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ロストティアーズ―再生の物語―  作者: 加藤とぐ郎
序章 アーネストラトス・ランスガンという少年
7/7

まだ月の下

 光が一切届かない地下の路を、僕の体が歩いていく。どこに何があるのか僕には何故か見渡せた。と、いうよりも鮮明に見えるほど、憶えていた。


 僕の体は意志を置き去りにして、ただ記憶だけを頼りに動いていた。僕の知らない誰かの記憶に従って。


・・・・・


「僕に何をした?」

「こちらが聞きたいね。」


 予想とは裏腹に、乱暴そうな男より先に、大人しそうな彼が口を開いた。


「私たちは君に何もしていない。彼が言った通り、我々は既に死んだ人間だ。君の方が勝手に私たちの記憶を盗み見ているんじゃないのか?」

「ならなぜ、僕の体は言うことを聞かない。」


 僕は反対に座るもう一人に向かって言う。


「あなたは僕を人殺しと言ったな?だがあなたの記憶が流れ込まなければ、僕は人を殺したりなんかしなかったはずだ。」


 みすぼらしい格好をした黒髪の男は、呆れ果てたと言わんばかりに苦笑すると、上体を反らし、目線だけで僕を見下した。


「頭の悪いガキだ。そこのおっさんが言ったろ。おれたちはお前が拾い上げた記憶でしかないんだよ。お前はてめえで取り込んだそいつに、逆に飲み込まれてるっていうだけの話だ。」


