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魔女ハルバートの図書館  作者: 河辺之カワセミ
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◆◆◆ Star ◆◆◆


 昔、遠い昔。誓いを立てた。決して『新しい答え』を諦めないと。

 必ず故郷に帰れと、飛び立とうとする自分に命を賭けて送り出してくれた親友を思い出す。彼は遠い昔にこの世から去っている。墓は何処かにあるだろうか。無ければ作ればいい。

 感傷に浸れる余裕がある事に気付いて、星はようやく一息ついた。施設内の兵器は既に星の手によって改造が進んでいる。兵器に昏睡したシアオを預けて、自分は殉教者を探す。

 神という理不尽と戦い続けた人類の底意地の悪さを、殉教者もさぞかし学んでいる事だろう。

 施設から地上に出て施設ごと吹き飛ばそうと考えようものなら、まず地下の迷宮は一度足を踏み入れた外部の人間を地上に出さない仕組みになっている。

 そして破壊不可能と言われた天使の動きを制限する位なら出来る。その為に殺傷力が高い罠を張り巡らせて天使の大嫌いな『死』をそこら中にこびりつかせている。

 シアオの纏う『死』と比べて質がまるでお粗末だが、何も『死の因果』は『死そのもの』である必要はないのだ。

 勿論、『死そのもの』の因果は比べるべくもなく重い。無いよりはマシな程度だ。

 それでも『命を奪う因果』に囲まれるこの場所が、天使にとって居心地の良い場所では無い事は明白なのだ。

「意外と賢いんすね、殉教者ってのは」

 星は挑発的に口を開き、皮肉を煮詰めた台詞を吐いた。

「貴様は、餓鬼の皮を被った悪魔か」

「光栄っすね」

 殉教者は星の挑発に乗せられている様にも見えるが、冷静な様にも見える。静かに、低い声で星を威圧する。

「あんたらの勝利確定条件、もう一つあるんじゃないっすか?」

「ほう?」

「『人類の書』の破壊――ここに、『建造の章』が在るっすよ」

 瞬間、天使が放った弾丸を星は金槌で打ち返す。一度始まれば攻防戦は加速し、砂埃が舞い、地下だというのに壁に、天井に、床に遠慮なく弾丸が撃ち込まれ亀裂が走る。

 重い音が地下中に響き渡り、崩落した瓦礫が幾ら吹き飛ばされても、星は天使の攻撃に怯む事無く一歩を力強く踏み出した。いや、跳躍と言うべきだろう。金色の金槌を遠心力に従って大きく、大きく振りかぶる。星自身を支点に、金槌は天使に振り下ろされた。

 ガァアアンッと、音は響いた。が、金槌は天使に傷一つ付けるどころか接触すらしていない。

「――全く、目の前に見えるのに何処の次元に居るのか分かったもんじゃ無いっすね」

 相変わらず、と悪態を吐く。物体を認識できる三次元、時間を認識できるとされる四次元にさえ『神』は存在しない。目の前に確かに存在はしているのだ。だが、座標が合わない。

「こんなもの、それこそカミサマが造った法則に違反するんじゃないっすか?」

「黙れ! 神は、我らが主は愚かな腐敗しきった人類を浄化し、真の人類を楽園に蘇らせる為に地上に降り立ったのだ!」

「楽園、ねぇ」

 考古学者であるシアオの仕事での一つである『文明浄化装置の破壊』というのは、そのまま『神』と『天使』の破壊だ。

 殉教者の存在意義はとにかく人類に対して虐殺の限りを尽くし、文明の痕跡を跡形も残さず消し去る事だ。最初から人類など居なかった事にしたいなら、正直な事を言えば、星にも共感出来る部分はある。所詮生きていれば苦しみが付き物なのだ。

 ……だが。

「困るんすよねえ。何でしたっけ、『最後の審判』って」

 うんざりした素振りを誇張しながら天使の攻撃を捌き、知識の引き出しを引っ張り出す。

「死んだ人間を全て蘇らせて永遠の命と肉体を与えたもうて? 信者以外の人間は全員地獄で永遠に拷問を受ける?」

 オリーブの灯教会とは、かつて人種を隔てず何億という信徒を受け入れた世界最大の宗教に依存した教典を崇拝するにも拘らず、極端に排他的な考え方をする大規模なテロ組織だ。元々宗教絡みの戦争にちょっかいを出しては一般市民を巻き込んで多くの被害者を出していた。

