はじまりの日 Ⅱ
やっとメインヒーローの登場です。
重い足を引き摺って、校内を歩く。鞄の中には花が一輪。いつも蔑まれるかいいように使われるか、という出来事ばっかり私に降りかかってくるからなのか新鮮すぎる体験に少し辟易としてしまった。その足でいつものコースを歩く。広すぎる校内の廊下を歩いて、歩いて、別棟に行って、また歩いて。
段々と人通りが少なくなって行く廊下の真ん中に備え付けられている鏡が目に入って、立ち止まる。
そこに映るのは小さくて、鼠色の髪を二つに束ねた野暮ったい女。暖かった村に慣れてしまった身には王都の空気はひどく冷たいので重宝しているポンチョが制服に包まれた上半身を覆い隠してさらに田舎娘のような印象、らしい。菫色の瞳は輝きを失ったかのように澱んでいて、ああ、確かに。これは田舎娘と呼ばれるに相応しい、と勝手に笑みが漏れた。
そっとその鏡に手を触れる。次いで、鏡から光が漏れ出した。
――承認
そんな声が脳内に響いて、鏡の向こうに道ができる。暗い、一歩でも白い光から足を踏み外したら虚空に落ちていってしまいそうな空間の中にある扉。そのドアノブを掴むと力を込めずとも勝手にノブが回る。重々しい音を立てて扉が開いて行く。眩しい光に目を細めながら、世界を移動する。開けた先。光に慣れた目が、その先を映し出す。そこには――
「う、ぅ……」
大量の書類の中に突っ伏す美男子。ボサボサになった頭がモゾモゾと情けなく動いている。この惨状を彼のことを学校の王子だと言っていた同級生が見たら何を言うんだろう。まあ、私には関係のないことだけれど。
「どうしたんですか?"天才さん"……また、飲まず食わずだったとか?」
「あ、ああ……ヴィオラくん……そういえば、昨日は何を食べたっけ」
学校一の天才、如何なる魔法でも使いこなす学校の王子。プラタナス様。そう称された彼が気にしたこともなく笑ってよれよれのレーションの包み紙を見る。私がこの前訪れたのはちょうど3日前だけれど、そのとき渡した食料品にはほとんど手をつけられていなかった。かろうじて水のペットボトルが開けられているくらいだ。
「ほら、何のためのゼリー飲料ですか、もう…」
「ああ、助かるよ」
ゼリー飲料の封を開けて端正な口元に持って行くと躊躇なく口に含まれる。絹糸のようだと称される白髪が部屋の明かりに照らされてキラキラと輝き、長いまつ毛が伏せられた。本当にこの人は、見れば見るほど綺麗な顔をしている。だからこそ足の置き所に迷う書類に溢れた汚い部屋がまるで貼り付けられた絵のように不釣り合いだった。ゼリー飲料を飲み下したらしい彼に続けて携帯食品を咥えさせ、書類を集める。書類番号が刻まれている几帳面さを少しは私生活に向けてくれないか。そんな視線に気がついたのだろう、王立魔法学校が誇る天才であり、生活能力皆無の人間であるプラタナス先輩は笑った。
「不満げな目をしていてもなんだかんだで行動するね、君は」
「ええ、天才様方のお役に立てるならば光栄ですもの」
「それにしては不満げな声だね」
長めの白髪を存外にしっかりとした指先が巻き取ってくるくると弄びながら全てを見透かすような緑の瞳が私を見据える。わざとですから、そう答えても気分を害した様子はない。やはり何を言っても、何を答えても、私の全ては掌の上という感じがして、やはり凡人の私は黙るしかないのだ。
「もう、天才様が私のような劣等生にそこまで興味がおありですか?」
「ああ、当然だろう」
――悔しまぎれに私の投げた変化球は真っ直ぐに打ち返された。散々かけられた言葉ではあるが思わず押し黙ってしまう。
「随分と君はこのことに懐疑的だね。僕は君に興味があるしその点に関しては君のいう凡人たちから贈られる惜しみない賞賛と変わらない価値があると思うんだけど」
「え、ええ、まあ先輩に興味を持たれるのは非常に難しいことでしょうけど……」
「ほうら、君の中にはきちんと客観的な視点があるじゃないか。それなのに君はどうやら悲観的な自分の視点に随分と飼い慣らされてしまっているらしい」
続く問答。やけにこまっしゃくれた言い方だけどこういうことが言いたいんだろう。必要以上に卑下するな、そういうことだろうか。内容自体は理解できる。理解できるが受け入れられるというわけではない。
「……ええ、私のことをよくわかっている、1番近くの批判者は口を塞いではくれませんから」
「おや、僕の言葉でもその口は塞げないんだね。ショックだな」
ショックなんて受けてないくせに。そう言ってしまいたいが口のうまい目の前の天才さんに敵わない。私はため息と共に人に世話をされなきゃろくに食事も摂れない先輩のために動き出す。近い日に、私が大騒動に巻き込まれるとは、この頃の私は思いもしなかった。