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現れた魔物

「ライは……どこへ帰るの?」

 昨日使っていた舟を、ライガルトは再び海へと押し出した。

 広い海にこんな小舟では不安も大きいが、移動するにはこの舟だけが頼りだ。一応、魔法で新品同様に修復はしてあるが、どこまで保つか。

「セリアンの街。そこにあるキュラの港なんだけど、どの辺りかわかる? ここから遠いのかな」

 どこをどう流されてしまったのか。この島は現実に存在しているらしいが、どこにあるかがわからないので、向かうべき方向すらもライガルトにはわからない。

「遠くはないわ。近くでもないけど」

 記憶を取り戻したシュリーディアは、おおよその位置関係がわかるようになっていた。ライガルトの言う街や港も、行ったことはなくても方向などは知っている。

 帰るめどがたちそうで、ライガルトはほっとした。

「ライがわかる所まで、一緒に行くわ」

「いいの?」

「うん」

 仲間達の所へ戻らなくていいのかと思ったが、だいたいの方向を教えてもらうだけではライガルトも心(もと)ない。陸なら何とかなっても、海の上ではどうにかできる自信が全くなかった。

 海は人魚にとって、言わば庭。せっかく助かった命がここで果てることになっては元も子もないので、ライガルトはシュリーディアの言葉に甘えることにした。

 気絶していた時間も含めれば、およそ四日。ライガルトは、世話になったレジアの島を後にする。

 シュリーディアが潮の流れを操作しているのか、小さなオールしかなくてもこぐのが楽だし、進むのも速い。目的地であるキュラの港までの距離はわからないが、これならそう時間をかけることなく戻れそうだ。

「その港には、誰がいるの?」

「俺に魔法を教えてくれる師匠がいるんだ。俺が魔法で鳥を飛ばしたの、覚えてる? あれとか、魚を焼くために出した火とかを教えてくれた人だよ」

「お父さん?」

「いや、親父は別の場所にいるんだ。その人は親父のいとこにあたるんだけど、魔法を教えてもらうために一緒に住んでる。シュリーディアはどの辺りに住んでるんだ?」

「色々よ。あたしはこの海から出たことはないけど、別の海へ行った仲間もたくさんいるわ。普段は自分だけだったり、仲間と一緒にいたり。ガドルバが現れた時は仲間が近くにいたから、みんなに迷惑がかかっちゃった」

「でも、みんな迷惑そうでもなかった気がするな。海に戻ったら、ありがとなーって言って、笑いながら戻って行ったしさ。それに、シュリーディアのせいじゃないんだから、気にすることはないよ」

 ライガルトが言うと、シュリーディアは笑顔を見せてうなずいた。

 だが、次の瞬間、シュリーディアの顔が明らかに青ざめる。

「シュリーディア? どうしたんだ?」

「この音……ガドルバだわ」

「音? ガドルバって、シュリーディアをレジアの島に閉じ込めた魔物か」

 ライガルトの耳には、波の音と風の音しか聞こえない。

 だが、シュリーディアは確かに聞き取っていた。人間が誰かの足音を聞き取るように、人魚の耳に魔物の泳ぐ音が聞こえたのだ。

「しつこい奴だな」

 呪いが解かれたことに気付いたのだろう。島から逃げ出したシュリーディアを追って来た、というところか。二百年も閉じ込めておいて、まだ何かしようなんてしつこいにも程がある。そんな性格だから、嫌われるのだ。

「大変だわ。このままだと、今度はライが一緒に閉じ込められちゃう」

 今回は、何かの作用で島へ入り込んだ。同じ呪いをかけられたら、次はライガルトも記憶を抜かれてしまいかねない。魔法を忘れてしまえば、逃げることもできなくなる。

 本性が人魚のシュリーディアと違い、人間のライガルトが百年も二百年も生きることは不可能。余程運よく助けが来ない限り、魔物に喰われなくても閉じ込められれば死んだも同然だ。