 そして時を経た今の時代に現れたのが、自分たちがかつて信ずる宗教の為に命を捨て、別の信仰や政治によって殺された殉教の徒だと名乗る殉教者という組織だ。

 連中は復讐を大義名分とし、その為の手段であるシアオを生涯苦しめ続けるだろう。

「人間がやる事じゃない、って言ったところで、神の所業なんすよねえ」

 天使の砲撃から後退し凌ぎながら星はぼやく。他人の指摘に耳を貸す連中なら6世紀も前に人類は滅んでいない。

「ホント、実際に交戦してみると手も足も出ないっすね……シアオさんって本当にあれを破壊出来るんすか?」

 今星に出来るのは精々『建造の章』を活用して結界に立て籠る事だけだった。金槌で地面を叩き、殉教者と天使を囲む様に光の壁を造り出す。

 高密度な障壁の為、発動中術者は動けなくなる上に長く維持できない。

 星が持っていると申告した『人類の書』は、確かに『神』を迎撃する魔法の基礎を構築し、人類の完全な滅亡を紙一重で阻止した。だが『神』を破壊するには至らなかった。

「例え『人類の書』が揃ったとしても我らが主の勝利が揺らぐ事は無い。だが、我らが楽園にそれは邪魔だ」

 殉教者が懐から聖書を取り出した。不味いと星の直感は警鐘を鳴り響かせているが、今障壁を解いて逃げ出せば殉教者は星の事など捨て置いて真っ直ぐシアオを殺しに行くだろう。

 逆に天使か殉教者に攻撃を仕掛けても攻撃は妨げられ反撃を喰らうのがオチだろう。

「我には凡てが備わりて餘あり、既に端麗な勤労者より汝らの賜物を受けたれば、飽き足れり。これは馨しき香にして神の享け給うところ、喜び給う所の供物なり。かくて我が神は己の富に随い、オリーブの灯によりて汝らの全ての窮乏を栄光のうちに補い給わん。願わくは栄光世々限りなく、我らの父なる神にあれ――」

 祈りを締め括る最後の言の葉だけは辛うじて星にも聞き取れた。なんせヘブライ語で早口に唱えられてはいつ締め括られるかすら予測できない。何か唱えだした、と思っている内に唱え終わってしまい、天使が一切強い金色の光を放つ。

 そして、一瞬。

 一瞬で星の結界が粉々に破壊された。何が起こったかを星が認識する間もなく、星の身体は宙に頬りだされ、壁に叩き付けられていた。

「ぐっ! ……げほっげほ!」

 口の中を切ったらしく血の味が広がる。全身目一杯打撲し、擦り傷だらけになっていた。

「死こそ救済でなくてはならない。天使の手によって召される事に感謝しろ」

 自分がしている暴虐を善行だと本気で信じて歪な笑顔を張り付ける殉教者に、星は腹の底がぐっと熱くなって心底不快だった。

 天使は再び、矢を番えた。弦を引き絞り、星に狙いを定めた、その時。

――――――死の。気配が、空気を塗り潰した。濃い、余りにも濃い、死の気配。

 次の瞬間、突然天使が標準を変えて今まで背後だった通路に向かって矢を放った。その矢を、通路から前触れもなく伸びた、巨大な、黒い手が握り潰した。

 星は、金槌を構える事も忘れて、身動きが出来なくなった。まともに息が出来ているのかも分からない。

「何だ、あの化け物は……!」

 殉教者も似たような心境らしく、否、似たようなどころか星は一瞬、自分の心の声が殉教者の口を借りて出て行ったのかとすら錯覚した。

「終いに言わん、兄弟よ、凡そ誉れなること、凡そ尊ぶべきこと、凡そ正しきこと、凡そ清きこと、凡そ愛すべきこと、凡そ令聞あること、いかなる徳いかなる譽にても、汝これを念え」