 僕が記憶を、拾い上げた……。そんな非現実的なこと、考えられるとしたら、魔法くらいのものだ。ならば今起こっているのは、魔法の暴走か。


・・・・・


 僕は地下の路の最奥にたどり着く。そこには檻があり、朽ちた鎖に繋がれていたかつての囚人の白骨があった。


 僕は格子を素手で折り曲げて破壊し、白骨を持ち上げる。そして、歯を突き立てて、ほぼ石同然のそれを噛み砕いた。


『おい!僕はこんなことしない!今すぐやめさせろ!』


 僕の思い通りになるのは、非現実空間にあるこの体だけだった。塔の頂上で、二人の男と共に、僕は現実の旧砦跡にある自分の身体を俯瞰している事しかできない。


『人が夢を見るのは何故か、考えた事はあるか?』

『何の話だ?』

『無さそうだな……。言ったろ?これは夢、()()なのだよ』


 僕は話の続きを待っていたが、男はそれ以上続ける素振りを見せなかった。男は先ほどこの塔を、明晰夢と言っていた。

 ならば僕が今感じて考えて意識していることは、すべて夢、すなわち記憶、過去の出来事だとでも言うのか。


 現実の僕は破片で口の中を切り血を垂らしながら、噛み砕いた骨を飲み込んでいる。そして身を震わせながらおぞましい高笑いを響かせていた。

 あり得ない、完全に狂ってる。こんなのは僕じゃない。


 次の瞬間、僕は凄まじい速度で跳躍し、天井を突き破ってなお上昇する。そして砦の先端、レプが焼き伐った塔の断面に足を乗せ、真っ暗な森を見下ろしていた。


『自分の、身体なのに……。』

『くくっ、おいおい。それならおれにも言わせろよ。』


 砦の一角から明かりが漏れている場所がある。


『おれの記憶なのに。』


 刹那、僕は大砲の如くその光に直撃し、物々しい破壊音が轟いた。

 突如飛来してきた物体に、レプとプレシュさんは慌てふためいている。


「な、なんすんじゃこりゃあ!」

「あわわなんなの!?なんなのさ!?」


 瓦礫の白煙の中から、僕がゆっくりと身体を起こす。


「な、アーネスト君!?何してくれちゃってんの!せっかく綺麗に改修したって言うのにさぁ!」

「待てタコプレシュ。どう見ても様子がおかしい。」

「タコプレシュって、完全に誰なの?」


『逃げろ二人とも!』


 僕は塔の上で叫ぶ。

 しかしその声が彼女らに聞こえる事はない。僕は超スピードで突進し、プレシュさんを襲う。直後、砦がまた音を立てて倒壊した。


「何が起きた?」

「嘘、私、攻撃されたの?」


 足場が崩れるほどの脚力で飛んで行った僕はしかし、プレシュさんの喉を少し掠めただけであらぬ方向にぶっ飛んだ。

 僕が横を過ぎる一瞬、プレシュさんが拳を作るのが見えた。


「お前、血が。」

「まさか動けるなんて、油断したの。神経を直接掴んでやったのに。」

「直接!?」


 レプは、今しも僕の身体が作った穴の先を覗き込む。

 穴の奥で崩落の跡に蠢く物体がある。虫のように、本能のままに。純粋な殺意、生命を滅しようという衝動だけがその身体を動かしていた。


『神経掴んだって……容赦ないな』


 しかし、幾ら意識の制御下に無いとは言え、僕はどうしてあんなに動けるんだ。


『ほう面白い、痛みを忘れたのか。』


 痛みを忘れる。即時的に記憶を消す事で、痛みを感じる、という体験を無かった事にした、と?


『そんなめちゃくちゃな。』

『めちゃくちゃはあの、白髪のガキだ。あいつ人間じゃねえだろ。』

『来るぞ。』


 プレシュさんは手の骨を鳴らし肩を回して、体操のように準備をし出す。どうやら本気で僕と戦うらしい。


「私を本気で殺そうとしたわね!」

「てめえどうする気だよ!」

「レプはそこで見てなさい。ちょっと、お仕置きなの。」


 僕は甲高い吠えるような声を上げて、プレシュさんに猛攻を仕掛ける。一切躊躇なく拳や蹴りを繰り出すも、彼女はそのすべてを最小限の動きで躱した。

 そして体勢がやや崩れた隙を突き、僕の鳩尾に足刀を入れると、屋上の更に上へ蹴り飛ばした。


 宙に放られた僕は敵を捉えようと首を回す。

 だが標的は既に自分と同じ高さに立っていた。プレシュさんは砦の残骸をその場に浮かせ、空中に足場を作っていたのだ。彼女の右手はまた拳を作っている。


「良い度胸なの。私に喧嘩売るなんてさ。」


 地上にあった瓦礫が次々と上昇し、高速で僕にぶつかってくる。僕の身体は落下せず、昇ってきたその瓦礫によって打ち上げられ続ける。

 けれどすぐに、僕は連撃に対応した。中空で身を翻し、飛んできた石材を足場にして、一気にプレシュさんの元まで間合いを詰める。


「売られた喧嘩は、全力でッ!」


 しかし網に引っ掛かったように動きが止まり、プレシュさんの握り込まれた固い拳が、僕の左頬に直撃する。

 稲妻にも似た強烈な衝撃波が走り、僕の身体は雲の上に向かって消えていく。


 前後不覚に陥り、今自分が上昇しているのか落下しているのかもわからない。為す術無く、空気抵抗を感じるだけ。


「はぁああああああああああぁルァッ!」


 プレシュさんの声が足元から段々近付いて来たかと思うと、超巨大な水の塊が信じられない勢いで吹っ飛んできた。

 僕の身体は水面に強打し、球状の水の中心に沈んでいく。溺れた身体は水の圧縮によって身動きが取れず、最後の泡を吐くと、眠るように黙ってしまった。


・・・・・


 黴臭い狭ッ苦しい牢屋に繋がれて、一体どれだけ経った。誰に祈ってみても、何を訴えてみても、砂粒一つ変わりはしない。

 首に繋がれた枷さえ無ければ、両手を噛みちぎってでも脱出してやるのに。そうしたら、骨を削ってでもこのクソみたいな檻を壊すことだってできたはずだ。

 いや、クソはおれか。おれに(たか)ってくる虫を食らうのだって、いつまでも続きはしない。こんなものか。こんな所で終わるのかおれは。


 おれはただ世界を良くしようとして真面目に働いていただけだ。軍に入って、人を殺した事も一度や二度しかない。この任務について、名前を消されても、おれは国のために働いた。その仕打ちがこれか。

