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流れ着いた所

 ライガルトは、ゆっくりと覚醒する。だが、まだ目は開かない。

 まぶたが重いし、その重さをはねのけてまで起きたい気分ではなかった。もう少しこのままでいたい。

 今、何時だろう……。

 そうは思っても、時間を確認する気も起きない。

「……だって?」

 誰かの声が聞こえた。聞き覚えのない声だ。男性らしい、低い声。

 かなりそばで聞こえたような気がする。気配からして、数人いそうだ。

「かわいそうになぁ」

「この子ももう出られないだろう」

「わしらみたいになるのか?」

「さぁな。だが、ここから出るのは無理だ」

 何だか(おだ)やかならぬセリフが、ライガルトの周辺を飛び交っている。

 出られない……出られないって、どこからだ?

 状況を確かめようとするのだが、ライガルトの目はまだ開かない。力が入らないのだ。

 もしかすると、起きようとして起きられない夢を見ているのか。……きっとそうだ。この声も、夢の中の一部。そういうことにしておこう。

 そんなことをつらつら考え、ライガルトはまた眠りに落ちた。

 次に意識を取り戻したのは、誰かの手が顔に触れたからだ。

 温かく柔らかな手。静かに頬をなでられている。覚醒をうながしている訳ではないようだ。幼い頃、母親にそうやってなでられたことを思い出す。

 今度はそう重さも感じず、ライガルトはゆっくりと目を開いた。

「あ、よかった。やっと目を開けてくれた」

 ライガルトの目に飛び込んできたのは、安心したように笑う少女の顔だった。

 薄い金色の髪は長くまっすぐで、青い瞳は丸く大きい。晴れた日の海を思わせる色だ。

 絶世の美女、とまではいかないが「かわいい」の前に「とても」を付けても、文句を言う人間はまずいないだろう。笑顔がとても愛らしい。

 しばらくぼんやりとその顔を眺め、それからようやくライガルトは完全に覚醒した。

「だ、誰?」

 ライガルトは飛び起きた。

 自分が眠っていたそばで、どうして知らない女の子がいるのだろう。何かまずいことでもやらかしただろうか。

 すぐには眠る前の記憶が引っ張り出せず、ライガルトは大いに焦る。自分が身に着けていた衣服が一枚もなくなっていれば、なおさらだ。

 さらには、彼女が下着にも見える衣服だけしか着てないことで、完全に頭が混乱する。

「あたしはシュリーディア。あなたは?」

 十六、七歳といったところだろうか。焦るライガルトを気にすることもなく、少女は明るい笑顔で名乗った。

 とりあえず……シュリーディアと名乗った彼女と、ライガルトがこれまで顔を合わせたことはない。

 俺、酒飲んだっけ? おじさんと一緒にいる時に勧められて少し飲んだことはあるけど、記憶がなくなるような飲み方はしてないし。ってか、飲んでない、はずだぞ。だから、酔った勢いで部屋へ連れ込んだ、ということはないはずだけど……。