 殉教者が再び聖書を唱えた。天使が金色の光を纏ったかと思うと、今度は一本の矢に金色の光が集中し、より一層強い光を放つ矢が番えられた。

「――分からない? お前が今、対峙してるのは誰なのか」

「!!」

 静かな、しかし確かに通る声を聞いて星は直感した。シアオの声だ。だが星の人生で今まで聞いた事が無いほどに、冷たい声だった。

 天使が矢を放った。放たれた矢は超高熱の光線になり、地下空間全てを焼き溶かすのではないかと云うほどの熱量を伴ってシアオの方へ真っ直ぐに伸びた。

 だが、シアオの声がした、漆黒の腕は掌を開くだけで光線を熱ごと吞み込んだ。

「な――天使の力が!」

「俺の故郷の人間だけでも、約1億5千万人。そして人類の書『葬儀の章』の力を継承して、俺はお前たち、殉教者が殺した人類の『死』を全て背負った」

 その意味が、分かるか? シアオは問う。一歩。カラカラ、カン、と音を響かせながら通路の暗闇からシアオの姿が現れる。軽い金属の音は、紅いスコップを引きずる音だった。

「分からないだろうね。膨大な因果律を抑える為に文字通り身に余る魔力圧が常に身体を破壊する。すごく痛いんだよ? でも、お前達が人類に与えた痛みは、こんなもんじゃない」

 どす黒く濁り切った重すぎる殺気を放ちながら、嫌味たらしく殉教者を睨んでいた。

 星は唖然とした。シアオ自身の魔力圧を乱して確実に昏睡させて、兵器に預けて治療施設に送り込んだ筈だ。体が完治していないのに、意識が戻っている筈がない。

 魔力圧とは黒骨に血液や筋肉が振動を与える事で発生するエネルギーだ。だから体に負荷が掛かり、強い魔法を発動すれば怪我をする。もうシアオは魔法を発動する体力どころか身体を動かす体力すら残っていなかった筈だ。

 なのに現れたシアオは、白い袖を赤黒く滲ませて、指先からぽたぽたと血を垂らしている。顔にも見覚えのない、酷い擦り傷の様な大きな傷が増えている。

「間に合って良かった、星ちゃん。殉教者と天使に一人で挑もうとするなんて思わなかったよ。てっきり、殉教者の仲間かと思っちゃった。ごめんね」

「バッ、馬鹿っすか!? その身体治療して来いって言ったじゃないっすか! 仮に私が殉教者でも、兵器を壊した後にでも、あんた考古学者なら施設の使い方勝手に調べて治療室を使えば良かったじゃないっすか!」

 捲し立ててシアオの体を案じる星に、当の本人は苦笑した。星の言う通りにそんな事をしていたら間に合わなかったかもしれない。一応、急いで星の下に戻ったのは助ける為なのだけど。

「慣れてるって言ったでしょう。とっくにね、覚悟してるんだよ」

 言ってしまえば、母が望まぬ命である自分を産んだ瞬間から。シアオは、殉教者の『神』に復讐する為に生きてきた。

 シアオは復讐の道具として、愛されて育った。母が子に与える無償の愛情ではなかったが、歪ながら愛情の味をした毒を注がれてシアオは生きてきた。それでもシアオは母を愛していたし、自分はそういう命だとわかっていて、母が愛する母国を愛していた。

 両親から愛されない理由を知ったシアオは、その時はまだ漠然と実父を嫌悪するだけだった。

 それが終わりを告げて決定的な憎悪に変わったのは、今のシアオによく似た顔つきの黒髪の男が、シアオの故郷に現れた、シアオが11歳の時だった。

「――死こそが救済、ね。死んだ方が楽だなんて、良く言うよ。……俺が生まれてきたのは、お前らの所為なのに」

 生まれてこなければ良かったと、何度思ったことか。お前など産むつもりは無かったと何度母に泣かれた事か。

 あの男が居なければ母は苦しまずに済んだ。あの男が居なければ母が愛した母国の人々は、無残に嬲り殺しにされる事などなかった。あの男が、あの男さえ、居なければ。

 この命は、全て全て、復讐の為に。

「でも、もう良いよ」

 ふわり、シアオは微笑んだ。それはそれは美しい、優しい微笑みだった。

「おお子羊よ! 主に導かれ、全ての命を天井の楽園と地の底の監獄へ導く天命を受け入れてくださるか!」

「死んでも御免だ」

 何を勘違いしているのか歓喜する殉教者に、死の気配を纏ったままのシアオは大型スコップを持つ方の腕を振り上げた。

「俺は、神様なんかになりたくない」


――『死者の鉄槌』――――――――――!!