 裏切ったのはどっちだ。裏切られたのはどっちだ。やつらには考える頭も無いみたいだ。誰か、おれよりも何倍、何十倍と人を殺しているあいつらが、地上でのうのうと暮らしてる訳を教えてくれ。おれをここに閉じ込めておいて平気な理由を、おれがこの地獄に納得できる理由を誰か教えてくれよ。


 おれは事切れる前に、ある真実に気付くことができた。人には何故、悪意があるのか。

 悪意と呼んだそれは単に、集団生活に邪魔なものだったというだけなんだ。誰しもが持つそれは、己のために生きようとする衝動だ。

 名前を消されたあの日、集団から除かれたおれは獣になったんだ。殺せば良かった。あんなやつら殺せば良かったんだ。囚われそうになった時、おれが本気で抵抗していればあの場に居た全員を殺してどこへでも雲隠れすることができた。


 おれは死なない。たとえこの身が腐り落ちようと、永遠に生き続ける。おれが終わるのは、この世からすべての生命が消え失せるその時だ。殺してやる。殺してやる。


・・・・・


 この記憶は、僕だ。


「記憶をコピーしたからといって、お前はおれには成れんよ。」


 塔の頂上に居る三人の人間。名も無き男が僕に言った。


「僕は別に、あなたに成れると思ってない。」

「だろうな。」

「食物が消化されやがて肉体に成るように、ただあなたが僕に成るだけだ。」

「……。」


 名を消し己という個を顧みず全に奉仕した彼は、誰からも忘れられ、到頭暗い地の底に打ち捨てられた。そして底知れない憎悪が残った。


 塔の頂上に居る三人の人間。兵器人形の主だった男が口を開く。


「むざむざ知恵を貸してやる積もりは無い。それは私の愛を瀆す事に等しい。」

「あなたの執着に興味はない。」

「……なに?」

「だけど彼女には、まだあなたが必要みたいなんだ。」


 人を模した機械を作り、かつて成せなかった夢を果たす。他人から盗む事も辞せず、己の欲望のすべてを造られた少女に捧げた。しかし、嵐の如く唐突に理不尽に、彼の希望は奪われた。そして無念に打ち拉しがれた。


 塔の頂上に居る三人の人間。記憶の無い少年に向かって僕は話しかける。


「僕は、もう、死のうと思ってた。」

「そうだね。」

「だけど、僕の身体は生きようとして、君を作り出した。」

「はは。まあ、プレシュさんの影響もあるんだけどね。」

「この六日間で、わかった事があるんだ。」


 非力な少年は何も為す事ができず、人々の命が失われていくのをただ見ている事しかできなかった。自分を大切に育ててくれた愛すべき素晴らしい世界は一夜にしていとも容易く瓦解した。あとに残った僕は、現実に耐えきれず壊れてしまった。


