「壊れたラジオはありませんか」
「壊れたラジオはありませんか」
ある日、一人の客からそう尋ねられた。といっても、中古屋であるうちの店にとっては珍しいことでもない。真空管ラジオだったり、古い型のトランジスターラジオだったり。いわゆるジャンク品を買い求めるコレクターも少なくないからである。
だから私は、落ち窪んだ目の男に向かって尋ね返したのだ。
「具体的にどういった物をお求めですか? 例えば製造年や形状など。アンティーク目的でご購入される方もいらっしゃいますし、一方で部品さえ取り替えれば機能するかもしれない商品もございます。いかが致しましょう」
「……なんでも構いません」
だけど痩せぎすの彼は、弱々しく首を横に振った。
「壊れてさえいれば、なんでも」
「それは、電池を入れても部品を交換しても動かない故障品が良いという意味ですか?」
「金に糸目はつけません。とにかく壊れたラジオが欲しいのです」
「でしたら」
私は、チラリと店の奥にある十年前の型のラジオに目をやった。
「あちらに二百円で販売しております古い型のラジオがございます。一応動きはしますが、ご購入後にハンマーなどで叩き割れば二度と機能しないラジオに変わるでしょう。無闇に値の張る骨董品を買わずとも、お客様にとっては安く上がるのでは……」
「とんでもない!」
突如、客は唾を飛ばして叫んだ。
「そんな乱暴ができるか! もしもそんなことをしてラジオが何か呟いたらどうする! お前に責任が取れるのか!?」
「はい? ラジオが呟くとは一体……」
「もういい! 二度とこの店に来るものか!」
そうして彼は荒々しく足を踏み鳴らしながら出ていき、私は一人残されたのである。しばらく呆然としていたが、ハッと我に返るとすぐさまスマートフォンを手に取った。隣町の同業者と、先ほどの妙な出来事を共有したくなったのだ。
『ああ、壊れたラジオを買いたがるおじさんだろ?』
話は、すぐに通じた。
『うちにも来たよ。なんか切羽詰まったみたいな顔でさ。あんまり関わりたくなかったし、適当なラジオ売りつけてすぐに出て行ってもらった』
「適当なラジオ? まだ音が出る物を売ったんですか?」
『いや、出たり出なかったりだよ。ボリュームの接触が悪くなっててさ、部品取り寄せて直すほうが金がかかるから廃棄しようかと思ってたんだ』
「……」
聞きながら、私は客の男の言葉を思い出していた。――『ラジオが何か呟いたらどうする』。同業者の気持ちには同情できるが、彼はもしや致命的なミスをしたのではないかと。私の胸はざわざわとした嫌な予感に騒いでいた。
だが、口に出すほどのことでもない。適当な返事をしたあと、私は彼との通話を終えた。
真っ黒になった画面に目を落とし、少し悩んでいた。それから、意を決してさっきとは違う電話番号を表示させる。
『壊れたラジオを買いたがる男?』
彼もまた、別の街に住む同業者だった。
『そういえば数日前に来ましたね。やたら痩せてる人でしょう? なんでもいいから壊れたラジオを売ってくれと言うから、ちょうど廃棄しようとしていた物を五十円で買い取っていただきました』
「それはちゃんと壊れていたのですか?」
『あなたも彼と同じようなことを聞くのですね。ええ、壊れていましたよ。ただ……』
「ただ?」
『時折、人の声のような音が聞こえるのです』
その一言に、何故だか背筋が寒くなるのを感じた。
『まあ恐らく単なる異常発振ですよ。それも滅多に起こりません。古い真空管ラジオですからね、こちらの知識では直せないような異常はどうしても起こります』
「でも、売ったんですね?」
『壊れていても雰囲気のあるラジオでしたから。それに発火してはいけないので、ゆめゆめ電源はつけないようにも伝えましたし。特に問題は無いかと』
それはそうかもしれない。……いや、果たして本当にそうか? 男がラジオの電源を入れない保証は? 何かの弾みでラジオが起動する可能性は?
もし、男が『ラジオが呟く』のを聞いてしまったら?