 シアオの動きに呼応する様に、巨大な黒い骸骨の腕が天使のボディを、貫いた。

 風が舞い上がり、空間全ての空気が押し出される衝撃が、星から一瞬呼吸を奪った。

 胴体に巨大な風穴を開けられた天使は、バキンッ、と音を立てて砕け落ちた。

「馬鹿な!! 天使様が破壊されるだと!?」

「どうやって――」

 天使とは魔法は勿論物理攻撃も通用しない、次元に干渉しない物体の筈だ。天使に目を付けられた場合、逃げられたら勝利と言える状況で、まさか天使の破壊が本当に可能だとは、星も思っていなかった。

「……貴方を捨て駒にする神に、貴方を救う価値は本当にあるの?」

 殉教者の狼狽え様を見て、シアオは呟いた。

 殉教者はわなわなと震えだし、冷たいシアオの台詞など聞こえなかったのか天井を仰いだ。

 そして己が信じる、神に通じる原語で、最悪の言葉を叫ぶ。

「神よ、神よ! 主を、お見捨てになられるのか!?」

「――っ馬鹿!!」

 シアオが異変に気付いた時には、既に遅かった。殉教者の体が稲妻の様に輝き、遺跡の一部ごと、地下を吹き飛ばした。

「う……?」

 爆風を受けた衝撃の割に、体に殆どダメージを受けていない事にシアオは条件反射で閉じていた瞼を開いた。そしてほんの少し、いや結構深く、後悔した。

「大丈夫っすか、シアオさん」

「ウン、アリダトウ。……取り敢えず、降ろして」

 シアオは顔を両手で覆って嘆いた。いくら何でも自分より一回り年下で小柄な少女の細腕に抱えられているなんて。それもお姫様抱っこ。これはまだ壁に叩き付けられた方がマシだったのでは。

「何が起こってるんすか? 殉教者は自爆したんすか?」

 星が真剣に訪ねて来るので、シアオも気持ちを切り替える。

「殉教者が最後に叫んだのは、オリーブの灯が崇拝する教祖が殉教の徒として処刑された時に最期に叫んだ台詞のオマージュってとこかな。殉教者の兵器は、この言葉をキーに本当の姿を見せるんだ」

「嘘でしょ……」

 信じたくない、とうんざりした表情で星はすっかり青い空が見える天井に空いた穴を眺めた。そこに兵器工場の全体よりも巨大な天使が翼を広げて宙に浮いていたのだ。何というか、人間の様な、されど輪郭のない無機質な金色の塊が光り輝いている。

「俺も信じたくないね。俺の体があとどれくらい魔力圧に耐えられるか」

 最早シアオの体力は限界で、星に支えられていなければ立つ事も儘ならない。

「だから治療して来いってあれほど言ったじゃないっすか」

「……返す言葉もない、かな」

 星を助けに来たくせに、結局中途半端に役に立たない有様にシアオも呆れて苦しく嗤った。

「はあ……あんまり使いたくない手だったんすけど、背に腹は代えられないっすよね」

 呆れかえった態度の星端々項垂れた後、憔悴しきって最早自力で立てないシアオをその辺の瓦礫に寄り掛からせて立ち上がった。

「一つ積んでは父の為。二つ積んでは母の為。お喜び下さいませ、吹くは神風」

 それはシアオには聞き慣れない言語だった。星の母語、日本語だ。

「――――特別特攻機構発動――『桜花』」

 天使より遥か上空に、シアオの視界が一瞬だけそれを捉えた。森で星に見せられた、深緑の、鋼鉄の翼。それが真っ直ぐ、天使に落ちた。

 瞬間、焼き付く様な光を放ったと思えば、、雷鳴の様な轟音が地上のシアオの耳まで届き、黒い煙をもくもくと立ち昇らせてそれは呆気なく役目を終わらせていた。

「な……なんて、ことを」

 天使の背中側から、轟々と音を立てて黒い煙が上がるのを、シアオは唖然と眺めていた。

「あれが在れば、星ちゃんだけでも逃げられたかもしれないのに……!」

 シアオは、それを最後の手段として打算していた。この状況で自分と一緒ではどうあっても星は逃げられないだろうが、自分を囮にすれば戦闘機に乗って逃げられたかもしれないのに。