「キュラの港はあっちの方向よ。ライはそっちへ行って。あたしはガドルバを引きつけるから、その間に早く逃げてね」

「引きつけるって……捕まったらまた閉じ込められるぞ。行くな、シュリーディア!」

 魔物の狙いはシュリーディア。呪いを解いて逃げた彼女を、今度はどうするだろう。閉じ込めるだけでは済まないかも知れない。

「でも」

 自分が何とかできる、とはシュリーディアも思っていない。だが、ライガルトが巻き込まれることだけは避けたかった。

 シュリーディアの気持ちがライガルトにあると知れば、ガドルバはためらうことなく彼を殺すだろう。全く関係のない仲間を閉じ込めるような魔物だ、それくらいはする。

「ライを危ない目に遭わせたくない」

「シュリーディアだって、危険なのは同じだろ」

 そう言っている間に、海面が大きく波立つ。小舟がその波にもてあそばれ、いつ砕けてもおかしくないように思えた。

 嵐の夜もかなり荒々しい波に翻弄されたが、今は空が明るいのに似たような状況で頭が混乱しそうだ。

 海面が一部盛り上がる。津波でも起きたのかと思ったが、違う。

 魔物が海中から、その姿を現したのだ。

「でけぇ……」

 頭の部分だけでもライガルトより倍以上大きな魔物が、彼らの前に現れたのだ。

「久しいな、シュリーディア。お前はわしがレジアの島に封印したはずだが、どうやって出たのだ?」

 ガドルバはウミヘビの魔物だ、とシュリーディアは話していた。

 確かに、現れた姿は蛇そのものだ。陸にいるものと形は変わらない。だが、水面下にある身体は、どれくらいの長さだろう。太さは一抱え以上ある。ウミヘビなら、それらしいサイズでいろ、と言いたい。

 暗い灰色のうろこに覆われたその身体の大きさは桁外れだし、小舟はひどく揺れるしで恐怖でいっぱいだが、それ以上にライガルトはガドルバの言葉に怒りを覚えた。

「封印だと? 蛇の生殺しみたいな状態でシュリーディアだけじゃなく、大勢の人魚達をあんな小さな島へ閉じ込めやがって。お前、ふられたんだろ。だったら、これ以上しつこくつきまとうな。お前も男だったら、潔くあきらめろっ」

 その言葉に、ガドルバがライガルトを見下ろした。目が白く光る。その色は、今にあった光る石を思い出させた。

「……お前か、余計なことをしたのは。たかが人間が」

「誰かを助けるのに、人間かどうかなんて関係あるかよ」

「自分だけでは海で生きられもせん奴が、口だけは達者だな」

「だったら、お前は陸上でどれだけ速く移動できるんだ。空は飛べるのか。自分のテリトリーだけで偉そうにしている奴に、どうのこうの言われたくない」

 人間は水の中では生きていけない。それは確か。だからと言って、水の魔物が一番偉い訳ではない。

 たかが人間、と言うなら、こちらにすればたかがウミヘビだ。

「余計なことって言ったな。それは人魚達の言い分だろ。自分の思い通りにならなかったら、閉じ込めて記憶を奪う。迷惑なんてものじゃないぞ。お前、何様のつもりだ」

「人魚ごときがわしに逆らうからだ。おとなしく言いなりになっていればいいものを」

「たかが、とか、ごとき、とか……。お前が世界の頂点に立っているんじゃないっ。何を勘違いしてるんだ」

 自分が上の立場だと思う(やから)は、ガドルバに限ったことではない。

 それはわかっているが、目の前でこういう言い方をされると、何か言い返さずにはいられなかった。

「お前みたいな奴には、誰もついて行かない。いたとしても、下心がある奴だけだ。そんなこともわからないなら、ただのバカだ」

「さっきから聞いていれば……。お前のような小物は、さっさと海の藻屑(もくず)にでもなれ」

 ガドルバが、ライガルトへ向けて水を吐いた。ライガルトは防御の壁を出し、その攻撃を防ぐ。かなり重い衝撃が伝わるが、ひたすら耐えた。

 何て重さだよ。壁が割れちまう……。

 わずかでも気を抜けば、舟を壊され、水面に叩き付けられ、すぐには浮かび上がれない深さまで沈められるだろう。

 その時点で無傷ではいられないだろうが、水面に浮かぼうとすればその巨大な口に飲み込まれるに違いない。この先の流れがどうであれ、死に直結するのは同じ。

「やめて! ライに手を出さないで」

 シュリーディアの叫びに、ガドルバがぎろりとそちらを睨み付ける。その目に、シュリーディアの肩が大きく震えた。

「シュリーディア、こんな人間の小僧をかばうのか。わしを拒絶しておきながら、人間には心を許すのか」

 今度はシュリーディアに向けて、水を吐き出す。いくら人魚にとって水の中が生活の場であっても、水の勢いによっては無事でいられない。

 もぐれば少しはその攻撃から逃げられるはずだが、ガドルバの眼光に威圧されてシュリーディアは動けずにいる。

 だが、シュリーディアが水面に叩き付けられることはなかった。

 シュリーディアに意識が向けられることによって、ライガルトへの攻撃が止まる。その間にライガルトの出した壁が、シュリーディアをガドルバの攻撃から守っていたのだ。

「こいつに出せるのは、口だけだ。蛇だから手がないし、文字通り手出しできないよな」

 ライガルトがガドルバを睨み返す。その額には汗が浮かび、息も切れている。

 しかし、目の光は魔物に負けていない。

「小僧……」

「俺はカエルじゃないんだ。いくら睨まれたって、すくみ上がることはないぜ。だいたい、今のが好きな女にする仕打ちかよ。ふざけんなっ」

 自分の妻に、と言うからには、多少なりとも好意があったはずだ。それなのに、殺そうと……少なくとも傷付けようとする。

 そんなのは、好きでも何でもない。相手を自分の思い通りに動かしたいだけ。ただの自分勝手だ。

「やかましいっ」

 ガドルバがまた水を吐こうとする。だが、ライガルトも同じようにやられるつもりはない。

 ライガルトはガドルバが攻撃しようとするより早く、呪文を唱えた。ガドルバの口の中で、吐くはずだった水が凍り付く。同時に口やのどの奥まで凍り付き、開けた口は閉じられなくなってしまった。

