コワレナイココロ
曇天の下、鈍く輝く刃と機械仕掛けの腕が相対する。僕と少女との距離はおよそ十五歩。僕に向けられた掌から甲高い音が鳴り、荒ぶる力を抑えるように左手で右腕を掴んだ。
「消し飛べ!!」
衝撃波に備え剣を構えた次の瞬間、彼女の手の中心が爆発し黒煙が勢い良く吐き出される。
視界を完全に奪われた。ガスを取り込まないように息を止め目を閉ざし、音だけに意識を集中させる。
彼女は恐らくこの煙の中でも視えるし、自由に動ける。根拠は無いが予感がする。
少女の腕が鳴った時、初めに撃ってきた衝撃波か飛び道具でも飛んで来るだろうと予測したが、ただの目眩ましだったとは。いや、もしくは……。
二時の方向、“ジッ”っと微かに、何かが焼け焦げる音がした。僕は爆発的な速度で身を屈める。
刹那、高熱と光線が黒煙を裂いて、僕の頭のすぐ上を掠めて通った。煙が払われ、視界が戻る。僕の背後で塔の先端が大きな音とともに崩れ去る。
旧砦の塔は、熱光線の一太刀で一瞬にして焼き切られたのか。あとほんの僅かでも身を屈めるのが遅れていたら、僕の胴体も上半分と下半分に分断されていた。
「ちッ!ちょこまかと。今すぐ死ねや!!」
「君は、本当に人間を憎んでいるのか!?」
少女の手から放出されている光線は刀の形に収束し、その切っ先が触れた部分の石材が黒く変色している。
少女は悲痛に叫んだが、僕が感じ取ったのは怒りや憎しみとは違うものだった。
「僕は山賊を捕まえて町の人たちを助けるためにここに来た。君は何故ここに居る?」
だから、彼女のテンションに全くついていけないけれど、僕は戦わず対話しようとする意志を示す。
「死ね!違う!!ワタクシが、殺し……。」
「僕には君と戦う理由も無いし、君のために死んでやる義理も無い。」
さっき僕が殺人を犯したあの時に、全身を駆け巡っていた憎悪はすっかり消えてしまった。不意に流れ込んできた感情に支配され、僕は自分を見失った。あの感覚が未だ鮮明に残っているから、彼女が今、同じ状態にあるのがわかる。
「止めら……れねぇんだよッ!!」
叫びと共に、光線を真っ直ぐ放ってくる。上体を倒し、ギリギリ回避することができたが、左の頬に火傷を負ってしまった。厄介なのはその熱と速度だ。ちょっとでも生身に当たれば、肉が瞬時に蒸発して骨が剥き出しになってしまうだろう。
威力も強い。この剣で果たして受け止め切れるとは、思わない方が良いな。
「あぁぁ、ぐっ。ウオォォォォォォォォオオッ!」
光線は長時間出し続けることができないようだ。僕の距離まで放出した後、すぐに刀の形に収束する。次の攻撃を回避できれば、僕の間合いまで詰められる。
「君の動きはある程度見切った。君が、君自身を止められないと言うのなら僕が止めてやる。次が勝負だ。」
しかし、本当に彼女を殺すのか。そもそも、山賊を斬った時の激しい憎悪も漲る力も、今の僕には無い。比べれば、動きも勘もかなり鈍くなっている。本当に、殺れるのか。
「イヤアアァァッ!」
甲高い叫びと機械音が共鳴する。迷いを捨て、両足に力をこめる。もう決めた。死ぬ覚悟も、殺す覚悟も。
光線が来る。と同時に走り出す。弧を描くように接近し、光線に追い付かれる間際、僕は高く跳躍した。僕が走って大回りすれば腕を横に払うだろうと、予め軌道を読んでいた。
「はああぁッ!」
剣を両手で持ち頭上に構え、落下の勢いとともに振り下ろす。確実に彼女を仕留められる間合いに入った。これで終わる……はずだった。
『レプ……い後の命令……。生き……。お前……、私が……。生きろ!レプ!』
あの感覚だ。まるで他人の感情が、いや、“記憶”が流れ込んでくるような。兵器として造られるはずだった少女を、誰よりも大切に思っていた誰かの記憶。これは、一体何だ?