「逃げられるなら、二人で乗って逃げたっすよ」

 悲壮に呉れるシアオに、ゼロ戦は元々一人乗りデザインっすけど、シアオさんを乗せて国に連れて帰る為に二人乗り仕様に作ってたんすよ。と星はニカッと白い歯を見せて笑った。まあ、それは無駄になってしまったのだけど。

「それにしても結構な奥の手だったんすけど、全然平然としてるっすね。まあ、基盤に黒骨を組み込んでいただけあってダメージはちゃんと入ったみたいっすけど」

「黒骨……?」

 あのゼロ戦には黒骨が組み込まれていたのか。確かにそれなら生きている人間が魔法で攻撃するよりも天使への攻撃は有効になるだろう。正直、シアオの倫理観を大陸一般の基準とするならば、人間の遺骨を粗末に扱う事に強い抵抗を感じる処だが。

 今は全人類が戦争をしていて、止むを得ない状況ではあるが、もう少し位は惜しむ素振りをしないものだろうかと、何でも無い顔で母国に戻る足諸共、仮にも遺骨を使い捨てて見せた星に、それが覚悟なのか、薄情なのか、シアオは判断しあぐねる羽目になった。

「どうっすか?」

「駄目だよ、あの程度の質量の黒骨じゃ天使を破壊するには足りない」

 シアオの知識では天使を破壊する為には、黒骨で質量を測るならそれこそ数百人分の遺骨が必要なのだ。星の奥の手は無駄だった。しかし、星はシアオの言葉に首を傾げた。

「じゃなくて――」

 天使が一層強い光を放ち、星の言葉は遮られた。球体の様な光が天使から瞬く間に広がり、シアオと星を包み込む。光は地面を掬い上げる様に、兵器工場を抉り取った。

「っ――」

「シアオさん!」

 一瞬の出来事だったが、自分が死んでいない事に星が気付いた時、シアオに守られたのだと把握できた。人類の書。『葬儀の章』の力は星の『建造の章』とは全く異なる性質を持つ。

 否、同じ性質を持つ章など人類の書には無いのだが、『葬儀の章』だけは特別異質なのだ。

「……?」

 シアオは、その異質さに今、初めて気が付いた。星を護る為の魔法障壁を展開し、かなりの魔力圧が掛かった筈なのに、自分の身体に負荷が殆ど掛からなかった。

「まさかシアオさん、『葬儀の章』の特性を知らなかったんすか?」

「何で――君が知っているの?」

 それは、どうしても今聞かなければならない事ではないが、シアオは思わず口を突いていた。案の定そんなことは後だと星に叱責されて、シアオは大型スコップを握りしめる。

「『葬儀の章』は黒骨に共鳴してより大きな魔力圧を引き出せるんす。逆に言えば黒骨が大きな魔力圧を発生させれば自分に魔力圧を掛けなくても黒骨の魔力圧を利用して魔法を発動する事が出来るんす」

「それで、星ちゃんはゼロ戦を破壊して魔力圧を発生させていたのか」

 せっかく大切な戦闘機を破壊してまでチャンスを作ってくれたのに、その意図にも気付けず棒に振ってしまった。申し訳なく思ったが、謝る位ならもう一度、次は無駄にするなと、星はシアオを支えた。確かに、これなら――。