「……」
だがやはり、口に出すほどのことではないのである。私は電話を切ると、またじっと真っ黒な画面を見つめていた。
そして気づけば、再びスマートフォンを耳に押し当てていた。
『その人ならさっき来たわよ』
彼女は、ここから徒歩で三十分ほどの距離に骨董品屋を構えている女性である。
『壊れたラジオをくださいって言うから、生憎うちには無いって言ったの。そうしたら酷く取り乱して、暴れ出してね。仕方ないから警察を呼んだんだけど……』
「どうなりました?」
『警察が来たら、ものすごく怖がってますますパニックみたいになっちゃって。それも警察を怖がってるんじゃないの。無線機。無線機を俺に近づけるな、何か呟いたらどうしてくれるんだって喚いてたのよ』
「それは……大変でしたね」
『商品もいくつか壊されたしね。高価なものが無かったのは良かったけど……』
「あ、ちょっと待ってください」
女性との会話を続けたくないわけじゃなかった。一番最初に電話をかけた同業者の男から、着信があったのである。
妙な胸騒ぎがして、女性に断りを入れた上で着信を受けた。
『なあ、今からこっちへ来てみないか?』
男の声は、楽しそうな色を孕んでいた。
『あの変なおじさんが来たんだ』
だから私は、彼の言う通り店を訪れたのである。言葉通り、一時間前に自分の店を後にした客がぼんやりとレジの前に立っていた。
帽子を目深にかぶり、できるだけ音を立てぬように気をつけて店内に入る。効きすぎたクーラーが、夏の熱気をまとう肌から一気に温度を奪った。
「壊れたラジオはありませんか」
客は、やはり同じ文言を繰り返している。対する同業者は、ニヤニヤと不愉快な笑みを浮かべていた。
「ねぇ、ラジオが呟くって何?」
「……」
「他の人から聞いたんだけど、お客さんラジオが呟くのを怖がってるんだって?」
客の目がギョロリと見開かれた。痩せているせいか、今にも黄ばんだ目玉が落っこちてしまいそうである。
彼は何か言おうと口を開けた。少なくとも私はそう思った。
だが次の瞬間、客は男の顔目掛けて近くにあったラジオを押しつけたのである。
止める余裕など無かった。骨と皮ばかりの腕のどこにそんな力があったのか、客は小型ラジオを同業者の男の頬にめり込ませていた。
急いで割って入った。客を突き飛ばし、同業者の男から引き離す。ラジオを打ち捨て「大丈夫か!」と彼の顔を覗き込んだ。
自分の目を疑った。
彼の顔は、私が見ている前でみるみるうちに萎れ始めたのである。
目が落ち窪み、みるみる髪は白くなり、頬はこけていく。手足は枝切れのように細くなり、乾いてひび割れた唇は金魚のようにパクパクとし始めた。
――まるで、あの客のように。
倒れているはずの客を振り返る。力無く投げ出された四肢はそのままだったが、薄紫色の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「……ラジオが」
愕然としていると、同業者の男が乾いた声を漏らした。
「ラジオが、何と、呟いていたか……」
私は咄嗟に耳を塞いだ。同業者の男は私の両手を掴むと、何やら喚きながら力づくで耳をこじ開けようとした。視界の隅で転がる客は、死んだように動かない。
私はがむしゃらに蹴飛ばし、耳を塞いだまま絶叫と共に外へと走り逃げた。そうでもしないとあいつの言葉を聞いてしまうと思ったのだ。
ラジオが何と呟いたか、知ってしまう気がしたのだ。
その後、彼の店と客がどうなったのかは知らない。私は自分の店にさえ戻らず家に帰り、殆ど何も食べず何も飲まず、二日間正気を失って過ごしたのである。
それから間もなくして、私は店をやめた。店長は残念がってくれたが、あんなことがあってはどうして続けられようか。
最後の挨拶を済ませ、店を出る。だが自動ドアをくぐろうとしたその時、私はすれ違ってしまったのだ。
フラフラと歩く、酷く痩せた男と。
全身が凍りついた。喉は極度の緊張によって締め上げられ、体からは勝手に汗が噴き出て息が荒くなっていく。しかし男は私には一瞥もくれず、おぼつかない足取りで店の中へと入っていった。
そして、微かながらも確かに耳にしたのである。
「壊れたラジオはありませんか?」
そう尋ねる、聞き覚えのある声を。