 捨てられ、奪われ、壊された、憎悪を、無念を、哀惜を、僕は受け止める事にした。そうして僕は前に進みたい。

 今はまだすべてを思い出した訳では無い。彼女が記憶を肩代わりしてくれたから僕は救われたのだ。

 この六日間、僕は色々な人々に出会い、三つの自分とは異なる記憶に触れた。


「僕は自分で生きているんじゃない。生かされて生きているんだ。僕が殺したあの三人の山賊も、誰かに生かされていて、そして誰かを生かしていたのかもしれない。」

「……それでこれから僕はどうするの?」

「恩を返したい。そして自分の命に、責任を持つ。」

「そう。」


 僕はもう諦めない。誰かを恐れて絶望したりしない。誰かに自分の大切な物を譲ってやるつもりも無い。失ったものを取り戻してみせる。


・・・・・


 僕は身体に力を入れる。周囲の水が急激に熱せられ、瞬く間に沸騰し始める。熱は広がり続け、球全体が激しく震える。


「な、なにこれ。って、うわあッ!」


 僕は魔力を解放し爆発させる。閃光が走ると、僕を覆っていた大量の水は瞬時に弾けて散っていく。

 身体の中を流れる魔力を熱と光に変換し、僕は全身に輝き揺らめく炎を纏った。


「アーネスト君の魔法!?」


『いいや、確かに彼の魔法ではあるが、これは恐らく……。』

『あん?おれはそんなの知らねえぞ。』


 記憶を再生する。それが僕の魔法だ。名の無い彼の記憶から、彼が持っていた潜在能力である炎の魔法を再現した。


 全身に纏っていた炎を徐々に右手へ収束させる。そして炎は質量を持った物体へ変換される。僕は夜の闇に光を放つ両刃の剣を生み出した。

 熱による膨張で推進力を作り、加速しながら彼女に迫っていく。

 彼女は右手を僕に向け、強く握った。けれど、僕を止める事はできない。


「あ、熱ッ!?」


 彼女が何を掴もうとしたかは知らないが、火に触れれば火傷をするのは当然のことだ。隙だらけの彼女を間合いに収める。


「はあッ!!!」


 炎の剣の刃は分厚く切れ味はまるで悪い。僕はそれを彼女に思いっきり叩きつけ、その状態のまま急降下を続け、地面に着く直前に勢い良く振り切って撃ち落とした。

 木々を大地ごと抉り、広範囲が灰塵と化した。衝撃波で薙ぎ倒された樹木がちょうど円を書くように連なって重なっている。


「けほ、けほ。酷いじゃないのさ!こっちは目を覚まさせてあげようと思って手加減してたのに!」

「君には、本気以上を出さないと、勝てないから。」


 略無傷の彼女は、爆心地で大の字に寝っ転がっていて、僕は彼女の首に剣の切っ先を向けていた。


「プレシュ。君と交わした契約を、思い出したよ。」

「そうなの。思ったより早かったの。」


 彼女は満足そうに笑みを溢した。


「僕は姉としての君を()()()()()()。」

「……ふふ。最初で最後の姉弟喧嘩、まさか私が負けちゃうなんて。」


 僕が差し出した手に掴まって、プレシュは体を起こす。僕が手を離そうとすると、彼女は逃がさないぞと言わんばかりに更に強く掴んできた。


「じゃあ私も一つ、返してあげるの。私はあなたの記憶の一部だけ、()()()()()()。はい、これで思い出せるはずさ。」


 頭の中に流れ込んでくる。かつて僕が暮らしていた村、僕を育ててくれた皆と、あの湖の風景が。今は無いあの場所、大切な思い出が。


「本当にもう大丈夫なの?」

「姉ぶらないでくれ、これからはただの仲間なんだから。」

「姉ぶってなんかないの。でもまあ、要らない心配みたうおっと!?」


 尋常でない虚脱感がのしかかり倒れそうになった僕を、プレシュが支えてくれた。


「ちょ!本当に大丈夫なの?」

「……ぁ……ぁう。」

「アーネスト!大丈夫かー!ってタコ野郎てめえ!アーネストに何しやがった!」

「違う違う違う!この人が勝手に。」

「うるせえ!」


 駆けつけてきたレプがプレシュを叱責するのが聞こえる。僕は力を抜き、重力に身を委ねている。


「レプも手伝いなさい!アーネスト君、急に動かなくなって。」

「は、はあ!?てか砦どうすんだよ!」

「ああ!そうだった!せっかく直した所だったのにさぁ!」


 耳元で騒がしい彼女たちは、僕の身体を支えながらゆっくりと歩き出した。

 出来上がったばかりの荒れ果てたクレーターに風が吹き、焦げた臭いが微かにしてくる。

 月明かりが三人の影を繋げて、おかしな塊になっていた。


「あはははは。」

「くくく。」

「……。」


 僕の頭上に光るのは、あの日見上げたのと同じ月だ。僕は二人の助けを借りて、前に進み始めた。僕の現在地はまだはじまりの月の下だけれど、これからきっとどこへでも行ける。

 僕と僕を支えてくれる人たちの心に従って、旅を続けよう。


 これは、僕たちの再生の物語だ。

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