「葬儀の章の特性は生きている人間には強すぎて、私の黒骨を貸したとしても使えるのは一回きり……しかも確実に私は死ぬっす」

 『次』に何か考えがあるのかと思いきや、シアオの予想を星はスパンと却下した。

「じゃあ、どうすれば」

「私達が最初に会った時、人を弔ってたっすよね」

「!!」

 そうだ。火葬している最中だった。最初の目的は破綻してしまったが、星にこの兵器工場を案内した後、目的を達成したら。彼らを静かな土の中に眠らせるつもりだった。

「黒骨を兵器として扱う事に嫌な顔をする人は少なからず居るっす。でも」

 星は言葉を紡いだ。慎重に選ぶべきだが、切迫した状況だ。どう言えばシアオは納得するのか、考えている猶予はない。

「私は、シアオさんと一緒に戦うっすよ」

 どんな手を使ったとしても。それが生きる為の最善なのであれば。これから犯す、深すぎる業を正当化するのは卑怯だが、今この瞬間、星は誰よりもシアオの味方になれるのだ。

 シアオは、自分の為に戦う小さな面影が星に重なり、諦めが付かなくなっていた。

「……分かった。こんな状況で手段を選んでられないしね」

 でも、とシアオは言い淀んだ。言いたい事はすぐに分かった。もうシアオは立ち上がるのも儘ならず、自力ではこの兵器工場跡地から出られるかが既に怪しい。

「失礼しますよっと」

「え?」

 何も考えてないみたいな顔で、星はシアオをひょいと担いだ。余りにも自然な手際で担がれたのでシアオは間抜けな声を漏らしたが、すぐに腹部から激痛が走った。星の肩が甲冑越しに爛れた腹部にめり込むのだ。

「いっ痛い痛い! 降ろして!?」

 まさかあの火葬場までこれで行くつもりかと、流石のシアオも気が遠くなった。

「すぐっすよ。車に乗るまでっす」

「車って何!?」

 シアオが元気に騒いでいる内に、天使の攻撃から辛うじて免れた一角まで走った。その間、天使はなぜか動かなかった。

「? もっと大暴れするかと思ったっすけど、大人しいっすね」

 お陰で兵器工場の片隅に置き去りにされていた装甲車にシアオを放り込む事が出来たが。

 助手席に座らせたシアオのシートベルトを締めながら星は天使に振り返った。

「魔法機構が俺達の気配を隠しているんだろうね。殉教者がわざわざ天使が嫌がる遺跡の中に足を踏み込むのは、人類が死に物狂いで天使に攻撃されない工夫を編み出してきたからだよ」

 兵器工場の大半を破壊したのは天使にとって悪手だったのだ。シアオは後で気付いた事だが、この遺跡は至る所に墓地が設置され、一定以上の衝撃を与える事で天使から生存者を隠す為の魔法機構が起動する仕組みになっていたらしい。『葬儀の章』の応用だ。

 だが数十分も持たないだろうと言わずとも察し、星も運転席に座ってシートベルトを締める。

「う、動くの!? これ」

「さっきシアオさんと一緒に自立兵器とドンパチした時にちょーっと改造して此処のメンテをさせていたので、大丈夫だと思うっすよ」

 シアオが訊いたのはそういう意味では無かったし、いつの間にそんな仕込みをしていたのかと泡を食わされていた。もう手に負えない。

 シアオにとって初めて聞く何かの気体が勢いよく吐き出される音と、何かが回転する音。

 所謂エンジン音が響き、ますますシアオの不安は加速した。遺跡で生きている兵器は魔力が宿る鉱鉄などの歯車や発条式などが殆どで、こんな音はしないのだ。この車は明らかに近代の『魔法機構』ではなかった。

「じゃ、酔わないでくださいっすよ!」

 シアオは後にも先にも、これ程無茶で雑な注意喚起はなかった、と語る。

 星がアクセルを踏み込むと装甲車は馬車とは比べ物にならない速やかな初動で加速し、あっという間に工場の敷地から舗装されていない土の上に着地した。一瞬、浮いた。

 装甲車が通れるような木々の隙間を探りながら走るので、右に左に揺れる、揺れる。小さな段差は平然と落ちる様にそのまま進むので体が浮いて、落ちる。そう時間を掛けずに火葬場に辿り着いたが、シアオは生まれて初めての車酔いに意識が飛ぶかと思った。

 否、星曰く完全に飛んでいたらしいが。

「ぅっぷ、おぇえ……っ」

「大丈夫っすか?」

 装甲車から降りたシアオは紫色の顔色をして崩れ落ちる。口元を抑えて、こみ上がる胃液を何とか飲み下した。まともな食事なんてここ数日採ってないので、胃液を吐き出したところで食道を痛めるだけだ。

「うわ、天使がこっちに来てるっすよ!」

 デカいから遠近感狂うっすね、と星は呑気だ。とはいえ星の言う通り天使は生きている人間、特にシアオを狙って追いかけて来る。シアオの方こそ悠長に車酔いしている場合ではない。

