はじまりの日 Ⅶ
廊下を早足で歩く。普段は背中を丸めて歩いているけれど、今はそんなことに気を配れないくらいにいいようのない不安感に駆られていた。別にクラスメイトの失踪くらい私には関係ない。リリアンだって私のことを気遣わしげに見つめてきたことはあったけれどそれだけだし。私はただ静かに寮に帰って大人しくしていればいいだけ。そう思うけれど足は止まらない。ただのクラスメイトだ。私のことを馬鹿にはしないけれど、かといって何かをしたわけじゃない。そうだ、何かをしないでくれた。私の求めないことをしないでいてくれた。あの瞳には私に対する憐れみはなかった。それだけ、それだけ。それだけ、なんだってば……!
「最近は物騒ですから。暗くなったら裏庭には近づかないでくださいね?」
何故かカノン先輩の声が耳で木霊する。木が生い茂っているせいで陽が高いうちから薄暗い場所。そうだ、あそこだ。あまり人が近づかない場所、ではあるけれどあそこには魔法に使う植物が生えていると聞いたことがある。もしかしてそれを取りに行った人が消えているのか。いや、そしたら失踪した人間があまりにも少なすぎる。そこまで考えて鏡の方へと向かおうとした足を止めて、方向を転換する。
どうしよう、プラタナス先輩は興味がないことにはほとんど思考を割かない。まず真っ先にあの人の顔が出てきたけれど、私の手元の判断材料では彼の興味を引くことは、いや、思考に入れてもらえるには難しいかもしれない。であれば候補の場所に一度行った方がいいんじゃないか。そうぐるぐると思考を巡らせたまま足を踏み出した時。
「ぅ、ヴィオラさん」
「っ……?」
突然声をかけられて足が止まる。すぐに目に入ったのは少しボサボサの黒髪、切長の赤い瞳、背が高いことを隠すように丸められた背中。ルピネだ。いつも図書室のカウンターにいる姿ばかり見ていたためか一瞬戸惑ってしまった。しかし、考え事をしていたとはいえ今の今まで気が付かなかったしタイミングがあまりにも良すぎて一旦思考が停止する。そんな私をよそにルピネがずんずん私に近づいて、真っ赤な瞳がこちらを射抜く。彼は頬を赤らめ興奮している様子だった。
「す、すごい……!あの人の言ったこと本当だ……!ヴィオラさん、本当に裏庭に行こうとしてたんだ…」
「え、え……?裏庭って、何でそれを知って」
「お、教えてくれたんです。ヴィオラさんが裏庭に行こうとしてるって。このままだと大変なことになるから、止めてあげてって……ぼ、僕がヴィオラさんを助けられるんだって……!」
意味がわからないことを捲し立てられて私は目を白黒とさせてしまう。だって私が裏庭に行こうとしたことを誰も知る由はない。私はつい直前までプラタナス先輩の下へ向かうつもりだったのだから。心変わりまでを察知するなんて、それこそ不思議な力か、未来を知っている人にしかできない芸当だろう。まさか、魔法を使って?けど、学校内での地位が高いとはいえない一生徒の動向を知って何になるの?
「それって……誰、なんですか?」
「な、名前は言ってくれなかった、けど、金の髪に、青の瞳の……女の人、でした…」
金の髪に青い瞳。……高貴な血筋の人に多い髪と目の色の組み合わせだ。かと言ってこれだけではなにも絞り込めない。訳がわからなさすぎて思わず後ずさるとショックを受けたようにルピネが俯く。捨てられた子犬のような表情がなんだか放っておけない、そんな気持ちを呼び起こす。心の柔い部分を刺激してくるようなその表情に、謎の罪悪感が湧いて、後ずさる足を止めるしかなかった。
「あ、あの、とにかくっ……!裏庭には、行かないでくださいっ……!」
「わ、わかりました、わかりましたから……」
赤い目に飲み込まれて思わず肯定してしまうとそれまで庇護欲を煽るような態度だったのが一変して心底嬉しそうに頬を赤くする。意外と大きな手が私の手を包み込んで少し強めに握り込んだ。……いや、このまえのプラタナス先輩といいルピネといい何でこんなにもスキンシップを図ろうとするのか。少し気恥ずかしさを感じて俯くと自分の行動に気がついたルピネがパッと手を離した。
「す、すみませんっ……、し、失礼します!」
「あ……」
走り去っていくその長身を見送る。何故か把握されていた行動、金髪の知らない女性、裏庭にいくなという忠告。うん、もうこの情報量は凡人の私には処理しきれない。情報不足だとか何だとか言い訳を作るのはやめて、私は鏡のある方向へと向かうことに決めた。
読んでいただきありがとうございました。