イェリナは静かに歓喜した。

 イェリナは元々、謙虚で慎ましく寡黙な優等生だ。空き時間は眼鏡を量産すべく素材研究に明け暮れているから、人間同士の交流なんて、皆無に等しい。噂にも疎く無駄口は叩かない。


「なるほど、わかりました。ありがとうございます、名も知らぬ親切なお嬢さま!」

「わ、わ、わたくしの名も知らないなんて!? なんてひとなの! わたくしは、サラティア・ビフロス。覚えておきなさい!」


 ビシッと指を突きつけられたイェリナは、まるで緊張感のない困った顔で両手の指先を合わせて曖昧に笑った。


「……ええと、努力します。立派な金の巻き毛で青緑色の瞳を持つ方は、この学院(アカデミー)に八名おられるので……ええと、本当に、努力……します。その素敵な意匠の襟止め(ブローチ)で見分ければ、なんとか……?」

「な、な、な……なんなの貴女——ッ!?」


 イェリナの事情を知らないサラティアが、不出来な言い訳のように思える回答を受け入れるわけがなかった。

 けれどイェリナは、ワナワナと震えだしたサラティアにはお構いなしで、アドレーの情報をもっと得るためにどうすればよいかと考えながら、第二学年の第一講義室へと駆け込んでゆく。

 その後ろ姿は、謙虚さも慎ましさもない溌剌(はつらつ)とした姿であった。




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