「じゃあ、始めるっすよ」

 星の作戦開始の合図に、シアオもスコップで体を支えながらゆっくりと立ち上がった。

 作戦はこうだ。星が火葬場の黒骨に魔力圧を掛け、発生した魔力圧を使ってシアオが天使に攻撃する。おしまい。……星が言うに、時間が無い時の作戦は大雑把な方が失敗した時に修正が必要無くて良いのだとか。細かい作戦を立てて一つ一つが少しずつズレた所為で失敗した、よりも、大雑把な作戦を一つ一つ使い捨てで試す、の方が効率的なのだとか。

 だが、――失敗は許されない。二人は、黒骨に手を合わせて黙祷した。

「半端な力じゃ勝てる勝負も勝てないっす。全部使って、一発で終わらせるっすよ」

「うん――」

 金槌を構えて、星は振り上げた。と、同時に。無情にも邪魔が入った。前触れもなく、星の身体が爆風に吹き飛ばされた。

「星ちゃん!!」

 シアオはまたも、敵の気配に気付く事が出来なかった。星の方は作戦に集中していたのだ。自分が気を張っていなければならなかったのに。シアオは爆撃の弾道を視線で辿った。

 最悪だ。奴らは先刻、此処で星と出会うより前にシアオを追い立てまわしていた生首天使を連れた殉教者達だ。生首は三機。赤ん坊の天使より上位の兵器だ。しかもその赤ん坊の天使は本当の姿で降臨している。そう遠く離れた場所に居た訳ではないだろう殉教者たちが気付いて駆け付けるなど想像に容易いだろう。

「痛いっすねぇっ! ホント何処にでも湧いて出て来るっすねぇ! 1匹見たら30匹は居ると思わないといけないんすか! 黒いしゴキブリかなんかっすか!?」

 星は無事な様だ。口汚く殉教者を罵倒しながら起き上がっていた。元気そうで何よりだが、状況は絶望的だ。シアオはもう身体が動かない。人類の書の特性と黒骨を使って魔力圧を代用する作戦も頓挫しかけている。これ以上は星を危険に晒すだけだ。かと言って、星を逃がしてやる術ももう無い。

 ――何が、子羊だ。何が、復讐の為の道具だ。こんな所で、何も出来ずに終わってしまう。

「シアオさん、まさか。諦めちゃぁ居ないっすよね?」

 暗くなっていた視界に、光が射した。いっそ乱暴な程に焼き付く、目に染みる光がシアオの眼を見開かせた。いつの間にか目の前に立っていた星を見上げると、彼女は笑っていた。

「作戦を少し修正するだけっすよ。死んで花実は咲かないっすからね!」

 どうせなら花実を咲かせて散ってやろうじゃないかと。星は火葬場の黒骨に目掛けて金槌を振り上げた。

「……無駄だ。穢れた黒骨の力をいくら増幅させた所で天使に、まして神に届きはしない」

 星の魔法が強い金色の光を放ち、黒骨の姿を変えていく。姿を現したのは、考古学者のシアオなら見覚えがある、だが黒骨で精製された大型の光線銃だ。戦闘に導入されたのはおおよそ620年前。だから、何故星がそんな物の構造を知っていて、黒骨で作ってのけるのか。

「エネルギー充填充分。標準、はデカいんで外す気がしないっすね」

 よしよし、と不敵に笑って星は光線銃を構え、引き金に指を掛ける。銃口が向けられる先は、シアオが捨て駒と呼んだ殉教者が召喚した、この場で最も巨大な黄金の天使だ。

「何を……っ」

 シアオは星の企てを読めても、有り得ないと認めなかった。――しかし、認めたくはないが。有り得ない事を平然と思いついて打算も無く試しにやってのけるのが、星という少女だった。

「着火!!」

 星はシアオの予想を裏切らずに天使に向けて光線を撃ち出した。眩い光の弾道は真っ直ぐに伸びて、天使に直撃した。通常の攻撃は天使に接触しないか、見た目は貫通していて陽炎の様にすり抜けているかだが、シアオは手応えを感じた。だが、浅い。