「俺は……ライガルト。あの……」

「ライガルトね。具合は悪くない?」

「具合? えっと……」

 どうやら、初対面の少女に何かしでかした訳ではないようだ。その点で、ライガルトは少しほっとした。

 しかし、まだ状況が把握できないままだ。

「俺、どうなって……」

「ライはね、海で漂流していて、二日間眠ったままだったの」

「海……? ああ、そうか。俺、船から落ちたんだ」

 ようやく記憶が戻ってきた。

 嵐の海に落ち、魔法で何とかしのいだものの、時間とともに体力が失われて……。

 覚えているのは、ここまでだ。

 話によると、シュリーディアが波間に漂うライガルトを見付け、助けてくれたらしい。

「そうだったんだ。ありがとう、シュリーディア」

 ライガルトが礼を言うと、シュリーディアはにこっと笑う。笑顔の女の子は街で何度も見たことはあるが、彼女の笑顔は何だか気持ちが安らぐ気がした。

「あの、俺の服は?」

「そこよ。みんなが無理に脱がせたから、破れちゃったけど」

 言われてそちらを見れば、ライガルトが寝ていた横に見覚えのある服……の残骸があった。

「あの、みんなって?」

「あたしだけじゃライを海から運べないから、島のみんなに頼んだの」

 ここはどこかの島で、シュリーディアがライガルトを見付けたものの、海から陸へ運ぶのは無理だから島民に頼んだ、ということだろう。

 服を脱がせたのは、濡れたままでは身体によくないからだろう、とは推測できる。ただ、ずいぶん豪快な脱がせ方をしてくれたものだ。いや、これは……脱がせる、という言い方でいいのだろうか。

 ほとんど引きちぎられたような状態の服に、ライガルトは心の中で小さく息を吐く。

「それじゃ、着るのはもう無理かしら」

 普通は無理だろう。片方の袖なんて完全にちぎり取られているし、ボタンは取れ掛けていたり、完全になくなっていたり。脱がせるのに襟を破る必要があったのだろうか。

 直すより、新たに仕立てた方が絶対に早い。いや、この状態から修復はほぼ不可能だ。

「ああ、いいよ。自分で直せるから」

 つくづく、自分は魔法使いでよかった、とライガルトは己の歩いて来た道に感謝した。

 服に向けて復元の魔法をかけ、街でケンカしてもここまでひどく破れないだろうと思える状態の服は、あっという間に元に戻る。

 ただ、この魔法は元の状態に戻す魔法なので、行方不明のボタンは戻って来ない。ボタンは島に落ちているのか、海でなくしたのかのどちらかだろう。

 とりあえず、着られる状態になっただけでもいいか。そんなに寒くないから、胸がはだけたって身体が冷えることもなさそうだ。今が冬でなくてよかったぁ。

「ライは魔法使いなの?」

 服が元に戻ったのを見て、シュリーディアが目を輝かせる。

「まだ一人前とは認めてもらってないけどね。そろそろってところかな。とにかく、これで着替えられるよ」

 服を着る、と言えば目をそらすかと思ったのに、シュリーディアは珍しいものでも見るようにライガルトから視線を外さない。

 普通、女の子の方が目をそらそうとするよな。……まぁ、いいけど。男が珍しいって訳じゃないよな?

 気恥ずかしさはあるものの、見ないでくれ、と言うのも、それはそれでちょっと恥ずかしい。ライガルトは手早く自分の衣服を身に着けた。

「ここは……シュリーディアの家?」

 正直なところ、周囲を見回したライガルトはこれを家と言ってもいいのか迷う。

 一応、壁も屋根もあるのだが、漂流していた材木を家の形にしてざっくり組み立てた、という感じがする。床は砂で、まだ外に出て確認していないが、恐らく砂浜にどかっと造られたのだろう。