 水属性の魔物に、火は効果がほとんどない。土や風はここでは微妙だし、水なんてほぼ無効だろう。水魔法なら、あちらの方が絶対に強い。

 でも、その水が固まれば勝機がある、とふんだのだ。思った以上に効果有り。

 喉の奥が凍ったせいで呼吸が苦しくなったのか、ガドルバがのたうち回る。巨大な身体を水中でうねらせたため、ガドルバが現れた時よりも水面が激しく波立った。

「うわあっ」

 小舟のへりを持って耐えていたライガルトだが、舟が揺れた勢いで海へ放り出されてしまう。

「ライ!」

 シュリーディアが沈みかけたライガルトを、海面へ引き上げる。その間にも、ガドルバは凍り付いた口の中を何とかしようともがいていた。

「シュリーディア、沈まないように俺の身体を支えていてくれないか」

 立ち泳ぎなんてライガルトにはできないし、できても泳ぎながら魔法を使うのはかなり厳しい。少しでも身体を安定させたかった。

「うん」

 シュリーディアは少しもぐってライガルトの腰に手を回し、ライガルトの身体が胸より下に沈まないように支えた。腕力が少ないシュリーディアでも、身体の半分が海水の中なら支えることは可能だ。

「こしゃくな……」

 ガドルバの言葉は氷のせいではっきりしないが、そう言ったと思われる。

「記憶の光を見て泣いてたシュリーディアの気持ちなんて、お前にはわからないだろ」

 ライガルトが呪文を唱える。空中に氷の槍が何本も現れ、のたうつガドルバへ一斉に飛んだ。巨大な身体に氷が刺さり、口の中を氷でふさがれていたはずのガドルバは大きな悲鳴をあげる。

 氷が突き刺さった部分からガドルバの身体は凍り付き、やがて魔物の全身が氷に包まれた。

 動けなくなった魔物を見て、ライガルトは大きく息を吐く。シュリーディアが海面にそっと顔を出した。

「ガドルバ……死んだの?」

 動かなくなった魔物を見て、シュリーディアがつぶやくように尋ねる。

「たぶん。あいつがしばらく氷漬けにされても問題にしないくらい、生命力が強いなら別だけど。身体が大きいと、やっぱり力も強いし」

「もうおじいちゃんだから、きっと無理よ」

「え、あいつ、年寄り?」

「うん」

 人魚もそうだが、魔物は見た目だけでは年齢の判断はつかない。人間の姿なら推測しやすい気もするが、シュリーディアの例もある。見た目はライガルトより若いのに、実際は……だから。

 結局、どんな姿でもわかりにくい存在、ということか。

 とにかく、魔物が年寄りだったおかげで若い時よりも魔力や生命力が低く、ライガルトの魔法も通じたのだろう。水の攻撃を受けた時はとても重く感じたが、ガドルバがライガルト程に若ければ、きっとその力に耐えられなかった。

「はは……運がよかったってことか。そうだよなぁ。あんな巨体の魔物に、見習いの俺が勝てたんだから」

 相手が年寄りでも、こちらが見習いでも、勝ちは勝ちだ。

「万が一、あいつが復活したら大変だ。もしもって考えたら、シュリーディアも安心して海で泳げないよな」

 ライガルトは、ひときわ大きな氷の槍を出した。それをガドルバの身体へ向けて放つ。

 氷漬けになったガドルバに槍が刺さると大きく亀裂が入り、身体ごと一気に氷が砕けた。これで、ガドルバが生き返ることはない。氷が溶ければ、魚達がその肉片を処理してくれるだろう。

「シュリーディア、もう大丈夫だ。あいつがシュリーディアに手を出すことは二度とないよ」

「ライ、ありがとうっ」

 シュリーディアはライガルトにしがみつく。そうされても沈まないのは、シュリーディアの尾がしっかり動かされているからだろうか。

「本当は怖かったの。海へ戻れても、またガドルバが現れたらどうしようって。本当に現れた時、もう助からないって思って……」

 呪いが生きている、ということは、術者のガドルバも生きている、ということ。

 そのことがわかっているのに海へ帰るのは、ガドルバに狙われているシュリーディアにすれば恐怖だったろう。

 シュリーディアの肩がかすかに震えているのは、本当に怖かったのか、泣いているのか。

「今度こそ、もう安心していいよ」

 ライガルトは、落ち着かせるようにシュリーディアの頭を軽くなでる。しばらくそのままの形で、ふたりは波間に揺れた。

 だが、ガドルバを氷漬けにした影響で周囲の海水や気温が少し下がったらしい。寒くなってきた。

「えーと……俺が乗ってた舟、無事かな」

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