「グハッ!!」
重い衝撃が走る。僕は後方に吹っ飛ばされた。脇腹を食い荒らされてるみたいな激痛が襲う。隙をつかれて、蹴りを入れられたようだ。
「くそっ。」
痛い。致命傷ではないものの、立ち上がることができないほど苦しい。今までの記憶に無い、感じた事の無い痛みだ。経験が無いというのはつまり、耐性や免疫が無いという事だ。
冷静な思考に支障は来さないが、ただただ尋常じゃなく痛い。
「うぅぅ。これが痛み……。」
「ウッ。」
「大丈夫か、レプ!?」
少女が膝から崩れたのを見て、咄嗟に声が出てしまった。まだ少しだけ、“彼”の記憶が僕の中にあったらしい。
「何故、ワタクシの名を?」
疲弊した彼女の様子から察するに、右脚が機能していないようだ。彼女は攻撃する際も、その場から一切移動していなかった。
「ウゥッ!ワタクシ、は……。主、さま。」
風が吹くと、赤髪の隙間から覗く彼女の顔が、はっきりと現れた。その顔は優しく美しく、両目から零れる涙に濡れていた。
「ワタクシの体に、信号が、命令するするのだ。目の前の人間をを、殲滅しろ、殲滅しろ、と。自分を破壊しようと、思っても……。人間を殺せ!約束を。殲滅しろ、と。何故か。どうか、ワタクシの。」
もはやまともに喋ることもできない、壊れかけた少女が言った。
「ワタクシを、壊してください。」
僕は、誰の記憶でも感情でもなく、僕自身の心で彼女に答えた。
「大丈夫。絶対に、君を助ける!」
僕たちが立ち上がるのはほとんど同時だった。蹴り飛ばされた衝撃で、剣を手放してしまったから今の僕は丸腰だ。剣を拾いに行くことは不可能だろう。一か八か、でもやるしかない。
僕は拳を固く握りしめ、もう一度、覚悟を決める。
「ヤメロオォォォッ!!」
光線が放出される前に、一直線に突き進む。甲高い機械音が響く。光線に撃たれても、僕は止まらない!
「治れえェェェェええええッ!」
僕は思いっ切り踏み込んで、彼女の鋼鉄で出来た右肩を全力で殴りつけた。激しい痛みに気を失う直前、彼女の腕が力無く垂れ下がるのを見て、僕は何故か達成感で満ち溢れた。
・・・・・
荒れ狂う嵐の中を、少女の細い手首を掴んで走っている。何かから逃げるように必死で、強い雨に打たれながら無我夢中で走り続けた。
すると少女が躓き、泥の中に倒れてしまった。すかさず少女を起こし、今度は腕を掴んで走り出す。時々、稲光が鋭く空を刺し、恐ろしい轟が風を震わせた。
少女に与えた贅沢な暮らし、大きな屋敷や華麗なドレス、可愛らしい子犬まで、全て皆奪われた。訳のわからない連中に、私の何もかもを瀆され踏み躙られた。
しかし、この少女だけは命に代えても守らなければならない。レプ・ソフィリカント。私のために涙してくれるのか。優しい子だ。私の、生涯の、最高傑作……。
・・・・・
「おーい起きろー。」
「プレシュ、さん?」
「ちょっとだけ心配してたの。ふふ。でも良かった。」
気が付くと僕はベッドの上で仰向けになって倒れていた。あの後、どうなったのだろう。ふと視界に入った、僕を見下ろしているプレシュさんの顔は、安堵と喜びを隠しきれていなかった。
「レプは?」
「ん?それが、あの変わった兵器人形の名前なの?」
「兵器人形って?」
「泥人形の親戚みたいな物。あの子はほら、そこに居るでしょ。」
プレシュさんに促されて体を起こすと、隣のベッドに虚ろな目をして足を伸ばしているレプが居た。周りを見渡すと、ここが町の宿屋であることがわかった。恐らくプレシュさんが運んできてくれたのだろう。
「やめろ~!なおれ~!って叫び合ってたの、遠くから見たらなかなかシュールで面白かったの。」
「遠くから見てた!?人が死にそうな時に何してんだよ!」
「生きてるんだから良いじゃないのさ!それにこんな美少女に膝枕してもらって、感謝の一言ぐらい言ったらどうなの?」
膝枕はどうでもいいけど、プレシュさんがいなければ僕は間違いなくあのまま死んでいた。レプも、今この場に居なかっただろう。僕は誠心誠意感謝した。
「ありがとうございました。」
「よろしい!あと、手の骨が砕けていたのと、右腿の外側が半ば溶けて悲惨な状態になっていたの、薬と魔術で治しておいたから安心しなさいな。」
レプの肩を殴って、手が血だらけになったのは覚えているけれど、腿が溶けたのは身に覚えが無い。捨て身で突進した時、レプの光線に撃たれたのか。今はどちらの傷も癒え、綺麗に治っている。
「腿の火傷は、跡がどうしても消せなかったの。と言っても余り目立たない程度の小さな跡だから、気にしなくて良いわ。」
「本当に、ありが、とう……。」
「ええ。もう少し休みなさい。お疲れ様。」
プレシュさんには聞きたいことがたくさんあるけれど、今は眠ってしまおう。起きたらその時に聞けば良い。
それと彼女にも、僕の見た夢の話を、聞かせてあげよう。