 これは造ると言うより、置かれた感じかも知れない。明らかに基礎や土台と呼ばれるものはなし。そんな状態だから、もちろんワンルームだ。

 ちなみに、さっきまでライガルトにかけられていたのは、手触りこそ柔らかいがゴザのようなもの。

「うん、そう」

 倉庫と呼ぶのもはばかられそうな建物。これが我が家のはずがない、といった言葉が返るかと思ったが、シュリーディアはにっこりと笑って肯定した。

「お父さんやお母さんは?」

「……」

 ライガルトの質問に、初めてシュリーディアの顔から笑みが消えた。

「あ、ごめん。余計なことを聞いて」

 触れてはいけない質問だったらしい。

 だいたい、今いる空間(家と呼ぶには抵抗がある)はライガルトとシュリーディア二人でぎりぎりの広さなのだ。そこへさらに大人二人が加わるとは思えない。

「シュリーディア、ここは何ていう場所? さっき、島のみんなって言ったけど、ここは島?」

 禁句をなかったことにしようと、ライガルトは話題を別の方向へ向けた。

 それに、今の重要課題は現在地の把握だ。恩人の家族構成ではない。

「ええ、レジアの島よ。ライもきっと好きになるわ」

 再びシュリーディアに笑顔が戻ってほっとした反面、聞き覚えのない島の名前にライガルトは首を(かし)げた。

「レジア……聞いたことがないな。どの辺りなんだろう」

 出港してから海へ落ちるまでの時間を考えれば、エドルとセリアンの間くらいだと思われる。そこからどう流されたか、だ。

「一番近くの港は?」

「さぁ。あたし、島から出たことがなくて、島以外のことはわからないわ」

 ライガルトは田舎の村の出身だが、一番近くの街くらいは知っていた。大人に教えられ、小さな子どもでもそれくらいの知識はある。シュリーディアは余程島の外に興味がないのだろうか。

 ライガルトは少し引っ掛かったが、世の中にはそういう人もいるんだろう、と思うことにした。実際、知らないと言っているのだから、それ以上は聞けない。

「それじゃ、わかる人はいるかな。できればそこまで送ってもらうか……とにかく戻らないと」

 さっきシュリーディアは、ライガルトは二日間眠っていた、と言った。海でどれだけの時間、ライガルトが漂流していたかを知る(すべ)はない。単純に考えれば、船から落ちて少なくとも三日は経過しているはず。

 ロドクスの元に、ライガルト遭難の知らせは行っているだろうか。心配させているか、下手すると死んだと思って遺体がないまま葬式の準備、なんてことをしているかも知れない。

「ねぇ、ライ。風に当たればもっと気分もよくなるわ」

「え?」

 シュリーディアに手を掴まれ、答えをもらえないままライガルトは外へ連れ出された。

 ちなみに、出入口には扉代わりに目の粗いゴザが吊されている。

「んー、いい気持ち」

 ライガルトの手を掴んだまま、シュリーディアはのびをする。確かに、顔に当たる風は心地いい。

 シュリーディアの家を出ると白い砂浜が広がり、嵐の夜と同じとは思えない、青く美しい海がそこにある。暖かな日差しが降り注ぎ、柔らかな風が通り過ぎた。

 ライガルトが住むセリアンは港街だから、もちろん海は見慣れている。だが、港なので船が入出港できるようになっているため、近くに砂浜はない。白い砂浜が続く光景は久々で、新鮮に思えた。

 これだけを見れば、いい環境だ。もっと暑ければ、海へ入って水遊びでもしたい気分になるだろう。

 しかし、振り返れば今にも壊れそうなシュリーディアの家。予想はしていたが、やはり置かれただけ、に見える。火をつければ、簡単に大きめのキャンプファイヤーができそうだ。

 さらには、そういった家が海岸線に点在していた。両親がいないらしいシュリーディアが貧乏なため、家がこんな状態なのかと思ったが、実はそうではないらしい。この島には、まともな家を建てられる人間がいないのだろうか。

 沖を見ると、かすかに小さな三角の何かが海面に浮かんでいる。不規則ながら、水平線にいくつも並んでいるのだ。

「シュリーディア、沖にあるのは何?」

「どれ? 岩礁のこと?」

「岩礁? 岩の一部が出ているのか。もしかして、この島は岩礁に囲まれてるとか」

「そんな感じね」

 シュリーディアは軽く答える。

「それじゃ、あの岩礁より沖へ出るのは大変だな」

 まるで不揃いな柵のように、岩の先端が海から出ている。岩と岩の間はかなり狭そうだから、舟で沖へ出るのは一苦労しそうだ。

「出られないわ」

「え、出られないって……」

 ずいぶんあっさり言われたが、シュリーディアはとんでもないことを言わなかったか。

「ライ、この島から出るのは無理よ」

 つながれたシュリーディアの手が、ライガルトにはこの瞬間、手枷(てかせ)のように思えた。

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