「天使に攻撃するなど、愚かな」

 殉教者が溜め息交じりに星を憐れんだ。天使に攻撃すれば浄化機能が作動して一帯を焼き払う。シアオの手を借りずに天使を破壊しようとした、――それは確かにシアオの為の献身だと殉教者は感嘆する。だからこそ、二人に苦しみ無き死を。殉教者達は祈った。

 程無くして、天使の『文明浄化』が発動し、光が火葬場を丸ごと焼き尽くした。



「――全く、無茶をして!」

 何、と殉教者は驚愕した。シアオの声が聞こえる筈などない。

 見てみれば、粉々に砕けた黒骨の破片がシアオと星を囲む様に、黒い稲妻の様な光を纏ってドームを形作っていた。

「天使の力なら、天使に届くんじゃないっすか?」

 星の言う通り、シアオはかつて無い程の魔力圧を黒骨から感じ取った。そして、代償も大きかった。星の腕も、酷く赤黒く爛れてしまって、とても金槌を握れる状態じゃない。

「これが、覚悟っすよ。シアオさん」

「っ……!」

 確かに受け取ったと。一呼吸、深く吸い込んでシアオは深紅の大型スコップを構えた。刃を地面に突き立てて、光る紋章を描いていく。赤く光る文字がシアオの体の周りに浮かび上がり、それに反応してか、黒骨もゆっくりと動き出した。

 やがて黒骨は巨大な骸骨の上半身を形作る。だが、先刻の『死の因果律』が形作った漆黒の骸骨から感じられた禍々しさは、無かった。

 それから感じるのは、ただただ、力強さだ。

「死者の――鉄槌!!」

 シアオの怒号に応える様に、黒い骸骨はその巨大な拳を突き出した。その衝撃は轟音と共に地面を大規模に抉り取り、空を揺蕩う巨大な黄金の天使に届き、打ち砕いた。

 壮観。その一言に尽きた。星も、その場に居た殉教者達も、その黒い骸骨の美しさに思わず見とれてしまった。余りにも圧倒的な破壊力で、黄金の巨大な天使を破壊したのだから。

 天使の破片が夕陽に反射して、キラキラとシアオを照らした。黒い骸骨は煙の様にゆっくりと姿を消していった。そして、シアオは倒れた。

「シアオさん!」

 まだ、勝利したと言えない。殉教者を贄に顕現した天使は破壊したが、生首天使は殉教者と共にシアオを殺そうと未だそこに居る。だが、元々体力の限界を超えていたシアオは幾ら星が呼び掛けても意識が戻る事は無かった。

 星は潰れた腕で、それでもシアオを護ろうと殉教者の前に立ち塞がった。腕が使えなくとも、戦ってやる。強い意志を燃やした目で殉教者を睨みつける。

「貴女の愛に免じて、子羊と共に傷み無く眠らせてあげましょう」

 殉教者は相変わらず穏やかな殺気を突き付ける。生首天使が羽を撃ち出す為に翼を変形させ、その銃口を星に向けた。


「――死者の、『厳罰』!」


 黒い光を放つ矢が三本、雷の様に生首天使を貫いた。余りにも突然の事だった。

「重症者二人確認! 直ちに保護し、撤退!」

 星は遠くから数十人の人間が近付いてくる気配を感じた。それも、馬に乗っているのか車に乗っているのか分からないが、かなり騒々しく活気ある気配だった。

「……白い盾……『勝利無き医師団』ですか」

「光栄だな。名前を知っているとは」

 星が振り向いた上空から良く通る声がした。若い男の声だ。

 背中から左右違う色合いの白い鳥の翼を生やした仰々しい黒のジャケットを着こなす白髪の青年。たった今、生首天使を破壊し、星を助けたのは彼らしい。

 殉教者が忌々しげに睨みつけている。

 星が呆然としている間に白い盾を担いだガタイの良い男達が駆け付けてきて、あれよあれよという間にシアオは担架に乗せられ星も毛布を掛けられ最新の魔法機構で作られたであろう車に詰め込まれた。

「シアオを……『人類の絶望』を、返してもらうぞ」

 白髪の青年がクロスボウガンを構えて、引き金を引く。黒い雷が落ちた先に、殉教者の姿は既に無かった。

「人類ってのは、素晴らしいっすね」

 車の中で始まった応急手当てを受ける星は取り敢えず命拾いした勝利に胸を撫で下ろして、心地よく睡魔に敗北した。



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